創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(9) [宗教]


(次に法華講の上級幹部から来たメールを添える)
日付:Sat, 22 Aug 2009 11:44:36 +0900
差出人:"垢重丸" 件名:はじめまして(垢重丸) 宛先:ccc998@infoseek.jp 創価学会内部改革派憂創同盟 発起人 様 はじめまして。『百禍繚乱』『正しい宗教と信仰』というサイトを制作・運営させていただいております、日蓮正宗法華講の垢重丸(くじゅうまる)と申します。 もしかしたらすでにご覧いただいたことがあるかもしれませんが、サイト URLは、 ■百禍繚乱 http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/ ■正しい宗教と信仰 http://www.at-do.jp/ となっております。 先日、貴殿の『創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告』というページを見つけ、ひととおり拝見させていただきました。 学会本部に脱会届を出さなくても、お寺様で勧誡式をいただき、法華講となることは可能です。隠れ法華講のようですが、そのようにされている方々は多くいらっしゃいます。 そうすれば、お寺様に通って寺院行事に参詣し、また勤行・唱題もできますし、総本山へ参詣して本門戒壇の大御本尊様の御開扉をいただくこともできます。 可能であれば、一度お会いしてお話を伺えれば幸いに存ずる次第です。 ここまで学会の誤りをつぶさに認識しておられるのであれば、一日も早く、大聖人様の正しい信心に帰ってこられるべきと思います。 必ず、御本尊様に護っていただけます。 ご返信、お待ち申し上げております。 垢重丸(日蓮正宗) shougi@at-do.jp  また、こういうことも考えられる。  現在、何処の寺院においても創価学会からの移転者が大部分を占める。創価学会からの移転者は活動的で熱心であり、昔から続いた法華講員は隅に追いやられるように自然と成ってきている。  とくに、日如上人の時代になり、折伏が非常に重要視されるようになった。創価学会からの移転者は折伏に積極的であるが、旧来の法華講員は折伏にあまり積極的ではない。自然と旧来の法華講員はますます存在意義が薄くなってきている。土曜日に行われる折伏推進会に於いて旧来の法華講員は発言する余地がないほどである。  私の所属する寺院においても平成五年頃の創価学会男子部の夜撃ちに対して毎晩のようにお寺に泊まり込んでいたのは元創価学会員であった。それほど住職も信頼を置かれていた。旧来の法華講員には家庭を犠牲にしてまで信仰活動することは考えられなかった。  男子部の夜撃ちは現実に起こり、玄関は蹴り破られ、警察が呼ばれた。夜1時頃の出来事であった。身を挺して闘った元創価学会員に住職はさらに信頼を寄せた。  「創価学会に退会届を出さずとも日蓮正宗法華講へ入講できる」ことが創価学会員に知れ渡ると、創価学会からの移転者は急増することになる。一気に何万人から10万人もの移転者が発生する可能性もある。  そうなると旧来の法華講員はますます存在意義が無くなってしまう。それ故にYahooの宗教カテに於いて「退会届を出し正式に退会しないと法華講には移れない」と嘘を言っていたのであろう。  仏法者にはあるまじき妬み、自己保身があったのではないかと疑うのである。 (補足)五時八教判などへの疑念は、勤行するのと勤行しないのとでは、この信仰を続けるのと続けないのとでは、全然違うため、また「南無__は歓喜の中の大歓喜なり」があるため、そんなのはどうでもいいことだ、その当時の仏教界の通説であった、信仰は理屈ではない、と思っています。                   完 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆    “魔”の御本尊の恐怖                              創価学会内部改革派憂創同盟残党 「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」(『大白蓮華』昭和34年7月号9頁・戸田城聖)  平成5年より配布された創価学会製の御本尊は“魔”の御本尊である。これを拝むと心は“うつ”になる。歓喜が湧かない。  以前、日達上人の御本尊ではもの凄く歓喜が湧いていた。それが“魔”の御本尊では歓喜は気分的にしか湧かない。  自分はうつ病性障害に罹患していたことがある。創価学会で一生懸命に活動していたときのことである。平成8年から平成17年にかけてのことになる。何故、自分がうつ病性障害に罹患したのか納得がいかなかった。学会活動は積極的に行っていた。勤行は欠かさず行い(その頃は五座三座の勤行であった)唱題も平均すると一日2時間を越えていた。仕事も「徹せよ」という全国青年部幹部会(?)第1回総会の時の指導に感激し、その1ページほどの部分を切り取り、仏壇の横に置き、徹して仕事をしていた。  自分が日達上人の御本尊と“魔”の御本尊に祈ったときの違いに気付いたのは、平成16年頃、実家の近くの病院に転勤するか迷っていたときであった。まだ、00にアパートは置いていた。  実家に泊まり、朝、日達上人の御本尊に五座の勤行と1時間余りの唱題をしたとき、少なくとも10年間は経験していない歓喜が湧いた。「南無__は歓喜の中の大歓喜なり」である。そしてその日は元気いっぱいの自分であった。その頃、うつ病性障害に罹患しており不安感、焦燥感そして倦怠感が常に自分につきまとっていた。それが綺麗に消えていた。その日は、患者さんに元気一杯に対応することができた。  その日は当直、そして00のアパートへ戻った。思えば自分は中学2年の頃、一生懸命に信仰をしていたとき、毎日のようにあのような歓喜に包まれていた。そして元気すぎるほど元気な自分であった。あまりにも元気すぎた。  歓喜が無くなったのは自分が実家から離れて00へ住むようになってからであった。平成5年の時のことであった。偶然にも“魔”の御本尊が配布され始めたときのことであった。“魔”の御本尊を受けた。今までの御本尊より少し大きめであった。そのため古い仏壇では入りきれないことが多いといわれた。自分は17万円出して新しい仏壇を買った。  それから週3回の当直、厳しい大学病院勤務に、その御本尊に祈りつつ耐えてきた。歓喜の湧くのが少ないということは、気付いていたと思う。しかし、疑いを起こすほどはっきりとは気付いていなかったと思う。また疑いを起こすほどの余裕はなかった。その頃は厳しい日々であった。  “魔”の御本尊に祈る人は高率にうつ病性障害に罹患する。日本のうつ病性障害の半分は創価学会員と言われる。うつ病性障害はもっとも治りやすい精神疾患である。数ヶ月で治ることが普通である。ところが創価学会員のうつ病性障害は治らない。しかも入院を必要とするほど重症であることが非常に多い。これらはもちろん聖教新聞などでは報道されない。同時放送でも言われない。マスコミも沈黙を貫いている。自分は一度、「創価学会員に多発するうつ病性障害の精神病理学的特徴」という論文を書き、幾つかの出版社に出したが、創価学会から訴えられると全て断られた。創価学会は訴訟を乱発するカルトとして怖れられている。  創価学会員のうつ病性障害は10年20年30年と長引く。決して治らない。治るのは創価学会の信仰を放棄した会員だけである。  東京に創価学会員専門の精神科クリニックがある。ここでは「勤行唱題、学会活動の禁止」を指導する。ここの医師は創価学会員の精神疾患の原因は創価学会の信仰にあると気付いているらしい。創価学会員の精神科医数人で運営されているらしい。  この精神科クリニックの指導に反発し従わない創価学会員は多い。もともと非常に熱心であったから精神疾患に罹患したのである。しかも幹部が多い。このクリニックの指導を悪し様に罵り従わない精神疾患に罹患している創価学会員は非常に多い。以前(12、3年ほど前)、voiceという創価学会本部が運営するインターネット上のサイトがあったが、自分はここでこのクリニックの治療方針を知った。このサイトはあまりにもうつ病性障害やパニック障害を罹患している創価学会員からの投稿が多すぎるためか実質上、閉鎖し、今はこのサイトは「やりました!できました!」という内容の投稿しか載せなくなっている。  “魔”の御本尊の直径2m以内では「死ね、死ね」という幻聴の聞こえる婦人部員がいる。2mを越えると聞こえなくなるそうである。また、“魔”の御本尊に勤行唱題すると手首をカミソリで切る男子部員がいる。この男子部員はもちろん勤行唱題を厳禁されているが、熱心なあまり勤行唱題をしてしまうそうである。この男子部員は東京の創価学会員専門の精神科クリニックで治療されている。  “魔”の御本尊に変わって、その変化に気付かないのは、ちょうど、信仰を退転したが、信仰を行っていたときの歓喜を忘れてしまい面倒な勤行唱題をしないでよくなった、と嬉しがる退転者と同じである。  歓喜を忘れた創価学会は活力を急激に失い、弱小化すると推測される。              完 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  昭和五十九年十月三日、東京都内の病院で、池田大作の次男・城久氏が二十九才という若さで亡くなった。死因は胃穿孔(胃に穴があく病気)であった。  城久氏は、創価大学を卒業後、同大学の職員として勤務し、将来は、創価学会の後継者となる人物と目されていた。池田自身、自分に体型もよく似た城久氏を大変かわいがっていた。 (しかし、池田大作は自分の愛人の一人を次男・城久氏に無理矢理、結婚させている。その煩悶のため、次男・城久氏はストレス性の胃潰瘍になったのである。胃潰瘍のため、池田大作の側近である産婦人科医の婦人部の経営する病院に石川伸一という偽名で入院していた。病気をするものは信心が成ってない、という創価学会に蔓延していた邪義からの非難を避けるための処置であった。  ストレス性の胃潰瘍は入院させストレスから遠去けることにより快癒することが多い。しかし、城久氏が負っていたストレスは入院したとしても軽くなるストレスではなかった。  池田大作には日本だけでなく海外も含めると二十数名の愛人が居たと言われる。その中でもその愛人を池田大作はことのほか目に入れていたようだ。それを自分の最愛の息子に譲るというとんでもないことを平気で池田大作は行った。最愛の息子がストレス故に胃潰瘍になり胃穿孔で死亡することは自分がまいたものであった。池田大作は人間の心を持たないのだろうか?  池田大作はこの城久氏の通夜の夜、当時、公明党委員長の竹入義勝氏、公明党書記長の矢野絢也氏と三人で今後の政策について長時間、話し込んでいる。普通の場合、最愛の息子が死んだ夜、そういうことはできないはずである。池田大作は城久氏に愛情をあまり持っていなかったと考えられる。愛情をあまり持っていなかったため、自分の愛人を強引に結婚させるという驚くべきことを行ったとしか思われない。昭和五十九年十月には差し迫った重大事はなかったはずである。池田大作は子供の死より政策の方が大切だったと思われる。池田大作は愛情欠如症候群に罹患していたと思われる。池田大作は通夜の席に出席せず、一室で竹入義勝氏、矢野絢也氏と数時間に亘る今後の政策について話し込んでいる。  日本での愛人と落ち合うところは日本中に造られていた池田専用室であった。池田専用室とは研修道場などに設置される池田大作個人が使うことになっている莫大な金をかけ贅をこらした部屋のことである。それらの部屋は研修道場建築に使用される費用の半分近くを掛けるのが普通であった。  その愛人は人妻であることが多い。その旦那は学会で一気に副会長にまでなってしまう。妻を池田大作に差し出す旦那は副会長に多数存在することになる。池田大作はオットセイまたはトドとまで言われていた。欲望の凄まじさは激し過ぎる。  その池田専用室は全国に百以上有ると言われ、昭和五十二年には民主党がそれを国会で取り上げると公明党に文書で脅し、急遽、ほとんどの池田専用室は牧口記念館や戸田記念館に改装されたり、取り壊されたりした。その改装と取り壊しの費用は莫大であったと言われる。  しかし、民主党と選挙協力をすると約束し、国会で取り上げられることはなかった。民主党が国会で取り上げないと解ると、再び日本全国に池田専用施設が新たに莫大な費用を掛けて再築された。これらの費用はほとんど広布基金で賄われていたと言われる。)  その城久氏が、なぜ、手遅れにならないかぎり死に至ることのない、胃穿孔で急死したのか――。
   それを予言したかのような記述が池田大作著『人間革命』第十巻「嶮路の章」に出ている(『人間革命』は東大卒で小説家志望だった篠原善太郎氏が書いたものであり、池田大作は本を書いたことは全くない。池田大作にはゴーストライター軍団が存在していた。会長室の上にゴーストライター軍団の部屋があった。創価学会本部職員は知っている)。 「(ニセ本尊を自ら作った)岡田一哲の父は胃穿孔で悶死した。」  池田大作も、ニセ板本尊を作るという大謗法を犯して、時の御法主日達上人の御宸襟(しんきん)を悩まし奉った昭和五十二年から数えて、まさに七年後に、最愛の後継者を胃穿孔で死なせてしまったのでした。 

 (池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p164 ) ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆       文化遺産的お人好しの創価学会員  心は声に出る。すなわち声を聞くだけで、その人の心を推測することができる。  鋭い人は声を聞くだけで、その人の心を100%近くまで推測することができる。  また、心は顔に出る。仏教では色心不二という言葉がある。顔で、表情で、その人の心を推測することができる。  池田大作の声は傲慢不遜の極みであることは鋭い人なら簡単に分かる。それが分からないのは文化遺産的お人好しである。創価学会には文化遺産的お人好しが非常に多い。創価学会に非常にお人好しが多いのはそのためでもあると考える。  文化遺産的お人好しでなければ、創価学会の信心、活動を続けることは不可能であろう。文化遺産的お人好しでなければ創価学会(池田大作)の矛盾に気づき、信仰を中止するのが普通である。また、文化遺産的お人好しでなければ、創価学会に入会することはほとんどあり得ない。  自分は以前は創価学会員があまりにも人が良いので創価学会員の他に友達を作るのが厭であった時期が長く続いた。少なくとも15年ぐらい続いたであろう。すでに20歳ぐらいから、そうであったような記憶がある。創価学会員以外は信用できなかった。創価学会員以外は心が許せなかった。現在もその傾向は続き、創価学会員以外と友達になるのが億劫である。しかし、現在は創価学会を辞めている。創価学会員との交流は完全に途絶えている。現在は友達が全く居ないような状況である。  お寺に行くのも、家族に隠れて行っているため、週一回、仕事への行きかけに限られた時間で行くのみである。ある曜日だけ仕事前に時間が造れる。その時、会合はあっていない。  お寺では一人二人と会うのみである。年齢は離れている。しかし、この人も非常に良い人である。元創価学会員ということである。 (法華講員もまた、創価学会員と同じく非常に人が良いことも書き加えておく。自分のお寺には元からの法華講員が居ないのである。全く新しく建った寺院だからである) ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  日蓮正宗法華講に属さずとも一人で大石寺の大御本尊に向かい勤行唱題を行ってゆくことは可能でしょうか? 心は日蓮正宗法華講としても、お寺には行かないことにすることです。  もう一度書きます。心は日蓮正宗法華講としても、お寺には行かないことにすることです。  現在、自分は、それを選択するを得ない極めて厳しい局面に立たされています。現在こそ、隠れ法華講員で済ませていますが、隠れが何時まで成功するか極めて難しいと思われます。お寺に入るところを創価学会員に見つかったら最後です。  隠れて遙拝勤行するのも何時見つかるか危ないところです。日蓮正宗の経本を入れた袋を何時見つかるか危ないところです。  女房の一族は狂信的な池田教の信者で、他の人を折伏することはできますが、女房およびその一族を折伏することは不可能に近いことです。  女房はどうでも良いですけど、2歳と4歳の子供がいます。2歳と4歳の子供が大切です。  同じようなことを質問しているかも知れませんが、それほど深刻な問題なのです。  遙拝勤行を見つかっても、日蓮正宗の経本を見つかっても「一人で信心しており、お寺(日蓮正宗)とは関係ない」と言えば大事には至らないと思われます。  一人法華講を選択せざるを得ない厳しい状況です。  一人での信仰は広宣流布を無視した良くない卑怯な方法でしょうか? (補足)五時八教判などへの疑念は、勤行するのと勤行しないのとでは、この信仰を続けるのと続けないのとでは、全然違うため、また「南無__は歓喜の中の大歓喜なり」があるため、そんなのはどうでもいいことだ、その当時の仏教界の通説であった、信仰は理屈ではない、と思っています。  日如上人様なら自分の厳しい状況、分かってくれると思っています。 (補足)遂、弱音を吐いてしまいました。自分はこれからも法華講員としてお寺に行きます。一人信心は行いません。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  オッチャンへ  実は自分も十三年半前に“うつ病”になり再燃(再発のこと。“うつ病”では再燃という)寛解(病気が良くなること。“うつ病”では必ず再発するので治癒とは呼ばない)を繰り返しながら十年間続きました。朝は起きられず、大変でした。  三年半前、創価学会の信仰を辞めて日蓮正宗法華講に入りました。それ以来、再燃は気配もありません。創価学会には“うつ病”がもの凄く多いです。日本の“うつ病”の患者の半数を創価学会員が占めていると言われるほどです。000の創価学会の幹部の人も“うつ病”とパニックを合併した状態となり、十六年間、生活保護を受け続けています。“うつ病”とパニックを合併したのは非常に治り難く「パニック性不安うつ病」と呼ばれています。  病院は00市には幾つもクリニックや病院がありますから、その中から自分に合ったものを探した方が良いです。00まで来る必要はないと思います。自分の勤めている病院は山の上で遠いです。自分の勤務は金曜の午後から月曜の朝までです。  退院してからの診察でないと法律違反になるので何処も受け付けてくれません。入院中の外出中に同じ科の別の病院に診察に行くと大変なことになります。  自分たちと同年齢の創価学会の女性が00病院に“うつ病”で入退院を繰り返していました。この人も生活保護で子供が二人居り、入院のときは子供を施設に預けていました(夫は死亡)。七年前のことになりますから、今はどうなっているのか解りません。  とにかく創価学会の信仰は辞め日蓮正宗法華講に入ることです。自分は現在、三年半、再燃の気配もありません。“うつ病”で創価学会で治らなく、日蓮正宗法華講に入ったら直ぐに治ったという人は多いです。  日蓮正宗法華講のお寺の地図を書いておきます。暇なときに(日曜日も開いています。年中無休。でも、ときどき法事に行くことがありますが、滅多にありませんし、そのうち帰ってきます)行って、勧誡式(御授戒のようなもの。創価学会の人の場合は勧誡式(かんかいしき)と言う)を受け、御本尊をお寺のものと変えることです。ですから御本尊を持って行かないといけません(彼女のだけでなくオッチャンのも)。料金は決まっていませんが一人2千円(お数珠も変えた方が良いのでプラス800円。経本は変えるべきなのでプラス100円)ほどで十分と思います。仏壇は今までのをそのまま使えば良いです。御本尊などをお寺のものと変えたら、今まで勤行すると悪いことが起こっていたのが、良いことが起こるようになります。日蓮正宗法華講に入って一ヶ月から三ヶ月で「パニック性不安うつ病」が治ると考えて良いです。  精神科の病気とは半分オカルトです。理由もなく悪くなったり、理由もなく良くなったりします。特に“うつ病”はそうです。           創価学会で信仰していると「パニック性不安うつ病」は死ぬまで治りません。第一、「パニック性不安うつ病」は非常に治り難い病気と定義されています。そして普通の“うつ病”の人も創価学会員は何時まで経っても治らないで二十年三十年と苦しんでいます。創価学会員で“うつ病”が治った人は知りません。創価学会員で“うつ病”で自殺した人は数人知っています。  創価学会の精神科医で日蓮正宗法華講に移った人は多いです。何故なら、普通なら良くなるところを創価学会員は良くならないからです。とくに精神疾患に於いてはその傾向が顕著です。そして創価学会に疑いを抱き、日蓮正宗法華講に転向するのです。  日蓮正宗法華講に入れば一ヶ月から三ヶ月で治ると思います。  では。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  オッチャンへ  再び書きます。“うつ病”を治すためには創価学会を辞めることです。そうしないと一生治ることはありません。 “うつ病”はクスリで治すものではありません。クスリは補助的なものでしかありません。病気は(とくに精神科の病気は)オカルトです。理由もなく良くなったり悪くなったりします。  インターネット上には創価学会の“うつ病”の集まりがありますが、そこの人たちは20年がザラです。10年は短い方です。それほど創価学会員の“うつ病”は治らないのです。  創価学会を辞めて日蓮正宗法華講に入ることです。創価学会で治らず、日蓮正宗法華講に入って“うつ病”を短期間で治した人はたくさん居ます。一ヶ月から三ヶ月です。それくらいの期間で治るのです。  創価学会の“うつ病”の多さは非常に深刻な問題で、創価学会の本部会館には毎週、精神科医が来ています。創価学会の本部会館の職員および家族に“うつ病”が余りにも多発しているからです。東京の創価学会専属の精神科医院にはたくさんの“うつ病”の患者が溢れています。そこでの指導は「勤行唱題、学会活動の禁止」です。精神科医が勤行唱題、学会活動が“うつ病”を深刻化させることを気付いているのです。内緒に退転している精神科医は居ると思います。  “うつ病”になって生活保護になり、15年を超えている創価学会員を何人か知っています。創価学会員の“うつ病”は治りません。  日蓮正宗法華講の体験談集をコピーして送ろうとも考えましたが、適当なのがありません。法華講では“うつ病”は病気に入ってなく、問題視されてないのです。精神科の疾患で一番治りやすいのが“うつ病”です。統合失調症や境界性人格障害が治っているのはあります。統合失調症や境界性人格障害は治らないと定義されている病気です。  創価学会の矛盾に気付かなければなりません。今ではインターネットでアマゾンで送料無料で矢野元公明党委員長、山崎正友弁護士、原島嵩元教学部長などの本が簡単に手に入ります。「池田大作の品格 part2:小多仁伯、小川頼宣:日新報道:2009」が一番良いです。  自分も創価学会のときは“うつ病”に苦しみ抜きました。日蓮正宗法華講に入って本当に良かったと思っています。今は“うつ病”再燃の気配さえもありません。自分は自分が何故、“うつ病”になったのか全く解せませんでしたが、創価学会を辞めて日蓮正宗法華講に入ると簡単に治りましたので、今はとても楽です。自分も10年間、“うつ病”で苦しんできたことになります。  では。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  オッチャンへ  再び書きます。創価学会の御本尊が家にあると拝まないでも御本尊から“気”が出ていて悪いことが起こります。オッチャンのアパートには創価学会の御本尊の悪い“気”が充満していることになります。これに対するには、日蓮正宗のお寺から新しい御本尊と取り替えて貰うしか有りません。  清隆が“うつ病”になったのはアパートに創価学会の御本尊があったからに違い有りません。それほど創価学会員には“うつ病”が多いのです。精神病院は創価学会員で溢れかえっています。  清隆が生活保護になったのならば、公明党の市会議員が創価学会製の“魔”の御本尊を無理矢理持たせていると思います。清隆も危ないです。清隆も日蓮正宗に移すべきです。  創価学会のままでは何時まで経っても“うつ病”は治りません。創価学会員に異常多発している治らない(“うつ病”は精神疾患のなかで最も治りやすいものです。普通なら数ヶ月で治るものです)“うつ病”は本当なら社会問題として取り上げなければいけないのですけど、創価学会の圧力に屈しているマスコミは報道しないで居るのです。  創価学会員には“うつ病”10年20年以上がザラです。創価学会員の“うつ病”は不思議なほど治りませんし、重症です。  自分は月曜から木曜までは時間が空いていますから、それに付き合って良いです。このとき御授戒と同じような勧誡式というものを受けなければ新しい御本尊は授与して貰えないと思います。勧誡式とは御授戒と全く同じようなものです。このとき数珠もお寺のと取り替えるべきです。経本もです。数珠が八百円、経本が百円です。  そして創価学会に退会届けを出して創価学会の悪い“気”が来ないようにすることも大事です。退会届は自分が印刷して持っています。あとはオッチャンが名前を書くだけで良いです。でも、全て自筆で書いたものの方が良いようです。お寺で教えてくれます。  創価学会は池田大作一人のために悪霊団体になってしまいました。悪霊団体です。“うつ病”で入院してくる90%は創価学会員です。他の人は“うつ病”は直ぐに治ってしまいます。  選挙で「公明党」と書くだけで悪霊が慕い寄って来ます。  御本尊を日蓮正宗の御本尊に換えるだけでオッチャンのアパートは清浄になってゆきます。勤行唱題はしなくとも題目三唱だけで十分と思います。仏壇はそのままで御本尊を取り替えるだけで良いのです。  彼女の御本尊もお寺のと取り替えるべきです。そうしないと“うつ病”は治りません。親が来て御寿司を開けることはないと思います。また開けても注意して見ないと分からないと思います。巻いていても創価学会の御本尊からは悪い“気”が出ます。  問題は彼女の両親ですけど、創価学会に退会届を出さずにお寺に代わるとバレることはありません。結婚して所帯を持って黙っていたら日蓮正宗に鞍替えしたことは分かりません。たとえ分かっても結婚して所帯を持ったら親の出る幕ではありません。  そして御本尊は捨てないで、お寺に持って行くことです。オッチャンのアパートの御本尊は日達上人のだと思いますが、長年、創価学会に属したままなので創価学会の汚れが厚く付いてしまって今の創価学会の“魔”の御本尊と変わりがなくなっています。お寺で住職からお清めを受けるという方法もありますが、換えた方が良いでしょう。  では。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  人間の正常な感性を持っているなら、同時放送に出て池田大作の姿、声、話す内容から、池田大作が極めて傲慢な人間であることが解るはずと思う。それが解らないのは、必至に“疑い”を押し殺している盲信者か、疑いの心を起こさない文化遺産的お人好しか、そのいずれかになると思う。  自分の親は、同時放送に参加したことはない。現在、年齢が七十を越えているし、母は同時放送に参加する暇無く働いていた。父は自分から入信したものの信仰をしたのは初めの2年ほどでずっと退転状態であった。母が座談会に行くのも厭がっていた。酒の晩酌をしろという考えであった。  自分は十九のとき、文化会館で婦人部の会合から漏れてくる池田大作のスピーチを聞いた。その声は傲慢の極みの声であった。自分が想像していた誠実の極みの声ではなかった。自分は「人間革命」の本から、池田大作の声は誠実の極みの声をしていると想像していた。その頃、狂信的に信仰していた自分は必死に疑いを押し殺した。考えるまい、考えるまい、と押し殺した。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  選挙はただ、池田大作の「天下取り」の野望のためであったことを忘れてはならない。池田大作が総理大臣、そして国王と成ることを狙ってのことだったことを忘れてはならない。池田大作には広宣流布はどうでも良かったのである。人々が幸せになることはどうでも良かったのである。  自分が日本で一番偉くなれれば、それで良かったのである。池田大作は国王になるという野望を抱いていた。それは自己愛性パーソナリティ障害に罹患していたからである。自己愛性パーソナリティ障害に罹患していれば、その野望達成のための執念は凄まじい。その執念は狂気と言っても良い。ヒットラー並みの凄まじい権力への執念があった。それを神様と考えていた創価学会員は自分もであるが馬鹿と言っても過言ではない。天然記念物的お人好しだったのである。  池田大作は本来は精神病院にぶち込まれるべき人間だったのである。狂気に走ってきた人間だった。昭和二十五年頃に罹患したと思われる自己愛性パーソナリティ障害の狂人だったのである。それに我々は騙されてきたのである。  何百万もの人が池田大作の野望に騙されてきた。現在も騙されているものは多い。騙されて幸せなのだろう。天然記念物的お人好しである。  池田大作は八十二歳になった。もはや「天下取り」は不可能と自分自身でも解っているに違いない。  選挙、選挙、と走らされてきた学会員は自分もだが池田大作を恨まなければならない。選挙、選挙、と走っても功徳はなかったことを知らなければならない。功徳ではなく罰が来ていたはずである。罰を功徳と誤解してきたケースが非常に多かったことに気付かなければならない。  明日(七月十一日、日曜日)参議院選挙があるが公明党は敗北するだろう。公明党が教科書無償化を行ったと信じている人が非常に多いが、それは嘘である。自民党が教科書無償化を行ったのである。騙されてはいけない。良く調べてみると良い。  公明党は結局、何も日本国民に貢献することなく、無くなってゆく。  池田大作が日本を乗っ取る野望のために造られた公明党は何をすることもなく消えてゆく。  池田大作の野望のために走らされてきた創価学会員は自分もだが哀れである。                         (月曜の朝までの当直の一室より) ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆ 創価学会とは教学はどうでも良いのだと言うことが解りました。 創価学会は元・公明党国会議員が御輿を担ぐなど選挙の方が大事であり、謗法も容認するようになっている。 すなわち、選挙の方が教義の厳守より大事なのである。 謗法厳禁の大聖人の精神は今の創価学会には存在しなくなっている。 創価学会は折伏が非常に軽んじるようになった。 代わりに選挙のときに公明党に投票する人を造ることが非常に重要となっている。 創価学会は選挙至上主義になった。 わけの分からぬおばさんたちや青年を「広宣流布のためだ!」「一票取るのも一人折伏するのも同じで、功徳がある」と言ってしゃにむにハッパを掛けるから見境のない戸別訪問の“人海戦術”が繰り広げられる。 「広宣流布のためだ!」「一票取るのも一人折伏するのも同じで、功徳がある」これがおかしいと思わないのだろうか? それを批判することもなく、そのまま受け入れる批判力のない創価学会員が悪いとも言える。 選挙は却って広宣流布の邪魔をしている。 もう一度書く。選挙は却って広宣流布の邪魔をしている。 選挙を至上として総体革命を目指している。 池田大作が命令しているのだ。 池田大作が日本を乗っ取りたいからだ。 もはや日本を乗っ取ることは不可能と分かっているものの、最後のもがきをしているとしか思えない。 欲望の固まりの池田大作。 その姿もそして精神も心もあまりにも醜い。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  釈迦の死後およそ百五十年後、マウリア王朝のアショーカ王(阿育王)は、仏塔を発掘して得た遺骨を細分して全インドにおびたたしい仏塔を建設した。  これらの仏塔を管理したのは都市の資産家・地主・商人たちであった。  この人たちはかつては比丘教団を供養し支えてきた人たちだったが、比丘たちが教理解釈の相違から二十の分派に別れ、経や律の研究書である論書を造るのに熱中したりして在家信者の宗教生活の指導などさっぱりしてくれないので比丘教団に見切りをつけ、「釈尊に帰れ」の旗印の下、仏塔のまわりに次々と集結するようになった。仏塔を拝むことは釈尊を拝むことと同じだった。  …………  仏塔への憧れから比丘が仏塔信者の方へ走ったのでは堪らない。そこで比丘教団の各部派は競って仏塔を建設するようになる。  こうなると比丘教団と仏塔信者団との格差が無くなってしまう。そうなると経や律を持っている比丘教団に敵うはずがない。  仏塔信者団の中にさらに革新的な団体が生まれて来て、自分たち独自の経典を創作しようではないかという動きが活発になって来たのであった。私はこの団体を仮に「経典結集菩薩団」と呼んでいる。  こうして創られ始めたのが、般若経、法華経、大無量寿経、華厳経、唯摩経、大日経などの、いわゆる大乗経典であった。  これらの大乗教典は、原始仏教の経典がパーリ語で書かれたのに対して、サンスクリット語(梵語)で書かれた。そして、教訓的と言うよりは極めて芸術性の高い、文学的な経典であった。 (「法華経」を読む:紀野一義:講談社:1982:p55-6)  創価学会は頑なに「五時八教判」すなわち全ての経典は釈迦一人が説いたという説を主張しているが、これが間違いであることは論を待たない。全く内容の異なる教典を説くことは考えられない。また最後の一日で莫大な「涅槃経」を説けるはずがない。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  参議院選挙前になると公明党市会議員は「生活保護者」を新しく造るのに懸命である。「生活保護」にするから公明党に投票してくれ!ということである。  自分が知っている、ほとんど(完全に?)創価学会の信仰をする気を無くしていたが家に御本尊を置いたままだった四六歳の男性が次の参議院選挙への投票を交換条件として“うつ病”のため「生活保護」となった。自分は彼が次期の参院選のとき公明党には投票しないと読んでいる。創価学会を滅茶苦茶に批判していた男性だった。しかし「公明党に入れた」というだろう。  彼は一人暮らしでないと生活保護はもらえないとの公明党議員の口添えの元、新築の市営住宅を斡旋してもらい、極めて快適な生活を送っている(それまでは兄貴と二人で狭い公営の古いアパートに住んでいた)。家族は居なく、自分一人である。毎日、深酒し、ときどき電話を掛けてくる。“うつ病”に酒は良くない。とくに深酒は良くないどころか非常に悪い。アルコール摂取は“うつ病”を重篤化する物質を生産することで有名である。“うつ病”でなく単なる“怠け”の可能性も高い。擬態うつ病の患者も多いと思われる。彼らは精神科・心療内科では擬態がばれるため、患者が少なく経営困難な内科外科に懸かる。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  自分は池田大作を信じ、創価学会を信じ、不幸になってゆく創価学会を救うためと思って闘ってきました。創価学会員は日本中に三百万人いる。そのなかで“うつ病”を患い生活保護になる人の数が余りにも多い。自分が知っている範囲で、創価学会員で生活保護をもらい始め“うつ病”が治った人はいない。  生活保護をもらうから生活保護の支給をし続けてもらうために“うつ病”が治らないふりをしているのだとはじめは思った。たしかにそういう患者も居るであろう。しかし自分が知っている限り、本当に“うつ病”が重篤なために全く良くなっていないのだ。  これは大変な社会問題である。“うつ病”とは最も治りやすい精神障害である。創価学会員以外は重篤化しないし、治ってゆく。  自分も十年間、“うつ病”に苦しんだ。何故、自分が“うつ病”で苦しまなければならないのか分からなかった。  それが平成五年以来配布され続けてきた日寛上人のコピーの御本尊が大きく関与していることをインターネットで知った。自分は創価学会内部改革派憂創同盟としてインターネット上でそのことを訴え続けてきた。しかし、覚醒する人は極僅かであった。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  ペトロフスキー本というものがある。これは中央アジアから出土した、提婆達多品が独立の品として別立されている。これを池田大作が宗門戦争の時、学会寄りの僧侶には送り、学会寄りではない僧侶には送らなかった。池田大作はペテロフスキー本がどういう意味を持っているかについては全く分かっていなかったものと思われる。  提婆達多品は中国・日本に於いては悪人成仏と女人成仏を説く品であるといわれてきた。  ちなみに同じく中央アジア出土のファルハード・ベーグ品に於いては提婆達多品は含まれていない。  提婆達多品は羅什の訳には欠けていた。つまり「妙法蓮華経」は2007本であった。後に別人が漢訳した提婆達多品が羅什訳に編入されて現在見る二十八本になったのである。六世紀後半の天台大師(五十三十八〜五十九八)や嘉祥大師(五十四十九〜六二三)の法華経しょ(しょは注釈の意)には提婆達多品の注釈が含まれているので、その時期に編入されたことが分かる。  提婆達多品が編入されたことによって法華経は万人救済の経典として崇められるようになった。  このように経典とは長い長い時代を経て成立したものが多い。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  大乗仏教の経典の中には、その前に「開経」を置き、その後に「結経」を持つものがある。法華経の開経は「無量義経」で、オペラで言えば序曲のようなものである。オペラの序曲は美しい旋律を持ち、それを聴いただけで聴衆はそのオペラの華麗な風光の中にひきこまれて、陶然とするのである。  その「無量義経」のなかに「四十余年未顕真実」が書かれている。日蓮大聖人はこれをもって他宗を激しく批判した。  「無量義経」は中国人が創作した偽経であることは現代仏教学の常識である。「無量義経」を偽経と言わない仏教学者は存在しない。「無量義経」を釈迦が説いたものと信じれ!!という人間は完全に洗脳されている。創価学会のときはそのように無理矢理に信じ込まされようとされてきた。現代仏教学の本を読んでいた自分は信じることは出来なかった。  しかも日本に輸入された翻訳本はほとんどが破戒僧・羅什による訳である。  「羅什は火葬されたが舌は焼け残った」と書かれている。ここにも中国人の迷信深さが表れている。  今まで反論のない創価学会に反論してもらいたい。  何故、創価学会からは反論がないのか? 創価学会は「選挙、選挙、友好運動」で教学をする暇がないからである。    ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  ある経を何年間、説いた後に、全く内容の異なるある経を何年間、説くと言うことを、現代人は信じることは出来ない。  最重度の多重人格障害でもあれほど全く異なる教典を説けない。  昔の人は信じることが出来たのかも知れない。しかし、現代人は信じることは出来ない。信じるとしたら狂信、盲信である。  死ぬ前の一日で、あれだけ膨大な「涅槃経」を説けるはずがない。  第一、インド史の研究により、大乗教典は釈迦の死後、三百〜四百年以上経ってから造られ始めたとなっている。  釈迦は原始経典のみ説いた、または人の道を説いた、となっている。これらは現代仏教学で確立されている。仏教学者でこのことに反論する人はいない。  もはや仏教、キリスト教などは“伝説”“遺物”でしかない。キリスト教は神学を、仏教は教学を立てた。難しい神学、教学を立てて信者を煙に巻いている。  未だに「四十余年未顕真実」を教義とすることは間違っている。これが書かれている「無量義経」は偽経と定まっている。  「五時八教判」を教義の土台とする宗派は教義が音を立てて崩れてゆく。  今まで反論のない創価学会に反論してもらいたい。  何故、創価学会からは反論がないのか? 創価学会は「選挙、選挙、友好運動」で教学をする暇がないからである。    ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆ rsdさん。あなたは池田大作によって、どれだけたくさんの人が苦しめられてきたか知らないようです。創価学会員は池田大作が会長になることによって、もの凄い苦しみを味わってきました。人生を棒に振った人は何万人に達するでしょう。何十万人に達するかも知れません。  これは池田大作が会長になったことにより、悪鬼が創価学会に雪崩れ込んできたためです。あなたはそんなオカルトめいたことはないと反論されるかもしれません。しかし、あなたも華厳宗を信仰していると告白しています。魂、宗教の世界は厳然と存在します。世界中の宗教は魂、宗教の世界が存在することによって成り立っているのです。  今から二二年前、自分は創価学会内部改革派憂創同盟の人と電話で話しました。そして「創価学会員にたくさん不幸なことが起こるのは池田大作が間違っているからだ。トップが悪人であると、そこから悪鬼が雪崩れ込んでくる、という文証がある」と言われました。自分も創価学会員にあまりにも不幸なことが起こり過ぎていることに疑問を抱いていました。創価学会員が幸せになるどころか不幸になっていることに気付いていました。  しかし、自分は創価学会に残り続けました。創価学会内部改革派憂創同盟に加わる決意がつきませんでした。  創価学会はとても良い人の集まりと思います。激しい折伏にも拘わらず入会した人達の集まりであるからと思います。会合は楽しかったですし、孤独になると拠点に行ってました。拠点に行くと寂しさが無くなります。拠点にも良い人ばかりでした。  厳しい毎日にも、創価学会の信仰を貫き、耐え続けました。苦しい中にも信仰の歓喜がありました。学会歌を心の中で唱えて耐え続けました。  自分は、巨悪を滅する、巨悪を滅するために闘っているのであります。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆ ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆ 「創価学会の男子部は、選挙が終わった後、団体で性風俗店に行く」という風習があります。行かない処もあります。行く処より行かない処が多いと推測しています。また、性風俗店へ行く以上のことをする処もあると聞いています!!  これは選挙の指揮をしている幹部が決めていることであり、選挙後、医師である自分の処に性病を貰ってやって来る男子部が後を絶ちませんでした。自分には全く専門外のことであり何もできず、専門の病院へ行くように言うしか有りませんでした。  自分が学会で活動していた頃の話です。男子部だけでなく、壮年部もそうだったのかも知れません。 「選挙が終わって活動した部員のねぎらいのため性風俗店に連れて行く」のは行き過ぎとその頃の自分は思っていました。  連れて行く幹部は男子部本部長であり、極めて熱心で、部長を飛び越して本部長になったと記憶しています。地区リーダーの時、地区の名簿上の二十六世帯の男子部を全て男子部幹部会?に連れて行ったという離れ業もしました。名簿上だけの男子部を会合に連れて行くのは大変です。二十六所帯中二所帯しか聖教新聞を取っていませんでした(一所帯は自分)。あとは「親が一時、創価学会に入っていたときがあった」「無理矢理、入会させられたが、勤行は一回もしていない。御本尊は何処かへ紛失してしまった」「何故、自分が創価学会の名簿に載っているのか全く分からない」「一時、していたときがあるが、辞めた。自分は現在は日本共産党である」「一時、していたときがあるが、辞めた。自分は現在はキリスト教である」という人達の処を日頃からこまめに回っていたのでした。  選挙活動した部員を全員、性風俗店に連れて行くにはかなりのお金を必要としたに違い有りません。この本部長は貧乏でした。何処から(親から? もしくはサラ金?)捻出したのか不明です。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆ 「法華経入門:菅野博史(かんのひろし):岩波新書:2001」  これは創価大学の教授が書いたものです。  この本には問題があります。「四十余年未顕真実」という有名な言葉は「法華経」の開経である「無量義経」という中国で作られた偽書に含まれているが、そのことに触れていない。  これは日蓮大聖人が「四十余年未顕真実」を他宗排撃に大いに用いてきたという歴史的事実を曖昧にするためと考えられる。または創価学会が「四十余年未顕真実」を折伏に多く用いていたという事実を問題化しないためとも推察される。  どの現代仏教学の本にも「無量義経が偽書であること」は明確に書かれている。  創価大学教授という立場を考えてのことと捉えられるが、学者としての誇りを捨てて書いたものとも解釈される。  この教授は間違いなく創価学会員ではなく、外部からの雇われ教授と推察されるが、ここまで妥協した(おもねった)本を書かれて良いものかと思われる。創価学会の教学が、妥協した良い加減な教学であるかを物語る本とも言える。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  創価学会には池田大作のため悪鬼が雪崩の如く入り込み、“うつ病性障害”など精神障害の異常多発などが起こっている。精神障害だけでなく、様々な不幸なことが異常多発している。これらはオカルト的にしか説明できない。これは社会問題として取り上げられるべき事であるが、マスコミは創価学会の金力に屈し、報道しない。  日蓮正宗には不幸なことは起こっていない。ただ、教義的に納得のいかないところがあるが、これは創価学会も同じである。創価学会は日蓮正宗から派生した宗教団体である。教義はほとんど同じである。創価学会は対外的に便利なように教義を勝手に少し換えている。日蓮正宗は古来からの教義を頑なと言えるほど貫いている。   ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  つい最近、「五時八教判」への疑念などのため日蓮正宗の信仰を辞めようと思ったものです。しかし、この信仰をしないと「クヨクヨとした自分になる」ため復活を決意しました。  「五時八教判」への疑念などは以下の文章で打破することができます(これは自分が数年前に考えた文章です)。 『古来より「法華経」は奇跡の教典と言われてきた。もの凄い力のある教典故に「奇跡の教典」と言われてきた。歓喜が凄い、とても元気になる、不思議な教典と言われてきた。それは最澄が日本へ中国より持ち帰って来る以前より中国などに於いて、そのように言われてきた。 「法華経」は釈迦が説いたものではなく、西暦百年頃に発生したという意見が多くを占める。それは自然発生的に発生したのか、誰が説いたものか、謎という意見が多い。釈迦は宗教は説かず、人間の生き方のみを説いたという説が強い。  故に、五時八経の説は天台がこじつけた間違った考えという意見が支配的である。しかし、「法華経」がもの凄い力のある「奇跡の教典」であることは変わりがない。天台がこじつけた五時八経の説が間違いであろうと、「法華経」は釈迦が説いたものではないとしても、そういうことは問題ではない。 「法華経」こそ万人のための教典であった。何時、誰が説いたか、誰が作ったか、解らない、教典であった。その力はもの凄い。畏れ多い最強の教典なのである。  宗教的エクスタシーが日蓮宗には強い。また、それは富士派に極めて強く、身延派には弱い。これは一般的に排他的な宗派に強く、排他的ではない宗派には弱い。不受不施派には極めて強かったと推測される。  この日蓮宗には「元気になる」「怖いものがなくなる」「苦しみの中にも生命の歓喜と躍動がある」という良い点がある。イスラム原理主義にこういう歓喜があるのか?と考えると、それは否定的だ。これは法華経の専売特許である。社会の底辺に苦しむ人たちに生きる希望と勇気を与えることがこの信仰はできる。』   ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  創価学会は現在、あまりにも“うつ病性障害”が多すぎる。“うつ病性障害”で入院までする患者が少ないが、“うつ病性障害”で入院する患者の90%を創価学会員で占めている。これは自分の病院での統計である。  創価学会員でない“うつ病性障害”の患者は短期の入院で済むが、創価学会員の“うつ病性障害”の患者は入院が非常に長期化する。そして状態が良くない。保護室使用もあるくらいだ。保護室とは統合失調症あるいは知的障害者が主に入る隔離室のことである。“うつ病性障害”で保護室使用になることは滅多にない。自分の経験では創価学会員以外にはない。  創価学会の場合は、容易に生活保護になっている。創価学会の“うつ病性障害”の患者はほとんどが生活保護になっているようだ。一般の“うつ病性障害”の患者は滅多に生活保護になれない。生活保護になるための世話をする人、知恵を貸す人が居ないからだ。  先日、少年部・中等部の頃、部員会にいつも一緒に行っていた友から電話が掛かってきた。十万円貸してくれとのことであった。もちろん断った。創価学会は金銭貸し借りは厳禁のはずである。ところが男子部・壮年部では意外と守られていない。  彼女が創価学会員で“うつ病性障害”で入院中。弟も“うつ病性障害”で入院中と言うことであった。二人とも生活保護を受けている。彼女にはちゃんと両親が居る。弟もその友と同居であった。しかし二人とも生活保護を受けるために別居させられたという。生活保護を受けるため公明党の市会議員が知恵を貸したのである。二人ともアパートは公明党の市会議員から紹介されて入ったという!! これは国会で取り上げるべき事である。日本の生活保護の何十%が創価学会員なのだ?!! 少なくとも新規の生活保護はほとんどが(もしかすると地域に依れば全てが)創価学会員であろう。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆            ある女性狂信者との会話 「創価学会を辞めるんだ。創価学会を辞めて日蓮正宗に入るんだ。そうしないことには“うつ病”は治らない。」 「いえ、私は池田大作を信じます。池田大作を信じ抜きます。あなたのような裏切り者ではありません。」 「もう十年もだろう。その間、救急車で病院へ運ばれたことは数百回になるだろう。数百回、あなたは死ぬような苦しみを受けてきた。早く気付かないといけない。あなたは中世の狂信的なキリスト教徒のようだ。このへんで、もう、苦しみから解放されたらどうなんだ。」 「いえ、私は池田大作を信じます。池田大作を信じ抜きます。誰が何と言おうと池田大作を信じ抜きます。」 「池田大作は肥った怪獣だ。そんな者を信じてどうする。怪獣を信じてどうする。」 「池田大作は怪獣ではありません。あなたこそ、裏切り者の怪獣です。」 「怪獣でもいい。自分は怪獣でもいい。でも、あなたは早くこの苦しみから逃れなければならない。」 「私は池田大作を信じ抜きます。十年間、何百回となく救急車で病院へ運ばれましたが、その間、いつも心の中では題目を唱え続けていました。また、池田大作の面影が私を支え続けていました。」 ———狂信者との対話は続いた。創価学会の狂信的な信者である女性と精神科医である自分の対話はなおも続いた。彼女はパニックと“うつ病”を併発していた。発症してから十年間が経っていた。パニックと“うつ病”を併発したものは「パニック性不安うつ病」と呼ばれているように治癒率のかなり低い疾病に分類されていた。しかしこれも抗精神薬の進歩か、治癒(寛解)に至る者はかなり増えてきていた。彼女のようにパニック性不安うつ病で十年間も苦しみ続けていることは現在では稀なことになりかけていた。  彼女はこのままパニック性不安うつ病のまま死ぬつもりのようだった。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  池田大作は会長就任(昭和三十五年)後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だかあの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p80)  これは自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害の現れであるが、すでに昭和三十五年に創価学会は謗法の団体に陥っていたことになる。創価学会員に不幸が起こるようになったのは昭和三十五年からと推測される。  昭和三十五年以降に於いて題目で難病を乗り越えたという体験を耳にするが、それは題目を唱えなくても治っていたのである。   ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  昭和五十年頃から、山崎正友氏は日達上人の人徳に傾倒し、日達上人からも厚い信頼を受けていた。故に、本山関係の煩事すなわち本山との交渉はほとんど山崎正友氏一人に任されていた。これが後に山崎正友氏が本山から重く用いられる理由となった。  五十二年路線に反対したのは山崎正友氏一人であった。  昭和五十二年路線を含む創価学会の圧力は日達上人を悩ませた。  山崎正友氏と日達上人は共にすき焼きなどを食べる仲であった。そのとき日達上人は言われた。「自民党の大物政治家にでも働きかけて池田大作の横暴を抑えることはできないか?」山崎正友氏は答えた。「そういうことを聞く池田大作ではありません。」  昭和五十五年、日達上人の衰弱が極度に陥ったことを電話で知ると、山崎正友氏は自家用車を運転して本山へ向かい、日達上人を自分の車に乗せて、知人である東京の高名な内科医の病院に連れて行った。そのとき、腸は全く動いていなかった。イレウスであったと思われる。  数日後、日達上人は死亡する。七十七歳であった。  池田大作は言った。「日達上人が早く死んでくれたのでこちらが助かった。もし、あと一年、生きていられたら、こちらがやられていた。」 ☆ ---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  山崎正友氏が恐喝犯として無実の罪を着せられた事件の詳細を書く。  山崎正友氏の三億円恐喝事件は造られたものである。あれは恐喝事件ではなかった。資金繰りの苦しいある創価学会系列会社に資金提供したものである。創価学会が今にも破綻寸前の会社を山崎正友氏に委託したのである。しかし、その会社を潰さずに経営状態を良好にするためには何億もの資金が必ず必要だった。それほど放漫経営だった。そのため山崎正友氏は創価学会に資金援助を依頼した。それが三億円である。山崎正友氏はその会社を建て直すには三億円では足りないと更に五億円を要求した。  すでにその頃、山崎正友氏は池田大作(創価学会)に見切りを付け、創価学会のあらゆる仕事から手を引こうと決めていた。しかし、北条会長らが破綻寸前のその会社の建て直しを強引に押しつけてきたのである。これはまた創価学会の恥部を知り尽くしている山崎正友氏が創価学会から離れていかないために北条会長らが考えた苦肉の策でもあった。  その会社の建て直しの途中で山崎正友氏、原島嵩氏の造反が露見した。  創価学会の恥部を知り尽くしている山崎正友氏を野放しにすることは極めて危険だった。北条会長は資金援助を恐喝事件にすり替えることを考えた。それは不可能と創価学会の弁護士たちは北条会長に言った。  これを恐喝事件に仕立てるために、田中角栄が動いた。田中角栄は創価学会首脳達の手帳を証拠資料として提出させた。創価学会を意のままに操るための手段であった。提出された手帳は田中角栄が持ち、以降、創価学会を意のままに操るための道具として使われることと成った。  これを恐喝事件として成立させるのはかなりの困難があったが田中角栄は優秀な弁護師団により恐喝事件として成立させた。山崎正友氏は嵌められたのである。そして山崎正友氏は二年二ヶ月の実刑となった。  山崎正友氏はこの恐喝事件の真相を本にする途上で腎不全のため亡くなった。七十二歳であった。天命を全うしたと言っても過言ではない。山崎正友氏は元々、腎臓が悪く、学生時代はそのために何年も休学した。おそらく結核性の腎臓炎であったと思われる。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  “魔”の御本尊すなわち日寛上人の御本尊を拝んでいては、何時まで経っても病気は治りません。法華講に入ることです。創価学会を辞めることです。そうすれば簡単に“うつ病”は治ります。“うつ病”は精神科の疾患の中で最も治りやすい疾患です。それなのに創価学会を続けていては治りません。  日達上人の御本尊も創価学会に長く所属したままであると創価学会の謗法の垢が付き、“魔”の御本尊と同じになります。この場合は住職から御本尊の謗法払いを受けなくてはなりません。または日如上人様の御本尊に取り替えることです。  自分も十年間、“うつ病”で苦しみました。何故、自分が“うつ病”にならなければならないのかと悩みました。病状は一進一退でなかなか治りませんでした。しかし、創価学会を辞め、法華講に入ると、直ぐに治りました。間違った宗教故の病気だったのです。間違った御本尊を拝んでいた故の病気だったのです。  今、創価学会にはたくさんの人が“うつ病”で苦しんでいます。普通なら良くなるところを創価学会員はよくなりません。間違った宗教、間違った御本尊を拝んでいるからです。  創価学会は日蓮正宗より破門され、完全に邪宗になり果てました。池田大作が悪いのです。池田大作一人が悪いのです。池田大作が創価学会員を不幸へと導いたのです。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  “魔”の御本尊(日寛上人の御本尊)についてーーー題目三唱もしてはいけない、完全に無視すること  平成五年から配布された創価学会製である御本尊は“魔”の御本尊である。しかし、長く創価学会に属していた家庭の御本尊は日達上人の御本尊であっても創価学会の魔性が色濃く住み着き、“魔”の御本尊とあまり変わりなくなっている(このときは住職より“お清め”を受ける)。早く日蓮正宗寺院へ行って勧誡式(御授戒のようなもの)を受け、そして正しい御本尊を受けるべきである。  しかし、脱会および退会届を提出することは家人および親族が熱心な創価学会である場合は非常に困難である(退会届を出すことイクオール離婚、家庭崩壊の処は多い)。そのため現在では退会届を出さなくとも住職の判断で入講(勧誡式を受けること)することができるように成っている。また、退会せずに入講する場合はある書類にサインする寺院もあると聞く。離婚・家庭崩壊を避けるため、家族に内緒で法華講に移っている元・創価学会員は多い(その人は未だに創価学会に籍がある。大部分が壮年部と男子部で、婦人部は少ないようである。創価学会の名簿は幽霊会員が大部分である極めて適当な名簿である。聖教新聞を取っている会員の十倍近くの会員がいることになっている)。  私は上記のことを知らずに三年間余り、家人などには内緒にインターネット上で創価学会内部改革派憂創同盟と名乗り、極めて批判的な創価学会員のままで過ごした。創価学会を退会しないと法華講に入れないものとばかり思っていた。私にとって創価学会を退会することは離婚を意味する故にできないことだった。幼い子供が二人いる。  三年半前、三時間の唱題を熱烈に行うとうつ病性障害が再燃した(私のうつ病性障害は再燃と寛解を繰り返していた)。以来、創価学会(池田大作)に批判的になるとともに勤行唱題を全くしなくなるとうつ病性障害は僅か二週間で寛解した。以来、再燃はない。私は十年間、うつ病性障害に苦しんだ。現在は法華講員として五座三座を大石寺の方角へ向かって行っている。唱題も一日平均五十分ぐらい行っている。週に一回、お寺に行って勤行唱題を二時間ぐらいしている。これだけ行っているがうつ病性障害の再燃は全く気配さえない。御本尊授与も勧められたが、家人が御不敬する確率が非常に高いため辞退している。法華講にうつ病性障害など精神障害の人は自分が知っている範囲では一人もいない。法華講は現在、折伏に燃えている。創価学会の昭和四十八年ぐらいに相当すると思われる。 “魔”の御本尊に祈り、うつ病性障害になった人は非常に多い(私もその一人である。何故、自分がうつ病性障害にならなければならないのかと非常に訝しんだ。その頃、私は熱心に創価学会の信仰活動をしていた。御本尊は“魔”の御本尊であった。まだ五座三座の勤行の時代だった。唱題も一日二時間近くしていた)。その他にも、ガンなどの病気に冒され亡くなった人、不虞者になった人は多い。会社を解雇になった人も多い。出来心で犯罪を犯してしまった人もいる。なお、自分は精神科医です。精神科医なのにうつ病性障害で苦しんでいました。自分の勤める病院の院長は精神科医ですが、うつ病性障害を理解せず、遅刻を繰り返したりすることに対し、給料を減額されました。朝の起床困難のことを理解してくれなかったのです。 “魔”の御本尊に向かって毎日、勤行(方便品・自我解だけであるが。ブロック長)するため十六年間、うつ病性障害のままの人が近くに住んでいる。生活保護になっている。 “魔”の御本尊に向かって勤行をする度にリストカットする男子部幹部がいる。勤行するとリストカットしたくてたまらなくなるそうだ。そのため創価学会員の精神科医より勤行は厳禁されているが熱心なあまり勤行をしてしまうそうである。  また、“魔”の御本尊の半径二メートル以内では『死ね、死ね』という幻聴が聞こえる婦人部が居る。二メートルを超えると声は聞こえなくなるそうだ。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  五時八教判は現代仏教学では完全に否定されています。すなわち「釈尊が法華経を含む様々な教典を説いたということは誤りであり、様々な教典は全て後世に造られた」という学説が現代仏教学に支配的です。この学説は間違いがないと思われます。  このことは原島嵩元教学部長も知っていたと思われます。しかし原島嵩元教学部長は亡くなってしまいました。原島嵩元教学部長に尋ねることはできません。  日本の仏教大学の教授陣は各大乗仏教の高僧が勤めていることも多く、五時八教判の間違いを世に知らしめることは自殺行為になります。各宗派の教説はすべて音を立てて崩れ去るからです。そのため日本の仏教大学の教授陣は五時八教判の間違いを広言しないで居ると思われます。  しかし、 『古来より「法華経」は奇跡の教典と言われてきた。もの凄い力のある教典故に「奇跡の教典」と言われてきた。歓喜が凄い、とても元気になる、不思議な教典と言われてきた。それは最澄が日本へ中国より持ち帰って来る以前より中国などに於いて、そのように言われてきた。 「法華経」は釈迦が説いたものではなく、西暦百年頃に発生したという意見が多くを占める。それは自然発生的に発生したのか、誰が説いたものか、謎という意見が多い。釈迦は宗教は説かず、人間の生き方のみを説いたという説が強い。  故に、五時八経の説は天台がこじつけた間違った考えという意見が支配的である。しかし、「法華経」がもの凄い力のある「奇跡の教典」であることは変わりがない。天台がこじつけた五時八経の説が間違いであろうと、「法華経」は釈迦が説いたものではないとしても、そういうことは問題ではない。 「法華経」こそ万人のための教典であった。何時、誰が説いたか、誰が作ったか、解らない、教典であった。その力はもの凄い。畏れ多い最強の教典なのである。  宗教的エクスタシーが日蓮宗には強い。また、それは富士派に極めて強く、身延派には弱い。これは一般的に排他的な宗派に強く、排他的ではない宗派には弱い。不受不施派には極めて強かったと推測される。  この日蓮宗には「元気になる」「怖いものがなくなる」「苦しみの中にも生命の歓喜と躍動がある」という良い点がある。イスラム原理主義にこういう歓喜があるのか?と考えると、それは否定的だ。これは法華経の専売特許である。社会の底辺に苦しむ人たちに生きる希望と勇気を与えることがこの信仰はできる。』 ———こう言うこともできるのです。これは自分が考えた屁理屈です。しかしこの屁理屈こそ正しいとも思われます。  悩んでいます。ご助言お願いします。このためにこの前の一ヶ月間の空白(no access)があります。悩み苦しんでいたのです。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  以下から、創価学会を脱会しなくても日蓮正宗法華講に入れることがよくある、と書いたのです。隠れ法華講員は多いのです。 -----元のメッセージ-----
 差出人: "垢重丸" 
 受取人: ccc998@infoseek.jp 
件名: はじめまして(垢重丸)
 創価学会内部改革派憂創同盟
 発起人 様
 はじめまして。『百禍繚乱』『正しい宗教と信仰』というサイトを制作・運営させていただいております、日蓮正宗法華講の垢重丸(くじゅうまる)と申します。
もしかしたらすでにご覧いただいたことがあるかもしれませんが、サイト 
URLは、
 ■百禍繚乱
> http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/
 ■正しい宗教と信仰
> http://www.at-do.jp/
となっております。
 先日、貴殿の『創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告』というページを見つけ、
ひととおり拝見させていただきました。
 学会本部に脱会届を出さなくても、お寺様で勧誡式をいただき、法華講となることは可能です。隠れ法華講のようですが、そのようにされている方々は多くいらっしゃいます。そうすれば、お寺様に通って寺院行事に参詣し、また勤行・唱題もできますし、総本山へ参詣して本門戒壇の大御本尊様の御開扉をいただくこともできます。  可能であれば、一度お会いしてお話を伺えれば幸いに存ずる次第です。ここまで学会の誤りをつぶさに認識しておられるのであれば、一日も早く、大聖人様の正しい信心に帰ってこられるべきと思います。必ず、御本尊様に護っていただけます。
 ご返信、お待ち申し上げております。
 垢重丸(日蓮正宗)
 shougi@at-do.jp

  これから自分は創価学会を脱会しなくても日蓮正宗法華講に入れることがよくある、と書いたのです。
日蓮正宗法華講を名乗る創価学会員がこのカテには多いです。騙されないようにしましょう。彼らの手口は巧妙です。 

学会本部に脱会届を出さなくても、お寺様で勧誡式をいただき、法華講となることは可能です。 ーーーーこれが知れると創価学会から法華講に移る人が急増するため、日蓮正宗法華講を名乗る創価学会員が一生懸命になって反撃していたのですね。
 http://sky.geocities.jp/mifune0008/ ccc998@infoseek.jp 創価学会内部改革派憂創同盟 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  今は創価学会を脱会しなくとも法華講に入ることが可能になっています。  0000000さん、誰のことか解るでしょう。あなたは私が質問すると金魚の糞のように毎回同じような文句を並べた誹謗の答えを書き込んでくる。あなたは自身が“魔”になっていることに気付かない。  法華講員なら創価学会を批判すべきです。しかし、あなたたちはしていない。大謗法です。  広宣流布を最大の目標としない法華講員は法華講員ではない。しかも、あなたたちは私の所属する寺院の住職を誹謗している。大謗法です。謗法厳戒の日蓮正宗ではないのですか?  創価学会への攻撃をするべきだ。最大の敵、創価学会への攻撃をするべきだ。  現在、法華講は、創価学会員で、家族、親族が非常に熱心な創価学会員の場合、退会届を出すと離婚または家庭崩壊が避けられない場合、創価学会に退会届けを出さなくとも、住職の判断で勧誡式を受けることができるようになってきているのです。そうして家族に内緒に入講した隠れ法華講員が現在は非常に多いのです。それを知らないということがおかしい。  もう一度書きます。現在、法華講は、創価学会員で、家族、親戚が非常に熱心な創価学会員の場合、退会届を出すと離婚または家庭崩壊が避けられない場合、創価学会に退会届けを出さなくとも、住職の判断で勧誡式を受けることができるようになってきているのです。つまり家族に知られないように法華講に入れるのです。あくまで住職の判断です。もう一度書きます。あくまで住職の判断です。入講できないことも多いです。  私の場合、創価学会に退会届を出すことイクオール離婚なのです。まだ幼い子供が二人います。女房はどうでも良いが、幼い二人の子供のことを考えると退会届はどうしても出せないのです。向こうの両親に知られると向こうの両親は極めて狂信的な池田教の信者であるから離婚は必至なのです。  あなたたちは創価学会から正式に脱会していないのに勧誡式を受けるとはけしからんと言いますが、正式に脱会することが不可能な創価学会員が極めて多いのです。創価学会員の家に折伏に行くと解るはずです。そして創価学会の名簿は極めて適当なもので幽霊会員が八割以上、地域によれば九割以上を占めるのです。日本共産党員もキリスト教徒なども含まれています。  私が以前、このことを書いたことも、創価学会より法華講に移りたいが、そのためには創価学会を脱会しなければならないと考えている人たちが大勢(少なくとも数万人)いると思うからでした。今も同じ決意で書いています。日蓮正宗法華講に入講するには、創価学会を正式に退会しなくとも、住職の判断に委ねることになりますが、入講することができます。  自分は三年前、池田大作の悪に気付き、創価学会内部改革派憂創同盟と名打って活動し始めました。同時に創価学会の友人知人は全て切りました。それまで友人知人は全てが創価学会員でした。今は友人知人は全くいません。  私は法華講に入るには創価学会を脱会しなくても可能とは知りませんでした。私と同じような人がたくさんいると思い書いています。知らない彼らがあまりにも可哀相だからです。  勝手に二人の子供を生まれたばかりなのに無理矢理、向こうの親から、創価学会に入会させられました。今度は隙を見て、二人の子供をお寺に連れて行って勧誡式を行わせるつもりです。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  疑い深い自分です。疑い深いから創価学会(池田大作)を疑い、日蓮正宗法華講に入講したのではあります。しかし、自分は日蓮正宗法華講をも疑おうとしているのです。疑う発端はインターネットでの同じ法華講員との諍いでした。感情が理性を上回ります。同じ法華講員への怒りが日蓮正宗法華講への疑いへと発展したのです。  創価学会時代もインターネットで同士との諍いを経験しました。それは実に辛いものでありました。相手は口を極めてののしってきます。それが今、再び起こったのです。  “魔”だ、と思っても、口を極めてのののしりは酷いものです。インターネットでは顔が見えません。相手は文章でできうる限りの中傷をしてきます。誤解がインターネットでは生じやすいのです。  家人が反対の中で法華講の活動に参加することはできません。それでインターネットでの活動を行っていました。インターネットの中でしか自分は活動できなかったのです。ですから、インターネットでは激しく活動しようと努力することの連続でした。その中での行き過ぎがあったようです。それが同士の誤解を生んでしまったのです。  勤行唱題は大石寺の方角を向いての勤行唱題です。それも家人が家を空けている隙に行うのです。これは厳しいものです。  二週間に一度、週末、家人は子供二人を連れて創価学会の婦人部の友人と旅行です。創価学会はこのように現在は友好活動を重要視しています。折伏などは行わなくなっています。   ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  池田大作は昭和二十六年頃、既に「天下を取ろう」が口癖になっていた。これは自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)に罹患していることを示す。  パーソナリティ障害は極めて治し難い病気とされ、受けない病院は多い。治せるのは自己努力のみである。極めて厳しい自己努力なしには治ることはない。故に、治らない病気と定義しても良い。効くクスリはないとされている。  しかし、パーソナリティ障害は一種の個性と言うこともできる。よって個性そのままに社会に適合する努力をすることである。その他に方法はない。  池田大作はその自己愛性パーソナリティ障害という病気により、巨大な権力を手にすることができた。自己愛性パーソナリティ障害が強烈な野心となり、社会的にトップの座に成ることができた。激しい強烈な野心はヒトラーともスターリンとも言える。 ☆ ---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  石井一先生  警察が完全な創価学会寄りであり、創価学会の犯罪もうやむやにしていることはご存じのことと思います。創価学会は日蓮正宗や創価学会の批判者に対し、酷いことを行っています。「池田大作の品格 part2:小多仁伯、小川頼宣:日新報道:2009」の始めの処に詳しく書いてあります。  現在は、創価学会は「広宣部」という、創価学会から脱会する人を押し止める暴力団のようなものを造っています。これは信教の自由に抵触すると思われます。自分だけでなく親への嫌がらせもあります。そのために脱会できないでいる人は多くいます。自分が脱会すると親が虐められるのです。一人暮らしの老人が多い現在、その仕打ちはあまりに酷いです。  宗教は人間を盲目にさせます。一人暮らしの老人にさえ酷い仕打ちをするのです。人権侵害と訴えると更に虐められます。  池田大作は「脱会者は自殺に追い込め!」と公言しています。  山崎正友氏は自分の畑に大きな穴を掘られ落ちたら大怪我または死亡する仕掛けを作られたことがありました。これは山崎正友氏が畑仕事をしていることを熟知している「広宣部」の仕業です。山崎正友氏の妻が国会で証言してくれるでしょう。  山崎正友氏は他にも、豆の葉やトマト畑一面にセメントやペットフードを撒かれたりしていました。バケツに「死ね!」と書かれていたこともありました。そしてこういう嫌がらせは日に日にエスカレートしていたと言うことです。  小多仁伯さんはクルマのタイヤに高速道路を走っているときに暴発する仕掛けを「広宣部」より施されました(これは殺人未遂です。裁判にすべきです)。  石井一先生、どうか国会でこれらのことを追求してください。  矢野絢也氏(元公明党委員長)が「広宣部」の被害に多く遭っており、良く知っておられます。矢野絢也氏は、その執拗な尾行や嫌がらせは家族の生命の危険すら感じさせるものだと提訴の中で述べています。矢野絢也氏はずっと後を付けてきたトラックに幅寄せされたり、地下鉄を待っているとき真後ろに誰かに立たれ突き落とされそうになったことを公表しています。  こうした創価学会による不法行為は、全国の反対者に向けられており、大きな社会問題となるべきものです。創価学会は民主主義に逆行する反社会団体です。  矢野絢也氏、山崎正友氏の奥さん(山崎正友氏は既に亡くなっています)などを参考人として国会に召集してください。矢野絢也氏などは正義感に基づき喜んで参加するでしょう。福本潤一氏もP献金のことで喜んで国会召集に応じるでしょう。山崎正友氏の奥さんは山崎正友氏がどんなに酷いことをされてきたかを知っています。  広宣部は批判ビラを撒く婦人に集団暴行を加えていますが、警察は公明党と結びついているため訴えを無視しています。  池田大作は「仏法は世間法(道徳)や国法(法律)に優先する」と教えています。国の法律に違反しても、仏法、すなわち創価学会や池田大作のためならば“功徳が受けられる”と教えるのです。  創価学会は公明党を丸抱えにし、支配していながら“政教分離している”と嘘を平然とつき、そして、会員を、組織を上げての“戸別訪問”などの“集団選挙違反行為”に駆り立てています。  そして、家の庭に糞を投げ込んだり、郵便受けに糞を入れていたり、家の前にて人糞をする、玄関で立ち小便をする、クルマに傷をつける、という嫌がらせを行うのは「広宣部」ではないようです。これは池田大作の「脱会者は自殺まで追い込め!」という命に従った一般の狂信的な創価学会員が行うようです。「広宣部」はもっと高度なことを行います(しかし、広宣部が行っている場合もあります。ジャーナリストの段勲氏は自宅に汚物を投げ込まれています。これは広宣部が行ったものと思われます。タイヤに五寸釘を打ち込むのは広宣部の行うことです。それは少なくとも山崎正友氏に対しては山崎正友氏と面談した相手にまでタイヤに五寸釘を打ち込んでいます)。  ガス栓を半分抜いて爆発するような仕掛けをする、クルマのタイヤに高速道路を走っているときにパンクさせる仕掛けを行うことは「広宣部」が行っているようです。  これらを警察に報告しても東京都議会に於いて公明党が警察人事、警察予算の主導権を握っているため、警察は動かないし、動けないのです。  問題は「家の前で糞をする」などということを一人暮らしの老人に対しても行うことです。ここには仏法者としての資格はありません。そのために一人暮らしの老人は創価学会から脱会できません。 p.s.「広宣部」は元々、対立する宗教団体であった顕正会の実態把握のために昭和六十三年頃、男子部の秘密組織として誕生しました。ところが現在は現在の最大の敵である日蓮正宗妙観講の実態把握が活動の中心となっているようです。その他に、「広宣部」は上記のように創価学会と敵対する人への尾行や嫌がらせ行為も行っています。(池田大作の品格 part2:小多仁伯、小川頼宣:日新報道:2009)のp296からに詳しく載っています。   「広宣部」の主な活動は、 一)対象者宅の郵便物のチェック 二)対象者の盗撮 三)交友関係の調査 四)怪文書攻撃 五)対象者が出したゴミなどを持ち去り、その中からの情報収集 と言われています。その他に対象者への尾行や嫌がらせを行うのです。(end) ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆ 脱会  これには多大なエネルギーがいる。一部の狂信的な学会員は脱会者に対して嫌がらせや虐めを行う。例えば脱会した学会員が激しい学会からの攻撃を受け、市の法律相談所に人権相談に行く。すると人権相談に行ったことが創価学会に流れて狂信的な創価学会員から更に虐められるようになる。  脱会者の声を聞いてみよう。 『車を壊されたり、ポストに犬の糞を入れられたり、「今日も、おまえの子供は、ドラエモンの絵の書いた服で学校行ってるみたいだけど、いつ死ぬか解らないぞ」などと脅迫もされました。』『家の前で大便をされた(人糞に違いなく非常に臭かった)。』『夜間、自宅の雨戸に生卵をぶつけられました。 また、何度か、ゴミを放り込まれたりした。』 「裏切り者は自殺するまで追い込め!」と第六天の魔王である狂気の池田大作が言い放っている。一般的に人が良い学会員も池田大作の狂信者ならばこの前まで友であった者を自殺するまで追い込む。宗教は狂気に通じる。池田大作のためなら何をしても良いという考えが熱心な創価学会員には支配的である。  日蓮宗の論理として「国の法律より、仏法律が上」というものがある。これは創価学会に於いては更に激しくなり、「国法を犯しても、それが仏法、即ち創価学会と池田大作のためなら何でも許される」という考えになる。これが宮本邸盗聴事件、NTTドコモ事件などを生んできた。  同じことが脱会者に向けても行われる。殺人事件こそ未だ浮かび上がってこないが、すでに殺人事件は数件、起こっているはずである。ただ、公明党が都議会で大きな力(警視長官の任命権、警察への予算)をもっているため、警察は動かないでいるだけである。  矢野絢也氏もずっと後を付けてきたトラックに幅寄せされたり、地下鉄を待っているとき真後ろに誰かに立たれ突き落とされそうになったことを公表している。  池田大作は「脱会者は自殺まで追い込め!」と言い放っているが(これが宗教者の言う言葉であろうか? 池田大作は精神的病気に冒されている。それは、誇大型妄想性障害と自己愛性パーソナリティ障害、その両者と思われる)、自殺まで追い込まれた脱会者は十名を下らないと推定される。脱会者に対する厭がらせは池田大作の命令であり、完全に厭がらせの範囲を超えており、完全な犯罪行為、または殺人行為である。これは宗門に移る学会員を少なくするするための処置である。宗門に移るのは命懸けである。公明党が与党であるため、また、東京都議会に於いて公明党が警察人事、警察予算の主導権を握っているため、警察は動かないし、動けないのである。 「国法を犯しても、それが仏法、即ち創価学会と池田大作のためなら何でも許される」という論理が現在の創価学会に厳然として存在する故、創価学会は数々の反社会的行為を平然と行っている。この論理は犯罪に対する自制心を取り除く効果を生む。こうした論理が極端な「倫理喪失人間」を大量生産する原因となっている。それに加え、創価学会には池田大作が呼び込んだ無数の悪鬼が暗躍し、犯罪を唆している。山崎正友氏は「刑務所の二十五〜三十%は創価学会員、極悪犯罪になるとこの割合は更に多くなる」と書かれていた。池田小学校大量虐殺事件などを考えれば解る。  藤原行正氏暗殺計画があったことを矢野絢也氏は暴露している。  しかし押し留める声があり、実行には移されなかった。だが今は池田大作の横暴を押し留める者はいない。イエスマン以外は排除されている。   ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  宗教が政治を動かすと、そこには必ず独裁と腐敗が生じることを歴史が証明しています。  ナチズムもそうです。ナチズムも一つの宗教でした。それがユダヤ人大虐殺などの悲劇を起こしました。ナチズムという思想・イデオロギーに陶酔してナチはユダヤ人大虐殺などを行ったのです。  共産主義もその思想・イデオロギーに陶酔して大虐殺や戦争を行いました。共産主義は「万人みな平等」という思想です。ですから今でも日本に共産党が存在するのです。ところが過去、共産主義国家に於いて行われてきたのは大虐殺と戦争です。共産主義が一つの宗教に値することは有名なことです。  創価学会(公明党)がもし単独政権を取ると公明党は他宗派の排撃を行うでしょう。敵対する宗派の虐殺は行わないまでも少なくとも弾圧は行うでしょう。虐殺も行うかもしれません。宗教が政治を自由に動かすことができるようになると、過去にそういうことが行われてきたのです。「宗教が政治を自由に動かすことができるようになると」です。フランスに於いては00派への弾圧と大虐殺が過去に行われました。  第一、創価学会が大きく間違った団体であります。公明党も大きく間違った団体です。池田大作の影響が創価学会にも公明党にも大きくあります。池田大作がどれほどの悪人であるかは矢野絢也氏、原島嵩氏、山崎正友氏、小多仁伯氏、福本潤一氏、藤原行正氏などの著作を読めば解ることです。宗門が「現代の一凶」と断じている池田大作です。池田大作の本性を知るべきです。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  00先生、自分は創価学会員です。苦しんでいる創価学会員です。  創価学会には「財務」という年に一回の創価学会への寄付が秋頃あります(ほかに「公布基金」というのもありますが)。  財務の時期になると会館で偽りの功徳体験が婦人部、女子部から語られます。それを本当と思うのが婦人部、女子部です。壮年部、男子部はそういう会合には参加しないか、嘘であることを見抜いています。ですから財務の時期になると喧嘩が絶えない家庭が多いです。  財務が 研修道場などに於けるあまりにも豪華過ぎる池田大作の部屋、マスコミ封じ(言論圧迫)、池田大作のノーベル平和賞受賞への策略、池田大作の勲章、名誉博士号漁りなどに使われているということを婦人部、女子部は知りません。池田大作の奴隷にしか過ぎないという認識が婦人部、女子部にはありません。  現在は、インターネットで財務がどのようなことに使用されるかが簡単に解ります。しかし、婦人部、女子部は頑なにそれらを見よう、読もうとしません。  創価学会には多額の財務をし、サラ金へ借金が返せなく、一家離散になってしまった家庭が非常に多いです。そして大きな会合で池田大作や婦人部最高幹部が財務をたくさんするように言い放っています。この証拠のテープがインターネットに流れています。  一つの例を挙げます。 『私は創価学会員です。今年も強制的に財務(寄付)させられます。昨年も創価学会員のなかから町内で二件夜逃げしました。何とか取材して下さい。これは社会問題です。いろんな悪徳商法がありますが、それ以上です。創価学会の会館に集めて幹部が「私は三桁から四桁(100万から1000万)する。皆さんもできる限り多くして下さい。これは池田会長からの伝言です。私は家を売ってでもしたいんです。」と言います。必ず福運が付くと言いきります。助けて下さい。この時期になると夫婦喧嘩が絶えません。この時期になると顔見知りの幹部が夜遅くまで強要してきます。三桁出しますと言うまで帰りません。 私たち創価学会員を助けて下さい。』   00先生、どうか我々、創価学会員を助けてください。我々には力がありません。創価学会は池田大作を首領とする大きな大きな詐欺集団、悪徳商法集団、暴力団、巨悪です。戸田先生の時代は素晴らしい信仰集団でした。しかし池田大作が自らの欲望と野心のため歪め変質させてしまったのです。池田大作が全て悪いのです。苦悩に蠢く我々、創価学会員を救って下さい。創価学会員はとても多いです。これは大きな大きな大きな社会問題です。 P.S.どうか発信元の検索などなさらないで下さい。相手は暴力団以上です。とても恐ろしい団体です。このメールもどうか表に出さないで下さい。お願いします。お願いします。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  また出します。お許し下さい。  00先生、自分は創価学会員です。苦しんでいる創価学会員です。今年の財務は十月から十一月にかけてあるようです。  財務の時期になると夫婦喧嘩が絶えないという創価学会の家庭は多い。すべて信仰熱心な婦人部と創価学会(池田大作)に疑いを持った壮年部、男子部との喧嘩である。離婚も創価学会員の家庭には極めて多い。それは財務の時の夫婦喧嘩によるものと考えられる。私は偽りの財務の功徳体験を代筆させられた経験がある。  例えば「結婚資金として貯めていた250万円を財務に寄付したら、結婚資金は要らないという非常に良い結婚話が持ち上がり、現在は幸せに暮らしている」という内容を代筆したことがある。実際は結婚は悲惨であり、姑に虐げられた日々を送り、離婚(勝手に家を飛び出した)という内容が真実である。  そして多額の財務をする人は後に生活保護になる人が極めて多い。貯金を全くしていないからである。生活保護の申請に公明党の市会議員が奔走していた。    私は財務をするためサラ金から金を借り、それが返済不能となり、一家離散になった一家を知っている。それはもう二十五年も前のことになる。借りたのはその家のお母さんだが、サラ金は毎日のように家にいる義理の娘の所へ電話をしてきていた。義理の娘は「気が狂ってしまいそうです!」と言っていた。その家のお母さんとお父さんはサラ金業者から逃げてある処へ身を隠していた。そして毎日、唱題に明け暮れていると聞いた。  財務をすると功徳があるという話を信じてそこのお母さんはサラ金から多額の金を借りてまで財務をしたが、商売は却って傾き、利子も返せなくなった。  あるとき、そこの息子に偶然出会った。「今、どうしている?」と聞くと「嫁さんとも別れ、子供は嫁さんが引き取り、自分は今独り身だ」と言う。「両親は?」と聞くと「何処に行ったか、自分にも解らない。音信不通になっている」と言う。  創価学会には財務の直前に行われる開館での偽りの体験発表に騙され多額の財務をし、サラ金へ借金が返せなく、一家離散になってしまった家庭が非常に多い。これは詐欺です。 P.S.どうか発信元の検索などなさらないで下さい。相手は暴力団以上です。とても恐ろしい団体です。このメールもどうか表に出さないで下さい。お願いします。お願いします。  また、創価学会には原爆を北朝鮮やイランなどから複数購入することは極めて簡単なことであります。それほど創価学会の資金源は潤沢であります。創価学会が武力で日本を乗っ取る可能性は否定できません。機動隊や自衛隊にも創価学会員は多数居ます。池田大作が命令すると一斉蜂起の可能性は充分にあります。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆ 【研究と報告】         創価学会に多発する精神障害についての考察                                         創価学会内部改革派憂創同盟残党 【抄録】  日本最大の宗教団体である創価学会に多発する精神障害について考察した。 【はじめに】  創価学会は昭和三十年、四十年代はその激しい布教により社会的問題を頻発していた。    ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆ 石井一先生、自分は反創価学会のものです。是非、頼みたいことがあります。 公明党が警察の人事権や予算を牛耳っていることは危険と思います。 創価学会は池田大作の指示があればテロをも起こします。 国会議員を半分にすると公明党は潰滅すると言われます。また、池田大作の死後は、創価学会員の選挙への士気が大きく低下し、公明党は潰滅するとも言われます。 公明党から警察の予算や人事権を剥奪するべきと思います。 国会議員や東京都議員の数を半分にすると公明党は自然に警察の予算や人事権を剥奪されます。 どちらにしても早く国会議員や東京都議員の数を半分にすべきと思います。 戸別訪問という選挙違反を繰り返す公明党(創価学会)をこのままにするべきではありません。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  その他にも、各種顕彰が池田大作・香峯子(戸籍上の名は「かね」)夫婦に贈られ、聖教新聞のお化け文字として賑わしています。昨年十二月、私の知人が創価学会を脱会しました。その知人は、聖教新聞で報じられる池田大作夫婦だけが顕彰に次ぐ顕彰にとうとう嫌気が差して、学会にいることに見切りをつけたのでした。普通の感性を持っている人間ならば、あきらかに「何かおかしい」と思うことが自然なのでしょうが、新聞は連日お祭り騒ぎです。  学会員は長年に亘る選挙活動や財務、その他の学会活動で疲弊し尽くしていると言われます。   ☆ ---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  池田大作が「南無妙法蓮華経」を商標登録出願し特許庁から失笑を買ったことを知る人は少ない。池田大作の信仰心とはその程度なのである。信仰を利用し金儲けをしようという考えで一杯なのである。また、この商標登録出願は宗門を創価学会の支配下の置くための策略でもあった。  「五十二年路線」では池田大作は日蓮正宗から分離・独立するぞ!という脅しをかけ、池田大作が宗門の頂点に立つという魂胆があった。そのために独自の御本尊、教本までも製造し、全国の学会会館を寺院とし僧侶も任命する体制がほぼ出来上がっていた。日蓮正宗を無視し創価学会の信仰にこそ大功徳があるという増上慢ぶりであった。  池田大作は自分を生き仏とし、創価学会を日蓮正宗の上に置く。池田大作は本気で「現代の生き仏」になれると信じていたのである。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆ 全国各地にある学会施設には池田専用の極めて豪華な部屋(その学会施設の半分以上の費用を掛けている。その施設の掃除は信仰堅い女子部幹部に任せられていたが、あまりの豪華さに疑問を抱き、創価学会より離反していった女子部幹部は多い)が造られており、そこに泊まるときには必ず学会幹部の夫人、または第一庶務の女性を伴い奉仕させていた。学会幹部の夫人ということが納得がいかなかったが、それら夫人は池田大作のお下がりであり、お下がりと結婚すると学会内での昇進は約束されるそうである。二十九歳で亡くなった池田大作の次男も池田大作のお下がりとの結婚を強制され結婚したが、その煩悶の末に胃潰瘍となり「胃穿孔」を起こし死亡したと言われる。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆ 純朴な古くからの会員は創価学会が富士大石寺の大御本尊様を偽物呼ばわりにしていることを知らない。富士大石寺の教学を学会流に変えてしまっていることも知らない。池田大作という大悪党の創価学会乗っ取りのことも知らない。池田大作が女狂い、勲章狂い、名誉博士号狂い、日本全国に散在する豪華過ぎる池田大作の部屋などのことも知らない。池田大作の著書、講演が全てゴーストライターに依るものであることも知らない。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆ 昭和四十年代の聖教新聞には驚くべき体験談が毎日のように載っていたが、年々、体験談は驚くような内容ではないようになっていった。平凡化していった。そして体験談の数も減っていった。平成二年頃、昔の聖教新聞の体験談を書籍化するべき、と自分は思っていた。  それが本当であったのか? 以前は確かに驚異的な体験談が本当に起こっていたと聞く。それが起こらなくなったのは創価学会が謗法化した(すでに昭和四十九年には明らかに謗法化していた。すなわち池田大作本仏論が興っているのを日達上人は指摘されている。)故か?  ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆ 「政治が少し良くなっても宿命に喘いでいる一人一人は救われない。宿命に喘いでいる一人一人を救うためには折伏して日蓮大聖人様の信仰を信じさせないことには不可能である。」  これは三十年以上前、聖教新聞か大白蓮華(おそらく聖教新聞)に書かれていたことです。誰が書かれたかは記憶にありません。しかし池田大作は選挙一辺倒で折伏を軽視し「宿命に喘ぐ人を救うこと」を三の次、四の次にしている。これがおかしいと思うのは自分だけだろうか? 選挙にこれほど力を入れるのは権力を手中にしようという(名聞名利の虜になっている)池田大作の醜い野望にしか過ぎないと思うのは自分だけだろうか? つまり池田大作は宿命に喘ぐ可哀想な人を救うことはどうでも良いと考えているとしか考えられない。「天下を取れ」たならば「総理大臣に成れたならば」それで良いと考えている(あくなき権力欲)。不幸に喘ぐ人たちのことはどうでも良いと考えている。これは織田信長に似ている。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  池田大作のおごりは日に日に高まるばかりでした。口を開けば日達上人の悪口ばかりでした。「日蓮正宗の血脈は創価学会に移った」などと日蓮正宗の血脈否定の発言もあり、「創価の血脈」なる新語も生まれました。自分が日蓮大聖人の再誕あるいはそれ以上の存在であると誇示することさえありました。「池田本仏」の思想は池田大作の言葉にも表れ、側近幹部はあげて「池田礼賛」に余念がない風潮、雰囲気は、当時の趨勢となっていたのです。 (絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p51)  ———これは池田大作の自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)の現れである。池田大作はその他にも妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder)に罹患していた。この両者、すなわち自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害は極めて合併しやすい疾患である。  池田大作が自己愛性パーソナリティ障害であったこととして有名なものに以下のものがある。  これは昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに答えた言葉である。 「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である」「私は現代の救世主である」「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」「世界の盟主である」(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方)。—————自己愛性パーソナリティ障害 「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」「今、私には天下を取ることが見え始めた」「私は太陽の帝王だ」(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002)———————自己愛性パーソナリティ障害  平成十九年三月、中国の温家宝首相が来日した際、池田大作は会見の場で「庶民の王者に会って頂き有り難う」と言って握手する映像が日本全国に放映された。—————自己愛性パーソナリティ障害 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆ 「五時八教判の矛盾を知りながら、どうして創価学会の信仰を貫くことができるか!!」自分にはできません。他の人はどうなのでしょうか?? お答えください。 五時八教判の矛盾を知りながら創価学会の信仰を貫いている人は自分の心を騙している人です。 五時八教判という土台の上に成り立っている仏教というものはことごとくが理論的土台を失うのです。 残るのはまやかしの理論のみです。 五時八教判は間違い、すなわち創価学会の教学は土台から破綻しているのです。 創価教学の矛盾を知りながら創価学会を信じている人の心が解らない。お教えください。 P.S. 五時八教判の矛盾とは本を読めば中学生でも解ることです。五時八教判の矛盾とは何か?という質問には答えません。    また、屁理屈は辞めること。    創価学会の人からの回答はないと思われるが、創価学会の人からの回答を求める。    創価学会の方にお尋ねする。 お答えください。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  そして御義口伝講義は池田大作・著となっているのに驚いたが、あれは原島嵩氏が書いたものである。池田大作はあのような難しいものは全く何も書けない。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆ 「月刊ペン」事件 埋もれていた真実:山崎正友:第三書館:2001 法廷に立った池田大作——続「月刊ペン事件」:山崎正友:第三書館:2001  この二冊は未だ新品で手に入ります。 月刊ペン事件は池田大作と渡部道子(元・国会議員)の不倫が焦点になっています。 池田大作婦人の両親も心配して松島家(渡部道子の旧姓は松島)へ来たそうです(昭和二十九年頃)。 もう一度書きます。池田大作婦人の両親も心配して松島家(渡部道子の旧姓は松島)へ来たそうです(昭和二十九年頃)。 そして池田大作の愛人は全国に二十人余りいたこと、全国の池田専用施設(超豪華な寝室と風呂場が必ず付いているもの)が話題になっています。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  中等部(中学生)のとき、部員会で五時八教判を教えられた。しかし、それがでたらめであることは中学一年の自分には解った。中等部会の責任者に問い詰めた。そして次の日曜日に会館に県教学部長と副会長に説明を求めることとなった。  しかし、県教学部長と副会長は何も答えなかった(何も答えきれなかった)。自分を連れてきた中等部の責任者が「軽く考えるんだ。軽く。」と言った。未だ中学一年の自分はその言に従った。  それから長年月が経つ。最近再び、五時八教判のことが気になるようになってきた。二日、勤行を欠かした。真理を求めて旅に出ようか、とも思った。三日目、五時八教判のことは心の片隅に置いて、勤行はしようと決意した。そして現在に至っている。  天台が何故、このような無理なこじつけをしたのか? その頃は仏典は全て釈迦が説いたことになっていたためか? その頃既に仏典は釈迦が説いたものではなく、後世の人々の創作であるという書物も出ていたと言われる。  釈迦は仏典は説かず、人のあり方を解いたのみという説もある。となると釈迦は孔子と同じようなものであったのだろうか? その可能性は非常に高いと筆者は信じる。仏典結集は釈迦の生前の言葉を集めるためだけであったと思われる。   創価学会では、五時八教の教判をもって、法華経を最高とする。 だが、そもそも、すべての経典を釈迦の教えとするということを前提としているところに決定的な論理破綻があり、経典の勝劣の判定も、天台の主観に基いている。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆        “魔”の御本尊の恐怖                        00寺所属:00寺太郎  平成五年から配布された創価学会の御本尊は“魔”の御本尊である。早く日蓮正宗寺院へ行って勧誡式(御授戒のようなもの)を受け、正しい御本尊を受けるべきである。 “魔”の御本尊の恐怖をよく理解されている方も多いであろう。ただ、正しい御本尊を受けるためには創価学会を脱会しなければならない。その脱会が非常に困難である。「脱会者は自殺まで追い込め!」と悪魔の池田大作が厳命している。  そのような池田大作の居る創価学会から脱会したがっている人は非常に多い。しかし現在は脱会者に対する嫌がらせ部隊とも言える「広宣部」ができている。(現在は脱会しなくても御住職の判断で法華講に入れることは多い。すなわち勧誡式を受けることも正しい御本尊を受けることもできる。脱会が極めて困難な人が余りにも多いからである。脱会イクオール家庭破壊そして離婚の人が余りにも多いからである) “魔”の御本尊に祈り、“うつ病”になった人は非常に多い。その他にも、ガンなどの病気に冒され亡くなった人、不虞者になった人は多い。会社を解雇になった人も多い。生活保護の70%は創価学会員と言われる。公明党の市会議員の仕事は生活保護を世話することと言われる。  “魔”の御本尊に祈っても歓喜が湧かない。生命力が湧かない。今は学会員は題目を長時間上げることはほとんど無くなっている。歓喜も生命力も湧かないからである。良いことが何も起こらなく、悪いことばかりが起こるからである。以前は歓喜も生命力も爆発するように湧いていた。だから題目を上げるのが楽しかった。  “魔”の御本尊になり不幸になっても学会員は気付かない。不幸になった原因を気付かない。不幸になっていることに気付かない。気付くときは地獄の底に沈んだときだ。  以前、日達上人の御本尊に祈っていたときには、「南無__は歓喜の中の大歓喜なり」となっていた。  “魔”の御本尊に向かって勤行唱題をするとリストカットする男子部員がいる。リストカットしたくてたまらなくなるそうだ。  また、“魔”の御本尊の半径二メートル以内では『死ね、死ね』という幻聴が聞こえるという婦人部が居る。二メートルを超えると声は聞こえなくなるそうだ。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  池田大作と統一協会の文鮮明との類似点をあげる。  二人とも両親は韓国籍らしい。池田大作が小学生の頃、父親から韓国語を習っていて、韓国語が堪能であることは有名である。  二人とも諸外国より名誉博士号、名誉市民賞などの勲部漁りが激しい。現在は、文鮮明の方が数が多い。その権勢欲・名誉欲の凄まじさは酷似している。  しかし、仏法では「名聞名利」を強く戒められている。第九世日有上人の「化儀抄」には、 「一、名聞名利は世事なり。仏法は自他の執情の尽きたる所なり。出家して此の心有る時は、清浄の仏法を盗んで名聞名利のあきないになす処は仏法を盗むなり。厳に然るべからず心中なり。尤も嗜むべし云々」 とある。「法盗人」とまでも厳しく言われている。池田大作の場合も勲部の数を誇り世界各国から名誉称号を数多くもらっていることを自慢の種にしていることは「名聞名利」そのものであり、それは「世事」であって、しかも世間的には卑しいことであり、仏法とは全く無関係である。しかも、そうした称号を得るために会員から収奪した金を利用していることは「法盗人」であり、世間的にも醜い根性の見本みたいなものである。  池田大作の支配欲の凄まじさも挙げなければならない。池田大作は学会員を奴隷のように扱っている。池田大作は「私のために死ねる人間」「私のために死ねない人間」と幹部を色分けし、池田大作のために死ねるという人間だけを重んじてきた。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  藤原行正氏暗殺計画があったことを矢野絢也氏は暴露している。しかし押し留める声があり、実行には移されなかった。だが今は池田大作の横暴を押し留める者はいない。イエスマン以外は排除されている。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  アメリカなども「反池田」がかなり組織されている。「反池田」とは日蓮正宗のことである。アメリカでは創価学会と日蓮正宗が同程度の勢力を持っていると言われている。スペイン、ガーナではトップが日蓮正宗に寝返った。スペイン、ガーナではほとんどが日蓮正宗である。台湾、インドネシアも創価学会は壊滅状態である。  それら海外の情勢に危機感を抱いている日本の創価学会最高幹部は多い。池田大作の死後、日本の創価学会も二分する危険性を日本の創価学会最高幹部は抱いている。この海外の情勢を知っている創価学会員は極めて少ない。聖教新聞では全くこのことは報道されていない。  そして韓国はどうなのでしょう? 韓国も既に二分している。テレビで放送されていた。 ☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆  謗法の罪は少なくとも三世に渡る。祖父・祖母が熱心な創価学会員の場合、孫が異常に、または不幸になることが多い。それは悲惨な現象であるが、祖父は祖母は孫の不幸が自分のためであるということが分からない。「狂信」故に分からない。長年、信じてきた信仰に洗脳されきっている。孫が可愛いならば創価学会を辞め法華講に入るべきである。周囲が反対するであろう。長年、親しく付き合ってきた人たちから絶縁されるであろう。そのために寂しい思いをするであろう。また、迫害のようなことを受けるかもしれない。しかし、可愛い孫のことを考えるなら創価学会を脱会し法華講に入るべきである。正邪を見抜く目を持たないといけない。少なくとも池田大作の傲慢不遜には気づかなければならない。 http://sky.geocities.jp/mifune0008/ ccc998@infoseek.jp

創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(8) [宗教]

        池田大作の精神病理


「あらゆる星が北極星を中心として動いているように、世界は私を中心として動いている。私は秩序そのものであり、法律そのものである」
                       —————シェークスピア 「ジュリアス・シーザー」よりーーー
 
 宗門からの破門は、すべて池田大作の醜い野望から来た。池田大作は自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)または妄想性障害(Delusional disorder、別名:パラノイア)に罹患しており、自分がトップにならないと気が済まなかった。それ故に自分が宗門よりも上に立つために「日蓮正宗国際センター」を作ることを日達上人に進言した。「日蓮正宗国際センター」のトップはもちろん池田大作であった。それを日達上人が認めることは考えられない。しかし、池田大作は自分が世界で一番偉い者であるという妄想のため、それを恥ずかしげもなく、進言したのである。
 そして平成の宗門からの独立は池田大作がトップになるための策謀であった。池田大作には信仰心が全くなく、宗門と手を切って自分がトップになりたかったのである。それを黙認した(黙認せざるを得なかった)創価学会中枢部幹部達も罪は大きい。

 以下は昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに答えた言葉である。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である」「私は現代の救世主である」「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」「世界の盟主である」「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」「今、私には天下を取ることが見え始めた」「私は太陽の帝王だ」
(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方 有紀書房:1965)

 池田大作は巨大な宗教団体のトップであったため、その狂気を見逃されてきたのである。原島嵩氏はこれを池田大作の“思い上がり”としているが、これは“狂気”である。
 池田大作は戸田門下生を排除してゆき、周囲を池田門下生のみとした。それ故に、池田大作を諫めることのでき得る人間は周囲にいなかった。

 池田大作のために罪のない我々、末端の創価学会員まで不幸にさせられてはたまらない。池田大作の死後、創価学会員の宗門への復帰をお許し願いたい。

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     池田大作と文鮮明

 創価学会の池田大作、統一協会の文鮮明、そして他の教団のトップにも似たものがいる。彼ら、一代で成り上がったものは、共通して勲章、名誉称号を買い漁る。池田大作と文鮮明はその数を競い合っている。ともに二百個を越えている。すべて金で買った勲章、名誉称号である。
 彼らに共通していることは、貧しい少年時代である。そして学歴もない。たくさんの信者に窮乏生活を強い、お金を巻き上げる。そして限りなく貪欲である。たくさんの信者の苦しみ悲しみを何とも思わない。その貪欲さは本当の偉人であるマハトマ・ガンジー、キング牧師などにはなかった。
 勲章、名誉称号を金で買い漁ることは、自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)または妄想性障害(Delusional disorder、別名:パラノイア)によく見られるものである。自分を神に例え、信者から金を巻き上げ続ける。自己愛性パーソナリティ障害はほぼ大部分、妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder)を伴う。妄想性パーソナリティ障害は自分の部下を信じない。それ故に部下の忠実さを図るために自分の食べ残したものをお下げして食べさせる。食べない者には反逆者の烙印を押す。
 また、妄想性パーソナリティ障害は頻繁に妄想性障害へと発展する。
 池田大作、文鮮明はすなわち精神病者なのである。しかし、彼らにその病識はない。彼らは贅沢の限りを尽くした毎日を送り続けている。彼らに罪悪感は微塵もない。彼らは選ばれた崇高な人間と自分自身を考えている。そして信者達を金を貢ぐ奴隷のように思っている。

 以下は昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに答えた言葉である。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である」「私は現代の救世主である」「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」「世界の盟主である」「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」「今、私には天下を取ることが見え始めた」「私は太陽の帝王だ」
(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方 有紀書房:1965)
 これから妄想型統合失調症と診断される。

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dola_dola_heisei22さん
★日蓮正宗の方に質問です。創価学会が寄進した寺はそのまま使われていますが、このことに疑問を感じたことはありませんか?
寄進されたものは、当然、宗門のものとなっているから、別段、何も感じないということでしょうか?
補足
tttggg_003さん 。
そんなことは、質問で聞いておりません。

創価学会が寄進したということは、事実です。
このことについて、何も感じないかと問うているのですが。
寄進したものが宗門の所有になっているのは当然でしょう。

質問日時:2010/9/9 07:43:55
残り時間:7日間
補足日時:2010/9/9 10:05:35
回答数:3
閲覧数:25
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tttggg_003さん

創価学会が寄進した寺は、山崎正友氏がすべて総本山の所有という名義替えを池田大作に進言し、行わせました。
法律上の所有権は、宗門になっています。

http://sky.geocities.jp/mifune0008/
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お萩姫、命!!

(補足)
 平成5年のある夜、午前1時のことだった。全国で行われていた創価学会男子部による夜撃ちが本寺院でも行われた。玄関は蹴り破られ、毎夜、このことのためにお寺に寝泊まりしていた元創価学会壮年部支部長は男子部に暴行を受け、歯が11本折れた。しかし、この元支部長の必死の抵抗に遭い、夜襲してきた男子部は、警察のパトカーの音を聞くと逃げていった。元支部長は他にも顔面挫傷、頭部挫傷、40針の外傷だった。頭部CT上、急性硬膜下血腫も認められ、脳外科医院に入院となった。
 犯人は特定されず、この犯行は闇に葬られた。
 これをどう思われます。

(更に補足)
 思うに、これが全国的に行われていたと言うことは、創価学会中枢部からの指令があったものと思われる。少なくとも全国男子部長に責任が及ぶはずである。
 この元支部長は当時60歳であり、頑健な男子部数人から殴る蹴るの暴行を受け、瀕死の重傷になったが、警察は積極的な捜査を行わなかった。
 元支部長は夜襲をかけた男子部の数人を話をしたことはないが、知っていたという。挨拶を受けたことは何度もあったという。元支部長は平成3年に脱会するまで地元の支部長として地元の会館には頻繁に通っていた。男子部の創価班、牙城会のメンバーは知っていた。
 警察が地元の男子部の顔写真を持って、入院している脳外科医院に訪れたら犯人は特定されていたことは間違いない。
ここにも創価学会と警察の癒着が見られる。

(また補足)
 法律のことは詳しくないので質問します。
 平成5年の頃、全国的規模で創価学会男子部によるお寺への夜襲が行われており、お寺の講員が一名、毎夜のように泊まり込みで警戒していました。
 自分の通うお寺も、平成5年の真夜中1時に、創価学会男子部より夜襲があり、そのお寺の講員は数人の創価学会男子部に対し一人で応戦したのですが、歳はもう60歳でした。若い頑健な男子部に殴る蹴るの暴行を受け、瀕死の重傷を負いました。
 平成5年のことを平成22年である今、裁判所に訴えることは出来ないでしょうか?
 頭蓋内出血もあり頭部CTが撮られましたが、交通事故とは異なりますので、もう破棄された可能性もあります。(交通事故の場合は原則として永久保存です。でも、これも事件ですので永久保存になっているでしょう)

 平成5年のことを平成22年である今、裁判所に訴えることは出来ないでしょうか?

 宜しくお願いします。

編集日時:回答の完了時に確定回答日時:2010/9/9 09:57:11

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      池田大作が亡くなると公明党は大きく衰退する

 創価学会員は池田大作のために選挙運動をしているのである。故に、池田大作を崇拝していない創価学会員は選挙運動に消極的である。
 創価学会員は師匠・池田大作に応えるために必死に選挙運動をしていると公言している。広宣流布のためでもない、公明党のためでもない、市民、県民、都民のためでもない。ただ、師匠・池田大作のために必死に選挙運動をしているのである。
 池田大作を崇拝していないが、選挙には折伏と同じ功徳があると言われ、その功徳欲しさに選挙運動しているものも多いが、そういう人達は選挙運動に消極的なことが多い。
 権力を取ることが人々の幸せに繋がるだろうか? 宿命に苦しむ人々の幸せには繋がらない。それを騙されて純真な創価学会員は懸命に選挙運動をしている。
「師匠・池田先生に応えるため命を懸けて選挙に勝つ」と公言する創価学会員は多い。
 選挙運動をしたために友人を失うもの、親戚より断絶を言い渡されるもの、仕事を解雇される者は多い。しかし彼ら彼女らは“これで過去の謗法の罪が消えてゆく、これで幸せになれる”と信じているのである。
「何故、宗教団体が選挙運動をするのか?」と一般世間は見ている。創価学会員もその一般世間の考えには気付いているが、師匠・池田大作が「選挙に勝て! 政権を取れ! 第一党になれ!」と命令する故に必死になって選挙運動をする。これは池田大作の権力への醜い欲望であることに純粋な文化遺産的お人好しの創価学会員は気付かない。

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   「人間革命」と「新・人間革命」の本当の違い

 書かれている場面の年代が新しいから「新」と付いていると思っている人は多いであろう。しかし実際は作者が違うために「新」をつけたのである。作者が異なると、文体も小説の構成も異なってしまう。池田大作が書いているものではないため、将来、このことを追及されたときのことを恐れ、「新」をつけたものと推測される。
「人間革命」は篠原善太郎氏が書いていた。池田大作(山本伸一)の入信場面も篠原善太郎氏の創作である。篠原善太郎氏は東大卒で文芸同人誌に小説を書いていた。そこに池田大作が目をつけて「人間革命」のゴーストライターとなったのである。
『篠原善太郎氏は創価学会の外郭企業の最大手の一つ東西哲学書院社長となっていた。同社は、東京・信濃町近辺や全国の会館近くにレストラン、寿司屋、書店のチェーン店を展開している学会外郭の最大手の一つ。氏は戦前、河田清のペンネームで小説を書いたことがある。学会総務』(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994)
 しかし、篠原善太郎氏は亡くなり、「人間革命」は12巻で終了した。このことは(池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007)に詳しく書かれてある。「人間革命」はゴーストライターが書いていたことは創価学会本部勤務の人はほとんどが知っていたと言われる。最後は池田大作に反逆したと言われる。しかし、創価学会の歴史は未だ充分に書き尽くされていなかった。そして新しいゴーストライターとして松本某氏が選ばれた。松本某氏のことは筆者はほとんど知らない。
 直木賞受賞作家である志茂田景樹氏が学会員として信仰していた頃、「人間革命」のゴーストライターにならないかと熱心に持ちかけられたことを告白している。同氏は創価学会活動家時代のことを書いた「折伏鬼」を出版している。それには夜遅くまで折伏に走った創価学会活動家時代のことが克明に書かれている。志茂田景樹氏は遙か以前に退転(創価学会の信仰を止める)している。
 現代の御書である「人間革命」はこのように信仰心のあまりないゴーストライターによって書かれているのである。
 自分は以前、住んでいた処で『「人間革命」は日蓮大聖人の生まれ変わりである池田先生によって書かれた現代の御書であり、古い御書はあまり読む必要がない』と婦人部の幹部が会合で何回も言っていたことを憶えている。それを真に受けている人は多かったようである。婦人部には池田大作が日蓮大聖人の生まれ変わりであるという言い伝えが広まっていた。
 自分はすでにその頃、「人間革命」はゴーストライターによって書かれていることを知っていた。


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    創価学会会館職員同士の不倫問題で会館で殺人未遂事件                            


 最近、日蓮正宗の僧侶は折伏はしない、と思い込み、そのことへの質問があった。では、創価学会会館職員がどれだけ日蓮正宗に寝返っただろう。
 今、自分の手元には、小池和彦氏の体験発表がある(蒼碧集9号:暁鐘編集室)。
「……
 私は、昭和三十六年、5歳の時に、創価学会員として日蓮正宗に入信しました。そして父母と共に、熱心に活動する学会っ子として育って参りました。
 そんななか、父が学会活動中に脳内出血で倒れ、事業の精算を余儀なくされたり、また、僅かばかり残った金を、同志である学会員に騙し取られて一文無しになってしまうなど、様々なできごとが続きました。さらに私が一生懸命、学会活動をすればするほど、創価学会の危険な体質を見せつけられ、ついに平成二年二月、御法主上人猊下のもとで正しい信仰をしたい、との思いで、地域の同志達とともに創価学会を脱会いたしました。
 私の脱会は、県総合女子部長、県主任部長という要職を経験した学会職員や、地域の男子部幹部を、多数巻き込んでの脱会でありましたので、学会からの憎しみが集中しました。
 例えば、私を呪う唱題表が配布されたり、道ですれ違った見ず知らずの小学生までが私を誹謗したり、また、近年の学会幹部の話によると、私を殺しても良い、と考えているものまでいるそうです。
 それでも、怯むことなく学会との戦いを続けていきましたところ、平成八年の暮れより、学会怪文書『勝ち鵇』に加え、県青年部長名で私を中傷する変態文書を作成し、各所に配布する、という馬鹿げた行為を始めました。
……」
 これは多くの中の一つである。側近の原島嵩氏、山崎正友氏、藤原行正氏、竜年光氏などの造反のようなものは日蓮正宗には起こっていない。
 創価学会会館職員同士の不倫問題で会館で殺人未遂事件が起こったこともある。創価学会会館職員は日蓮正宗の僧侶と同じである。どちらが堕落しているかは明瞭である。


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「財務」に強制はないと主張する意見が多いが、それは学会活動の非活発な地区の話であろう。自分は毎年百万円の財務を行ってきたが、初めこそ自分の意志で百万円財務してきたのであるが、ある地区に引っ越したところ、男子部のある幹部から、あからさまに「百万円は財務しろよ!」と脅迫まがいに言われてきた。「車なんか買うな! 車は動けば良いんだ!」との指導をそのままに実践してきた。そして百万円の財務を十三年間続けてきたのである(自分は比較的高額所得者なのである)。
 運命は確実に下降線を描いていた。もう下降できないというところで、創価学会(池田大作)の矛盾に気付いた。遅かった。もう少し早く気付いていたらと悔やまれてならない。十年間、“うつ病”に苦しんだ果てのことであった。間違った結婚もしてしまった。
 自分はその頃、財務は会館の維持などに大部分が使われていると思っていた。池田大作の海外のお城の購入やノーベル賞取りなどに使われているとは全く知らなかった。
 金返せ!!

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   多額の財務をすると不幸になる

 今年も二千五百億円の金が貧しい創価学会員から搾り取られてゆく。何に使われるのか皆目見当のつかない会員にとってこれは詐欺に等しい。
 海外のお城(池田家の別荘)の維持費などに使われることを知っている学会員は極めて少ない。みんな会館などの維持費などに使われていると思っているのであろう。
 無知の悲しみである。
 生活をぎりぎりに切り詰めて財務している会員は多い。生活保護の人達も生活をぎりぎりに切り詰めて財務している。余りにも可哀相だ。
 自分の知っている整形外科の医院は毎年一千万円財務してきたが、三年前に破産した。医師である父親は遠くに働きに行き、離婚して嫁さんと子供は実家に帰っている。一家離散している。
 また、自分の知っている夫婦は毎年、預金をすべて財務してきたが、現在二人ともガンで死の床にある。幼い子供がどうなるのか心配である。
 自分が中等部を担当していたとき、叔父さんが遺産として入った三千万円をそのまま創価学会に寄付したところ、その年行われた高校受験で必ず合格するはずの二つの高校に二つとも落ち、結局、三流高校に行き、スケバンになったことがある。金をもらえば誰とでも寝る。現在も苦しんでいる。
 すなわち、多額の財務をすると不幸になるのである。
 これらの悲劇は池田大作および側近幹部は知っているはずである。しかし、彼らは自分たちが優雅な生活を送れれば良いのである。彼らにはもう信仰心はないのである。地獄に堕ちるとは全然思っていない。

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フランスに百億円で購入した古城の年間の維持費は五億円を遙かに超えるという。何のための古城購入だったのか? 池田家の別荘とは言え、ここにも学会員のなけなしの財務が使われてゆく。
フランスの創価学会が使っていると弁明しているが、普通の鉄筋コンクリートの会館を建てたら三億円で十分に建てられた。維持費も少なかったはずだ。
全くの無駄遣いとしか思えない。
財務を返還せよ!
財務は池田大作の遊興費に使われているのではないか?
池田大作の別荘は日本には少なくとも5つはある。維持費だけでも莫大である。
ロシア、イギリス、アメリカなどにも古城などの超豪華なものが有るという。維持費だけでも莫大である。
池田大作の遊興費、池田大作のノーベル平和賞取りのために我々は財務しているのではない!
財務を返還せよ!

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創価学会はうつ病性障害だけでなく全ての精神疾患が非常に多い。創価学会員以外では経験していない精神疾患も多い。
家が創価学会であるだけで、本人は創価学会の信仰を全くまたはほとんどしていない子供にも非常に精神疾患が多い。
そのうちの一例をインターネット上に載せている。

http://sky.geocities.jp/mifune0008/2882.html

この対人恐怖(社会不安障害)は創価学会員に6例経験しているのみで、創価学会員以外では経験していない。
これを書いた頃、自分は熱心に創価学会の信仰をしていた。
なお、三船敏郎とは自分のあだ名です。三船敏郎にそっくりだからです。

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「人間革命」は現代の御書、と書いたら反発が強かったので驚いて書きます。
 自分が男子部で活動していた10年前、「人間革命」は現代の御書と言われていました。今は言われなくなったのかな?と思います。宗門から批判されて急遽、引っ込めたのかな?とも思います。婦人部の幹部は「池田先生が書かれた人間革命が現代の御書で古い御書は古いので必要ない」と言っていました。
 男子部でも人間革命の読み合わせ会はするが、御書の勉強会は一切開いていませんでした。10年前から15年前にかけてのことです。だから男子部には人間革命の本は持っているが御書は持っていないというのが多かったです。御書は一回も読んだことがないという男子部が多かったです。人間革命の本を古本屋から探して買って、人間革命の本を持っていない男子部に渡していたりしました。大きいのは荷物になるから小さい文庫本が良いという男子部が多かったです。
「博文堂」という本屋がすぐ近くにあって、そこは人間革命の新しいのが売り出されると山積みにして売っていました。人間革命の第11巻あたりがその頃、発売されていたと記憶します。「博文堂」が学会系列の本屋と言うことはずっと後になって知りました。アダルト系の本も売ってあったと記憶しています。すぐ近くにあったので本屋はそこをメインにしていました。

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   池田大作 政界進出の失敗

 創価学会は政治に進出したために敵を多く作った。政治に進出しなかったら大票田である創価学会は、いろんな政党から味方に付けようとされ守られていただろう。池田大作の最大の失敗は政治に進出したことである。
 政治にも参加する奇妙な宗教団体と世間は思った。これが折伏を妨げた一つの大きな要因と成った。政界進出を行わなかったなら創価学会は現在の二倍から四倍の規模になっていたと考えられる。
 創価学会は860万所帯などと公表しているが、実質上160万所帯と考えられる。聖教新聞の発行部数が550万部、一所帯で2部、3部と取っているところは多数ある。筆者の家もそして実家も読むことはないのに2部取っている。実家は以前、6部取っている状態が20年近く続いた。聖教新聞をたくさん取ると功徳があると幹部より唆されてのことである。10部近く取っている所帯も多数ある。1部しか取らないのは一人暮らしか未活動の家に限られる。聖教新聞を取らない創価学会の所帯はない。創価学会でない所帯でさえ聖教新聞を取っている。

 選挙運動により折伏への力をかなり奪われていた。選挙運動により創価学会への入会を拒んだ人、選挙運動に疑問を感じ創価学会から離れていった人は多い。創価学会から選挙運動に疑問を感じ離れていった人は大部分が信仰を止めている。創価学会を辞めて日蓮正宗法華講に移った人は少なくとも昭和52年までは少ない。
 昭和45年の言論問題(言論出版妨害事件)は政界進出していなかったら起こらなかった。藤原弘達氏の「創価学会を撃つ!」という本は政界にも進出していたから「この日本をどうする?」という危機感の元に書かれたのである。政界に進出していなかったら書かれなかった。
 言論問題により池田大作が社会に謝罪し、それ以降、強引な折伏は原則として行われないようになった。また、同時に創価学会の拡大もほとんど止まった。創価学会の灼熱の勢いは言論問題により強引な折伏を原則として中止するという宣言とともに止まったと言って良い。折伏大行進は昭和45年までであった。
 すでに昭和42年頃から創価学会の所帯数の増加は頭打ちになっていた。それ故、創価学会の拡大が止まったのは、強引な折伏を行わなくなったためだけではない。日本国内の創価学会に入会するような人が枯渇し始めていた、また池田大作の謗法故に創価学会に悪鬼が怒濤のように滲入し創価学会員に悪いことが非常によく起こるようになっていたため、と考えられる。

 かつては選挙運動より折伏に力が注がれており、選挙運動は従であった。それが逆転したのは平成になってからであろうと思われる。
 筆者は、仏法対話において「宗教団体が何故、政治をする」と反論されることが非常に多くあった。反論の第一は「宗教団体が何故、政治をする」であり、他教批判よりも選挙運動、政治活動を批判されていた。
 創価学会は昭和45年以降、微増の状態となった。昭和55年以降はほぼ平衡の状態となった。すなわち創価学会に入る人と辞めていく人が同じ数の状態となった。
 現在(平成22年)も一年間に1万人が創価学会に入会しているが退会しているのも同じだけある。

 戸田先生は参議院までの進出であって衆議院への進出は考えておられなかった。戸田先生は権力は志向されていなかったのである。
 政界への進出すなわち衆議院への進出は池田大作の「天下を取ろう!」「天下を取ってやる。この信仰を利用して天下を取ってやる」という醜い欲望から生まれた。池田大作には信仰心はなかった。だからこの信仰を利用して天下を取れれば、それで満足だった。——信仰利用の極限の姿がここにある。
 広宣流布などどうでも良かった。他人の幸福などどうでも良かった。ただ、自分が誰よりも偉くなれれば良かった。人を蹴落として自分が一番になれれば良かった。世界は自分のためにある。天下は自分のためにある。自己愛性パーソナリティ障害である。妄想性障害と言っても良いかもしれない。

 日蓮正宗には「王仏冥合」という理論がある。「王」は政治、「仏」は仏法を指す。つまり「王仏冥合」とは政治と仏法が深いところで一緒になる、仏法の精神で政治を行い民衆の幸福を実現させる、ことである。池田大作はこの理論を自らが権力を握るために悪用して用いたのである。つまり、自分が総理大臣になるためである。公明党の結成は昭和39年であり、昭和42年に創価学会は衆議院選挙に初めて参加した。初参加だったが25名の当選者を獲得した。この頃、創価学会は順調に勢力を拡大しており、この調子で勢力拡大が続けば、公明党が政権を取ることが見えていた。

 池田大作は自己愛性パーソナリティ障害に罹患しており、自分がトップにならないと気が済まなかった。池田大作本仏化はそれ故に起こった。池田大作は自分を仏に見せるため様々な策を講じた。
 池田大作本仏化は池田大作が自分が本仏で思われるように振る舞って造ったものである。様々な芝居を側近は暴露している。有名なものとして、千葉県の日蓮大聖人が修行された寺院でそこの境内の近くに植わっていた木に「やあ、久しぶりだなあ。750年ぶりかなあ」と話しかけたことがある。しかし、その木は樹齢400年であった。この行為を自分を本仏に見せかけるために行った芝居であったならば自己愛性パーソナリティ障害で止まるが(同行していた側近は芝居と思っていたそうであるが)、本気で行ったとすると妄想性障害または妄想型統合失調症となる。
 また、自分がトップにならないと気が済まない故に、創価学会員の増加が止まり、自分が総理大臣になれないと分かると、宗門より上に立とうという野心を持った。日蓮正宗国際センターを造るという案は池田大作自身が作った。それは池田大作自身が宗門より上に立つという構想であった。池田大作がそのトップになり日蓮正宗を支配下に入れるという構想であった。しかし、日達上人はそれを作ることを拒否された。それを造ったときは創価学会と分かれるという強い意見であった。それ故に起こった宗門戦争、そして日蓮正宗よりの独立である(平成3年の破門は池田大作が故意に引き起こしたものである。昭和52年の頃は宗門からの独立は時期尚早と考えお詫び登山などを行い、破門を逃れた)。池田大作は自分が総理大臣なり、閣僚を創価学会員で占めるという名簿を造っていた。その名簿は妄想による産物と言っても良かった。

 昭和44年の衆議院選挙で47議席であった公明党議員は昭和47年の衆議院選挙では半数近くの29議席となる(昭和51年の衆議院選挙では55議席と復活している)。言論問題が災いしたのである。言論問題により行わざるを得なかった政教分離宣言が創価学会員の公明党を支援する意欲を大きく低下させたからであった。
 
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 今でも鳴り響いている 学会歌の歌声が……。
 ……自分はそれを消そうと妙観講のサイトから妙観講員の歌のCDを送ってくれるように頼んだ。自分は焦った。
 しかし、妙観講員の歌のCDは未だ来ない。もう一ヶ月以上経過しているのに未だ来ない。お金を振り込んでいない。
 メールが届いているのか、おそらく届いていないのであろう。
 インターネットのyoutube から法華講や妙観講の歌をダウンロードしてテープに吹き込んだ。
 しかし、CDでないと聞けない。テープのプレイヤーは巨大なデッキが家に1台あるだけだ。
 今、当直中。CDでないと聞けない。
 家ではテープをあまり聴けない。そういう時間的余裕がない。
 鳴り響く学会歌の歌声は以前は自分を鼓舞していた。しかし、今は悪魔の歌声にしか聞こえない。
 去れ! 学会歌の歌声よ! 去れ!
 去れ! 学会歌の歌声よ! 去れ!
 
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 日蓮正宗法華講のカルト化を期待するべきか否か?

 日蓮正宗は創価学会を破門し、信者数が20万人にまで減少した。中枢部は信者に信者数の急激な増加を督促しているが、激しく活動しているのは創価学会からの渡り信者が大部分を占める妙観講のみである。法華講は少なくとも地方では依然として大人しい。
 妙観講も創価学会からの移転者を1万人造ったが、その活動は創価学会の昭和30年代の折伏大行進に比べると見劣りがする。創価学会の昭和40年頃を彷彿とさせる。それでも世間は妙観講をカルトと考えている。
 妙観講の活動量は顕正会と同レベルと推測される。顕正会は勧誘に暴力沙汰となることを行い公安からマークされている。妙観講は未だ警察沙汰になるようなことは行っていない。
 筆者も日蓮正宗法華講に属しているため日蓮正宗法華講がカルト化することは好まない。
 日蓮正宗には法力がある。しかし、日蓮正宗より破門になった顕正会、創価学会には法力が喪失しており、顕正会は入会者を造るのに非常に苦しんでいる。創価学会は折伏を放棄し、選挙活動のみに力を入れていると言っても過言ではない。
 全国の日蓮正宗の寺院には各々妙観講員が数名いることが普通である。筆者の所属する寺院の人は折伏を妙観講員頼みにしている傾向がある。折伏に妙観講員を連れて行くことが多い。
 日蓮正宗がカルト化して自分自身も激しい折伏を行わねばならなくなるのは苦しい。創価学会の広宣流布の挫折を見てきた自分は、再び折伏大行進のようなことを行うことはおそらくできないだろう。年齢的にも自分はもう純粋な若者ではない。

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    真実が見えないでいる創価学会員(文化遺産的お人好しの集まり)

 創価学会員は創価学会に対して疑問を持たないでいる人が多い。信仰に対して疑いを持たないでいる人が多い。何故か? それは創価学会員は文化遺産的お人好しの集まりであるからだろうか? 
 それだけではない。インターネットを盛んに行わないからである。インターネットを盛んに行うと真実が見えてくる。
 また、創価学会を批判する本を読まないからである。現在は、矢野元公明党委員長、原島嵩元教学部長、そして、小多仁伯、小川頼宣氏らが本を出版している。

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  学会製の“魔”の御本尊とうつ病性障害

 学会製の“魔”の御本尊がうつ病性障害などの精神障害を多発させると言われるようになって久しい。筆者も3年半前まで10年間、うつ病性障害で苦しんだ。御本尊は学会製の“魔”の御本尊であった。発病したときも学会製の“魔”の御本尊、10年間苦しんだときもずっと学会製の“魔”の御本尊であった。
 寛解(うつ病性障害の場合は治癒とは言わない、寛解と言う)したのは学会製の“魔”の御本尊のことをインターネットで知り、その“魔”の御本尊に向かって祈らなくなってからである。

 大石寺の方角に向かっての遙拝勤行が始まった。劇的にうつ病性障害は寛解した。それからはうつ病性障害再燃(うつ病性障害の場合は再発とは言わず、再燃と言う)の気配も感じられない。
 インターネットは非常に良く嗜んでいたが、“魔”の御本尊のことは知らなかった。創価学会本部主催の掲示板であるVOICE には“魔”の御本尊のことは載ってなかった。VOICE はやがて創価学会員のうつ病性障害やパニック障害などの精神障害の人が非常にたくさん発言するため、そのことで創価学会の信仰に疑いを持つ人が続出したためだろう、実質上廃止になった。「やりました。できました」という発言しか載らなくなった。

 うつ病性障害で勤行唱題することは非常に難しい。うつ病性障害が重度の時は題目三唱も唱えることが非常に難しい。自分は重症化しているときは題目一唱も唱えることができなかった。
 うつ病性障害で勤行唱題ができるのは極軽症の時のみである。それも長時間はできない。方便品自我解を一回唱えるのみで精一杯である。創価学会の勤行が方便品自我解一回のみになったのは、創価学会にうつ病性障害があまりにも蔓延したからではないかとも推測される。他に、池田大作が勤行唱題が大嫌いであるからとも言われている。インターナショナル勤行とは言い訳に過ぎないとも推測される。

 そして不思議なことに、“魔”の御本尊に対しては題目一唱を唱えることさえ難しいのに、日達上人の御本尊に向かっては全く不便なく勤行唱題ができることである。とても不思議であった。実家は日達上人の御本尊である。

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日蓮正宗の近代化(1)教義に現代仏教学を取り入れるべきです

 始めに言っておきます。「五時八教判」が間違いであることは現代仏教学の基礎です。これを破折することはできません。
 法華講員と名乗る人達が意地になって「五時八教判」「無量義経」が正しいと反論していましたが、失望を禁じ得ませんでした。その反論は完全な戯論でした。
 何故か、創価学会員は反論していませんでした。反論不能だったのでしょう。また、法華講員に成りすました創価学会員が滅茶苦茶に回答していた可能性が極めて高いです。
 日蓮正宗の首脳達は日蓮正宗の教義に現代仏教学を取り入れる教義の近代化を考えていると推測します。もし、考えていなかったら、自分は一人で法華経を信じてゆかなければならないようになります。もう一度書きます。日蓮正宗の首脳達は日蓮正宗の教義に現代仏教学を取り入れる教義の近代化を考えていると推測します。もし、考えていなかったら、自分は一人で法華経を信じてゆかなければならないようになります。日蓮正宗の首脳達は日蓮正宗の教義に現代仏教学を取り入れる教義の近代化を考えていると信じます。

 仏教の専門家が現代仏教学のことを知らないことがあり得るでしょうか? しかし、たしかに現代仏教学のことに全く無知な仏教の専門家も経験しました。
 これはすでに20年以上前の話ですが、自分が中学生の頃、「五時八教判」がおかしいと中等部の担当者に言って中等部の担当者は困り果てて創価学会の会館に連れて行きましたが、副会長および県の教学部長は「五時八教判」の矛盾に全く答えることができませんでした。中等部の担当者より「気にするな、忘れろ!」と言われ、忘れていた自分でした。
「峻峰会」という一人で信仰してゆくインターネットのグループがありましたが今は無くなっているようです。ここは「五時八教判」の間違いを認めていました。「無量義経」が偽経であることも認めていました。「四十余年未顕真実」の間違いも認めていました。
 一人で信仰してゆくことは寂しいものです。同志の励ましがなければ退転してしまうのが常です。
 日蓮正宗の御本尊はもの凄い力があることを知っているため、日蓮正宗から離れて信仰をしたくありません。創価学会製の御本尊には力が全くないだけでなく、不幸なことが起こります。
 日蓮正宗が正しい、これは確信しています。ネットでの創価学会員の法華講員への成りすましからの激しい批判に耐え続ける日々ですが、日蓮正宗が正しい、これは確信しています。
  
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日蓮正宗の近代化(2)法華講員に成りすます創価学会員

 日蓮正宗法華講員には良識を持った人が多数存在します。しかし、ネットで見る法華講員はカルト化しています。自らがカルトに陥っていることを自覚できないで居るようです。これは昭和30年代40年代の創価学会員を彷彿とさせます。
 自分には「離婚しないと法華講員とは認めない」「離婚しろ!」「子供を捨てないと法華講員とは認めない」「子供を捨てろ!」という狂気の発言をして来ます。嫁さんは池田大作を永遠の神様と拝めている剛信な創価学会員であり、折伏は不可能です。絶対的に不可能なケースもあるのです。
 日蓮正宗法華講はカルト化しているのでしょうか?

 日蓮正宗法華講がカルトと化すならば、自分は日蓮正宗法華講を離れなければ成りません。もう一度書きます。日蓮正宗法華講がカルトと化すならば、自分は日蓮正宗法華講を離れなければ成りません。
 しかし、自分の通う寺院は健全です。カルト化の気配は微塵もありません。自分の通う寺院は穏健です。
 ネット上の法華講員のみが過激で狂信的と考えるのが妥当な感じがします。

 しかし、ネットは誰が誰か分からない世界です。創価学会員が過激な法華講員に成りすましている可能性が非常に高いのです。創価学会の過去のスパイ事件を考えると分かると思います。創価学会は非常に手の込んだスパイを送り込むものです。本物の熱心な法華講員も完全に騙されます。本物の熱心な法華講員よりも熱心に振る舞うでしょう。
 狂信的なネット上の法華講員は創価学会員である可能性が非常に高いのです。創価学会はそういうスパイを多数送り込むものです。

 自分のホームページには法華講員と名乗ったメールがときどき来るが、ほとんどが創価学会員の成りすましである。様々な嘘を書いて送ってくる。恐喝罪で訴えたいものも多く、それは溜まっている。
 法華講員か創価学会員か判断の難しいものもある。しかし、それも時間が経てば化けの皮がはげる。法華講員は少なく、創価学会員は多い。法華講員は15万人、創価学会員は200万人である。しかも創価学会は折伏を放棄して暇である。勤行唱題も非常に短い。ネットをする時間的余裕は十分にある。また、うつ病性障害、パニック障害などの精神障害で一日中、ネットをしている創価学会員は非常に多い。このことからも創価学会員からのメールがほとんどである。すべて法華講員と名乗っている。

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日蓮正宗の近代化(3)カルト化したネット上の法華講員

 お萩さま、僕は昨夜、ずーっと悩みました。信じていた日蓮正宗がカルトと化しているのではないか、それならば自分は何を信じてゆこうかと。僕はお萩さまのように無宗教には成れません。何かを信じていないといけない自分なのです。お萩さまを神様として信仰してゆこうかとも思いました。
 でも、この朝、カルト化しているのはネット上の法華講員のみで、自分のお寺の法華講員は全然カルト化していない。みんな、穏やかで良い人ばかりだ。日蓮正宗を続けてゆこう……でも……という想いに満ちています。
 今日の朝、勤行をしなかった。今日の夕方、勤行をするだろうか?……

 宗教のカルト化は各々すなわち信者たちの心の中にあるのであって、カルト化していない人の心はカルト化していない。
 創価学会のときもそうだった。カルト化している人とカルト化していない人といた。
 一部の狂信的な人達がカルト化しているだけであって、大部分の人達はカルト化していない。
 昭和30年40年、そして昭和50年代も創価学会は信仰のための離婚が多かった。
 一部の狂信的な人達がカルト化しているだけである。カルト化した信者が多かったらその宗派はカルトと言われ、カルト化した信者が少なかったらその宗派はカルトとは呼ばれないのであろう。また、そのカルト化の度合いにも依る。
 創価学会のときも止めていく人は人と喧嘩して止めて行く人が多かった。信仰に不審を抱いて止めてゆく人は少なかった。幹部と感情的な諍いを起こして止めて行っていた。人と人の争いでほとんどの人は止めて行っていました。
 お萩さま、僕は、一部の人が暴走しているだけで、これからも日蓮正宗を信じてゆこうと思います。自分は信仰を壊され掛けましたが、昨夜の悩みは昨夜の悩みで終わろうと思います。
 外部の敵より内部の敵がより怖いのだと知りました。
 カルトは狂信的信者の心の中にあるのだと知りました。もう一度書きます。カルトは狂信的信者の心の中にあるのだと知りました。

 自分は法華講員に成りすました創価学会員を既に数人、発見している。その方法は秘密である。まだまだ居るだろう。
 彼らは外部から叩くよりも内部から叩く方が極めて効率的ということを弁えている。すなわち法華講を内部から叩くのである。法華講を悪く印象づけるのである。
 
 法華経は宥和の経典と言われている。

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創価学会の宗教被害(1)

 rsdさん、余計なことと思いますが、誤解されていることがありましたので、ここに書きます。rsdさんは極めて知識豊富で尊敬しております。rsdさんの過去ログを見て現代仏教学および日蓮正宗の勉強を致しております。立正大学の教授と推察しております。多忙と思われますから、これに答えられなくてよいです。
 法華講員は大衆の面前で他宗の仏壇を壊すような過激なことは行いません。つまり日蓮正宗の御住職が他宗の仏壇を壊すように指図するということはあり得ません。それを行っていたのは創価学会です。創価学会員の自発的意志で行っていたか、創価学会の幹部の指示で行っていたのです。
 創価学会の末端はほとんど日蓮正宗の寺院とは昭和40年代50年代も隔絶していました。暗に「お寺と創価学会は別である、お寺にはあまり行くな! お寺とは関係を持つな! 謗法になる、罰が当たる」という考え(内部指示)が末端の創価学会員の間にはありました。すでに、お寺と創価学会員の間には溝ができてしまっていたのです。お寺と創価学会は少なくとも池田大作の時代からは仲が良くなかったのです。お寺には御授戒の時に行くだけで、他の時は創価学会の活動を優先するような指導が暗に行われていました。
 戸田先生の時代にはありませんでしたが、池田大作の時代になり、お寺を軽視する内部通達のようなものがあったようです。池田大作は自分がトップになりたかったが、宗門がそれを邪魔しているのを根に持っていました。池田大作には宗門が邪魔で仕方がなかったのです。平成3年の破門はもちろん創価学会(池田大作)の側から仕掛けたものです。
 自分の前の女房は、創価学会員が他宗の仏壇を大勢で大声を上げながら壊すのを見て、子供心に創価学会とは暴力団よりも怖いと思ったそうです。その恐怖心が大人になっても残っていました。
 今こそ創価学会は選挙のために反社会的なことは控えていますが、以前は他宗の仏壇を私道か公道に於いて集団で叩き壊すことは日常的に行っていたようです。それが創価学会員の士気を高めることにも繋がっていたようです。

 法華講員は大人しい。創価学会員は喧しいほど活発である。これは20年ほど前、自分が法華講に入りかけたときに感じたことです。結局、その20年前は「家庭崩壊する」とお寺の御住職の奥さんより諭され、入講を思いとどまりました。

 他の人はこのことどう思われますか?

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   創価学会の宗教被害(2)

 宗教被害は未だに創価学会が一番多い。顕正会は過激な勧誘で公安当局にマークされているが、数が少ないためか、その被害は意外と少ない。
 自分はこの10年間に男子部員の自殺を2件経験してきた。いずれも20代の若い青年である。22歳、26歳である。2人とも前途有望な好青年であった。自分が入会させたのではないが、入会に際し自分が大きく関わっていたこともある。
 何故か、2件ともビルからの飛び降りであった。一人は自身の社会不安障害(対人恐怖症)に絶望して、一人はうつ病性障害であった。
 うつ病性障害の患者の方は完全に創価学会の信仰が彼を追い込んだ。創価学会に入れば病気が治ると入会し(自分が入会させたのではないが入会させた整体院を紹介したのは自分であった)、毎日、拠点で勤行唱題に励んだ。
 家は20年前、母親が病気で寝たきりであり、彼が幼いときに病気が治ると創価学会に入会し、結局、却って重症化して自殺した。それは彼が物心付くか付かないかの幼い頃の出来事であり、彼は覚えていない。それ故に親兄妹は彼が創価学会に入会することに猛反対であった。母親の病気が何であったのかは知らない。
 また、そのため御本尊を安置できず、毎朝4時頃から、拠点に行って勤行唱題をしていた。朝、早くからの仕事をしていた。
 激しい倦怠感にも拘わらず、彼は勤行唱題と学会活動を続けた。聖教新聞啓蒙を10部行い、表彰されたこともある。そのときは、知人の家を「聖教新聞を取ってください」と一件一件回り、あるときは酷い倦怠感を治すようにと2000円の牛肉を食べに連れて行かれたこともある。聖教新聞が月1880円であるから聖教新聞を取る代わりに牛肉を食べに連れに行かれたのである。この啓蒙は相手が聖教新聞代を出す啓蒙であった。
 選挙依頼も外部の友人が多いためもあり、彼がダントツでトップであった。入会直前まで行っていた友人も数名いた。
 創価班に入ったが、午後11時からの勤行会に参加することが困難であり、創価班の着任は一回も行ってない。
 結局、彼は追い込まれ、ビルより飛び降り自殺をした。26歳の若さであった。遺書には創価班に着任できない苦悩が綿々と綴られていた。母子二代、創価学会の信仰で自殺したのである。
 
 他の人はこのことどう思われますか?

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創価学会の宗教被害(3)

 もう一人、社会不安障害(対人恐怖症)の22歳の青年がマンシヨンより飛び降りて自殺した。発症ははっきりとしないが、中学3年生ぐらいの時期と思われる。それまで腕白坊主だった少年が人との交わりを避けるようになった。祖母が古くからの創価学会員であり、家に“魔”の御本尊が安置されていた。祖母は熱心な創価学会員ではなかった。活動はほとんど行ってなかった。
 彼の社会不安障害(対人恐怖症)の発症には御本尊の存在が原因と見られる。創価学会員にはうつ病性障害とともに不安障害が非常に多い。パニック障害、社会不安障害(対人恐怖症)、強迫性障害など外来患者に占める割合は非常に多い。
 熱心に創価学会の信仰をしていて発症した人、創価学会の信仰をある程度行っていた人、そして家人が創価学会員であるだけで自分自身は信仰は全く行っていなかったのに発症した人の三種類が存在する。彼はほとんど信仰は行っていなかった。
 平成5年から創価学会員の家庭に配布された創価学会製の御本尊は“魔”の御本尊と言われる。この御本尊の配布開始の時期と創価学会員にうつ病性障害などの精神疾患が急増した時期が一致している。
 しかし、“魔”の御本尊の配布以前から、創価学会員にはうつ病性障害などの精神疾患が異常に多かった。彼の社会不安障害(対人恐怖症)の発症も“魔”の御本尊の配布以前のことである。“魔”の御本尊の配布の3年前に彼は発症している。“魔”の御本尊は創価学会員のうつ病性障害など精神障害の発症を急増させただけである。
 創価学会員に精神障害が異常に多発し始めたのはいつ頃からか? それは池田大作の会長就任の時期が始まりと思われる。池田大作の会長就任とともに悪鬼が創価学会に怒濤のように雪崩れ込み、創価学会員に不幸なことが異常に多発するようになった。また、精神障害の異常多発も同時に起こった。

 他の人はこのことどう思われますか?
 
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創価学会の宗教被害(4)

 創価学会の宗教被害として現在は選挙が主体と成っている。以前の折伏大行進の時の折伏による被害は現在はほとんど見かけなくなっている。
 選挙運動は折伏を阻害する。このことが池田大作には分からなかったらしい。ただ、“天下取り”を焦って“選挙”“選挙”と浮かれ足だって居たのが池田大作である。自分で自分の首を絞めていたことに気付かなかった池田大作である。
「一票取るのも一人折伏するのも同じ功徳がある」と会員を唆し、純真な会員を懸命な選挙運動に駆り立ててきた。

 極めつけの例を紹介しよう。
 ある男子部が雪の降る中、「公明党に一票を!」と戸外に立ち尽くした。家の人が断り続けても「公明党に一票を!」と戸外に立ち尽くした。
 明くる朝、戸を開けると、未だに「公明党に一票を!」と戸外に立ち尽くしていた。雪は帽子に高く積もり、厚い防寒着を着ていた。「公明党に一票を!」と依然として言い続けた。家の人は怖ろしくなり、警察を呼び、男は逮捕された。

 筆者もたった一人の知人を年賀状より000選挙区に見つけ、同じ男子部とクルマで選挙依頼に行ったことがある。高速道路を何時間も飛ばし、ナビゲーターを頼りに相手の家を探した。公明党に入れなかったことは確実である。しかし、それでも選挙依頼をするのが創価学会である。相手が入れようと入れまいと、選挙依頼をするのに功徳があると幹部から言われ、それに従うのが創価学会員である。

 他の人はこのことどう思われますか?
 
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  サークル化しつつある創価学会(創価学会の互助組織化)

 創価学会のサークル化は昭和45年の言論問題事件から始まった。以来、灼熱のエネルギーは創価学会から次第に消えていった。
 いや、創価学会がもっとも燃えていたのは昭和30年頃と推定する。しかし、昭和45年までは燃え続けていた。サークル化が顕著になってきたのは創価学会が独自の御本尊を配布するようになった平成5年頃からと推測する。それを境に会員が勤行唱題をあまり行わなくなったからである。また、勤行が省略化されたことも大きく影響しているようである。婦人部の会合でも少人数の場合は勤行唱題をせず、お喋りで終わることが多くなった。婦人部は良く喋る。良く喋るためペリカン部とも言われている。
 
 以前の座談会では体験発表に花が咲いていた。体験はないが体験発表させられていた。当然、功徳でもないことを功徳というのがその当時のしきたりであった。とくに婦人部に功徳でもないことを功徳という傾向があった。罰を功徳と発表することは非常に多かった。それは体験発表の半分に達していたと思い出される。体験発表の半分以上が罰の体験を功徳の体験と勘違いして発表していることが多かった。不思議だった現象は全て功徳の体験と成っていた。

 今、平成22年。創価学会は選挙集団と化し、折伏を放棄している。折伏らしきものもするが、それは勧誘である。
 サークル化し創価学会は平和になったとも言えよう。近所の互助組織ともなっている。高齢で歩くことも困難な人の代わりに買い物に行ったり、大丈夫にしているか?お見舞いにも来る。一人住まいの学会員の老人の死亡発見者はほとんどが同じ学会員である。自分の親戚の学会員も一人住まいしていたが、近所の学会員から最近姿が見えないと訪問され、死亡しているところを発見された。

 幼稚園での催しに手伝いに来てくれるのも近所の学会員である。自分は日曜日は仕事であるため日曜日の催しには出られない。自分の代わりに出てくれるのが近所の学会員である。子供2人が同じ幼稚園のため2人の保護者が必要なのである。
 これはよく言われることであるが、学会員は人が良い。他に友人を作りたいとは思わないほどである。

 婦人部は良く喋る故、その情報網はもの凄い。ペリカン情報網とも言われている。日本共産党の情報網を越えたと言われている。男子部、壮年部が「何処からその情報が漏れた?!?」と疑う場合は婦人部である。

 この創価学会のサークル化は池田大作が死亡すると更に加速することが予想される。創価学会は信仰心が弱まり、代わりに互助組織として機能するようになった。

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【研究と報告】
              池田大作の精神病理(第1稿)

「あらゆる星が北極星を中心として動いているように、世界は私を中心として動いている。私は秩序そのものであり、法律そのものである」
                       —————シェークスピア 「ジュリアス・シーザー」よりーーー

                              創価学会内部改革派憂創同盟残党


【抄録】
 タブーとされている池田大作の精神病理を考察した。池田大作の君臨する創価学会は様々な社会問題を生んでいる。日本に於いては公明党を作り日本の政治を動かしている。人権侵害など著しいが創価学会はマスコミをその強力な金力などによって支配している。創価学会に対抗する組織・個人に対する訴訟は非常に多く、警察との癒着なども指摘されている。諸外国に於いてはカルト指定され、様々な批判を浴びている。その創価学会を私有化している池田大作は、自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害(狂信的なタイプ)の合併であったと考えられた。そして少なくとも昭和四十年頃より妄想性パーソナリティ障害(狂信的なタイプ)が妄想性障害に変わったと考えられた。しかし、パーソナリティ障害という診断は甘過ぎ、人格破綻を思わせるところが随所に見られる。人格破綻ならば妄想型統合失調症である。これらは創価学会の信仰故に誘発されたものと考えられる。創価学会の信仰は気宇壮大となりやすい。気宇壮大となると万能感、自分は選ばれた人間だ、などという思いに満ち溢れる。これ故に、このような状態に陥ったと考えられた。


【key words】Daisaku-Ikeda, Narcissistic personality disorder, Paranoid personality disorder, Delusional disorder, Schizophrenia paranoid type
 
【はじめに】
 日蓮系、とくに排他的とされる富士派に於いては気宇壮大になるという傾向が見られる。昭和三十年、四十年代の折伏大行進の時には気宇壮大になり“急性精神病状態”となって精神病院に緊急入院となる創価学会員が後を絶たなかった。しかし、現在ではほとんどそういうことは見られなくなった。これは熱烈な勤行唱題が行われなくなったためと推測される。
 精神鑑定は難しい。創価学会員であった宮崎勤は精神鑑定で“パーソナリティ障害”“統合失調症”“多重人格”の三種類もの結果が出ている。
 ここでは人格障害という言葉は用いず、パーソナリティ障害という語を用いた。  
 池田大作は自己愛性パーソナリティ障害、妄想性パーソナリティ障害、妄想性障害、妄想型統合失調症が疑われる。

【症例】
 池田は八王子の法忍寺に出向き、日達上人に全面的に非を認め、謝罪しました。日達上人は、いったんは許されました。
 しかし、池田は帰ってくるなりすぐに開き直り、日達上人への怨念を燃やし、「猊下は私を詫びさせた。この仇は必ずとってみせる」と首脳たちに激怒していました。
 昭和四十九年のこの時もそうでした。表面上の謝罪とは裏腹に、日達上人への「必ず法主の座を降ろさせてみせる」との憎しみ、仕返しの執念は凄まじいとしか言いようがありませんでした。そのころの池田は、私たち側近に口を開けば、日達上人の批難中傷ばかりしていました。結局、池田の日達上人への数々の謗法の謝罪はことごとく偽りだったのです。(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002)——————妄想性パーソナリティ障害

 池田大作の振る舞いはコンプレックスの裏返しである。子供の頃の貧乏が金への執着となり、上流への憧れが、インテリタイプの女性への手当たり次第のお手付き行為となった。下積みの経験が支配欲と化し、首脳や幹部に対し事あるごとに忠誠を誓わせ、誓約書を書かせる行為へと走らせる。食事の際、食べかけのメロンや料理を幹部に下げ渡してジッと様子を見る。有り難くいただけば良いが、私のようにそのまま次へソッと回そうとする奴は、目ざとく見付けて牽制の言葉をかける。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994)——————妄想性パーソナリティ障害

 実在する自分とその経歴があまりにも醜く、すさまじいからこそ、ことさらに美しく飾り立てようとする。腐ってゆく死体に香を焚き、化粧するのと同じである。当たり前の対応に対しても“バカにされた”とひがむ。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994)—————妄想性パーソナリティ障害

異国の地で、他人の目も憚らず、池田はこう怒鳴りつけたのである。
さすがに秋谷も屈辱で顔が青ざめていたという。
が、最後はホテルの床に這い、創価学会第五代会長が土下座した。
それが影響したか、秋谷はこの旅先で体調を崩し、日程半ばで帰国。腸閉塞で緊急入院した。(池田大作の素顔:藤原行正:講談社:1989:p261-2)————妄想性パーソナリティ障害

私自身、その現場に居合わせたこともあるが、子を死なせ、病気で苦しむ学会員の不幸を池田は笑いさえした。(池田大作の素顔:藤原行正:講談社:1989:p264-6 )————自己愛性パーソナリティ障害

 異常なコンプレックスの持主が、ゴマスリ集団に取り囲まれ歯止めのない自己肥大を続けていくと、池田大作のような人格ができ上がる。そして、そのエゲツない指針を金科玉条として実行する組織が、全体として、卑劣に、なりふり構わぬ自己中心に陥ってゆくのは、当然の成り行きといえよう。こうした組織の中で耐えられなくなった人間性の持ち主が、やがて一人、また一人と造反していく。そうした人たちに対して池田大作は、恐れと憎しみをこめて「裏切り者!」「恩知らず!」と罵る。“弟子分帳”に記した名前に線を引きながら、“地獄に堕ちろ”と呪詛する。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994)——————妄想性パーソナリティ障害

 これは昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに答えた言葉である。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である」「私は現代の救世主である」「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」「世界の盟主である」「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」「今、私には天下を取ることが見え始めた」「私は太陽の帝王だ」(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方有紀書房:1965)—————自己愛性パーソナリティ障害(妄想性障害、妄想型統合失調症)

 平成十九年三月、中国の温家宝首相が来日した際、池田大作は会見の場で「庶民の王者に会って頂き有り難う」と言って握手する映像が日本全国に放映された。—————自己愛性パーソナリティ障害(妄想性障害、妄想型統合失調症)

 昭和四十八年頃に制作・放映された映画「人間革命」の主題は『一人の偉大な人間革命は一国の宿命転換を可能にし、やがて全人類の宿命転換をも可能にする』というものであったが、この一人とは池田大作自身のことを指していることは明らかであった。—————自己愛性パーソナリティ障害(妄想性障害、妄想型統合失調症)

 元学会幹部によるエピソードを書く。
「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら“久しぶりだな”と呟くエピソードがあります。池田大作は七百年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる、きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢四百年だったそうです」——————自己愛性パーソナリティ障害(妄想性障害、妄想型統合失調症)

「池田氏はよく会員の前でピアノを弾くが、これも鍵盤を叩くだけで、実際には自動演奏のピアノだったり、うしろからメロディーを流しているのだそうだ。それでも女子部員たちは感激で、涙、涙なのだという」—————自己愛性パーソナリティ障害(妄想性障害、妄想型統合失調症)

 池田は「私の側にくると福運がつく」「私と感応しなければ成仏できない」「私のあげたものには福運がある」等々と述べ、およそさまざまな機会に、自分を本仏化するために演出してきました。(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p208)——————自己愛性パーソナリティ障害(妄想性障害、妄想型統合失調症)

「未だかつて、病気の人なんかで、僕の頭の中に入った人で、祈って死んだ人は一人もいないんだ。これは秘かに自負している」
「これは、ここだけの話にしてほしいのだが、私のお袋は八十一歳になるが、実は一度死んだんだ。葬式まんじゅうも用意して葬儀屋も手を打った。弔辞も全部用意した。私は久しぶりだったが足を運んだ。するとみんな泣いている。そこで私は初めて数珠を持って題目を唱えながら、もう死の直前のお袋の体じゅうをさすってあげた。足も全部冷たくなっていた。———中略———すると六月末に死ぬのが、死ななくなってねー。二千個の葬式まんじゅうも腐っちゃったんだ。医者も、もう一度医学を始めから始めると言っていた」(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p252-3)——————自己愛性パーソナリティ障害(妄想性障害、妄想型統合失調症)

 池田大作は会長就任後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p80)—————自己愛性パーソナリティ障害(妄想性障害、妄想型統合失調症)と妄想性パーソナリティ障害

 昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十億円余りを集め、その直後に都内品川区妙光寺に於いて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p81)—————妄想性パーソナリティ障害

 池田大作には「若き日の日記」の原本となる予定だった「大学ノート事件」がある。これは山崎正友氏が暴露していることである。(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004:p19)その内容を要約して書く。
『池田大作は「若き日の日記」の原本となる予定の会長就任までの日々を大学ノートに綿密に記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。
 北条浩ら首脳中の首脳はそれを見せられて、これは出版するべきではないことを強く諫言した。そのノートの内容が、あまりにも悪口や怨念、そして完全な狂気に満ちていたからである。それを公表することは創価学会の完全な自殺行為になるからであった。特に、小泉隆、和泉美代、辻武寿、竜年光ら先輩幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。そのため「若き日の日記」は原本とは全く異なるものとなった。
 池田大作を美化し、戸田城聖氏の後継者として正当付け、そして「私(池田大作)が若い頃、戸田先生に献身的に仕えたように、お前たち(最高幹部たち)も献身的に私(池田大作)に仕えよ!」ということに終始したものとなった。』—————妄想性パーソナリティ障害

【考察】
 自己愛性パーソナリティ障害は母親の過保護と父親の不在が原因とされている。池田大作の幼少時代、少年時代にはたしかにそれがあったらしい。
 原島嵩氏は池田大作が「慢心のかたまり」と書いてあるが、これは「慢心」を超え「妄想」と思われる。これは自己愛性パーソナリティ障害または妄想性障害、さらに妄想型統合失調症(軽症)も考えられる。
 池田大作が自分が末法の本仏であると主張し、総本山より独立する計画を立てたことは有名である。これはやはり自己愛性パーソナリティ障害または妄想性障害、さらに妄想型統合失調症(軽症)も考えられる。
 また、原島嵩氏は「やはり根底にあるのは池田のコンプレックスでしょう。例えば、彼の学歴は富士短大中退です。しかし、二十年近く経ってから、卒論を桐村という教学部の幹部に書かせてまで卒業しました。幹部には東大卒や早慶卒なども多いのですが、彼らを前にして“お前たち、馬鹿だろう”などと言っては“はい”と答えさせ、悦に入っていました。最高学府を出た人たちをひれ伏させることに彼は喜びを感じるわけです」と書いている。これは単純に考えると自己愛性パーソナリティ障害および妄想性障害である。しかし、強い人格破綻と取られるものが見られる。人格破綻ならば妄想型統合失調症(軽症)である。
 原島嵩氏は「池田大作は人を信じることができない。猜疑心のかたまりである」と書いている。これは妄想性パーソナリティ障害である。 
 日本共産党との十年協定は池田大作の独断とされる。妄想性パーソナリティ障害の人は交渉や政治的駆け引きに長けていることが多い。
 戸田城聖氏との出会いをドラマチックに変えていることは、自己愛性パーソナリティ障害である。
 乙骨正生氏は「彼特有の他人や敵への異常な攻撃性というのは、持って生まれた性格のほかに自身の極貧、病弱体質、能力の凡庸さへのコンプレックスからくる世間への怨念が影響していると思います」と書いている。「他人や敵への異常な攻撃性」は妄想性パーソナリティ障害または妄想性障害である。
 池田大作は八体の板御本尊を業者に依頼して勝手に作っている。入仏式は池田大作自身が行っている。これは御本尊模刻事件として有名であり、第一次宗門戦争の大きな理由となった。ここにも自身が日蓮大聖人と同等またはそれ以上という「妄想」が見られる。妄想性障害または妄想型統合失調症(軽症)も考えられる。
(山崎正友:創価学会と「水滸会記録」:第三書館)の大学ノートは妄想的な内容に満ちていたらしい。「悪口や怨念が綿々と綴られていた」ことは強い嫉妬心、猜疑心を意味する。軽症の統合失調症の患者のノートも妄想的な内容に満ちていることがほとんどである。軽症でなく中等症となると、その内容は妄想的のみでなく支離滅裂になり、内容を把握することが困難になることが一般である。 
 この「大学ノート事件」より池田大作はやはり妄想性パーソナリティ障害または妄想性障害または妄想型統合失調症(軽症)であったと診断することが正しいと思われる。そのノートが現存していれば、池田大作が単なる妄想性パーソナリティ障害に留まるものであったか、妄想性パーソナリティ障害を超え妄想性障害であったか、もしくは妄想性障害を超え軽症の統合失調症であったと診断することも可能となる。新興宗教の教祖は妄想型統合失調症(高橋信次など)であることが非常に多い。
 訂正可能な「限局的な軽度の妄想」に留まっているならば妄想性パーソナリティ障害となるが、「高度に体系化された訂正不能な妄想」が見られるなら妄想性障害や軽症の統合失調症(妄想型統合失調症)となる。
 なお、一般的なパーソナリティ障害全般に言えることであるが、パーソナリティ障害は病と言うより性格が偏っている、偏りすぎている、つまり性格が異常なだけであり、精神疾患ではないため、薬物療法はほとんど功を奏さず、治療はかなりの困難が伴う。匙を投げている医者も多く、パーソナリティ障害は受けない病院も多い。生半可な覚悟では治せない。そして治すことが出来るのは本人だけである。本人の治そうという強い情熱のみである。しかし極めて強い情熱があっても治すことは困難を極める。
 この性格の偏りは個性と言うことが出来る。その個性を矯正することは不可能に近いことである。個性を矯正するよりも、その個性のまま努力して(非常に強い努力が必要な場合が多いが)社会に適応してゆくことが重要なことである。

【最後に】
 日蓮大聖人の信仰は「気宇壮大」になる傾向がある。これは日蓮大聖人の信仰を行った者にしか解らないかもしれない。創価学会の折伏大行進の時、精神病院に緊急入院する患者は全て気宇壮大(軽い躁状態とも言えよう)になっていた。気宇壮大になるという特殊性を考慮しなければならない。
 気宇壮大になると、万能感、自分は選ばれた人間だ、という思いに満ち溢れる。このために精神障害と診断された創価学会員は多かった。しかし、最近は勤行唱題が熱烈には行われなくなった故か、万能感などに満ち、精神障害と診断される創価学会員は非常に少なくなった。
 池田大作の自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害、および妄想性障害、妄想型統合失調症(軽症)は創価学会の信仰故に気宇壮大となり誘発されたものと思われる。

 池田大作は巨大な宗教団体である創価学会のトップに立ち、その軽症の妄想型統合失調症が却ってカリスマ性を与え、五十年もの間、巨大な指導者として君臨してきた。著作・講演内容はすべて彼のゴーストライター軍団によるものであった。
 彼には学歴のない劣等感、本を書けない劣等感が常につきまとっていた。その劣等感が彼をいじけさせ、手当たり次第の女性信者への手つき、むやみに威張り散らすことに繋がっていたと思われる(また、これはやはり妄想に基づいた人格破綻を彷彿とさせる)。
 最近、インターネットの動画サイトyoutube に掲載される彼の支離滅裂な言動、頻繁な脱線、それは妄想型統合失調症(軽症)を示すものである。
 東大生を前に「お前たち、馬鹿だろう」と言って悦に入ること、秋谷会長に踊れと命じたこと、北条会長に辛子を山盛りにかけたうどんを食べさせたこと、メロンの頻繁な下げ渡し、それらは人格破綻を示し、彼が妄想型統合失調症(軽症)であることを証明する。一つの巨大な宗教団体のトップにあるため、それが傲慢と曲解され、妄想・人格破綻が見逃されていた特異な症例と思われる。

 創価学会員は軽症の妄想型統合失調症者を神様のように崇めてきたことになる。

【後書き】
 私見ではあるが、放置されている統合失調症の患者は多い。とくに暴力団員に多く、次に競馬、競輪、競艇などの賭け事を行う場に多い。また、奇人・変人と思われている人達にも多く存在すると思われる。彼らはハロペリドール2mg/day を投与すると借りてきた猫のように大人しくなる。それを筆者は潜在性統合失調症と名付けている。各国より勲章などを買い漁る池田大作、文鮮明、金日成およびスターリン、ヒットラーたちは潜在性統合失調症と思われる。

                 (完)


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   眠った人々(創価学会に退会届を出さずに法華講に入れる)

 創価学会の壮年部、男子部には信仰する気を無くし、勤行唱題・学会活動を全く行わない人々が多く存在する。これらを眠った人々と言う。
 彼らは池田大作の本性を見抜いた人々である。しかし、婦人が熱烈な池田教の信者であることがほとんどであり、日蓮正宗法華講に入ることができない。女性は洞察力が弱く、池田大作の本性を見抜くことは少ない。
 自分は創価学会に退会届を出さずに日蓮正宗法華講に入った。
 女房の一族が狂信的な池田教の信者であるため退会届は出されない。出すことはイクオール一家離散である。
 自分は創価学会に退会届を出さずに日蓮正宗法華講に入れることを知らずに3年間、創価学会改革派のまま過ごした(1年間は完全に眠っていた)。
 自分のような壮年部、男子部がたくさん居ると思い、インターネットを使って、創価学会に退会届を出さずに日蓮正宗法華講に入れることを知らせようとした。
 すると反対のメールが日蓮正宗法華講員と名乗る人から幾つも来た。
 このことを知られると10万人ぐらいの壮年部、男子部が一挙に日蓮正宗法華講に雪崩れ込むから、それを防ぐための創価学会の日蓮正宗法華講に成りすましからの反対のメールだと考えた。
 創価学会なら日蓮正宗法華講に成りすます人間がたくさん居ると考えた。過去のスパイ事件を考えてもそうだった。
 しかし、次第に、お寺によって、御住職の考えによって、創価学会に退会届を出さずに日蓮正宗法華講に入れるらしいと考えるようになった。
 創価学会の名簿は幽霊会員がほとんどの適当な名簿である。日本共産党の幹部もキリスト教の牧師も創価学会の名簿に入っている。退会届を出さない限り、永遠に創価学会の名簿に載り続けるのである。死んでも解らないから載り続ける。実際の創価学会員の十倍近くが幽霊会員である。選挙の時のためにこの名簿を使っているらしい。
 25年前、退会届のことを知っている人はまず居なかった。だから、みんな、退会届を出さずに創価学会を辞めて行っていた。彼らは皆、未だに創価学会の名簿に残っている。
 創価学会に退会届を出さずに日蓮正宗法華講に入れる寺院、御住職が増えることを願う。
 自分は「何故、創価学会に退会届けを出さなければ、日蓮正宗法華講に入れないことが多いのか」全く理解できない。仏法は慈悲ではないのか?
 また、そうならないと、創価学会を辞めたくても家庭の都合上、辞められない人が可哀相である。彼らは日蓮正宗法華講で信仰をしたくて堪らないのである。創価学会が、池田大作が、大嫌いなのである。また、“魔”の御本尊が厭なのである。“魔”の御本尊が怖いのである。
 創価学会に退会届を出さずに日蓮正宗法華講に入れる寺院、御住職が増えると、広宣流布は一歩大きく前進すると思う。

『これは最近あったことですけども、法華講に入講した方の処に、学会員が複数でやって来て、「学会を辞めるなら退会届を書いてください」と言って書かせるんです。そして「もう一枚お願いします」と言って、続けて二枚書かせるのです。
本人は「退会するには二枚書類が必要なのかな」と思って「退会届」を二枚書いたつもりなんですが、実はそのうちの一枚は「脱講届」だったというわけです。そういう事件がありました。』
(妙教 平成二十二年7月号 69頁)

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 創価学会の没落

 以前は、生きている一瞬一瞬が歓喜になるという歓喜が創価学会にも有った。それが無くなったのは何時からだろう。創価学会製の御本尊の配布とともに消えていったような気がする。
 この歓喜は何なんだ!という歓喜が以前はあった。これも創価学会製の御本尊の配布とともに少しずつ消えていったような気がする。
 創価学会は元気にはなるが、同時に不思議なほどの悪いことが起こっていた。
 日蓮正宗に移ってからは元気になっても悪いことは起こらなくなった。創価学会に憑いていた悪鬼のために悪いことが同時に起こっていたのだと解釈している。

 平成5年から配布された創価学会製の御本尊に祈っても歓喜は少ししか湧かない。ほとんど湧かないと言っても良いであろう。全く湧かないと言っても良いかも知れない。ただ、勤行をした、唱題をした、という満足感が湧くのみである。
 創価学会は創価学会製の御本尊の配布とともに活力を失ってきている。以前は喧しいほどの活力があった。選挙の投票数は自民党などとの関連があり、あまり当てにならないらしい。しかし、その投票数も確実に減ってきている。創価学会は折伏を実質上中止し、選挙至上主義になっているにも拘わらず、この得票数である。現在の創価学会員は選挙のためだけに信仰をしていると言っても過言ではない。選挙のため、友好活動を重要視している。友好活動のため折伏する暇はない。

 平成5年の午前1時、自分の通う寺院の玄関を蹴破り、乱入してきた男子部たちが居たが、今や、その活力は創価学会には存在しない。選挙至上主義で社会に溶け込み、友好活動に没頭している。選挙で1票取るのも、一人折伏するのも同じ功徳があると平然と言われている。

 日蓮正宗の御本尊は大石寺の大御本尊に繋がる。創価学会製の御本尊はどこに繋がるのだろう。創価学会本部の御本尊にだろうか?
 今や、創価学会員は勤行唱題を長時間する人は極めて少なくなってきている。創価学会製の御本尊に祈っても歓喜がほとんど湧かないからだ。それに比べて、創価学会製の御本尊に替えなく、日達上人の御本尊のままの人は、勤行唱題すると歓喜が湧くため以前のように長時間、勤行唱題を行っていることが多いようだ。

 このまま創価学会製の御本尊しか会員に渡さなければ、創価学会は更に活力を失ってゆく。
 創価学会の再生には宗門と縒りを戻すほかに方法はない。宗門と縒りを戻せなかったら衰亡の道しか残されていない。

  完

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 「厳しい現実を元気に生き抜く」

                             不思議な元気になる信仰


 00さん。今朝、「ヤフーの知恵袋」であなたの質問を見て答えましたが、非常に引っかかって居るのがありますので再び書きます。ここは職場でインターネットはありません。
 今から3日3晩の当直ですから帰る月曜の朝にはもう質問は閉じているかも知れません。閉じていたら、自分からあなた宛に質問することになりますが、すみません。
 あなたは創価学会から日蓮正宗、そしてスピリチュアルへと渡り歩いているそうですが、自分によく似ています。自分も小さい頃から創価学会でしたが“魔”の御本尊、池田太作などの件で創価学会改革派に移りました。
 創価学会はおかしい、池田大作はおかしい、変えなければ、と思っている人は多いのです。でも改革派の人も大部分は改革不可能と判断して日蓮正宗に移っているようです。
 創価学会改革派は3年間しました。しかし創価学会改革派のときシルバーバーチを1年間しました。「外典を読め」という創価学会の指導が悪いのだと創価学会の責任にします。自分は創価学会というか池田大作の同時放送での横暴な姿と言動に厭気がさしてスピリチュアルに走ったのでした。
 創価学会改革派では家庭崩壊する、しかし、シルバーバーチなら女房も許してくれる、家庭崩壊までには至らない、変なことを始めたぐらいしか思わない、という打算があったのです。そして自分は元気がなくなるシルバーバーチへの道を選んだのでした。家庭崩壊だけは避けようと思ったのです。創価学会改革派は限りなく日蓮正宗に近いものです。
 スピリチュアルはほとんどあらゆる本を読みましたが、シルバーバーチ以外は信じられませんでした。しかし、シルバーバーチは信じられました。そしてシルバーバーチの日本の拠点である「心の道場」に連絡を取り、そこからニューズレターという3ヶ月に一度発刊されるのを全て取り寄せ(これは取り寄せなくともインターネットで全て読めます)シルバーバーチに凝りました。丸1年間、シルバーバーチに凝りました。シルバーバーチのお祈りも毎日熱心にしていました。その贖罪のためにこれを書いています。
 しかし、シルバーバーチには力がないことが分かりました。そのために創価学会改革派に戻りました。理論的には疑うことの無いほど完璧ですが力がありません。創価学会改革派のように元気が湧いてきません。「厳しい現実を元気に生き抜く」力が湧いてきません。もう一度書きます。「厳しい現実を元気に生き抜く」力が湧いてきません。一日一日に喜びがあまりありません。明るくなれません。挫け果てた自分になってしまいます。そうして自分は創価学会改革派に戻りました。文証、理証より現証です。
 創価学会改革派では元気が湧いてきます。怖いものがなくなります。明日を思い煩うことがなくなります。悲しみも喜びに変わります(これは決して大袈裟ではありません)。
 つまり自分は元気になるから、この信心をしています。ところが、創価学会製の御本尊に対して勤行唱題してもあまり元気にならないので悩んでいました。日達上人の御本尊に勤行唱題したときは「生きている一瞬一瞬が歓喜となる」となっていました。
 創価学会の邪宗化は池田大作が会長になったときから少しづつ始まっていると思っていますが、創価学会が邪宗化する以前、社会の底辺で苦しんでいた人々に生きる力と勇気を与えてきたのは創価学会でした。それが折伏大行進の時代でした。
 折伏大行進の時代は、現在、顕正会が激しすぎる折伏をしていると言われていますが、その比ではありませんでした。池田太作(池田大作の生まれながらの名は池田太作。27歳頃、変名した)も5時間粘られて根負けして入信したのです。「人間革命」に書かれていることは創作です。
 Youtube に昭和32年の創価学会の折伏の映像が載っていましたが驚きます。もの凄く激しい邪宗排撃です。恐喝・恫喝の連続です。今なら警察沙汰になると思います。その頃は自分の知っている人も折伏折伏で勤行する暇が無くて歩きながら勤行していたそうです。
 00さんは日蓮正宗が他宗をあまりに悪く言うのに厭気がさしてスピリチュアルに移ったとのことですが、創価学会も他宗をもの凄く悪く言います。顕正会も同じです。創価学会と顕正会は日蓮正宗から派生したものです。ですから創価学会、顕正会、日蓮正宗、すべて教義は同じです。創価学会が他宗排撃が激しくないように見えたのは「選挙」のためのカモフラージュです。
「この信心しても他の信心しても同じ」と言うならその宗教の存在価値がないと思う、というのは極論でしょうか?
 ただ創価学会は「選挙のため」他宗を悪く言うことを現在、控えるようになっています。第一、折伏を実質上、中止して選挙のみに賭けているくらいです。「選挙のため」です。選挙がなかったら創価学会も他宗をもの凄く排撃し続けているはずです。
 日蓮正宗もそんなに他宗を悪く言いませんが、たまたま酷く悪く言う住職に当たったのでしょう。
 他宗を悪く言うのは他の宗教でも同じです。キリスト教、モルモン教、エホバの証人、イスラム教、みんなそうです。イスラム教の過激派は他宗の人間は殺して良いと言っているようです。スピリチュアルでも内紛が激しいです。スピリチュアル同士、派が異なると、悪口を怖ろしいほど言い合っています。
 日蓮大聖人は日本国民が不幸なのは間違った宗教をしているからだと他宗を酷く批判しました。それは日本国民を救うための慈悲から来たものでした。他宗を悪く言うのも他宗で不幸になっている人達を救うためです。他宗を悪く言うのは慈悲の行為なのです。
 キリストはユダヤ人でした。つまり代々ユダヤ教徒でしたが、ユダヤ教を酷く悪く言い続けました。そして磔の刑になったのです。
 そして00さんが入ったという「幸福の科学」も「創価学会ドラキュラ論」という本を書いています。自分、それを持っていますし、読みました。他にも創価学会を攻撃する本が書かれているかも知れません。おそらく数冊は書かれているはずです。創価学会が「幸福の科学」をかなり悪く言っていたことを覚えています。「幸福の科学」は他宗攻撃の本を多数書いているはずと思います。
 日蓮正宗、創価学会、顕正会より他宗を更に悪く言うのに不受不施派があります。日蓮大聖人の御遺文を極めて厳しく守っています。これは日蓮正宗の元である日蓮宗富士派から別れたものと思われます。不受不施派は現在、岡山県にお寺が一つだけありますが、江戸時代までお寺は一つもありませんでした。不受不施派に入ると必ず(かんぎょうしょ)を幕府に提出しなければ成らず、そのため遠島になっていました。仲間を喋らないよう、拷問を受けても耐えられるように日頃から厳し過ぎるほどの鍛錬を欠かさなかったと言われています。つまり日頃から拷問に耐える訓練を行っていたのです。もの凄いです。
 また、仲間を知らないようにするため、仲間を知ることはほとんど無かった、つまり先輩後輩3人ぐらいのグループで信仰をしていたと言うことである。その伝統は現在も受け継がれ、信者同士隔絶されており、同じお寺に属しながらも顔も名も知らないことがほとんどであると言われる。現在も、何故、信者同士を隔絶しなければいけないのか理解に苦しみます。

 二世三世の新しい創価学会員と違い、古い創価学会員は他宗をもの凄く悪く言います。「折伏経典」というのがあり、折伏大行進の時代はそれを片手に折伏して回っていたのですが、それには他宗をもの凄く悪く書いてあります。一度読まれると驚くと思います。ずっと前に廃版になっています。古い創価学会員の家にあるかもしれません。
 自分は今、日蓮正宗に属して信仰をしています。日蓮正宗が最も正しい、と判断したからでした。まだ、数ヶ月かしか経っていません。やはり、元気一杯になる、怖いものがなくなる、一日一日が歓喜に包まれる、となります。創価学会の頃と違って悪いことが起こりません。創価学会の頃は非常に悪いことが信じられないように次から次へと起こっていました。
 自分は日蓮正宗に対し、教義的にいろいろ疑問を持っていますが、信仰は理屈ではなくて「感性」と思っています。日蓮正宗と創価学会の教義は、創価学会は日蓮正宗から別れたものですから、ほとんど同じです。ただ、創価学会が自分に都合の良いように勝手に少しづつ変えています。
 自分の家族は熱烈な創価学会です。自分一人隠れて日蓮正宗の寺院に通っています。毎日の勤行は大石寺の方角に向かってしています。隠れながら勤行をしています。見つかったらヤバイです。隠れ日蓮正宗です。隠れキリシタンも厳しかったと思いますが、隠れ日蓮正宗もなかなか厳しいです。

 では。日蓮正宗に戻られることを祈ります。文証、理証より現証です。日蓮大聖人が元々、他宗排撃が非常に激しかったのです。だから、竜口の法難や佐渡流罪など様々な難に合われました。創価学会が他宗排撃が激しくないように見えたのは「選挙」のためのカモフラージュです。

 とても長くなりました。長すぎるので、どうしようかと迷っています。
         
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      創価学会に退会届を出さずとも日蓮正宗法華講へ入講できる

 創価学会は大石寺の大御本尊を偽物呼ばわりしている。これは古い学会員は知らないことが多い。大石寺への登山を行っていた古い学会員は知らないことが多い。インターネットから隔離されているからと「創価新報」を取っていないからである。年配の学会員は「創価新報」は取らないことが多い。またインターネットも行わないことがほとんどである。

 創価学会が昭和四十年代の創価学会から大きく変化していることを知らない古い学会員は多い。聖教新聞の第一面が毎日毎日、池田大作およびその家族を礼讃する記事で埋まっていることに不審を抱いている古い学会員は多いかも知れない。
 しかし古い学会員は高齢となり、近所の学会員の世話を受けて生活していることが多い。日常生活品の買い物を代行してもらっている年老いた学会員は多い(これは自分の両親のことでもある)。
 
 彼らは創価学会を脱会して日蓮正宗法華講に入ることは極めて困難である。高齢の学会員は、創価学会の変質、池田大作の悪を認識しても、創価学会を脱会して日蓮正宗法華講に入ることは極めて困難である。
 特に、狂信的な池田教の学会員は高齢者に対しても脱会届を出したことを知ると厭がらせを行うといわれている。
 そのためには脱会届を出さずに日蓮正宗法華講に入ることになるが、聖教新聞・大白蓮華を断ることが非常に難しい。

 日蓮正宗はそれらのことを考慮して、脱会届を出さずに日蓮正宗法華講に入れるように改正されたが、その改正が無かったようにすなわち「創価学会に退会届を出さない限り、法華講に入講できない」と数名のYahooの宗教カテの自称・法華講員が主張している。
「創価学会に退会届を出さずとも日蓮正宗法華講へ入講できる」ことが知れると、多数の壮年部、男子部などの創価学会員が雪崩を打ったように法華講に入ろうとするため(その数は数万から十万に達するだろう。不満を持っている壮年部、男子部は非常に多い。自分もまた、それを知らなかったため、不満分子として創価学会に留まっていた。もう一度書く。その数は数万から十万に達するだろう。不満を持っている壮年部、男子部は非常に多い。自分もまた、それを知らなかったため、不満分子として創価学会に留まっていた)、Yahooの宗教カテに於いて法華講員に成りすました創価学会員が複数でそれが知れるのを阻止しようとしているのではないかと以前から自分は疑っていた。または活動に参加していない故に知らない法華講員ということになる。
 今もその疑いは消えない。創価学会なら、そのような非常に手の込んだ大変なこともする。創価学会の過去のスパイ事件を考えると決して自分の疑いは間違いでもないことが分かるはずである。

 一度、創価学会に退会届を出し正式に退会し、日蓮正宗法華講に入講したにも拘わらず、再び創価学会に入会し直す人が多い。彼ら彼女らは「心」が創価学会から退会していなかったのである。
 名簿上は創価学会を退会しなくても「心」が退会していれば良いのではないか、と考えるのは極端であろうか? 
 創価学会の名簿は極めて適当なものである。自分が知っている範囲でも、日本共産党の幹部、キリスト教の牧師が名簿上、創価学会員である。退会届を出し正式に退会しないことには何時までも名簿上は創価学会員として残り続ける。それは幽霊会員と呼ばれる。把握されていないから死んでも名簿に名前は残り続ける。幽霊会員の数は正式な創価学会員の数の十倍近くに上る。様々な地区で名簿を見てきたが、十倍近くであった。形式よりも「心」を大切にするべきと自分は信じる。

 老人だけではない。たくさんの壮年部・男子部が創価学会を退会し、日蓮正宗法華講に入りたがっている。しかし彼らは様々なしがらみのため退会届を出すことができない。女房一族が非常に熱心な池田教信者であったりするためである。彼らに救済の道を開けることが必要である。それ故に日蓮正宗はそれらのことを考慮して、創価学会に脱会届を出さずとも日蓮正宗法華講に入講できるように改正された。

『これは最近あったことですけども、法華講に入講した方の処に、学会員が複数でやって来て、「学会を辞めるなら退会届を書いてください」と言って書かせるんです。そして「もう一枚お願いします」と言って、続けて二枚書かせるのです。本人は「退会するには二枚書類が必要なのかな」と思って「退会届」を二枚書いたつもりなんですが、実はそのうちの一枚は「脱講届」だったというわけです。そういう事件がありました。』
(妙教 平成二十二年7月号 69頁)
 これからもに「創価学会に退会届を出さずとも日蓮正宗法華講へ入講できる」ことは明らかである。妙教とは法華講が月一回発行する機関誌である。創価学会の大白連華にあたる。このように「創価学会に退会届を出さずとも日蓮正宗法華講へ入講できる」ことを法華講員が知らないことは奇妙なことなのである。Yahooの宗教カテに於ける創価学会の法華講員への成りすましの疑いは消えない。または活動に参加していない故に知らない法華講員がYahooの宗教カテに参加していることになる。


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創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(7)

創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(覚え書き)
                       創価学会内部改革派憂創同盟残党

 







創価学会には本尊がありません。
創価学会員は「自分の胸の中に御本尊があるのである。それに富士大石寺の大御本尊は偽物だ。富士大石寺の大御本尊は偽物であることを知らないのは時代遅れだ。池田先生は日蓮大聖人の再来なのだから池田先生が言っているのだから正しい」などと言いますが、現実に目を向けると、創価学会員はうつ病性障害などの精神障害が異常多発し、不登校、不良化も異常に激しく、原因不明の病気になるのは決まって創価学会員、などという問題に対処し切れていません。

ある懇意な副会長がうつ病性障害の異常多発を嘆いていました。この副会長はもの凄く良い人ですが、創価学会を離反することはしないようです。

>純粋な檀信徒を貶す発言は慎むべきす。
これが何を意味するのか解りません。

>悟りを開いてこそ信者とされるのです。
これなら小乗教と同じではないですか。日蓮大聖人の教えは民衆救済にあります。可哀相な人を救って行くことにあります。自分だけの悟りを開いて恍惚感に浸るのは小乗の考えである、不幸な一人一人を根幹から救って行くことこそが大事なのです。
富士大石寺以外の富士門流にはたしかに自分だけ悟りを開いたらそれで充分、という間違った考えを持った人達がいます。これは邪道に堕ちた人々というのです。日蓮大聖人の御精神は民衆救済、不幸な人を救って行くことにあります。自分だけ悟りを開いたらそれで充分、という間違った考えに陥るなら日本共産党の人達の方がずっと上ということになります。日本共産党のところには不幸な人を救うという理念に共鳴したお寺のお坊さんやキリスト教の牧師なども多数参加しています。

未だ、福祉の行き渡らない日本では老後の生活に苦しんでいる人などたくさん居ます。福祉が行き渡っていないアメリカでも同じです。苦しむ彼らを放って置いて悟りを開くことに熱中するなど麻原彰晃と同じです。そういう人達がたしかに富士門流にはたくさんいて、保田妙本寺のお寺の人も嘆いていました。保田妙本寺にも末端はその自分だけ救われたら満足という考えに満ちた人がたくさん居ると嘆かれていました。未だメール上の話で、保田妙本寺に行ったことはありません。

自分達だけ安穏であったら良いというのは日蓮大聖人の御精神から大きくかけ離れた考えで、大謗法になります。大謗法になることに彼らは気付いていないと保田妙本寺の僧侶の人は嘆かれていました。先祖代々日蓮正宗という人の中にそれらが多いと嘆かれていました。保田妙本寺も札幌に布教所を作ったにも拘わらず、行く人がおらず、富士大石寺から移ってきたばかりの鳥本氏という僧侶を派遣され、そして30人ほどの信者を獲得したことは有名な話です。

あなたも日蓮正宗にでも入って不幸な人達を救って行くことに命を賭けられたらどうでしょうか? 日蓮正宗法華講で不足なら妙観講という激しい折伏をするところがあります。その熱心さには頭が下がります。実際、自分の知っている人で、日蓮正宗法華講では不足で妙観講に入って活動している人がいます。妙観講は富士大石寺にしか有りませんから、その地区のお寺所属となって、そのお寺の折伏の先駆を切って行く人達が妙観講の人達です。
妙観講の人達の激しさは、昭和30年代の創価学会に相当するでしょう。

では。保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する、創価学会員は救われると確信するものです。


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 「パパは死なず!」
    3歳の娘へ、そして4歳半の息子へ       by 三船敏郎

 パパは夜ご飯も食べきれず早めに寝ていた時、3歳の娘から「パパ、お休みなさい。チュッ」と口づけされた翌日、“うつ病”と思っていたのは突然、治ったように思えたが、今日、土曜日、今までにないような倦怠感と目眩に襲われ、保田妙本寺の信徒としての気力で何とか午前中の診察をやり遂げた。午後は当直に入るから濃いコーヒーをたくさん飲んでいたら大丈夫だ。明日、日曜日の午前中の診察も濃いコーヒーをたくさん飲んで頑張ろう。
 “うつ病”なのか、他の内科的な病気なのか解らないが、パパは死なない。癌だったらここまで症状が進んだらもう助からない。「パパは死なず!」と保田妙本寺の信徒としての気力でパパは死なない。それに保田妙本寺の末法万年救護の大本尊が護って下さる。
 以前の“うつ病”のときと病状が異なる。これは“うつ病”ではない。内科的な病気だ。でも、保田妙本寺の信徒は死なない。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊は癌をも治してくれる。自分は保田妙本寺の信徒でもあり創価学会員でもあるようだ。でも創価学会は懐かしさが一杯あるが今は御本尊問題と池田大作のため信仰していない。そして「保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する、創価学会員は救われる」という強い信念がある。保田妙本寺を新しく創価学会の本山にするまで死ねない。300万人の可哀相な創価学会の信徒のために死ねない、死ぬわけにはいかない。這ってでも創価学会の原田会長の処まで「保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する、創価学会員は救われる、創価学会員は救われる」と訴えに行かなければならない。

http://sky.geocities.jp/mifune0008/
保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する、創価学会員は救われる
池田大作の死後、池田大作批判が起こらなければ創価学会は衰亡する
お餅姫、命!!

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〒160−8583
東京都新宿区信濃町32番地
宗教法人・創価学会
会長・原田稔 宛

         原田会長へ

                    創価学会内部改革派憂創同盟残党より

 保田妙本寺を本山とするべきと思います。正本堂御供養金返還運動の民音の松本氏の主張と同じかも知れません。富士大石寺は捏造の教団と昔から名高いことで有名だったそうです。富士大石寺の大御本尊が捏造であることはご存知のこととは思います。創価学会は富士大石寺から破門されて却って良かったのです。最近、S氏がデジタルアナライザーで富士大石寺の大御本尊が後世の捏造であることを証明されました。今までは遺文などからの推定でしかなかった富士大石寺の大御本尊が捏造であることが現代科学的に証明されたのです。それはインターネット上に載っています。未だ本にはなっていません。
 自分は幼い頃から創価学会員でしたが、4年前、突然、創価学会内部改革派憂創同盟と名乗りインターネット上で活動を始めました。“うつ病”で10年前から苦しんでいました。その苦しみの果てに同時放送での池田大作の余りもの横暴な振る舞いと言動に憤慨し「この野郎! 自分を何様と思っている!」と創価学会内部改革派憂創同盟を名乗り始めました。インターネットで創価学会内部改革派憂創同盟と名乗っての活動は3年近く続いたでしょう。それから“魔”の御本尊に祈ることができないために日蓮正宗法華講に家族に内緒で入りました。1年近く続きましたが、インターネットでS氏の論文を読み、日蓮正宗法華講も良くないと思い、保田妙本寺しかないとの思いで保田妙本寺の隠れ信徒になってから一ヶ月ほど経過します。
 しかし、保田妙本寺の隠れ信徒になってから6日後に“うつ病”が再燃しました。10年間苦しんできた“うつ病”は創価学会内部改革派憂創同盟を名乗り始めるとともに綺麗に消えていました。4年間、元気でした。創価学会内部改革派憂創同盟の3年間、日蓮正宗法華講の1年間、元気でした。それが再燃し現在、苦しい状態ですが、なんとかパソコンを前にしています。“うつ病”再燃は“魔”の所為と考えています。創価学会時代、10年間、“うつ病”と戦いながら生き抜いてきました。その頃、男子部のある人から「それは“魔”でも宿業でもない。使命なんだ!」と指導されました。しかし“うつ病”の酷い時、勤行唱題することは不可能でした。“うつ病”の軽い時は勤行唱題できました。日達上人の御本尊の前では“うつ病”が酷い時も苦もなく勤行唱題できることが不思議でした。スーッと軽やかにできるのです。実家の御本尊は日達上人の御本尊なのです。しかし、“うつ病”が酷い時は日寛上人の御本尊の前では全く勤行唱題できません。題目一遍唱えるだけでも大変です。不思議でした。

 創価学会は現在の日寛上人の御本尊では必ず衰退して行きます。力がないからです。ただ、勤行唱題したという満足感しか得られません。また、“うつ病”などの精神疾患の異常多発が全国的に見られています。これは原田会長も分かっておられると思います。
 新しく保田妙本寺を本山とするならば創価学会は再び発展して行きます。広宣流布も可能になります。今では夢空事と思える広宣流布も現実になります。
 広宣流布が為されるのは時間の問題だ、と思われていた昭和40年頃に戻ることができます。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊は凄い力のある御本尊です。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊を思い浮かべて勤行唱題すると分かります。もの凄く元気になります。
 日寛上人の御本尊を早く全国一斉に回収することです。これは創価学会員を救うためです。日寛上人の御本尊が“魔”の御本尊であることは原田会長は分かっておられると確信します。一時的に御本尊無しの遙拝勤行になりますが、創価学会員は保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に向かっての遙拝勤行の方がずっと元気が出る(歓喜が湧く)ことを直ぐに実感するはずです。これは今までの日寛上人の御本尊を否定することになりますから大変ですが、移行期ですから仕方のないことです。
 原田会長にとってこの決断は御自身が地獄へ堕ちるか天国へ行くかの分かれ道になる極めて重要な決断になります。また、300万人の創価学会員が地獄へ堕ちるか天国へ行くかの分かれ道になる極めて重要な決断になります。自分は原田会長を信じます。信じるからこれを書いているのです。信じないならば書きません。
 保田妙本寺の御尊氏はきっと創価学会の本山になってくれると信じます。300万人の創価学会員を見捨てられることはされないと確信します。慈悲深い御尊氏と確信します。

(補記)
 もう一度書きます。創価学会の再生のためには保田妙本寺を新しく本山とすることです。S氏のデジタルアナライザーでの研究および文献的研究を示し、富士大石寺の大御本尊が後世の捏造であることを聖教新聞、大百蓮華、創価新報で繰り返し詳しく説明すると、富士大石寺に流れる創価学会員は少ないでしょう。聖教新聞の大きな号外で詳しく示せば一般会員にも分かりやすいと思われます。
 今のままでは創価学会は衰退の道しか残されていません。昭和40年頃の熱気を取り戻すことが保田妙本寺を新しく本山とするとできると確信します。今のままでは勤行唱題しても歓喜は薄いですから創価学会員はあまり勤行唱題をしようとしないでいます。保田妙本寺を新しく本山にすると勤行唱題しての歓喜がもの凄いですから折伏大行進時代のあの燃えるような熱気を取り戻すことができます。
 池田大作が死ねば創価学会は滅んで行く、と言われていますが奇跡的に再生する方法が保田妙本寺を新しく本山とすることです。創価学会の牧口先生、戸田先生も間違われていたのです。保田妙本寺こそ正統に日蓮大聖人の御精神を連綿と受け継いできたのです。富士大石寺は昔から捏造教団と揶揄されてきていました。富士大石寺は捏造の歴史、捏造の寺であったのです。
 騙されながらも折伏大行進の時代には創価学会に日蓮大聖人の御精神が宿っていました。折伏大行進の時代、創価学会が大本山であり、奇跡的な病気の治癒などが起こっていたのです。しかし、折伏大行進の熱気が薄れて行くとともに日蓮大聖人の御精神は創価学会から次第に去ってゆきました。しかも池田大作という大魔神の出現により悪鬼が創価学会に怒濤の如く流れ込み、創価学会員に不幸なことが立て続けに起こるようになりました。それとともに折伏大行進は止みました。折伏大行進は言論問題とともに止んだことになっていますが、実際には池田大作という大悪鬼が悪鬼を創価学会に怒濤のように雪崩れ込ませ創価学会員に不幸が立て続けに起こるようになって折伏ができなくなり、自然と止んでしまったのです。
 保田妙本寺を本山とすると創価学会員に功徳が満ち溢れ、折伏が自然に進んでゆきます。折伏大行進のときのような仕事を投げ出しての努力無しに折伏がどんどん出来るようになります。創価学会がどんどん大きく成ってゆきます。そして夢空事と思われていた広宣流布が達成されます。民衆救済が現実のものになります。


(また、補記)
 また、書きます。これこそ最後です。
 創価学会が保田妙本寺を新しく本山とすると創価学会は蘇ります。昭和30年40年頃の創価学会に戻ります。あの熱烈な情熱に満ちた創価学会に戻ります。そして今度こそは広宣流布を達成できるでしょう。
 民衆救済が実現します。日蓮大聖人御遺名の民衆救済と広宣流布が実現します。
 人類の滅亡と繁栄を創価学会が握っているのです。
 池田大作批判は徹底的にしなければなりません。池田大作が創価学会を間違った方向へ引きずってきたのです。池田大作が書いたことになっている本は実際の作者名に変えなければなりません。
 池田大作の悪を徹底的に露呈し、創価学会から池田大作の名前を無くしてしまうのです。池田大作を神様のように慕っている創価学会員が余りにも多すぎます。池田大作は大魔神であった、池田大作は永久に無間地獄に堕ちた、と本部幹部会で大声で叫んで下さい。
 聖教新聞、大百蓮華、創価新報は池田大作批判で埋まるようにならないといけません。池田大作の影響をすべて創価学会から払拭することです。池田大作の悪を一つ残らず書きつらなければいけません。
 池田大作が大魔神であったことは創価学会中枢部の人ならみんな知っているはずです。原田会長は特に知っておられるはずです。大魔神に乗っ取られてきた創価学会の悲しい歴史を無知な末端の創価学会員に知らせて下さい。
 号外もたくさん必要と思います。「大魔神=永久に無間地獄に堕ちた池田大作」を創価学会員全員に納得させるべきです。池田大作は神様ではなく大魔神であり、悪鬼を怒濤のように創価学会に流れ込ませ、創価学会員を次々と不幸にしてきた、それ故に永久に無間地獄へ落ちたことを創価学会員全員に納得させるべきです。
 池田大作が創価学会に悪鬼を怒濤のように流れ込ませ、創価学会員に不幸が次々と起こるようになったこと、創価学会員が幸せになれなくなったこと、広宣流布を頓挫させたのは池田大作の醜い欲望であったことなどを創価学会員全員に納得させて下さい。

 では、宜しくお願いします。

ccc998@infoseek.jp
創価学会内部改革派憂創同盟改め保田妙本寺その名は三船敏郎

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   お萩姫へ(うつ病が再燃して苦しいです)

 お萩姫、僕、三船敏郎は“うつ病”が再燃して苦しいです。しかし、三船敏郎は負けません。10日前頃は保田妙本寺に移ったから“うつ病”が再燃したんだ、と思っていた時がありましたが、今は“魔”の所為と考えています。自分は多くの苦しむ創価学会員を救う道を見付けたのです。それは創価学会が保田妙本寺を本山と仰ぐことです。保田妙本寺の御尊氏はきっと250万人の創価学会員を見捨てになさることはないと思います。問題は創価学会の首脳陣です。池田大作はもう死んだも同然です。創価学会の首脳陣に人の心が有るか無いかの問題です。自分は有ると信じています。
 創価学会が保田妙本寺を本山と仰ぐと、250万人の創価学会員が救われるため、“魔”が必死になって、それを押し止めようとしているのだと考えています。
 宗教は毒にも薬にもなります。池田大作時代、創価学会は毒の方が多かったと言わざるを得ません。創価学会員が創価学会被害者のほとんどであり、一般人は少ししか被害を受けていません。
 創価学会の信仰により人生を棒に振った人は何万人、何十万人にも上ります。百万人に達するかも知れません。そのほとんど全てが創価学会員です。夜逃げ、一家離散、病気、事故、多いです。自分も実際に幾つも見て来ました。創価被害者とは創価学会員がほとんどと言えると思います。
 これは池田大作が創価学会に流れ込ませた無数の悪鬼(すなわち“魔”)の所為と創価学会内部改革派憂創同盟は考えていました。自分もそのように考えています。創価学会内部改革派憂創同盟というものが今から15年前から25年前ほどに存在していました。本を一冊、出版しましたが、それきりになりました。自分は電話でその中心部の人と話をしたことがあります。しかし、自分は入るのを躊躇してしまいました。以来、自分は創価学会の信仰と活動にのめり込みました。創価学会の信仰と活動に心の支えがあったからです。どんな厳しい状況にも負けませんでした。しかし、悪いことが起こり過ぎました。それでも疑いの心を起こすことは少なかったです。疑いの心をグッと押さえ込んでいました。創価学会員は多いため、孤独に陥ることがその為に極少なかったと思います。道を歩けば創価学会員と会っていました。自動車事故を起こした時も相手は創価学会員でした。男子部時代、当直でない時は毎晩、学会活動で楽しかったです。そして怒られても貶されても元気一杯でした。でも、たしかに悪いことが起こり過ぎていました。

 本題に入るのを忘れていました。「何故、宗教をするの? 宗教に拘るの?」だったと思います。ここは病院の医局に一人きりでインターネットはありません。
 僕は大学一年生の頃、日本共産党である民青(日本共産党の青年の組織)のアジトに良く折伏に行っていました。神風特攻隊です。生きて還れない、と注意されることもありました。その頃、自分は熱心すぎると言われるほど熱心に信仰をしていました。しかし、命を賭けて信じているのは御本尊様と日蓮大聖人様であって、池田大作は軽く思っていました。選挙のことは全く念頭にありませんでした。すでにその頃から創価学会内部改革派の精神に同調する処があったようです。
 民青のアジトに良く折伏に来る自分を負かそうと日本共産党の大幹部の人が来ました。そして言いました。
「人のために生きるか、自分のために生きるかだ。」
 全く同じではないか、と思いました。僕は言いました。
「経済的に平等になっても人は幸せになれない。人の幸せは仏になることにある。創価学会すなわち日蓮正宗の信仰をすると、生きている一瞬一瞬が歓喜となる。これはやってみた人でないと分からない。貧しくとも苦しくとも歓喜の日々を送れるようになる。打ちひしがれているはずの人が歓喜の中で生きているのが創価学会であり日蓮正宗である。
 社会の底辺に喘いでいる人達を救うのが我々、創価学会であり日蓮正宗であります。」
 日本共産党の大幹部の人は言いました。
「全く同じではないか。」
「大聖人様は民衆救済のために立たれました。日本は当時は貧しい国でした。民衆は皆、飢えていました。そこに決然と一人、民衆救済のために立たれたのです。不幸な人を日本国から無くすという決意で法華経の進化した妙法蓮華経を弘め始められたのです。不幸な人を物質からではなく魂から救おうと為されたのです。物質からだけでは救えません。魂から救わなければなりません。」
「僕は昨日、本屋さんで、インドの北西地方・チベットで修行して飛べるようになったという人の本を読みました。四冊有りました。(注:麻原彰晃の本である。20年前にすでに四冊発行されていた)立ち読みして読みました。
 でも、その人は浮くことができるまでしかできなく、飛べません。チベット地方へ行ったら、そこは法華経が生まれた地方ですから、今も法華経の修行者が沢山います。チベット地方に行くと驚かれると思いますが、空を飛んでいる人がたくさん居ます。浮くだけではないのです。空を飛べるようになるのが法華経なのです。
 あそこは治安が悪く、現在、半分戦争状態にあると聞きますが、彼ら法華経の修行者はミサイルを避けながら飛ぶことができるのです。ですから彼らは太平洋戦争の零戦以上に恐れられています。
 南無妙法蓮華経と唱えれば妙法蓮華経は法華経の進化したものですから簡単に空を飛べます。僕は昨夜、御本尊の前で南無妙法蓮華経と唱えて金星まで行ってきました。
 南無妙法蓮華経と唱えれば目の前のおはぎがお餅に変わります。ウンコのようなものが美味しく白いお餅に変わるのです。そして、アンコで手が汚れなくても食べられるようになります。アンコはウンコの従姉と思われます。ウンコの進化したものがアンコと思われます。アンコはウンコのようでばばっちい(注:汚い、という意味。九州の方言と思われます)です。
 アンコとウンコは姉妹なのです。南無妙法蓮華経と唱えるとウンコがアンコに変わります。
 民青のアジトには「貧しい人達を救う」という理念に共鳴したキリスト教の牧師やお寺のお坊さんまで来ていたが、いつも僕の博識さに感嘆の声を漏らすのでした。
——そうして話はいつも平行線を辿るのでした。キリスト教の牧師やお寺のお坊さんはなかなか創価学会に入らないのでした。

 では、この辺で。  By 三船敏郎
(お萩姫、一昨日、ハシゴから落ちて頭を打って意識を失ったから今、少しボーッとしています。でも今日は身体は元気で“うつ病”は飛んでいったようです。お餅姫、命!!)

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    gaja_songさんへ(とってもとっても心美しかったgaja_songさんへ)

 gaja_songさんが余りにも心美しかったため、創価学会のために自ら犠牲になり、はかなく太平洋戦争末期の零戦のように、また、桜の花びらのように、美しく散っていってから、どのくらい経つかなあと思います。
 僕は創価学会員を救う方法を見付けました。10日ほど前から“うつ病”再燃のようになっていますが、今は心楽しいです。元気だった創価学会の頃に帰った気分になっているからかなあ、と思います。

 創価学会は新しく保田妙本寺を本山とすることです。富士大石寺の大御本尊は後世の捏造ではないかと強く疑われてきましたが、文献的な範囲を超えることができない強い疑惑でした。それがS氏によりデジタルアナライザーで精密に分析され疑惑が本当であることが現代科学的に証明されました。インターネット上に載っています。未だ本は出版されていません。検索するキーワードは「大御本尊、疑惑、デジタルアナライザー」で良いと思います。本が出版されたら富士大石寺は滅亡するでしょう。
 自分は保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に向かって遙拝勤行をしています。でも、最近は“うつ病”再燃のため、勤行唱題できないことが多いです。でも、以前もでしたが、“うつ病”のときもインターネットはできるのです。これは他の“うつ病”の人も同じように言っていました。
 
 でも、パソコンの前と布団を往復することだけであることが多いです。仕事は当直の仕事ですから、何事か起こらない限り寝ていても大丈夫です。でも今、こうやってパソコンに向かっています。
 “うつ病”でも何事か起きたら20分くらいは仕事はできます。でも、20分を過ぎると胸の辺りがピ−コーピーコーと鳴ってきます。ピーコーピーコーと鳴っても2時間ぐらい急患で仕事をすることがありますが、途中から記憶が飛んでいます。胸の辺りのピーコーピーコーは意識がなくなるという警告であるようです。後日にカルテを読んでびっくりするのが常です。しかし、診断・治療・投薬は神憑りなほど的確なのです。記憶がない時に仕事をする方が遙かに良いなと思います。記憶がある時の僕は駄目だなと思います。
 最近はほとんど“うつ病”が治っていたので、こういうことが無くなっていましたが、また起こるようになりました。
 
 四歳半になる息子は「パパは布団の中かパソコンの前か、どっちかだ。」と何処にも連れて行かない僕を非難しますが、子供を遊びに連れて行くことは確かに大変です。10日前に再燃しましたが、その前もずっと弱いながらも“うつ病”が続いていたと考えるのが正しいようです。“うつ病”再燃のため平衡感覚が非常に低下しており、一昨日、車庫の照明器具を取り付けていた時、落っこちました。意識消失し、頭から足まで血だらけでしたが「三船は死なず!」と起き上がりました。集まってきた近所の人はびっくりしていました。病院へは行っていません。僕には保田妙本寺の末法万年救護の大本尊が護ってくれるからです。でも、体中は傷とアザだらけです。少し頭がボーッとしています。

 保田妙本寺の末法万年救護の大本尊は学術的にも日蓮大聖人御真筆で間違いないと言われており、重要文化財にも指定されています。何処の宗派も疑義を差し挟むことのできないものです。富士大石寺の第四世は日道上人になっていますが、実際は日郷上人が第四世であることが文献上も確かめられています。日道上人は盗人上人なのです。これは日顕にも言えるのではないかと思われます。
 日郷上人が末法万年救護の大本尊などの重要な物を持って日蓮大聖人がお生まれになった千葉県に保田妙本寺を開かれ、現在に至っています。「地湧」か「フェイク」に富士大石寺の悪口がいろいろ書かれてありますが、大袈裟ではあるものの半分本当のようです。

 原田会長に「保田妙本寺を新しく本山にすると創価学会は蘇生する、創価学会員は救われる」とメールを送ろうと思っています。手紙にするのはしんどいです(しんどい=きつい、面倒という意味)。
 保田妙本寺が本山になると創価学会員は幸せになれます。そして創価学会は発展し、広宣流布・民衆救済も可能となると信じます。日蓮大聖人の御精神は民衆救済にあられました。不幸な民衆を救いたいというのが日蓮大聖人の強い思いでありました。そのために大苦難の人生を送られたのです。我々、末法の民衆のために。だから我々は日蓮大聖人の大慈悲に答えるべく広宣流布を完遂していかなければならないのです。

 では、この辺で。   By 三船敏郎

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【研究と報告】
       池田大作に信仰心はない*

                      創価学会内部改革派憂創同盟残党**

【はじめに】
 宗教はビジネスだーーーこれは池田大作の持論です。池田大作が勤行唱題をしないことは月刊ペン事件の裁判の内容をよく読むと分かることです。また、かね婦人が戸田先生に「主人が勤行をしないんです」と訴えたことも有名である。
 鋭い大幹部はこのことに気付いている。しかし反旗を翻せば年間3千万ほどの高収入が無くなる。気付いている大幹部も信仰心が欠如しているのであろう。もしくは反乱の時期を待っているのか?
 ここで大きな疑問があるが、何故、戸田先生は勤行唱題をしない池田大作を重く用いたのか? 戸田先生の事業の崩壊を食い止めたのは池田大作であった。それを恩に着ていたのか? 戸田先生はアルコール中毒のなれの果てで亡くなった。正しい判断が昭和27年頃からはできなくなっていたのか? 
 創価学会が昭和20年の後半および昭和30年の前半、急速度で発展したのは日蓮正宗の信仰に凄い力があったからである。他の宗教とは比べものにならないもの凄い力があったからである。それは日蓮正宗の御本尊の前に座ってみると分かるものだ。霊感の強い人は強く分かる。霊感の鈍い人はあまり分からない。
 戸田先生の功績でも、池田大作の功績でも全くない。創価学会の大発展は、日蓮正宗がもの凄く力のある宗教団体だったからである。
 戸田先生は地方の講演のときもアルコールを飲みながら講演していたという証言が余りにも多い。
 池田大作が王宮貴族以上の女遊びに耽っていたのは仏法を信じていなかったからである。仏法を信じていたならば、そういうことを行っていたならば、死後、地獄に堕ちる故に、そんなことは行わない。
 御本尊を幹部会の時、不潔に扱ったことも、御本尊を敬っていなかったからだ。御本尊を勝手に八体彫刻させたのも信仰心がなかったからだ。

 池田大作は入信当初は肺結核を治したい一心で真面目に信仰していたようであるが、昭和26年頃に信仰心を失ったらしい。そして創価学会はこれから大きく発展する、その会長になろう、と考えたらしい。それは、かね婦人が「夫が勤行をしないんです」と戸田先生に話したことから考えられる。そして勤行しないのは「自分は特別だから」と答えたのは、自分が大聖人の生まれ変わり、または、それ以上の存在という妄想を持っていたからであろう。池田大作の退転は肺結核が小康状態になった時と推定される。軽症の妄想型統合失調症に罹患したのも、その頃と推定される。
 池田大作の口癖だった「天下を取ろう!」と言っていた時はすでに軽症の妄想型統合失調症に罹患していた。未だ研究されていない領域であるが、軽症の妄想型統合失調症は多い。彼らは薬を飲まなくとも老年期までは何とか社会生活を送れている。しかし老年期になると高頻度で統合失調症様状態を起こし、精神科を受診せざるを得なくなっているようだ。池田大作が最近、同時放送に出席しないのは統合失調症様状態を起こしているためである可能性は高いと筆者は見ている。これは分裂病型人格障害、分裂病質人格障害のような人格障害とは関係ないと考えている。
 
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【研究と報告】

   日目上人の生まれ変わりという誇大妄想を持つ入院歴48年に達する一症例*

                                       創価学会内部改革派憂創同盟残党**

【key words】Soka-gakkai、Schizophrenia paranoid type、Delusion

【始めに】
 創価学会は昭和25年頃から折伏(布教のこと)を盛んに行い、日本各地で社会問題となるほどの激しい布教を展開した。それは昭和45年に言論出版問題が起こり、当時の創価学会会長であった池田大作が強引な折伏の中止を宣言するまで続いた。これを折伏大行進と創価学会では言う。
 昭和35年頃から、精神病院に急性精神病状態で入院してくる創価学会員が現れ、その数は急激に多くなった。その頃の精神科医で創価学会員が急性精神病状態で緊急入院してくるのを経験しなかった者はいないと言われるほどである。ほとんど全てが燥的状態で入院してきた。これは昭和45年に言論出版問題が起こるまでは非常に多かったが、それ以降は少なくなった。これは強引な折伏の中止と熱烈な勤行唱題(お祈り)があまり行われなくなったためと思われる。
 大部分は1ヶ月ほどの短期精神病性障害で収まり、外来通院または長期入院に移行した者は少なかった。しかし一部は外来通院または長期入院に移行した。
 症例は長期入院となった一部の例である。症例は「広宣流布の暁には必ず再生して広宣流布を行う」と遺言して逝った日目上人の生まれ変わりであるという誇大妄想に囚われていた。

【症例】
 昭和13年、満期安産で出生。6人兄弟の末子になる。幼少時より利発で学校の成績も良く、みんなから可愛がられて成長した。父親は炭坑夫であり、家が経済的に貧しかったため、昭和28年の中学卒業とともに大阪に集団就職した。
 血縁に精神疾患および先天性の疾患はない(これは初診時、家族より聴取したものである)。
 発病は昭和36年秋、23歳時、大阪で働いていた時と推測される。同僚より折伏され、強く反対したにも拘わらず、入信する。その同僚と毎日、3時間ほどの勤行唱題が始まる。
 数ヶ月後、仕事を辞め故郷である九州の炭鉱町の実家に帰る。そこで朝から夜遅くまで折伏を行い仕事をしない。朝早くに家を出て夜2時頃に帰ってくるという生活を続ける。故郷に帰ってきたのは故郷を広宣流布(日蓮大聖人の教えを弘め尽くすこと)するという考えのためであった。
 近所、親戚、友人と多数、折伏するため苦情が実家に殺到するようになる。しかし、症例は家族の制止を全く聞かず折伏を続けた。たまりかねた父親が比較的遠方の精神病院へ症例を入院させる。
 入院時、「自分は日目上人の生まれ変わりである」「自分はこの地方を広宣流布しなければならない」と主張した。幻聴・幻覚は否定した。疎通性は全く損なわれていなかった。態度は多少、尊大ぶった感じがあったが、ほぼ正常であった。神経学的にも特記すべき所見は認められなかった。
 頑固な誇大妄想以外は全て正常であった。しかし、その誇大妄想はどのような説得も効かなかった。
 病棟では最初の頃は盛んに折伏を行っていたが、主治医、看護長および院長から厳しく「病院内での布教を禁止する。布教が見つかったら隔離室行き」と言われた後は折伏を止めた。
「初めは入院したことはこの病院中を広宣流布するのだ、との意気に燃えていましたが、院長から厳しく中止されました。院長は精神病院では絶対的な存在ですから。後は、新しく入ってくる創価学会員と親交を深めるだけです」
 一度、退院して親元に帰ったが、近所、友人、親戚を折伏して回り1ヶ月ほどで再入院となっている。その後、主治医が何度も退院可能を家族に伝えたが「日目上人の生まれ変わりという考えが変わるまでは退院を受け入れない」と家族は頑なに退院を拒否するのみであった。
 家族の面会は一年に1、2回程あったが、最近10数年程は面会がない。
 元入院患者の創価学会員が衣服などを持参したりして頻繁に面会に来ている。その元入院患者の創価学会員とともに創価学会の会合に頻繁に参加している。
「幻聴がないか、と入院の時からくどいほど聞かれましたが、幻聴はありません。ただ、自分にあるのは妄想だけです。しかし、妄想だけであることをなかなか信じてもらえませんでした。幻聴というものは経験したことがありません。妄想も自分は妄想ではないと信じています。妄想を否定して退院することも何度も考えましたが、その度に妄想が消えずに存在していることを見抜かれてしまいました。」
 病院の入院費は精神障害二級の手当で賄われている。
 聖教新聞は取っており、日蓮大聖人の御書とともに一日中読み耽っている。病室の自分の持ち物入れに御厨子を入れ、そこに御本尊(拝む対象のこと)を入れ、仏壇にしている。その前に大きな座布団を敷き、朝晩のお祈りは欠かさない。一日3時間ぐらいお祈りに時間を割いている。
 現在、症例は24時間酸素吸入を行っている。ポータブルの酸素ボンベとともに移動している。過去に粉塵舞い散る工場で働いた経験がある。
 廊下で出会うと礼を欠かさず、受け答えは極めてハキハキしており、とても75歳の老人とは思われず、若い好青年を彷彿とさせる。人格崩壊、自発性減退など陰性症状は全く現れていない。しかし、現在も「自分は日目上人の生まれ変わりである」という妄想は頑固として存在する。
 筆者が主治医となったとき、精神科薬はbromperidolと副作用止めのbiperidenが1mg/day ずつ朝に入っているのみで睡眠導入剤は入っていなかった。あとは内科薬であった。
 妄想こそ頑固に存在するが、性格は穏和であり暴力行為の危険性もないことと、その他に精神症状が存在しないことから、bromperidolを抜く。精神症状は安定したままであり、この後は抗精神病薬無しで行った。
「先生、私は今世では広宣流布に役に立つことが出来ませんでした。しかし、来世では必ず広宣流布の役に立って、そして日蓮大聖人御遺名の広宣流布をやり遂げます。魔(いわゆる悪魔のこと)に今世は負けてしまいました。」
 症例は75歳と高齢であることと塵肺症であることから近いうちに死を迎えることを予期しているらしい。しかし、症例の顔はいつも元気で明るい。よく酸素ボンベを引いて廊下を歩いている。鼻に酸素ボンベの管をしていなかったら健常者と見間違うであろう。

【考察】
 カルテには抗精神病薬大量療法を1回、電気ショック療法を4回受けた記載が見られる。しかし、妄想は少しも弱まることはなかったことが記載されてある。また、抗精神病薬は入院当初からhaloperidol 2mg/day が続けられていた。それがbromperidol 2mg/day となり、65歳を過ぎた頃からbromperidol 1mg/day となっている。入院当初より誇大妄想のみで幻聴はなかったことが記載されてある。
 鑑別疾患として妄想性障害が挙げられる。しかし、妄想性障害の場合は奇妙な現実離れした妄想は見られず、現実に即した妄想が見られることが特徴である。そして妄想性障害は23歳という若い時に起こることは少ない。
 入院時から診断名は妄想型統合失調症となっており、診断名の変更はない。主治医が数回変わっているが、妄想型統合失調症、器質性精神疾患(疑)という記載のみである。
 シンナーなどによる物質誘発性精神病性障害も考えたが、性格は極めて真面目であり、初診時にもそれを否定する本人および家族の証言の記載がある。
 頭部打撲の既往はないが、器質性精神疾患を疑われ、頭部断層撮影、頭部CT、頭部MRIを1回ずつ撮られているが特記するべき所見はなかったことがカルテに記載されてある。筆者も約45年前に撮られた頭部断層撮影、約30年前に撮られた頭部CT、約20年前に撮られた頭部MRIを倉庫より取り出してみたが、確かに特記すべき所見はなかった。神経学的検査も何度も行ったが、特記すべき所見は認められなかった。脳波は初診時より多数回取られているが特記すべき所見は認められない。
 新興宗教に入信して発症したものと考えられるため、永続している祈祷性精神障害の可能性を筆者は考えている。しかし祈祷性精神障害は一過性のものであることが一般であり、何十年も永続する祈祷性精神障害の症例報告は海外の文献を探しても無い。祈祷性精神障害が妄想型統合失調症に移行したものであり、そのためにこのような特殊な病型を取っているとも考えられる。
 昭和35年頃から数多く見られた創価学会員の急性精神病状態はほとんどが祈祷性精神障害であった。彼らは熱烈なお祈り(勤行唱題)の果てに急性精神病状態を起こした。
「自分は日目上人の生まれ変わりである」という妄想は現実に即した妄想とは考えられない。奇妙な現実離れした妄想としか考えられない。しかも、その妄想はどのような治療にも動じない極めて強固なものである。
 
【最後に】
 筆者は今まで「日蓮大聖人の生まれ変わりである」「日目上人の生まれ変わりである」と妄想構築された統合失調症の患者を数例診てきたが、彼らは創価学会員であり、典型的な妄想型統合失調症であった。しかし、陰性症状は人格崩壊以外は無いようであった。全て元気すぎて保護室入室を繰り返していた。
「日蓮大聖人の生まれ変わりである」「日目上人の生まれ変わりである」と妄想構築された統合失調症の患者は日本全国で百人以上に登ると推定される。その一人が池田大作である。池田大作は「日蓮大聖人以上の存在」と自分を定義している。彼は新興宗教の教祖は大部分が妄想型統合失調症であるのと同じく妄想型統合失調症である。
 この症例のようにほとんど陰性症状を呈していないのは、生まれ変わりの妄想のみで幻聴・幻視などが全くなかった軽症の妄想型統合失調症であったからと、抗精神病薬を発症時より少量ずつしか投じられていないため、陰性症状を顕さないでいると思われる。
「自分は来世は必ず広宣流布します」と悲しげな表情で言った悲壮感を帯びた強い言葉が今でも筆者の耳朶に残っている。

   (完)
           〒000-0009 M71星雲県巨人の星市 どんぐり山病院(精神科)*

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mifune0007さん

>学会員のブログが「うつ病」に悩むものばかりであるのは悲惨なことだと思います。

 お萩姫、“うつ病”と言いながら真実の病名は境界性人格障害、軽症の統合失調症が多いのが創価学会員の“うつ病”の特徴です。    たしかに本物の“うつ病”が一番多いようですけど。本物の“うつ病”でも難治性が多いです。
 境界性人格障害や統合失調症という病名は受け入れない患者が多いです。仕方なく“うつ病”と言って置くしかありません。
 それもあり学会員の“うつ病”は20年30年と遷延化するのです。
「一年以上続いたら“うつ病”ではない、と疑うこと」という鉄則があります。

“うつ病”とは放っていても2ヶ月や3ヶ月でいつの間にか治ることが多い病気です。
 精神科の疾患の中で最も治りやすいのが“うつ病”です。
 教授の診察を待つ2ヶ月の間に治ってしまったという人が多かったです。

 ところが学会員の“うつ病”は頑として治らない。ドグマチールという“うつ病”にも統合失調症にも効くクスリを処方すると劇的に効くことが多いです。学会員の“うつ病”にはドグマチールがドクター三船の第一選択となっています。

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 創価学会の友人達は洗脳されているのです。
洗脳とは妄想とも似ています。
 

戸田二代会長の時代は病気が治ったり、良いこともたくさんありましたが、池田大作の時代になり、創価学会は堕落し果ててしまいました。
 
池田大作が悪鬼を創価学会に雪崩れ込ませ、創価学会員に信じられないような不幸なことが頻発するようになりました。
創価学会員はみんな不幸になります。
 
友人達は信仰経験が短く未だ知らないのです。
また、友人達は騙されていますし、洗脳されています。

創価学会員の不幸な現実を見ると唖然とされると思います。
 
創価学会のような「悪」が存在して良いのかと訝しがるはずです。


 創価学会の現実は実際は悲惨の一言に尽きます。


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創価親父を訪ねて
               三船敏郎


創価親父は今何処にいるという議論がされている。
創価親父の履歴を辿ると、1月1日に1回、3日後の1月4日に1回で、ここで突然終わっていた。
それまでは毎日のように宗教カテに訪れていた。
(ここはインターネットのない病院の当直中である)
創価親父は夜の星になったのだと思える。
南の夜空に創価親父星というのが新しくできたと言われる。

「創価学会員は死んだら夜の星になって同志が活動しているのを見守っているんだよ」
と僕が小さい頃、少年部担当の青年部の人が言われた記憶が懐かしく思い出される。
あれは僕が小学校3年生の頃だった。
三船敏郎にそっくりということで僕は学校ではちやほやされていた。
家は経済苦で明日にも夜逃げという苦しく厳しい状態だったけど、楽しい思い出もある小学校3年生の時にそう言われた。
その人はそれから数ヶ月して病気で亡くなられた、と母から聞いた。
亡くなるとき「三船君、三船君」と呼んでいたという。
夜空を見上げると、その人らしい新しい星が南の空に輝いていた。
「あの人、星になったんだなあ」と小学3年生の僕は思った。

創価親父はきっと、お屠蘇を飲み過ぎて、リヤカーを引っ張って道にフラフラと出て行った処をトラックに跳ねられたのだと思う。
それから南の空に創価親父星ができたのだと思う。
創価親父は今も南の夜空から宗教カテを見ていると思う。
朴訥すぎて素朴すぎて大変な爺だったけど、ちょっと精神的にもおかしい爺だったけど、
もしかしたら精神科閉鎖病棟に今も生きているのかも知れない。
本当に創価親父は何処に行ったのだろう。

    (完)
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 創価学会の元支部長で法華講に移った人が言った。

「市会議員の処を折伏に回ったが、彼らは池田大作の悪に気付いている。しかし法華講に移ることはいろいろなしがらみがあって出来ないでいる」
「市会議員以上は大抵が池田大作の悪に気付いている。しかし、ときどき脳内お花畑で気付いていない大幹部も居る」
「一般の創価学会員は脳内お花畑で池田大作の悪に気付いているのは少ない。その脳内お花畑を外科手術で刈り取ることは出来ないのか?」
 僕は答えた。
「今まで脳内お花畑すなわち脳内結核腫(tuberculoma)の手術をしたという論文は世界中でも見たことがありません。脳内結核腫(tuberculoma)は正常の脳内に食い込むように生えているため手術できないのです。ただ、薬物療法は可能性があると思います。
しかし、世界中の論文でも未だ脳内お花畑すなわち脳内結核腫(tuberculoma)の薬物療法の文献はありません」

 元支部長はため息をついた。
          
          (完)
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 お萩姫へ(手紙)


 お萩姫、人生とは仏法上の厳しい因果律に則ったものなのでしょうか。それとも夢幻なのでしょうか。

 自分は煩悶しています。
 信仰弱い自分なのです。
 何も手に付きません。心配ばかりで。
 自分の創価学会内部改革派憂創同盟のホームページは消そうか迷っています。
 安穏な生活をしたい。子煩悩な親として生きたい。危険なことはしないで。社会正義を捨てて。
 まだ幼い可愛い二人の子供がいます。その子供を自分の親が溺愛しています。離婚することが許されないのです。
 しかし広宣流布を忘れることは正義感がそうはさせないのです。
 広宣流布の使命感は少年時代から自分の心に焼き付いていました。
 池田大作の間違いに気付いてからも広宣流布の使命感は消えずに残っています。
 広宣流布の使命感が自分の生きる力になっています。
 広宣流布の使命感を忘れたとき自分はなよなよとした弱いそして暗い人間と成ってしまいます。
 広宣流布の使命感が僕を支えているのです。
 これは日蓮正宗法華講に移ってからも全く同じです。
 
 創価学会のときは、“何故、このような不幸なことばかりが起こるのか?”と思いながらも元気でした。
 でも、元気なだけで不幸の連続でした。
 日蓮正宗法華講に移り、不思議なほど起こっていた不幸なことは全く起こらなくなりました。
 しかし、創価学会時代の友を折伏しようにも、彼らは自分を裏切り者と批難し、頑なに心を閉ざすだけです。
「大悪鬼である池田大作を神様のように慕うから“うつ病”になるし“うつ病”が治らないのだ!」と言っても聞く耳を持ちません。
 強い洗脳があります。この洗脳は解けそうにありません。
 彼らは頑なに創価学会に留まろうとします。
 池田大作が招き入れた悪鬼の大軍団のために病気になっていることに気付こうとしません。
 生活保護生活が安穏で良いと思っているのかと勘ぐりたいぐらいです。

 お萩姫を女神として崇めて生きてゆこうかと思うくらいです。
 信仰弱き自分なのです。

              (完)
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 私は、何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ。(池田大作『前進』S41.1)
ーーーーーーー
敏感なのだそうです

 私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない。(池田大作『前進』S45.5)—————これは妄想型統合失調症の特有の電波妄想である

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【総論】
      文鮮明、金日成、池田大作:潜在性統合失調症説


【前書き】
 私見ではあるが、放置されている統合失調症の患者は多い。とくに暴力団員に多く、次に競馬、競輪、競艇などの賭け事を行う場に多い。また、奇人変人と思われている人達にも多く存在すると思われる。彼らはハロペリドール2mg/day を投与すると借りてきた猫のように大人しくなる。それを筆者は潜在性統合失調症と名付けている。各国より勲章などを買い漁る池田大作、文鮮明、金日成およびスターリン、ヒットラーたちは潜在性統合失調症と思われる。

【考察】
 この3名は不思議なほど似通った特質を持つ。3名とも強大な権力を持っている。1名は一国の独裁者で、2名は新興宗教の教祖である。3名とも中年の頃は酒池肉林を楽しんでいた。そして3名とも現在、人生の末期にさしかかっている。
 3名とも庶民の苦しみの上のあぐらを掻いて人生を楽しんできた。庶民から金を搾り取り、贅沢の限りを尽くしてきた。2名は信者から神様のように讃えられている。金日成は国民から神様のように讃えられているか解らない。
 3名とも勲章、名誉市民などの肩書き集めにいそしんだ。その数は3名とも200を超え、数を競い合っている。
 その勲章、名誉市民はお金を出して買ったものであり、他者から見れば何のために高額なお金を出して買うのか理解ができない。

 文鮮明率いる統一協会の団体で暮らしている人達の生活の倹約は激しい。電気代を1円でも減らそうと電気代節約に余念がない。筆者は統一協会のビデオセンターに半年ほど通った。彼らは多くが大学生と社会人であった。繁華街でビデオセンターに勧誘し、訳の分からないままビデオセンターに入る。そして統一協会の教理を簡単に説明したビデオを見て最後に責任者などとコーヒーを飲んでお喋りをして帰る。自分は楽しく半年間続いた。しかし、図書館より統一協会の本を読み、実態を把握していたため、泊まりがけの研修に行く直前で行かなくなった。
 また、団体で暮らして無く、個々の普通の生活をしている信者でも上納金(いわゆる財務)は非常に大きい。妻、あるいは夫が統一協会の場合、上納金が大きく、家庭騒動が激しいと聞く。

 池田大作率いる創価学会は信者数が統一協会より少なくとも一桁は多いため上納金は少なくて済む。しかし、一部の狂信的な信者の家庭は大量の上納金をするため、サラ金などから借り、夜逃げ、一家離散が起こっている。信者数が多いため、創価学会員の夜逃げ、一家離散は目立つ。筆者も実際に少なくとも一つ経験している。

 金日成(現在は金正日)率いる北朝鮮では国民の耐乏生活は極めて深刻であり、餓死者は後を絶たない。しかし金日成は酒池肉林の優雅な生活を送ってきた。文鮮明、池田大作と異なり、一国のトップであったため、その優雅な生活は他の2名より群を抜いている。餓死者が後を絶たないにも拘わらず、莫大な費用のかかる核ミサイルを作っている。外国人を多数拉致して国家テロを行うなど他国から強い顰蹙を買い、援助をあまり受けられないでいる。狂気と言われている。

 中東のある小国でも独裁者がおり、国中に至る処に自分の銅像を建てている。テレビ番組でも自分を讃える番組を流している。しかし、ここは天然ガスが多量に出るため国民の生活は非常に豊かであり問題は起こっていない。
 独裁者となり、みんなから煽てられると誰でもこうなってしまうのかとも考えられる。
 彼らは自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)であるという意見が多い。しかし、筆者は妄想型統合失調症(軽症)の可能性をも考えている。
 
 宗教または国の独裁者となっても、常識を弁えている人は多い。常識を外れ、自己愛性パーソナリティ障害または狂人と思われている者は一部である。
 たしかに独裁者となり、みんなから煽てられると、自己愛性パーソナリティ障害が重症化することは充分に考えられる。この3人(文鮮明、金日成、池田大作)は自己愛性パーソナリティ障害の重症と考えるのが最も適当と考えられる。しかし、自己愛性パーソナリティ障害のみでは説明のできないところがある。特定できない精神病として良いと思われる。
「自己愛性パーソナリティ障害が強く重症化すると妄想型統合失調症(軽症)に類似した状態に移行してしまう」のではなかろうか。
 この3人には人格破綻としか考えられないものが存在する。自己愛性パーソナリティ障害が重症化すると自分中心の傾向が更に強くなるのか、信者(人民)の苦悩を全く考えなくなるようだ。自己愛性パーソナリティ障害の診断基準を読むとたしかに信者(人民)の苦悩は考えなくなるように次のように書かれてある。
<DSM−Ⅳ−TR:(6)対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
         (7)共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気付こうとしない。>
 しかし、この2つで信者(人民)の苦しみを考えなくなるということは考えにくい。

 文鮮明、金日成、池田大作この3人は強烈なエゴイストと断じて良いと思われる。究極のエゴイストと言っても良いであろう。どうしても人格破綻を思わせる。
 文鮮明は霊的能力で最適の伴侶を指名できると言われており、合同結婚式で有名である。しかし、これが本当の霊的能力なのか、偽りの霊的能力なのか、確認されていない。
 池田大作は金のある家を探すことが非常に上手だった。それは神業とも言われた。それによって戸田城聖氏の事業を危機から救った。戸田城聖氏の会社は歩合制であったので池田大作のこの頃の給料は一般の百倍近くであった。これは霊的能力と言って良いと思われる。
 自己愛性パーソナリティ障害のなれの果ては妄想型統合失調症(軽症)というのは過言かもしれない。しかし、世界中に独裁者は多いが勲章、名誉市民などの肩書き集めにいそしむのはこの3人だけである。この3人は勲章、名誉市民などの肩書き集めにいそしむために欧米などの先進諸国からは軽蔑され嫌悪されている。わざわざ大金をはたいて世界中から軽蔑され嫌悪されることを行うことは正常では考え難い。彼ら3人は異常性に気付いていない。このことにより世界中から軽蔑され嫌悪されていることに気付いていない。

 自分さえ良ければそれで良い、という悪魔的思考———これを統合失調症の診断基準の一つに入れるべきではないかと思う。
 彼らにはパラノイア様妄想、人格崩壊、滅裂思考はあるーーーパラノイア様妄想、人格崩壊、滅裂思考のみで妄想型統合失調症(軽症)と言えるか?
 3人がほぼ同時期に地球上のほぼ近くに現れ、ほぼ同じ期間、権勢を振るった。3人の顔、体型はよく似ているーーー偶然性の不思議
 これらより、この3人は潜在的に進行していった潜在性統合失調症と言って良いと筆者は思う。

(補記)
 この潜在性統合失調症は特に池田大作の場合には同時放送で見られる。池田大作の言動、振る舞いは精神病棟に長年入院している統合失調症の患者を彷彿とさせる。話の脱線、支離滅裂はまさしく長年、精神病棟に入院している統合失調症の患者そのものである。
 東大生を前に「お前たち、馬鹿だろう」と言って悦に入ること、秋谷会長に踊れと命じたこと、北条会長に辛子を山盛りにかけたうどんを食べさせたこと、メロンの頻繁な下げ渡し、これらは自分が大聖人より偉いという妄想と滅裂思考から来る行為であったと考えられる(側近は傲慢と考えていた)。

 この潜在性統合失調症はイランやイラクにも指導者に存在しているらしい。潜在性統合失調症に核爆弾を持たせることは極めて危険である。そして潜在性統合失調症同士、引かれあうのか、北朝鮮との繋がりもある。

 潜在性統合失調症はパチンコ、競馬、競輪、競艇などにたむろする人達、および暴力団関係者、犯罪者に多く潜在していると思われる。ハロペリドール2mgを服用させ、効くか効かないかで判断することができる。効いたならばスーッと大人しくなる。潜在性統合失調症ということになる。
 潜在性統合失調症という言葉は筆者が初めて使う言葉であろう。見逃されている軽症の統合失調症の患者が多いがこのことが精神科医を始め医療関係者などに認識されていない。精神鑑定医により異なる鑑定結果が出ることが頻繁にある。宮崎勤は、3人の鑑定医により、統合失調症、多重人格障害、パーソナリティ障害の三通りの鑑定結果が出た。

 国家指導者および宗教指導者に見逃されている軽症の統合失調症の患者が存在することは怖ろしいことである。

               (完)
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  Kraepelin がその教科書第8版(1913年)で、破瓜型の8%、緊張型の13%に治癒を認めているように、統合失調症に自然治癒、自己治癒傾向のあることは古くから知られている(統合失調症の診療学:中山書店:p171)。
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                池田大作の精神病理(第2稿)書き始め


 筆者は第1稿で、池田大作はパーソナリティ障害と妄想性障害とした。しかし、これは間違いらしいことが解ってきた。
 軽症の妄想型統合失調症が正しいと思われる。

 昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに次のように答えている。これは(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房:1965)に書かれてある。

 池田会長はモダンな本部応接室で、胡座を描き直すと、煙草を一服し、静かにそして激しい語気で言った。
1)『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である』
 同席の大幹部数人は深く肯き息をのんだ。
 更に池田会長は続けた。
2)『私は現代の救世主である』
3)『釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である』
4)『世界の盟主である』
5)『私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする』
6)『私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る』
7)『今、私には天下を取ることが見え始めた』
8)『私は太陽の帝王だ』

少なくとも6,8)は明らかに奇妙で現実離れしている。全てが奇妙で現実離れしていると言っても良い。これは妄想性障害では説明不可能であり妄想型統合失調症(軽症)である。
妄想性障害における妄想は理にかない、不自然なものではない。例えば、「友人はスパイで、自分は隠しカメラで監視されている」「妻が暴力団を使って自分を殺そうとしている」という妄想に対し、統合失調症は「友人が小さくなって自分の耳の中に入っている」という明らかに不自然な妄想を抱く。
 この高瀬広居のインタビューのみで池田大作が妄想型統合失調症(軽症)と診断され得る。
  

 池田大作は26歳時には「天下を取ろう」が口癖になっていた。このとき既に確固とした妄想体系が構築されていたと思われる。すなわち妄想型統合失調症(軽症)が発症していたと見るべきである。年齢的にも妄想型統合失調症の好発年齢である。
妄想性障害は発症時期は概ね、成人中期から成人後期である。また、統合失調症と異なり、妄想性障害は比較的まれである。

 24歳から金貸し業を始めており、この頃、金のある家を当てるのが神業のように巧かった。これは霊的能力と捉えて良いと思われる。霊的能力を持つ人は多くが統合失調症である。同じく、現代の新興宗教の教祖(高橋信次など)も多くが統合失調症である。

 池田大作の当時の給料は一般人の百倍近くであったと言われる。大蔵商事は歩合制であった。いかに池田大作の金のある家を当てる能力が凄かったかを示すものと言えよう。

 池田大作の妄想型統合失調症は極軽症であった。クスリを服用しなくても社会生活を送ることが出来る。こういう人は、暴力団員などに多いが、池田大作は戦後の混乱期には暴力団で貸金の取り立ての手伝いをしていた。また、宗教団体のトップであったが故に見逃されてきた特異な例と言えるだろう。

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統合失調症の妄想と異なる点は、彼らはその誇大的観念がどこか作り物であることを知っていることである。(現代医療文化の中の人格障害:中山書店:2003:p254)

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 池田大作:妄想型統合失調症(軽症)説_________________
 
 筆者は以前から、統合失調症であっても少量の抗精神病薬の服用で十分である統合失調症の存在に気付いていた。このときの抗精神病薬の服用量はハロペリドールにして一日1,5mg(インプロメンにして一日3mg )であった。幻聴はほとんどなく、妄想、逸脱行為が多い。妄想、逸脱行為が多いため周囲より変人扱いされていることが多い。病識はない。病院に来ないで済ましている患者は多いと考えられる。また、病院に来ても不安障害と診断されていることが多く、こういう患者は潜在的に多く存在し、統合失調症の五分の一ほど存在すると思われる。これは新しい疾病概念なのか妄想型統合失調症(軽症)なのか判別がつきかねる。池田大作はこれに当てはまる。


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  朝なのに日が暮れてゆく(2)
                 007

「僕もTさんも広宣流布のために病気になったんです。そしてそれを誇りにしています。」
「御書にあります。黒金を鍛え抜けば疵のあらわるるが如し」
「海をのんびり見ている余裕がないのです。もし、海をのんびりと見ていたら癒されるでしょう。しかし、きっと、海を見ている途中で、いたたまれなくなってしまうでしょう。そしてそれが、僕たちの病気の…」
「それは兄弟抄か佐渡御書にあります。大聖人様が極寒の佐渡で著された御文です。」
 革命のために命を捨てる、その覚悟をしたとき、魔は憤然として競い起こってきます。適当に信仰していたら病気にもならず良いような、そんな気になってしまいます。本当はそれではいけないのでしょうけれど、現世安穏をどうしても最優先にしてしまいます。一生懸命、信仰することにためらいを感じてしまいます。
 もし、法難が起こったら自分は信仰を捨てるでしょう。そんな弱い信仰ではいけないと思いつつも、命を捨てる覚悟にはどうしてもなれません。命を捨てる覚悟で信仰している人はこの日本ではほとんど居ないでしょう。
 弱い信仰でも良い、一生涯貫き通すことが大切だ、と言われたら安心します。今の日本ではまず法難は起こらないでしょう。ですから弱い信仰でも、一生涯貫き通すことができると思います。
 しかし御書には命を賭けて信仰するようにとも書かれています。また、水の信仰で一生涯信仰を貫き通すようにとも書かれています。炎となり易い自分には水の信仰を心懸ける方が良いと思います。
 炎となって燃え尽きて退転した学生時代のことが思い出される。しかし、自分は中学・高校と炎となって燃え続けたようにも思います。小さな炎でしたが、自分はその厳しい少年時代、燃え続けました。
 少年時代、自分は病気との闘いでした。鼻の病気、喉の病気、そして高校3年の終わり頃に掛かった対人恐怖症、自分には心の安らぐ暇がありませんでした。苦しい学校生活が終わって家で御本尊様の前に座り一生懸命題目を唱え続けて耐えてきました。
 この信心をしたら宿業がでる。棄教をも考えていた。大聖人様の教えを完全に信じるか、否定して棄教するか、瀬戸際だった。

               (未完)

Tさん:男子部の部長時代、Tさんの部は常に先駆を切っていた。とても厳しい人だったが自分はとても懇意にしていた。壮年部に移行した翌年、パニック障害とうつ病性障害に倒れ、生活保護になった。今も病気は良くならず、生活保護のままである。
僕:三船敏郎のこと
 
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 創価学会員に何故、これほど精神障害が多いのか? それは大悪鬼である池田大作を神様のように崇めるためと思われる。大悪鬼になるとオカルトの世界である。
 大悪鬼を崇めると大悪鬼と感応し、そして精神障害を発症する。

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         池田大作大悪鬼論
                               
                              創価学会内部改革派憂創同盟残党

【はじめに】
 池田大作はもともと大悪鬼であり広宣流布を阻止するためにこの世に生を受けた、とする意見がある。これを「池田大作大悪鬼論」と呼ぶ。この論は昭和四五年頃、池田大作に批判的な会内の一部から自然にわき上がってきたものである。誰が言い始めたのかは不明である。おそらくこれから創価学会内部改革派憂創同盟など会内批判派が発生したと筆者は推測する。

【考察】
 広宣流布の気配を感じ取った“魔”は「広宣流布を為させるまい」とその頃、創価学会に入会した池田大作の身に入り込んだ。そして戸田城聖氏の会社で働くように仕向けた。(もしくは入会以前に池田大作の身に入り込み、創価学会に入会するよう誘導したのかもしれない。)
 “魔”は池田大作に「この家には金がある」「この家には金がない」と感じ取る能力を与えた。および池田大作に借金を容赦なく取り立てる傾向性すなわち病気で寝ている老人の布団を匍いで持ってゆくことを何の容赦なく行わせる傾向性を植え付けた。そして金融業(現代のサラ金業)に於いて池田大作を大成功させた。(池田大作は信じ難いことだが当時の平均の百倍近くの給料を得ていたと言われる。小説「人間革命」の「この冬もオーバー無しで過ごさなければならない」は虚構である。また、その金で、多くの創価学会大幹部を自分の味方につけ、第三代会長の座を石田次男氏より奪うことができたと言われる。)
 また、極めて激しい燃えたぎる権力欲を池田大作に植え付けた。すなわち「天下を取ろう」が口癖の池田大作を造り上げた。その極めて激しい燃えたぎる権力欲は池田大作を成功へ導いた。その極めて激しい権力欲は他のどの青年部大幹部(藤原行正氏、竜年光氏など)よりも断然に勝っていた。惜しいことに次期創価学会会長の最有力候補だった石田次男氏は学究肌で権力欲が無かった。それ故に請われた創価学会会長の座を辞退したほどだった。創価学会員というお人好し軍団の中に一匹、池田大作という狐が混じっていたのだ。

                    (未完)




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                 創価学会解散建白書
                                   創価学会内部改革派憂創同盟残党


 戸田会長は「創価学会が御宗門にたてつくようになれば、すぐに解散させてください」と時の御法主上人に常々申されていた。
 現在、創価学会は祈る対象も滅茶苦茶、教義も滅茶苦茶、である。宗教団体としての体を為していない。
 もともと、創価学会は日蓮正宗の一信徒団体に過ぎなかった。一信徒団体が祈る対象を持つはずがない。
 創価学会は現在、単なる政治団体に過ぎない。このことは創価学会自身がよく分かっていることである。

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【研究と報告】
            池田大作の堕落
                                      創価学会内部改革派憂創同盟残党

【はじめに】
 池田大作は、創価学会会長という権力の頂点に立ち、次第に堕落していったと考える者は多い。これを一般に「池田大作堕落論」と呼ぶ。
 池田大作の堕落には池田大作の自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害が大きく関与している。
  
【考察】
<池田大作堕落論>
「池田大作堕落論」を考察するには妄想性パーソナリティ障害を考えなければならない。
『この障害は強大な権力を持つ者、特に一代で成り上がった絶対権力者に非常に多く、独裁者の病であることが知られている。独裁者は常に他人に蹴落とされる可能性(それも命を失う可能性)を秘めており、部下を常時監視する必要がある。成り上がりの独裁者は自分が独裁者になる過程で、前独裁者を謀略で失脚させるようなことをしていたり、自身の暗殺計画が発覚したり、実行されたりすれば、より部下を信用することができなくなり、さらに命を狙われる可能性が常にある為、元々の性格はそんな兆候のない者でも、成り上がった独裁者は必然的に“妄想性パーソナリティ障害”になり、ならない独裁者の方が少ない。なお、普通の巨大な会社の社長や、巨大な宗教団体(特に新興宗教)の教祖にも見受けられる。(パーソナリティー障害:岡田尊司)』
 妄想性パーソナリティ障害では、発達早期の段階で自尊心や自己愛に深刻なダメージを受けていることが多く(池田大作の極めて貧しい幼年時代、少年時代を思い浮かばせる)、その損傷や傷付きを想像的に保障しようとする過程で誇大自己的な妄想念慮が肥大してゆく。
 中身のない虚栄心や表面的な自尊心が強く、他者を利己的に利用して価値を引き下げようとする部分で自分を特別な人間と思い込む自己愛性パーソナリティ障害と重複する。
 狂信的な妄想性パーソナリティ障害は現実状況を否定する「妄想的な全能感」「誇大的な自己主張」によって拡散している自己アイデンティティを強化しており、肥大した自己愛の欲求を満たしている(まさに池田大作そのものである)。
 自分に特殊な超能力があると信じ込む宗教指導者や、他者に理解することが困難な哲学を開示する孤高の思想家などに、このタイプの妄想性パーソナリティ障害が見られることがある。
 また、妄想性パーソナリティ障害の患者は「自尊心をおとしめる批判・屈辱・否定・威嚇」に対して非常に敏感に反応する。池田大作が国会喚問を異常なほど恐れるのはこの故と思われる。池田大作は当たり前の対応に対しても“バカにされた”とひがむ。
 妄想性パーソナリティ障害は「回避的なタイプ・強迫的なタイプ・狂信的なタイプ・悪意のあるタイプ・不平の多いタイプ」の五つのタイプに分類することができる。
「狂信的なタイプ」は自分の能力や信念の影響力を実際以上のものと錯覚して傲慢不遜な態度をとり、他者の価値の引き下げをしようとする。池田大作はこの「狂信的なタイプ」に相当する。
 池田大作はこの「狂信的なタイプ」の妄想性パーソナリティ障害のみではない。自己愛性パーソナリティ障害を合併している。
 次に、自己愛性パーソナリティ障害の診断基準を書く。

301.81 自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)
誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち五つ(またはそれ以上)によって示される(誇大な感覚、限りない空想、特別感、過剰な賞賛の渇求、特権意識、対人関係における相手の不当利用、共感の欠如、嫉妬、傲慢な態度のうち五つ以上が当てはまることで示されるとされる)。
1)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
2)限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている(誇大的な自己像を思い描き、その空想的な思い込みの世界に浸っている)。
3)自分が“特別”であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または団体で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
4)過剰な賞賛を求める。
5)特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6)対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する(他者と関係を持つにしても、それは自分の自尊心を支えるために人を利用しているに過ぎない。しかし言語的表現力が優れているので、うわべだけの思いやりを示すことには長けている)。
7)共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気付こうとしない(本当に意味で他者に共感したり、思いやりを持ったり、感謝したりすることが出来ない。表面的な適応はさておき、他者との現実的な信頼関係を持つことが出来ない)。
8)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9)尊大で傲慢な行動、または態度。
(DSM−Ⅳ−TR、精神疾患の分類と診断の手引き)

 有名な逸話として次のようなものがある。
1)昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに次のように答えている。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である」「私は現代の救世主である」「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」「世界の盟主である」(人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:高瀬広居)
2)原島嵩氏は池田大作が次のように述べたことを著書の中で書かれている。
「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」「今、私には天下を取ることが見え始めた」「私は太陽の帝王だ」(池田大作・創価学会の真実:原島嵩)

 パーソナリティ障害は単独であることは少なく、合併することが極めて多い。すなわち、一種類のパーソナリティ障害だけであることは少なく、二種類ほどのパーソナリティ障害が合併することが多い。そして、妄想性パーソナリティ障害と自己愛性パーソナリティ障害が合併する例は非常に多い。
 すなわち、池田大作は「狂信的なタイプ」の妄想性パーソナリティ障害と自己愛性パーソナリティ障害とが合併していると考えることができる。
 池田大作は創価学会会長となった故に妄想性パーソナリティ障害に罹患したと考えられる。自己愛性パーソナリティ障害は成人期早期までに始まることが多いと言われる。池田大作が戸田城聖氏が経営する日本正学館に入社した頃には既にそれが口癖になっていたといわれる(池田大作・創価学会の真実:原島嵩)。この「天下を取ろう」が口癖となっていた頃には既に自己愛性パーソナリティ障害に罹患していたと考えられる。
 池田大作は、昭和二十七年、結婚したかね子夫人が「夫(池田大作)が勤行をしないんです。これで良いのでしょうか?」と戸田先生に質問したと言われる。池田大作はかね子夫人の「何故、勤行しないんですか?」との問いに「自分は特別だから」と言ったということは有名である。
 池田大作が自らを大聖人以上の存在と考え始めたのは昭和三十八年前後と推測される。パーソナリティ障害が妄想性障害に進んだのはこの頃と考えられる。

                 (未完)

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【研究と報告】
      池田大作;誇大型妄想性障害もしくは妄想型統合失調症説

                             創価学会内部改革派憂創同盟残党

【はじめに】
 精神鑑定は難しい。一人の罪人に精神鑑定を行うと3つもの異なる病名が出てくることがしばしばある。宮崎勤は、統合失調症、パーソナリティー障害、多重人格障害の3つの病名を3人の精神鑑定医から付けられた。
 池田大作もこのように精神鑑定医により異なる病名を付けられる可能性が高い。筆者は前稿で「自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害の合併」と診断したが、妄想性障害または妄想型統合失調症である可能性も高い。現在では妄想性障害または妄想型統合失調症と考えている。その方がより池田大作の奇行などを十分に説明できると思われる。
 
【症例】 
 これは昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに答えた言葉である。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である」「私は現代の救世主である」「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」「世界の盟主である」「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」「今、私には天下を取ることが見え始めた」「私は太陽の帝王だ」(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房:1965)

 平成十九年三月、中国の温家宝首相が来日した際、池田大作は会見の場で「庶民の王者に会って頂き有り難う」と言って握手する映像が日本全国に放映された。

 昭和四十八年頃に制作・放映された映画「人間革命」の主題は『一人の偉大な人間革命は一国の宿命転換を可能にし、やがて全人類の宿命転換をも可能にする』というものであったが、この一人とは池田大作自身のことを指していることは明らかであった。

 元学会幹部によるエピソードを書く。
「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら“久しぶりだな”と呟くエピソードがあります。池田大作は七百年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる、きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢四百年だったそうです」

 池田は「私の側にくると福運がつく」「私と感応しなければ成仏できない」「私のあげたものには福運がある」等々と述べ、およそさまざまな機会に、自分を本仏化するために演出してきました。(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p256)

「未だかつて、病気の人なんかで、僕の頭の中に入った人で、祈って死んだ人は一人もいないんだ。これは秘かに自負している」
「これは、ここだけの話にしてほしいのだが、私のお袋は八十一歳になるが、実は一度死んだんだ。葬式まんじゅうも用意して葬儀屋も手を打った。弔辞も全部用意した。私は久しぶりだったが足を運んだ。するとみんな泣いている。そこで私は初めて数珠を持って題目を唱えながら、もう死の直前のお袋の体じゅうをさすってあげた。足も全部冷たくなっていた。———中略———すると六月末に死ぬのが、死ななくなってねー。二千個の葬式まんじゅうも腐っちゃったんだ。医者も、もう一度医学を始めから始めると言っていた」(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p252-3)

 池田大作は会長就任後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p80)

 昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十億円余りを集め、その直後に都内品川区妙光寺に於いて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p81)

 池田大作には「若き日の日記」の原本となる予定だった「大学ノート事件」がある。これは山崎正友氏が暴露していることである。(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004:p19)その内容を要約して書く。
『池田大作は「若き日の日記」の原本となる予定の会長就任までの日々を大学ノートに綿密に記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。
 北条浩ら首脳中の首脳はそれを見せられて、これは出版するべきではないことを強く諫言した。そのノートの内容が、あまりにも悪口や怨念、そして完全な狂気に満ちていたからである。それを公表することは創価学会の完全な自殺行為になるからであった。特に、小泉隆、和泉美代、辻武寿、竜年光ら先輩幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。そのため「若き日の日記」は原本とは全く異なるものとなった。』

【資料】
<妄想性障害>
 妄想性障害は、もともと妄想性パーソナリティ障害がある人に発症する。また、妄想性パーソナリティ障害は成人期初期が好発年齢とされ、妄想性障害は成人期中期が好発年齢とされている。そして妄想性パーソナリティ障害はそれが冗談ではないかと考える余裕を持つが、妄想性障害ではそういう余裕は無い。すなわち妄想性パーソナリティ障害では説得により訂正可能であるが、妄想性障害では説得によっても訂正不可能である。
 妄想性障害の誇大型は妄想性障害の一つの型であり「妄想が肥大した価値、権力、知識、身分、あるいは神や有名な人物との特別なつながりに関するもの」と定義されている(DSM−Ⅳ−TR、精神疾患の分類と診断の手引き)。
 なお、妄想性障害はもともと妄想性パーソナリティ障害のある人に発症する。
 妄想性障害はしばしば妄想性パーソナリティ障害とともに起こる。妄想性障害では人格は保たれ感情や行動の異常は見られない。
 妄想性障害における妄想は理にかない不自然なものではない。例えば「友人はスパイで自分は隠しカメラで監視されている」という妄想に対し、妄想性統合失調症は「友人が小さくなって自分の耳の中に入っている」という明らかに不自然な妄想を抱く。

<妄想型統合失調症>
 妄想が患者の思考の大部分を占めている。妄想を語らなければ、一見、統合失調症とは解らない。他のタイプに比べると人格は荒廃しにくい。発病年齢はだいたい三十歳前後である。
 法の華三法行の教祖、GLAの高橋信二、麻原彰晃、統一協会の文鮮明などは妄想型統合失調症である。このように新興宗教の教祖には妄想型統合失調症が非常に多い。新興宗教の教祖で妄想型統合失調症でない例は少ない。
 彼らは妄想の中に生きる。妄想の中に生きることによって心の平衡を保っている。また、社会的批判を避けることができている。

【考察】
「会長就任までの日々を大学ノートに綿密に記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた」
 これが池田大作を妄想性障害または妄想型統合失調症を疑った第一の理由である。
 妄想性障害者および妄想型統合失調症者は妄想を紙に綿密に記することが多くある。その紙より妄想性障害、妄想型統合失調症と診断がつくことが多い。その紙がなければ妄想性障害、妄想型統合失調症と診断ができない。単なる引き籠もりと考えられることが多い。
 池田大作は自分を日蓮大聖人の生まれ変わり、または日蓮大聖人以上の存在、と豪語していたが、傲慢また自己愛性パーソナリティ障害からではなく、妄想に基づく言動とすることは十分可能である。

 池田大作は自分が日蓮大聖人の生まれ変わり、または日蓮大聖人以上の存在、という妄想の中で生きてきた。その妄想が宗門問題を生み、宗門から破門された。しかし宗門から破門されたのは、自分の上に人が居てはいけないという妄想から破門を仕掛けたのである。その妄想が訂正可能な妄想であったか、訂正不可能な妄想であったか、おそらく訂正不可能な妄想であったと思われる。すなわち、妄想性パーソナリティ障害を越え、妄想性障害に至っていたと推測される。タイプは誇大型である。しかし、妄想型統合失調症の軽症との鑑別が難しい。妄想型統合失調症の軽症である可能性は十分ある。池田大作には人格崩壊、人格破綻と捉えられるところがある。これは同時放送で頻繁に見られることである。巨大な権力の中枢に長年君臨してきた故の傲慢では説明できないと思われる。巨大な権力の中枢に長年君臨したならば却って王者としての優しさが備わるものである。池田大作には王者としての優しさは微塵も感じられない。
【例】に書いてあることは池田大作の妄想ゆえに起こった出来事の羅列である。
 大宗教団体のトップであったため気付かれなかった(放置されてきた)特異な症例である。妄想性障害の場合は抗精神病薬はほとんど効果がないとされるが、妄想型統合失調症の場合は抗精神病薬の効果は大きい。妄想型統合失調症であったとすると精神科医が抗精神病薬を服用するように勧めなかったことは残念である。
 池田大作が妄想型統合失調症であった場合、抗精神病薬を服用していたら、宗門戦争そして宗門から破門されるようなことはなかったと思われる。

                   (未完)

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        ブリキ集め症候群
                               創価学会内部改革派憂創同盟残党

【抄録】
 池田大作そして文鮮明、この二人は海外から勲章や博士号を漁るように集め、先進諸国からは激しい軽蔑の声が出ている。しかし、それでも止めようとしない。この奇怪な二人の精神病理を考察した。
 信者から巻き上げた金を湯水のように勲章や博士号を集めることに使うこの二人は勲章や博士号を集める毎に先進諸国から軽蔑と非難の声が挙がっていることを知らないはずがない。しかし、もしかすると本当に知らないのかもしれない。勲章や博士号に自分が相当する偉大な人物であるという妄想が見られる。この二人の奇怪な精神構造は二人とも成り上がりの新興宗教の教祖であることに由来するであろう。二人とも激しくはないが人格の崩れというべきものが見られる。そして妄想型統合失調症(軽症)を疑わざるを得ない。妄想型統合失調症(軽症)では人格の崩れは軽度であることがほとんどである。
 彼らの勲章や博士号集めは子供のブリキ集めと同じ類である。
 これは自己愛性パーソナリティ障害のなれの果てと定義することも出来るであろう。


【key words】Daisaku-Ikeda, Bun-senmei, Narcissistic personality disorder, Paranoid personality disorder, Delusional disorder, Schizophrenia paranoid type
 
【はじめに】
 精神鑑定は難しい。創価学会員であった宮崎勤は精神鑑定で“パーソナリティ障害”“統合失調症”“多重人格”の三種類もの結果が出ている。
 ここでは人格障害という言葉は用いず、パーソナリティ障害という語を用いた。  
 池田大作および文鮮明は自己愛性パーソナリティ障害、妄想性パーソナリティ障害、妄想性障害、妄想型統合失調症が疑われる。
 主に池田大作の精神病理について考察する。

                   (未完)



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mifune0007さん

自分が信じている日蓮正宗(創価学会の母体)をお勧めします。

創価学会は止めた方がよいです。精神疾患は確実に悪化します。これはたくさんの精神科医が認識していることです。「創価学会だけはするな!」と。このことはどの精神科医も言うはずです。「創価学会だけはするな!」と。これは精神科の鉄則です。

精神疾患を治すために騙されて創価学会に入会し、結局、却って酷くなって自殺した創価学会員を2名直接に経験しています(自分が主治医でした。その頃は自分は熱心な創価学会員でした)。創価学会の信仰をしている限り、“うつ病”は治りません。治ったとしても一時的です。必ず再燃しています。
そして不思議なことに家族の誰かが創価学会の信仰をしていると創価学会の信仰をしていない家族まで“うつ病”などの精神疾患に非常になりやすいことです。これは家の御本尊の存在が影響していると思われます。
つまり、子供のためにも貴方は創価学会に入ってはいけません。子供が病気になります。

自分は精神科医です。
http://tokyo.cool.ne.jp/mmm007/
お布施は日蓮正宗の場合、自由です。お布施しても良いし、しなくても良いし。
自分は1年ほど前、創価学会から日蓮正宗に移りました。
小さい頃から創価学会でしたけど、疑いを起こして(とくに池田大作に対して)日蓮正宗に移りました。しかし、女房は創価学会ですし、子供も小さいですけど創価学会に入会式?を受けています。

創価学会は二代会長戸田先生の時代までは清浄な信仰団体だったですけど、池田大作になって邪宗教になったのです。
日蓮正宗大石寺の方に向かって遙拝勤行の日々です。
近くに日蓮正宗のお寺があると思います。そこに行って御授戒というものを受けて御本尊を下付してもらえばよいです。

創価学会は年末のお布施が最低一万円です。以前は数千円で良かったのに、いつの間にか最低一万円になっています。
正月勤行会も最低一万円のようです。そして聖教新聞一冊月1880円です。これを2部は取らされます。
自分は創価学会のときは毎年100万円お布施してきました。
創価学会は毎年100万円お布施しなければならないようなシステムになっているのです。
創価学会に毎年2000万円お布施していて潰れた個人病院を知っています。一家離散です。

なお、自分は日蓮正宗に移ってからは未だ1円もお布施していません。ただ、お数珠が千円、経本が百円、御本尊が二千円か三千円だと思います。入る時に少し(数千円)懸かるだけです。
日蓮正宗に入れば確実に精神疾患は治ってゆきます。
自分は日蓮正宗は信頼しきっています。

この限られたスペース上で話できないことでも、ホームページにアドレスが書いてありますからメールにて対応します。なお、週末は3日連続の泊まり込みの当直でメールに対応できません。

http://sky.geocities.jp/mifune0008/
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎

(余記)
過去の質問を読みました。創価学会には“うつ病”がもの凄く多いです。創価学会員の“うつ病”は治りません。治っても一時的です。すぐに再燃します。創価学会員で“うつ病”20年30年はザラです。ネットには幾つか創価学会員の“うつ病”友の会があります。そこには“うつ病”20年30年の人達が集まっています。
何故、創価学会員の“うつ病”が治らないのか? これは興味のあることですが、創価学会に関する論文はどの出版社も載せません。昭和55年までは載っていましたが、以降は決して載らなくなりました。創価学会の強い言論弾圧が行われているのです。

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dola_dola_heisei22さん

★日蓮正宗の方に質問です。創価学会が寄進した寺はそのまま使われていますが、このことに疑問を感じたことはありませんか?

寄進されたものは、当然、宗門のものとなっているから、別段、何も感じないということでしょうか?

補足
tttggg_003さん 。
そんなことは、質問で聞いておりません。

創価学会が寄進したということは、事実です。
このことについて、何も感じないかと問うているのですが。

寄進したものが宗門の所有になっているのは当然でしょう。

質問日時:
2010/9/9 07:43:55
補足日時:
2010/9/9 10:05:35
閲覧数:
25
tttggg_003さん

創価学会が寄進した寺は、山崎正友氏がすべて総本山の所有という名義替えを池田大作に進言し、行わせました。

法律上の所有権は、宗門になっています。

http://sky.geocities.jp/mmm23246/
創価学会内部改革派憂創同盟残党またの名を三船敏郎
お萩姫、命!!

(補足)
平成五年のある夜、午前一時のことだった。全国で行われていた創価学会・男子部による夜撃ちが本寺院でも行われた。玄関は蹴り破られ、毎夜、このことのためにお寺に寝泊まりしていた元創価学会壮年部支部長は男子部に暴行を受け、歯が7本折れた。しかし、この元支部長の必死の抵抗に遭い、夜襲してきた男子部は、警察のパトカーの音を聞くと逃げていった。元支部長は他にも顔面挫傷、頭部挫傷、40針の外傷だった。頭部CT上、急性硬膜下血腫も認められ、脳外科医院に入院となった。
犯人は特定されず、この犯行は闇に葬られた。
これをどう思われます。

(更に補足)
思うに、これが全国的に行われていたと言うことは、創価学会中枢部からの指令があったものと思われる。少なくとも全国男子部長に責任が及ぶはずである。
この元支部長は当時60歳であり、頑健な男子部数人から殴る蹴るの暴行を受け、瀕死の重傷になったが、警察は積極的な捜査を行わなかった。
元支部長は夜襲をかけた男子部の数人を話をしたことはないが、知っていたという。挨拶を受けたことは何度もあったという。元支部長は平成三年に脱会するまで地元の支部長として地元の会館には頻繁に通っていた。男子部の創価班、牙城会のメンバーは知っていた。
警察が地元の男子部の顔写真を持って、入院している脳外科医院に訪れたら犯人は特定されていたことは間違いない。
ここにも創価学会と警察の癒着が見られる。

(また補足)
法律のことは詳しくないので質問します。
自分の通うお寺は平成五年の真夜中一時に、創価学会男子部より夜襲を受け、この頃、全国的規模で創価学会男子部による
お寺への夜襲が行われており、お寺の講員が一名、毎夜のように泊まり込みで警戒していました。
夜襲があり、そのお寺の講員は数人の創価学会男子部に対し一人で応戦したのですが、歳はもう60歳でした。若い頑健な男子部に殴る蹴るの暴行を受け、瀕死の重傷を負いました。
平成五年のことを平成二十二年である今、裁判所に訴えることは出来ないでしょうか?
頭蓋内出血もあり頭部CTが撮られましたが、交通事故とは異なりますので、もう破棄された可能性もあります。(交通事故の場合は原則として永久保存です。これも事件ですので永久保存になっているでしょう)

平成五年のことを平成二十二年である今、裁判所に訴えることは出来ないでしょうか?

宜しくお願いします。


編集日時:回答の完了時に確定
回答日時:2010/9/9 09:57:11

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      池田大作の女性問題

 池田大作の女性問題はネット上そして過去に週刊誌上で話題になった。池田大作に極似ている文鮮明、金日成の女性問題のことを考えれば、池田大作の女性問題は当然のことと思われる。昔の大奥である。
 池田大作の奥様も諦めていたようである。問題になっているのは一部であり、池田大作の隠し子は何人も存在すると考えられる。
 00訴訟は真偽のことは定かでないが、これも一部のことと思われる。
 ブラジル創価学会の中心的存在であった00夫人は池田大作との関係を公言して憚らなかった。そのためにブラジル、アルゼンチンなど南米では法華講に移る人が数多く出たと言われる。日本では聖教新聞、創価新報などで何も書かれないため、知っている人はほとんどいない。
 

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>憚りながら申し上げます。

まずは、勇気をもって、自分が法華講員になったことを奥さんに伝えるべきだと思います。
——それができないのです。知られたら即“離婚“です。子供を持って行かれます。(以前、「それでも別れろ、お前が働いて創価学会に財務しているのと同じではないか、その罪は物凄く重い、このままでは地獄に堕ちるぞ」とネットで言われましたーーこの人は精神障害または人格障害です。他にもいろいろ問題を起こしています。おそらく統合失調症と思われます)それほどの池田教の狂信者です。あの一族は全員、池田教の狂信者です。洗脳されきっています。池田大作を神様と言います。貯金通帳を取られていますが、財務にどれだけしているのかとても心配です。貯金通帳は返してくれません。話が通じる相手ではないのです。お墓も勝手に買われました。あんな遠方までお墓参りに行くはずがないのに。
http://sky.geocities.jp/mifune0008/

を見ると納得がいくと思います。
悩みきっています。諦めきってもいます。空手チョップには負けます。諦めきって「良きパパでいよう」と思っています。遙拝勤行をずっと続けようと思っています。

 そして自分を狙っている看護婦は31歳、8歳の子供がいる。旦那を追い出したと言っている。40歳ぐらいの独身の看護士を狙えばよいのに何故か僕を狙っている。それは僕が三船敏郎のそっくりであるからだろうと思われる。
 その病棟に診察に行くとその看護婦が他の看護婦を押しのけて進んで僕の手伝いをする。美人ではなく中よりやや上と思われる。
 母子2人の生活はわびしいと思われる。看護婦なので夜勤もある。そこに情が動く。
 
 カルトは人の心の中に存在する。
 カルトに分類された宗派も、カルト的でない考えの人の心の中にはカルトはない。
 カルトに分類されない宗派も、カルト的な考えの人の心の中にはカルトが存在する。

 良きアドバイスお願いします。悪きアドバイスは要らないです。

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 創価学会の家には創価学会の信仰をしていない人にも精神疾患などの病気が異常多発している。
これをどう説明して良いか? 悪い御本尊から悪鬼が出ていると考えざるを得ない。
 悪鬼が悪い御本尊から出て創価学会の信仰をしてない家人にまで憑依すると考えざるを得ない。創価学会ではそれを「信心していない罰だ!」と反対に責める。しかし、苦しみの張本人はその御本尊を家に入れた者である。この現象は昭和40年後半には起こっていた。池田大作の会長就任が昭和35年、これから創価学会の謗法が始まったという意見が多い。池田大作が創価学会員の幸せを奪ったのだ。池田大作が悪鬼の大集団を創価学会に雪崩れ込ませ、創価学会員に不幸が起こるようになったのだ。「トップが悪いとそこから悪鬼が雪崩れ込む」という御文がある(これは20年前、創価学会内部改革派憂創同盟の人から電話で聞いただけで、何処にある御文か分からない。日蓮大聖人御書全集にはないと思われる)。


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 池田大作が三宅女史に宛てたラブレターが(池田大作の品格 part2:小多仁伯、小川頼宣:日新報道:2009:p262)に掲載されてある。

「体で見たことをゆう。                    爾の願いを高めよ。
 体で見たことを書く。                    爾の願いを潔めよ。 
 体で見たことを行う。                    爾の願いを深めよ。
 目で見て見えるか?                     爾の願いを広めよ。
 耳で聞いて聞こえるか?                   私欲を離れた願いならば
 体で読んだものが本当だ。                  死ぬまで願いつずけよ。
 体で祈ったものは実現する。                 諦めるから叶わぬ。
 体で語ることは誰にも見える。                応答を信ぜよ。  
 体で悟った真理だけが我がものである。            正しき願いは実現する。」

 私は精神科医として統合失調症者のノートや手紙を頻繁に読むが、まさしくこれは統合失調症者のノートや手紙と一緒である。
 すでに池田大作はこの頃、統合失調症の初期段階にあったと言える。
 統合失調症者のノートや手紙は何を言っているのか分からない。そして支離滅裂であることが多い。 
 統合失調症者のノートや手紙は意味が錯乱し、混乱している(ここまで本気)。
 これはクソ君がお萩姫に宛てたラブレターと似ている(これは冗談)。

 三宅女史は言う。「私はね、なんていうのかな、池田のことは、少しも好きだの、この人がいいとかという恋愛感情が全然なかったの。」

 三宅女史は更に言う。「詩をみた時は、どこかの文章を引っ張ってきたのかな〜、てな感じ。普通だったら、男性から手紙を貰ったらときめくじゃない。ちょうど歳は二十一? 彼は何歳? あ、歳忘れた。なにしろ、あの人が夜学に行っていて、私は大学行ってる頃ですから。いろんな交際範囲もあるわけですよ、わたしにも。あの人だけじゃないわけ。彼はもう夢中になってね。それで私のところに来て、「写真なんとか一枚欲しい」といったから、「私の写真あんまりないけど」といってね、まあちょっとした写真あったから、あげたら大事に大事に定期の中に入れて持ち歩いていたという話があったんですけど、私さ、悪いんだけど、全然好きでもなんでもなかったんですよ。食用カエルの大きく成ったようで気持ち悪かった。」

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     000000さん
• 事実を話します。実母・継母・父と、それぞれの両親である私の祖父母全員が、50年以上前に入信した、創価三世です。
私の実母は、男子部長を務めた父が「信心熱心でいつも笑顔で、本当に尊敬していた。」と今でも言う程、熱心な学会員でしたが、ノイローゼを患い、5年以上精神科に通院していたにも関わらず、体を壊し、心臓発作を起こして他界しました。
ノイローゼの原因を父に聞いても、「両親が入退院を繰り返して疲れたんだ。全て前世からの宿業だ。」と言っていましたが、実母は小学生の時から熱心で、高校時代には代表に選ばれて池田先生にお会いし、教学でも教授でした。
実母は「選挙・財務」に執念を燃やす創価学会の目的が「公明党の票と大金を集めること」だと気づいたのに、「学会を悪く言う者は地獄に堕ちる」と 本気で信じている自分の父と夫に追い詰められ、ノイローゼを患って他界したのです。
その実母の父はお風呂の無い狭いアパートに長年住み、入退院を繰り返しながら、毎年百万も財務を納めていました。
私の父方の祖母は、貧乏が原因で入信しましたが、財務を頑張っていたせいで貯金が無く、遠くの安いスーパーに膝の痛みを我慢しながら買い物に行っていますが、年金だけでは生活できないので、父が毎月、退職金を前借りし続けて援助していました。
継母は「一年間頑張って貯めた何十万を財務に入れているが、不思議なことにその後必ず良いことがある。」言いますが、結果、父は退職金が無く、今も毎日フルタイムのバイトに通っています。
私は父から「信者から大金を取るのは悪い新興宗教だが、創価学会は違う。宇宙で唯一の、信じて祈れば絶対に願いが叶い、幸せになれる宗教だ。誇りに思え!」と言われて育ちましたが、真実はその真逆。創価学会は信者を洗脳して大金を絞り取り、熱心な学会員も家族も周囲の人々も確実に不幸にする悪質な宗教団体。だと気づきました。


o 知人の父親が入会し家族は崩壊しました。両親は離婚、母親、兄弟3人今でもバラバラの生活です。
高校も友達は自力で卒業しましたが、下の二人はろくに教育を受けていません。御布施しまくって経済的に困難な状態でした。なのに学会関係者の寝たきり老人は面倒見てました。おかしくないですか?
上が儲かるための材料にしか信者の事を思ってませんよね。その搾り取ったお金をドブに捨てるようなこと(出馬)して…絶対に一般人は票は入れません。
町で『お祈りさせてください』と呼び止められるのも非常に迷惑です。

宗教は人それぞれ心の寄り所なので信じるのは良いことだと思いますが、お宅のは宗教ではないです!詐欺集団です。
o
• 直接嫌なことされましたからね

何度も書いてるけど

父親(だけ学会に入っていた)の葬式の時に
数人で乗り込んできて
(もちろん、家族も親族も学会に入っていないから
葬儀は学会を一切介さずに行っています)

散々、我々遺族を罵倒し
挙句に
「(父親以外の)家族が学会に入信していないから
こんなことに(父は事故で死んだ)なったんだ!!」
と近所の人や親族の前で大声で言い出し

さらに
「今からでも遅くないから家族全員入信しろ」
「今集まっている香典はすべて学会に寄付しろ」
とまで(恫喝的に)母に言い

母親が「断固拒否」すると
去り際に
「お前たち家族は全員地獄に落ちるぞ!」と言って
去っていきました…

一家の大黒柱を失い、悲しみに暮れる人に向かって
こういうことを「当たり前のようにやる宗教団体」としか
私には思えません

これは事実です
一切の脚色はありません

今でも「絶対に許せない気持ち」でいっぱいです

• 回答日時:2010/10/8

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“うつ病”を煩っている創価学会員は極めて多い。
創価学会員の“うつ病”の特徴として治らないことである。
“うつ病”とは最も治りやすい精神疾患であり、大学病院では教授受診までの2ヶ月ほどの間に治ってしまう人が多かった。
だから“うつ病”でもないのに教授受診であった。

自分は創価学会員で“うつ病”が治った人は伝聞で一人知っているだけである。
ほとんどの人はそのまま生活保護になり、そのままである。10年、20年と続いている。
初めは生活保護にするから“うつ病”を治そうという意欲が削がれるためとも考えた。
また、生活保護が居心地がよいから“うつ病”のままという仮病を使っているとも考えた。
しかし、実際は、たしかに上記のような傾向性も見られることもあるが、大部分は本当に“うつ病”が軽くなっていないのである。精神病院への入退院を繰り返している創価学会員は多い。

また、今では、創価学会に入会することを条件に生活保護を取ってやっている公明党の市会議員が多いとも聞いている。
また、選挙前になると公明党に投票することを条件に生活保護を取ってやっている公明党の市会議員が多いとも聞いている。
市役所の生活保護を担当する課には公明党お抱えの担当員がいることは常識になっている。しかし、これは極秘になっている。

“うつ病”の場合は題目を1回唱えることも難しい。これは筆者が“うつ病”に十年間苦しんできた経験からそういえる。
十年間苦しんできた“うつ病”が突然に治ったのは、「これからは創価学会内部改革派憂創同盟としてやっていこう」と決心した時からだった。それは今から4年ほど前のことになるだろう。

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(補足)
 followthelawnotthepersonさん、あなたの存在に気がつきませんでした。自分と非常に似た立場、そして状況です。
 自分は池田大作の矛盾に気付いてからも創価学会内部改革派憂創同盟として三年間、創価学会員として創価学会に留まりましたが、御本尊が創価学会のはむちゃくちゃであるため(大石寺の方角へ向かってときどき勤行はしていましたが)日蓮正宗法華講に入りました。
 日蓮正宗法華講の矛盾らしきものにも気付いています。しかし、自分は日蓮正宗の信仰をしないと元気が出ないのです。他の信仰を漁りましたが、生きる力の出る信仰はありませんでした。
 一人で法華経を信じてゆこうかとも思いました。今も少し、その考えはあります。しかし人情に弱いというか、お寺になついてしまったのです。それに勤行唱題すると生きてゆく歓喜がわき起こります。難しく考えるまい、浅く考えようと思っています。
 池田大作という大悪人が何もかも悪いと思っています。池田大作憎しの念で一杯です。
 自分は二十代の頃、かなり宗教遍歴をしました。しかし、生きてゆく勇気が湧いてくる信仰はありませんでした。日蓮正宗と創価学会以外は生きてゆく元気は湧いてこないことを知りました。

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 もう一つ、驚くべき情報を入手した。以下にそのまま引用する。これは「犯罪学」でもっとも権威のある雑誌である。
『宮崎勤「幼女誘拐・殺人」事件(1989(平成元)年7月23日)
 ペドフィリー(幼児愛者)の宮崎勤(当時26歳)が、埼玉県西部を中心に昭和63年8月から連続発生していた「幼女誘拐・殺人」の犯人だとして逮捕された。犠牲者4人は、いずれも幼い女の子ばかり。公判では「自分は祖父が最も好きだった。その為、墓から何度も骨を取り出し食べた。」「殺した少女達が、有り難うと言っている」など、夢と現実の区別のついていない様な発言をしている。一回目の鑑定では「責任能力あり」とされたが、「多重人格」「精神分裂症」「パーソナリティ障害」という再鑑定も出ている。日本の裁判で正式に「多重人格」の鑑定が証拠採用されるのは初めての事。2008年6月17日死刑が執行された。創価学会員。』

 宮崎勤は創価学会に勧誘されており、入会寸前か入会していたと言われる。そのため、宮崎勤の事件が発覚した時、池田大作が大きな会合で「精神病者は入会させるな! 我々、創価学会員は選ばれたエリートの集団です」と言い放ったと記憶している。自分は創価班をしており、そのスピーチに驚き、会合終了後、創価班で集まった時、親しい仲間と池田大作のそのスピーチを訝しがった。
 この権威有る雑誌に書いた著者は日本共産党員であったのかもしれない。それとも、宮崎勤は創価学会に入会して既に数年経っていた、それとも宮崎勤が創価学会に入会したのはもっと以前だった、というのが事実なのかも知れない。

 創価学会は池田大作が会長に就任した昭和35年頃から既に謗法の団体になっていた。それは次の事実から分かる。

 池田大作は会長就任後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p80)

 昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十億円余りを集め、その直後に都内品川区妙光寺に於いて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p81)

 これは昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに答えた言葉である。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である」「私は現代の救世主である」「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」「世界の盟主である」「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする」「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」「今、私には天下を取ることが見え始めた」「私は太陽の帝王だ」(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方有紀書房:1965)

 池田は八王子の法忍寺に出向き、日達上人に全面的に非を認め、謝罪しました。日達上人は、いったんは許されました。
 しかし、池田は帰ってくるなりすぐに開き直り、日達上人への怨念を燃やし、「猊下は私を詫びさせた。この仇は必ずとってみせる」と首脳たちに激怒していました。
 昭和四十九年のこの時もそうでした。表面上の謝罪とは裏腹に、日達上人への「必ず法主の座を降ろさせてみせる」との憎しみ、仕返しの執念は凄まじいとしか言いようがありませんでした。
 そのころの池田は、私たち側近に口を開けば、日達上人の批難中傷ばかりしていました(これは妄想性人格障害によるものか、妄想型統合失調症による被害妄想か、鑑別が難しい)。結局、池田の日達上人への数々の謗法の謝罪はことごとく偽りだったのです。

(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002)

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創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(6) [宗教]

第4章 隠れ法華講への道
隠れ法華講への道
 お寺には週一回行くのみである。家には創価学会の“魔”の御本尊のため家では遙拝勤行しかできない。勤行唱題も家人に隠れてであるから時間が限られている。
 その代わり、創価学会内部改革派憂創同盟の活動を盛んに行おうと思っている。創価学会内部改革派憂創同盟の活動が成功すると大部分の創価学会員を宗門に帰すことができる。そして大部分の創価学会員を幸せにすることができる。
 生命力がない。元気がない。しかし“魔”の御本尊に祈っても生命力や元気は暗示的にしか強くはならないで居た。実家の日達上人の御本尊に祈りたい。実家の日達上人の御本尊に勤行唱題すると目は輝き、元気一杯になる。
 この前、実家の仏間に飾っていた池田大作の写真入り額縁を取り払った。この前、悪いことは起こらなかった。額縁を取り払ったのが奏功したのだろう。それまでは実家で日達上人の御本尊に勤行唱題すると何故か不思議と悪いことが続けて起こった。
 近年、創価学会員が勤行唱題をあまり行わなくなったのは御本尊が“魔”の御本尊に変わったため、勤行唱題しても生命の歓喜を覚えなくなったためと思われる。そのために勤行は朝夕一座ずつと創価学会は変わった。以前は朝五座、夕三座だった。しかも二座の長行はそれだけでも10分は掛かり大変だった。“魔”の御本尊でなかったから勤行唱題中の生命の歓喜は強く、自然と勤行唱題を長くしていた。今は勤行唱題しても余り生命の歓喜を覚えなくなったため、みんな勤行唱題を長時間は行わなくなったのだ。

「直結信仰」が悪いことを原島嵩氏は(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007、p170)にて書かれている。
『第二祖日興上人は「佐渡国法華講衆」へのお手紙のなかで「誰々が日蓮聖人の直の弟子であるという輩がいるが、これは無間地獄におちる大謗法です」(趣旨)とご教示されており。「直結信仰」を厳しく否定されておられるのです。』
『さらに創価学会は日蓮正宗の血脈を否定している、これも大謗法です。』
 現在の創価学会は日蓮大聖人直結信仰である。そして日蓮正宗の代々の血脈を否定している。代々の血脈否定とは御法主上人否定のことである。これは御本尊否定にも繋がる。
 そして原島嵩氏は法華講員となっている現在、毎日が楽しく法悦に包まれていることを著書「絶望の淵から蘇る」に書かれている。現在、創価学会には法悦(生きている一瞬一瞬が歓喜となる)が無くなりかけている。日達上人様の御本尊に勤行唱題すると法悦に包まれるが、平成五年から配布された創価学会製造の“魔”の御本尊に祈っても法悦は感じられない。創価学会員が勤行唱題を長時間は行おうとはしなくなった一つの大きな原因がこれであると確信する。そして創価学会製造の“魔”の御本尊に祈ると驚くような悪い偶然が起こる。その悪い偶然の起こる確率は非常に低いが起こってしまう。それが立て続けに起こってしまう。これではとても創価学会の信仰を続けることはできない。筆者は職場を解雇になる寸前に気付いた。
 今、自分は落ち着いている。創価学会員である間は(今も正式には脱会していなく、隠れ法華講員である。妻の一族が狂信的な創価学会のため退会届は出すことができない)常にソワソワしていた。落ち着くように言われても落ち着けない。そのため精神科の薬を常用していたほどだ。今は全く服用なしで落ち着くことができている。創価学会病であったわけである。
 創価学会病は多い。精神科外来に来る患者さんの多くが創価学会員である。隠していても自分のように慣れたら分かるものである。自分は幼い頃から創価学会の信仰をしてきた。たくさんの創価学会員と接してきた。そのため患者さんの言動、表情、そして雰囲気とカンなどから解るのである。
 また、反創価学会になるまでは気合いを入れるため三色旗のボールペンを常に胸のポケットに刺していた。患者さんから「先生は創価学会ですか?」と言われることが多かった。

 創価学会は中枢部があまりに穢れすぎていた。末端は純粋だった。一部だけが穢れていた。中枢部は思い上がり甚だしい(増上慢)池田大作によって穢れ果てされていた。創価学会の穢れは、池田大作一人によってもたらされた。池田大作が創価学会の全てを支配し破壊した。純粋な信徒団体だった創価学会を穢れきった信徒団体にした。そして創価学会自ら独立の道を選択し、宗門より独立していった。それは全てを支配するという池田大作の野望だった。
 戸田会長は「創価学会が御宗門にたてつくようになれば、すぐに解散させてください」と時の御法主上人に常々申されていた。
 また「広宣流布の暁には創価学会を解散させて、ぜんぶ法華講につける」と遺言されていた。

 一般の創価学会員は池田大作の悪行をほとんど知らない。全く知らないと言っても過言ではない。聖教新聞は池田大作を神のように誉め称える記事で満ちている。それは月刊誌「大百蓮華」も同じである。週刊誌「創価新報」は宗門を中傷する汚い偽りの記事で溢れている。そういうもののみ創価学会員は読んでいるのである。
 池田大作は自分を神のように讃える幹部のみを優遇してきたし、批判的な幹部は遠去けられてきた。創価学会は池田王国なのである。創価学会本部は池田大作を神様のように崇めていないと居着かれない魔窟なのである。

 池田大作(創価学会)を信じるものは低脳か余程のお人好しとしか思われない。同時放送での態度などを見れば池田大作のあまりもの傲慢さに呆れ返るのが普通である。それに気付かないのは低脳か余程のお人好しになる。
 池田大作の目が成り上がりの独裁者の目をしていることを気付かなければならない。独裁者は常に反逆に怯えている。竹入義勝氏への狂気の机でんでん叩きを繰り返した45分間のスピーチもそれに由来している。

 創価学会員は一般に非常に人が良い。創価学会員以外は(日蓮正宗信徒以外は)信じることができないほどである。友達になりたいと思わないほどである。付き合いたいと思わないからである。それほど人が良いから激しい折伏にも怒らずに素直に入信したのであろうし(その人でなくその人の親のことが多い。今は二世三世が多い。人の良さは遺伝する。)信仰を続けているのである。一部の創価学会員が欲深くて良くない。その人たちが創価学会の評判を下げていると言っても過言でないかもしれない。そして池田大作が一番、創価学会の評判を下げている。
 池田大作が亡くなると創価学会の評判は良くなってゆくであろう。しかし自分は創価学会が大きく方向転換をしない限り(信徒団体として宗門に戻らない限り)創価学会を辞め、法華講に入る予定である。(注:書いている時期が様々であるため、こうなってしまうことをお詫びしたい)


日如上人様
 辛いとき、「日如上人様」と心の中で唱えます。電話の受話器を取るときも「日如上人様」と心の中で唱えてから受話器を取ります。自分には生きてゆくことは、そんなに易しいことではありません。
 しかし、世の中にはもっと苦しんでいる人たちが居る。甘えてはならない。広宣流布のため身命を捨てて戦うべきです。でも、今の自分には若かった頃のような覇気があまりありません。全く落ち着いた自分になっています。創価学会の頃が余りにも落ち着かない自分であったと思います。
 今週の仕事の帰りにも寺院へ寄ろうとも思いますが、またいつものように寄らずにそのまま家へ帰るような気がします。インターネットで活動すべきだという考えがあります。広宣流布への活動をインターネットで活発に行うべきだという考えがあります。
 創価学会員は余りにも病気が多いです。熱心に信仰を行っていた故に罹った病気だと思われるものばかりです。適当に信仰している人は病気になって苦しむことは少ないように思います。
 女房が創価学会員で女房の一族が熱烈な創価学会員です。正式に創価学会を脱会することはできません。脱会イクオール離婚に近いです。可愛い幼い子供がいます。その孫を自分の親がものすごく可愛いがっています。隠れ法華講の道を獲るしかありません。
 池田創価学会は池田大作の死とともに大きく変動すると期待しています。しかし、現在の執行部の体制のままでは創価学会が本山に詫びを入れて本山に戻る可能性は極めて低いと思います。
 大きな世論を興さなければいけないと思います。そのためには国会議員に働きかけて国会で創価学会追求をしてもらうしかないと思います。創価学会はマスコミをその豊富な金力でかなり牛耳っています。創価学会を批判できるマスコミはごく僅かです。
 創価学会の宮殿革命は不可能な気がします。現在の平和な日本では宮殿革命を行おうという覇気を持った人間は少ないです。藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を担いで宮殿革命を考えていましたし、今もその考えは捨ててはいません。しかし、かなり難しいです。玉砕覚悟で臨まなければなりません。幼い子供がいます。年老いた両親がいます。自分は死ねません。
 しかし、その宮殿革命こそが創価学会を改革できる、創価学会を正常化できる、唯一の道と思います。苦しんでいる多数の創価学会員を救うことのできる唯一の道と信じます。ほとんどの創価学会員は余りにも人が良く、池田大作の悪さを知りません。聖教新聞に書かれてあることを鵜呑みにしています。これら朴訥な創価学会員を救うには大きな改革が必要です。しかし現在の執行部のままでは大きな改革を行うことはしないと思われます。
 国会議員はなかなか動きません。創価学会を攻撃する覇気のある国会議員は現在は少なくなっています。保身に汲々とした国会議員ばかりです。
 しかし、現実に目を向けると、そこには暗い絶望の道が見えているだけです。“魔”の力は余りに強く、どうすることもできないようです。
 創価学会員は池田大作の悪行をほとんど知りません。理解のある創価学会員は一部です。


藤原範昭氏へ「戸田時代に帰れ!」
 自分は二十年ほど前、00の活動家に勧められて藤原範昭氏と電話で話をしたことがあります。しかし、優柔不断な自分は創価学会内部改革派憂創同盟に入ることはなく創価学会に大人しく留まっていました。しかし、00歳となった今、創価学会を改革しなければならないという決意が強くなっています。今では家の日寛上人の御本尊は“魔”の御本尊として全く祈っていません。自分は藤原範昭氏より0年年下になります。
 現在はヤフーの知恵袋で創価学会内部改革派憂創同盟として戦っています。「創価学会内部改革派憂創同盟」のホームページも造ってあります。 池田大作によって滅茶苦茶にされた創価学会を戸田先生の時代の創価学会に戻すのです。素晴らしかった創価学会に戻すのです。「戸田時代に帰れ!」です。
 池田大作は近いうちに死ぬことは確実ですが、創価学会の内部改革は非常に困難と思えます。宮殿革命を起こさないことには創価学会の内部改革は不可能と思います。しかし宮殿革命は難しすぎます。成功する可能性はありません。
 秋谷元会長たちが反乱を起こす可能性は低いと思います。このまま濁りきった創価学会のままで推移する可能性が非常に高いと思います。
 創価学会には純朴な人があまりにも多く、真実を知らないまま(池田大作の真実を知らないまま)、創価学会について行っている人たちが非常に多過ぎます。自分の両親もそうです。法華講に入りたくても周囲の創価学会員への義理人情で法華講に入れない人が非常に多いです。
 自分も法華講に入りたいですが00の一族が狂信的な池田教信者であるため入れません。離婚となり、子供を持って行かれます。結婚が失敗でした。
 今の腐りきった創価学会ではたくさんの人が不幸になります。創価学会を改革しようとの決意は強くなっています。しかし、現在の生活を捨ててまで創価学会の改革に走る決意はありません。また、その確信もありません。この手紙は出せません。池田大作はイエスマン以外は排除してきたため改革は奇跡が起こらない限り不可能です。どうすることもできません。—————しかし、次第に、やる気が湧いてきました。革命です。無血革命です。宮殿革命です。
 
【宮殿革命、成功への知恵と人員を募集する。メールでお願いします。(多くの創価学会員を救うための革命です。非暴力主義でいきます)】
1)宮殿革命への仲間を募る、集める。 
2)法華講の力を借りる(屈強な男性を30名ほど借りる)。 
3)本部職員も聖教新聞社職員も藤原範昭氏が会長ということになると大人しく従うと思われる。池田近衛隊も大人しく従う可能性は高い。原田会長の部屋の椅子に藤原範昭氏を代わりに座らせる。そして日常業務はそのまま続けさせる。会長室にあがってくる書類への処理はそのまま続けさせる。 
4)宮殿革命を起こす時期は創価学会が弱体化したとき、すなわち池田大作の死後になる。また、公明党が完全に野党に落ちたときである。————しかし、池田大作の死を待つ必要はない。池田大作はすでに死んだも同然である。


紳士革命
 藤原範昭氏と原田会長が面会する。
 平和理に会長交代が話し合われる。そして原田会長は会長を退く。
 宗門の一信徒団体に復帰する。もしくは創価学会を解散する。
 一信徒団体への復帰か法華講に属するかは猊下上人の判断に委ねる。

——原田会長も池田大作についての反感が強いことを数日前、知った(2010年1月2日)。それならば、これがもっとも現実的な方法と思われる。しかし、池田大作の死後でないと実行不可能であろう。池田大作の死は近い。
 紳士革命こそ現実的である。紳士革命の成功を祈る。——
 

次期会長について
 戸田先生が残した最大の汚点と言える「みんなで話し合って決めること」は正しい選出方法ではなかった。その方法は会長への野心・野望を持つ“魔王”を選ぶことに繋がった。戸田先生がそういうことを仰らなかったならば創価学会員はこんなに苦しむことはなかった。戸田先生は池田大作の魔性を見抜いていなかったのか? それとも戸田先生には遺言状があり、しかしそれを池田大作が誰にも解らないように奪ったのか?(それには池田大作を創価学会より除名することが書かれていた?) 池田大作が“魔”の軍団を創価学会に大量に招き呼んでたくさんの(何十万何百万人の)創価学会員が塗炭の苦しみに喘いだ。また、そうでなかったら、既に広宣流布は達成されていたであろう。
 私たち創価学会内部改革派憂創同盟は藤原範昭氏を会長に推薦する。藤原範昭氏は本山に詫びを入れ、創価学会は本山と和解し、創価学会は再び日蓮正宗の信徒団体となる。正しい御本尊を持ち、創価学会員は幸せになれる。
 財務も一人五万円までとする。会館および関連企業(聖教新聞、日本図書など)の職員は募集を中止し、 会館および関連企業の職員を減らすように努める。希望退職を募る。池田大作の道楽(ノーベル平和賞を狙ったもの)で造られた民音など即時中止すべきものは即時中止する。儀典部は即時解散とする。職を失った者で希望者は他の外郭団体に転職させる。
 全国各地に建てた墓地は宗門に全て寄贈する。
 海外での余計な購入物(城など。これらは池田大作の海外別荘として購入された)は売りに出す。池田大作の別荘である霧島研修道場なども全て売りに出す。
 池田大作の専用施設と別荘は数えるのが困難なほどあり、都心の一等地に建築費約五億円をかけて造られた和風総ヒノキ造り、庭園付きの邸宅である学会本部横の白雲寮などがある。池田大作が東京にいるときは大抵、この白雲寮にいる。自宅へは年に数回しか帰らないと言われる。なお、専用施設とは別荘と言い換えても良い。創価大学近くの加住研修所は三十四億円をかけてある専用施設である。熱海研修所に至っては数万坪もある別荘である。創価大学、創価学園にも豪華過ぎる専用施設が多数ある。1989年には伊豆の温泉地にも約一万坪の池田専用別荘が建てられた。池田大作の別荘および専用施設だけでも何百億、多く見積もると一千億円になるであろう。例えば、フランスでは東京ドームの五倍の広さを誇るアルニー城という古城を買収している。これがフランスでの創価学会カルト批判に大きな影響を及ぼした。また、イギリス・ロンドン郊外の古城を約十八億円で買収し、実質的な池田家の海外別荘とした。これらは全て不要のものであるため売却する。
 政治からは一切撤退する。(政治に進出するとそこから腐敗が起こる。これはどうしようもないことだ)
 池田大作批判は徹底的に行い、戸田城聖全集の再版を行う。池田大作が書いたとされる書籍は全てがゴーストライターに依るものであるため実際に書いた著者の名で出版する。
 会員が幸せになれる創価学会が出来上がる。ほとんど中止していた折伏弘教を再開する。


法華講
法華講で幸せになれるでしょうか? 創価学会のとき、とんでもない目を受けたので、...
7777777さん
法華講で幸せになれるでしょうか? 創価学会のとき、とんでもない目を受けたので、心配です。
法華講で幸せになれるか、お尋ねしたい。

http://sky.geocities.jp/mifune0008/
創価学会内部改革派憂創同盟
補足
これは切実な問題なんです。休みの日はこのことを考えて夕方まで布団の中で煩悶しています。法華講で幸せになれるか? 今の自分には極めて切実な問題です。


888888888さん
あなたの求めている幸せとはなんでしょうかね?
幸せになるかならないかはあなたが求める幸せが正しい幸せであるかないかによるでしょう。
あなたが正しい御本尊様を求めて、御指南の通りの信心をするならば、幸せになれると断言致します。
しかしあなたが違う目先の利益や現象のうわべの幸せを求めているならば、法華講に入講してもなかなか幸せにはならないとも言えます。脱会しても現実にいるのですが、こんなはずではなかった、あげくは学会も法華講も両方ダメでしたと言う人がね。こういう人達は日蓮正宗の正しい信心を我見で捉え、相変わらず学会の間違った考えのまま信心をやっています。
信じる心が間違っているのですから、一向に良くなって行きません。ですからあなたが求めている幸せが間違っていれば良くはなりません。要は真の幸せは大御本尊様と唯授一人血脈相承を離れて有り得ないのですから、どこまでも正しい御本尊を求め、御指南の通りの信心を求める姿勢が無いと、何時まで経っても迷い続けるでしょう。
あなたは学会の間違いを十分に理解されているのですから、布団にくるまって考えても解るものでもありません。次は行動です。まずは脱会をしてお寺で勧誡式を受けてから、御住職様の御指導のもと真の幸せとは何なのか考えることが大切です。勇気を持って日蓮正宗寺院を尋ねられることを願います。


fs2784さん
少なくとも「とんでもない目を受ける」ことはありません。切実であればあるほど、説明は短くて良さそうです。「絶対に幸せになります」




rtf3070さん
私の祖父母はもともと日蓮正宗の檀徒(法華講)であり、父母は創価学会員でした。私も生まれてまもなく創価学会に入信させられましたが、毎月の御講にはずっと日蓮正宗のお寺に参詣していましたので、創価学会が宗門批判を聖教新聞で始めるようになった時、聖教新聞の記事がすぐに嘘や捏造であることが分かっていました。日蓮正宗の僧侶は聖教新聞に載っているような方ではありませんし、私の知っている御住職は本当に少慾知足の方たちばかりでしたし、六壺で修行しているお書家さん方も中学に通いながら、寒さ厳しい冬でも足袋も履かずに一生懸命修行されておられます。私はその中の一人に寒いのに足袋は無いのですかと聞きました、その方はご供養で頂いたので本当に寒い時以外は履きませんと言っておられました。当然本山大石寺内の塔中内外も本当に綺麗で心が洗われ清浄になります。ただ、創価学会がいまだ所有権を持つ売店は放置され荒れていますが、これは創価学会の嫌がらせであります。折伏も創価学会のように口巧く誘って、大人数で取り囲み喚き散らしながら無理やり入信させるようなことは一切しません。入信するしないは、その方の心が一番大切であり、その信無くしてはありえませんので無理やり勧誘することは一切ありません。逆に入信すると言っても誰でも入信できるものでもありません。本当のことをそのまま説くことが、他宗を批判していて、自分の宗だけ正しいというのはおかしいという方がおられますが、宗教で「私の宗教も良いけど、あなたの宗教も最高だね」などと言うのははたして宗教と呼べるのでしょうか。日蓮正宗の信仰は三世に渡る価値観を持っているので、現世御利益や賽銭神社的な棚ボタ宗教ではありません。信仰をしていくと自然に自分自身の心が磨かれていく様子が、自分から見ても、他人から見ても共に分かっていきます。幸せになるということについては人それぞれの価値観がありますが、心がやすまる、安穏な人生になる、この信仰をやっていて良かったと思えることに出会える、のは確かです。一度お近くの日蓮正宗寺院に足を運び、納得できる様に御住職から話を聞いてみてから、ご自分で納得出来るようでしたら法華講に入講されるようにお勧め致します。


000000さん
貴方が幸せを感じる定義で違うと思います。
学会では幹部が我見で指導をし、人の良い人は言いなりになって行動し利用されます。法華講は各末寺ごとに御住職が御法主上人猊下の御指南を仰いて御指導しますので幹部が我見で指導をする事はありません。ですから講中の在り様は末寺ごとに違います、ただ正しい法を実践するのですから
それなりの魔も出ますし宿業転換も結果としておのずと出てきます。学会と違い行体行儀を重んじますから学会からの癖(振る舞い)を注意される事は多いかも知れません。六根清浄を目指して一日も早く日蓮正宗に帰依なさる事を心からお祈り致します。

(補足)を読まさせていただきました。法華講に入講し御法主上人猊下の御指南のまま実践すれば少なくとも物事に悩む事は無くなります!!!




 耐震偽装の姉歯秀次氏は壮年部副本部長だったそうです? 皆さん、知ってましたか? 驚きました。
1)家の前に『どうぞご自由に』と書いて『聖教新聞』を置いていたこと(『聖教新聞』を自宅前で無料配布していた)。
2)選挙になれば公明党のポスターが張り出され近所では「創価学会一家」と認知されていたこと。
3)奥さんはひどい奇行癖があり統合失調症が疑われる疾患にかかっていたこと。
4)奥さんは事件ののち飛び降り自殺で命を絶ったこと。
5)相互扶助組織である創価学会も奥さんを助けることはできなかったこと。
6)ヒューザーの小嶋社長は公明党とパイプを造っておくため信仰心は全くなかったが創価学会に入会していたこと。
7)小嶋社長の知己の公明党区議はヒューザーから政治献金を受けていたこと。
8)この事件が発覚する直前に小嶋社長は知己の公明党区議を介して国交省の担当者を紹介してくれるように頼んだこと。
9)この事件が起こったときの国交省の大臣は公明党である創価大学一期生の北側一雄氏であったこと。
10)姉歯秀次氏は母親が病弱で早くに離婚していて女手一つで二人の子供を育てたこと。
11)姉歯秀次氏は大学卒ではなく工業高校卒で実務経験を積みながら一級建築士の資格を取ったこと。
12)創価大学のホームページ上の「主な就職先」に上場企業でもないヒューザーの名前が入っていたこと、
13)事件が起こってから創価大学のホームページ上の「主な就職先」のヒューザーの名前が削られたこと。
などは知っていました。
 しかし姉歯秀次氏が壮年部副本部長とは知らなかった。福本潤一氏(池田大作に東京大学の名誉教授に池田大作を就任させるように命じられた東大出身の参議院議員)の書かれた本(創価学会・公明党「カネと品位」:福本潤一:講談社:2007:p106)に書いてあります。国会議員に回った情報ですから本当と思われる。
 池田大作が創価学会に招き入れた“魔”が犯罪(耐震偽装)を唆したと思われる。
(※上記はインターネット上に自分が書き込んだものである)
『この六月に、公明党参議院議員(当時)の福本潤一氏が週刊現代で「東京大学の名誉教授に池田大作を就任させるように命じられた」との告発を行いました。
 電車の中吊り広告を見た人は「エッまさか、本当なの」「池田ってバッカじゃない!」等々の侮辱的な感想が聞こえてきます。
 大体、最高位の東京大学の名誉教授取得に異常な執念を抱く池田大作という人物は、常識では考えられない大欲望の愚か人間なのです。何故、世間も学会員も疑問に思う性癖を発揮するのでしょうか。』と(池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007:p139)書かれています。


 いよいよ、「財務」の時期がやってきました。振り込み用紙が入った封筒が配られてきました。12月25日までに振り込むこと、月末は込むから早い時期に振り込むこと、と書いてありました。これは完全な詐欺です。集団詐欺です。「財務」によって家庭を破壊された人、夜逃げになった人は多い。国会で取り上げるべきです。
 男性は思慮分別があるから多額の「財務」をすることは稀です。しかし女性は気違いのように多額の「財務」をするのが多い。サラ金から借りてまで「財務」をするのが多い。直前の会館での「財務」の功徳話を本当のことと思うからである。女性には内向して考える能力がない。その功徳話は男子部や壮年部が代筆して創作したものであることを知らない。
 婦人部は多額の財務をすると不幸が舞い込むことを理解できないのである。多額の財務をすると不幸が舞い込む体験談を知らない。
 私が中等部担当の時、叔父の遺産として入った3000万円を丸ごと創価学会に寄付した中等部員は絶対合格するはずの二つの高校に二つとも落ち、結局、三流高校に行きスケバンになった。今も不幸に喘いでいる。
(※上記もインターネット上に自分が書き込んだものである)


 創価学会で一番、弁が立つと言われていた広報室長の西口浩副会長は五十三歳で舌癌で亡くなった。自分はここにも創価学会の魔性を見るような気がしてならない。創価学会は早く辞め法華講に入るべきである。
 宗門攻撃の総指揮者だった野崎勲氏は六十一歳で胃癌でなくなった。この野崎勲氏は「五十二年路線」では池田大作から直々に指示を受け、青年部の先頭に立って創価学会に批判的な僧侶を学会本部などに呼び出して、大声で罵詈讒謗を加えて恫喝し創価学会への「詫び状」を書かせていた。
(※上記もインターネット上に自分が書き込んだものである)


“魔”の御本尊に祈って、あなたは本当に以前、感じていた歓喜・生命の躍動、南無__は歓喜の中の大歓喜なり、となりますか?
自分は以前の日達上人の御本尊に祈ったときと、平成五年から配布始めた日寛上人の“魔”の御本尊に祈ったときとでは全然違います。
“魔”の御本尊に祈っているときは勤行唱題をしたという自己満足感しか得られません。
日達上人の御本尊に祈ったときは大歓喜が湧きます。
自分の実家は日達上人の御本尊なのです。
“魔”の御本尊に祈るより、大石寺の方角へ向かって勤行唱題した方がずっと歓喜が湧きます。
“魔”の御本尊に祈っても紙に祈っているようで歓喜は湧きません。そして運命は下降線を辿ることにも気がつきました。
これが自分が創価学会を疑い始めた一つの大きな理由です。
これは自分だけでしょうか??


 池田大作が同時中継の時、秋谷会長に「踊れ!」と命じ、踊らせたのは平成三年のことであるらしい。あれを見て約五万人ほどが疑いの心を起こし退転した。五万人でなく三十万人が退転したかもしれない。
 その数年後から、創価班、牙城会は希望者はほとんど全員成ることが出来るようになった(それまでは面接が非常に厳しかった)。また、その数年後から男子部の班長も勤行唱題さえ行っていれば、ほとんど全員成ることが出来るようになった。学会離れがその「踊れ!」に連動しているように思えてならない。今では勤行唱題を行ってなくても男子部の班長になれる。
 その「踊れ!」を見て疑いの心を起こさなかった人は何かが抜けているか狂信的な池田大作教信者であることになる。自分は仕事で出られず、見ることができなかったし、このことを自分に言う人はいなかった。自分がこれを知ったのは十七年後のことであった。
 同時放送は雲の上の人とされていた池田大作を引き下ろし、その実在を一般の創価学会員に見せつけた。良識のある創価学会員はそのあまりもの傲慢な姿を見て宗門に寝返ったりなど退転していった。誰が同時放送を始めることを命じたのかは不明であるが、同時放送は狂信的または無感覚な創価学会員を創価学会に残す結果と成った。大きな画面に映し出されたあまりにも傲慢な姿は良識のあるものならば疑いを起こさずには居られなかったであろう。
 同時放送はこのように創価学会潰滅への一つの試金石となった。池田大作に反感を持っていた副会長の一部が動いて全国への同時放送を推し進めたのかもしれない。

手紙1
 はじめまして、
 久方ぶりにWebSiteで創価学会の事を読ませていただきました。
 私は六十代後半、かつての創価学会の支部幹部です。
久方ぶりと申しますのは、実は私はインターネットに関しては、マイクロソフト社がウインドウズ-98を世に出して、インターネットエクスプローラーが使えるようになった頃、親しんで来たのに、創価学会問題については、殆どアクセスしてきませんでした。幾ら論じても仏法は現象である事は厳しい事実です。
 人の智慧で測り知る事不可能な自然界・森羅万象・宇宙法界、全体の時間と空間、空仮中、の存在です。人の智慧には必ず限り(限度、リミット)があるのです。「人間こそ最極」なぞと思われたら創価学会と同じになります。
 勿論人間の智慧から見たデモクラシーなるものもきちんと離れて見なければなりません。
 本日パソコンで、ちょっと見てみるか?と言う感じでヤフー検索から、アクセスしましたところ貴文書を拝見いたしましたのでつい通信をしたく思いこのように書いてます。ちなみに私は現在七十歳近い者ですが、コンピュータハード会社の社員として三十二歳からコンピュータには関わってます。Nec-Pc600と言うPcマニアなら懐かしい故郷へ帰ってきたような感慨を受けるだろう機種からです。そんな私も不思議にネットで創価学会の事をアクセスはしませんでした。
 と言うのも私も昭和二十九年に創価学会に入り、平成二年の大晦日に池田大作が明白な三宝破壊=本尊破壊をしたのを確認し、平成三年二月に早々と脱会しまして、本山に帰りました。
 職業は東京都の公務員として十年ほど前、管理職を経て退職しまし、学会では昭和四十年代から青年部部隊長、以後支部長等を歴任してきまして、信心の重要性を気付いてきましたが、大作は全く御本仏日蓮大聖人様を足蹴にした者で極めて大きな仏法上の大罪者=末法下種三宝・本門の上にまします末法の実相、下種円融三諦を敵に回した、愚鈍の典型者であることに違いありません。
 そんな事で貴文書を、懐かしくもまた懸命に正義を貫かれる御姿勢も感じられ嬉しく思ってます。真面目に大聖人様の仏法を実践しようとされるなら当然なことかもしれません。
 ただ、私もそうでしたが、知りえる創価学会に矛盾性か大作の魔性、創価学会の組織上の悪弊、創価学会本部、大幹部の悪弊。私も昭和五十二年路線も含め、いや戸田城聖以来の会長絶対性(僧の宝を会長に擦り返る)を含め大分私も知りまして、貴文書も懐かしく読ませて頂きました。
 こう書きますと、何か傍観的に思われるかもしれません。確かに私は思いました。全ての創価学会の行為は間違いだった。三宝の中に入っている場合=正しい信心、では良かったが、それ以外はすべて間違いでした。
 未だその事に気付かず、またそれが原因で大聖人様のお示しの題目を唱えられない方々、=創価学会員には、確かに創価学会の内部不祥事は有効に働く(効果的)とも思います。
 しかし、三宝に帰順できないのであれば、やはり日蓮正宗ではありませんし、日蓮大聖人様の仏法を奉じるとは申せません。ちなみに仏教は釈尊以来、三宝こそが本尊です。仏教の常なのです。
 したがって、大作を改め会長を別の者がなったとしてもその者が純粋に三宝に帰順しなければなりません。結論を具体的に書きますと、
「日蓮正宗末寺の御住職様に着き切ることです。」
 これは時の法主に従う事であり、僧宝に従う事で自ずと法の宝と仏の宝、すなわち末法の下種三宝に従う事であり、ただ一つの方途だからです。
 これ以外には大聖人様の仏法を奉ずる途は存在しないからです。宇宙法界何処を探しても存在しません。
 はたして、その新たに成った新会長は其れができるでしょうか?
 もしできなければ創価学会の非を何百、何千、何万と論じても大聖人の仏法に帰ったことにはなりません。
 また具体的方途の一つを書きますと、その新会長が創価学会そのものを解体し自分は勿論、全ての会員を日蓮正宗末寺の信徒として頂くことです。
 確かにそれができれば素晴らしいことで、もし正しい仏法に逢い、金剛不壊の成仏を願うのであれば道はその一つしかありません。繰り返しますが、その新会長自身も一信徒になることです。
 ちなみに福島さん、原島さん、竜さんもそうだったのはご存知でしょうか? 他に如何なる理屈も効をなさないのです。天台・伝教・妙楽・大聖人の教学を幾千万、研鑽した所で僧の宝を見失ったら血脈を失ったこと=法と仏を失ったこととなるからです。=三宝破壊=創価学会と同じ、幾ら正論であっても、行き着く果ては所謂、浄土宗、真言宗等々、その他の「学派外道」でしかないのです。
 如何でしょう? いわば全てを投げ打って自らが純粋無垢となり末寺の御住職を僧の宝と仰ぎ拝して信順する事は可能でしょうか?

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【返事】
 返事がかなり遅れました。すみませんでした。
>末寺の御住職を僧の宝と仰ぎ拝して信順する事は可能でしょうか?
可能と思います。
 しかし、厳しいです。こんなに厳しいとは知りませんでした。
 法華講に入ろうと思っている人でこのことを知っている人は少ないと思います。
 創価学会はあまりにも滅茶苦茶です。法華講はかなり良いと思っています。
 衝撃の手紙でした。
 この手紙は自分のホームページに載せて良いでしょうか?勝手に載せます。
 読者も衝撃を受けると思います。
>「日蓮正宗末寺の御住職様に着き切ることです。」
 出来るとは思います。

「末代の衆生は法門を少分こころえ、僧をあなづり、法をいるがせにして悪道におつべきと説き給えり。法をこころえたりしるしには、僧を敬い、法をあがめ、仏を供養すべし。(中略)如何に賤しきなりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬うべし」(新編p1461)

 妻の一家が極めて剛信な(狂信的です)創価学会のため隠れてインターネット(00000)で活動しているだけです。
 隠れ法華講になるしかありません。創価学会を退会することは不可能です。
 退会せずに隠れ法華講になるしかありません。退会イクオール離婚と思われます。まだ幼い子供が二人います。その子供を自分の親がとても可愛がっています。
 隠れ法華講になるつもりでありましたし、今もなるつもりでいます。
 隠れを貫き通すしかないようです。
 民主党のある代議士(石井一氏)や日本共産党などにメールを送っていましたが、彼らはやる気(創価学会への攻撃)がないようです。

 しかし、自分の理想は、やはり宮殿革命(無血革命)です。たくさんの苦しんでいる創価学会員が居ます。自分も苦しんでいますが、自分以上に苦しんでいるたくさんの創価学会員が居ます。創価学会員全員を連れて本山の元へ還ることです。池田大作によって滅茶苦茶にされた創価学会を正常化することです。それには藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を担ぎ出し、創価学会の会長に据えることです。そうして創価学会全員で本山に還ることです。創価学会員全員が幸せになることです。
ccc998@infoseek.jp
(返信が何故かならないので、ここに載せました。勝手にすみません。)

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手紙2
 はじめまして、都内在住の壮年部員です。地区幹部をやっていましたが、活動に疑問を感じ自然に未活となりました。私の支部内では、学会批判サイトを見ていた活動家が、やはり学会は変だと思い未活に至った者もおりますし、会合等で公明批判をする地区幹部も、この二年くらいの間で出てきております。  私は学会をいろいろ調べているうちに、これは完全におかしいと確信するにいたりましたが、他の学会に疑問を持つ活動家はその認識に様々な違いがあり、活動を続けている者もおり、反執行部の狼煙を上げるようなグループにはなりません。しかし、ネットを見ていると、現役の活動家であっても、反執行部を公然と唱える組織もあり、個人的に学会を批判する活動家も少なくないことを知ることができました。多分、都内では組織的な動きはなく、盛んに行われているのは地方なのだと思います。ですから、私のような想いをしている会員が結構いるはずなのに、水面下に隠れ、声が挙がらず、せいぜい点の動きしかできていない状況なのだと思います。そこで、そちらのグループについて何点か、知りたいことがありますので宜しければ、お答えください。 1.貴グループは二十年前に告発本を出版されましたが、正信会がバックについているようなのですけども、何か関係があるのでしょうか? 2.現在、何人ほどの人数で構成されているのでしょうか? 3.具体的な動きとしては何をされているのでしょうか? 4.宗門は正しいと感じているのかどうか? 以上の点について、同じような認識を持っているのであれば、今後、連携をさせていただくことを考えております。 では、宜しくお願いいたします。

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【返事】
返事かなり遅れました。すみませんでした。
1,その告発本は手に入れていません(まだ読んでいません)。正信会には反対です(原島嵩・絶望の淵より蘇る、より)。
2,自分一人です。
3,インターネットでの00000を中心とした活動だけです。
4,正しいと思います。

>ネットを見ていると、現役の活動家であっても、反執行部を公然と唱える組織もあり、個人的に学会を批判する活動家も少なくないことを知ることができました
 どこにそれがあるのですか? お教えください。是非、知りたいです。

 自分は00ですが、00は田舎です。00の人間はおとなしく、公明批判をする地区幹部など聞いたことがありません。
 00に住んでいたときは、そういう幹部が何人も居ました(都会ではそういう幹部が出るようです。田舎では出ません)。
 韓国と異なり、日本では、反執行部を掲げることは至難の業のようです。
 メールアドレスは消してこの手紙、ホームページに掲載して宜しいでしょうか?勝手に載せます。
 家族などに隠れてインターネット上(00000)のみで活動している状態です。
 妻の一家が極めて剛信な創価学会の信者です。
 お寺にもまだ行けていません。

 しかし、自分の理想は、やはり宮殿革命(無血革命)です。たくさんの苦しんでいる創価学会員が居ます。自分も苦しんでいますが、自分以上に苦しんでいるたくさんの創価学会員が居ます。創価学会員全員を連れて本山の元へ還ることです。池田大作によって滅茶苦茶にされた創価学会を正常化することです。それには藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を担ぎ出し、創価学会の会長に据えることです。そうして創価学会全員で本山に還ることです。創価学会員全員が幸せになることです。

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お返事いただき有難うございます。
<改革活動について>
 私もあなたと同じように学会内に留まり草の根の改革を行い昔の学会に戻そうとネットや対話で活動してきました。私がそう思って行動に移し始めたのは一年半くらい前から、つまり矢野事件を知ってからのことです。身近な同僚活動家、支部幹部から区幹部へも疑問をぶつけ絶対におかしいと激しく言い放ちました。ですが何も彼等は満足な言葉を返すことができなかったのです。それどころか、その幹部の異様な態度、目つきに豹変したことに害毒だと察し恐ろしくなりました。彼等と対話すればするほど意味不明、支離滅裂な言葉を返すばかりだったのです。
 そうした疑問が募り拍車となって学会員としては教義解釈から学会の闇の部分まで誰よりも調べ抜く結果となりました。
 学会員が信徒資格を失ったのは平成三年です。末端会員の信心の狂いも本格化したのはこの年からと言っていいかもしれません。ですから、その遥か前に破門となった顕正会がカルト化していったように学会内の大半の良識人は脱会して行き学会はその道を追うことになることも否めません。
 ただ世間的良識を持っている学会員でも、こと教義を正しく理解しているかと言えば別問題です。現在の学会は難信難解の仏法を逆手にとられ洗脳されているように私は思います。実際、学会の教義解釈は御書の一部を引用して宗門否定、自己正当化をしていることがようやく分かりました。それは学会の新解釈について徹底的に御書や過去の指導を読めば明白です。間違った解釈というより完全なウソをついていることがお分かりになるはずです。
 ですが、学会内に残っている会員は、そこまで調べることもしませんし、それが分かるのは正宗へ戻ってから気づく人がほとんどです。学会の歴史の中で一応は正宗の教義に則った形で文面上ほとんど書籍化されてきましたが宗門の指導を読むと学会の解釈の浅さに気づかされます。
 戸田会長の指導が学会の教義解釈の頂点でありましたが、それよりも深く教えているのが宗門だったのです。池田氏は都合の良い部分を引用するだけで決して講義をすることはありません。要は何も覚知していないからできないのでしょう。
 話は戻りますが、私のこの活動によって数人の学会員が未活あるいは脱会に至ったと思われますが、このペースでどれほど時間がかかるか途方にくれます。現役の活動家からは『今年の衆院選は公明に入れない、でも他の活動家も実際は入れていない』と連絡をくれた人もいますし熱狂的な活動家でさえ幹部を無能呼ばわりし始めたことが確認できました。
 そこで自分なりにやり切ったとして一ヶ月前に学会本部に脱会届けを郵送し新たな活動に向かうことにしたのです。次の統監の時には処理されるのではないかと思います。私は周囲に学会批判を公言していましたので厄介者と思われ対話の時には必ず脱会を勧められていました。留まるよう説得されたことはありません。ですから未だ組織からは何の接触もない状態です。私のような者にはあっけない脱会となりました。

<宗門信徒として>
 家族、周囲の学会員とのトラブルを避けたいが正しい信心をしていきたいと思って脱会できない方が全国に大変多くおります。また自発的に宗門側へ内部情報を届けている方がいて元の学会に戻って欲しいと思っているようです。その中に以前は複数の副会長が存在していました。
 また、あなたのような立場(学会員)の方で法華講として活動している方は少なからずおります。事情を僧侶に話し、そこで納得が得られれば、暫定的に学会員には口外せずに正宗で信仰することは可能です。あくまでも、ご住職のはからいですので、どのお寺でも可能というわけではありませんし、お寺に張り込む学会員がいるようですので、安直に相談に行くのも危険です。この点はナーバスな問題なので、おいおい慎重にご相談いたしましょう。
 私がびっくりしたのは宗門の信徒として勤行・唱題をして一週間ほどで学会の信心とはまるで違う感覚を体験できたことです。本当にダイレクトに功徳を感じられます。私の学会での信心は御本尊を信じているが功徳が現れないと言うような想いだったのですから本当に驚きでした。できうるなら、あなたが本当の功徳を感じつつ内部で改革を行えるよう願います。
 Xデーが来た時、学会は大変大きく割れ動くように感じます。現役の執行部役員たちや脱会した幹部の証言を見るとそれぞれ池田氏に去って貰いたいと思っているようです。その理由は日常的に池田氏から理不尽な行動を強いられているからです。これによって生理的拒絶反応として蓄積されているのが実状です。秋谷氏、原田会長、長谷川氏などは明らかに感じています。90%くらいの幹部はそう思っているといっても過言ではないでしょう。彼らが改革を起こさないのは口々に組織・会員を守るためと言いながら実は自身の生計の為であることが最大理由なのでしょう。ですから大幹部といえども本当の信心ではなく食べるために信心を利用しているに過ぎません。
 その時、活動家の何割かは押し寄せて宗門へ行くことになると思います。ですから内部で改革を進めることは意味はあるのですが数の上からいえば自然に任せることが一番大きい動きとなることになるのかもしれません。付け加えると宗門は顕正会、正信会、学会の例によって、どれほど素晴らしい指導者が学会に就いたとしても昔のように信徒団体として認めることはないでしょう。
 何より大事なのはご自身の幸福です。そのスタートをどうやって行っていくかをまず共に考えてみたいと思います。それから内部に於いて反旗を掲げる方は数名おりました。疑問を感じている会員はネット上に多数存在します。二人は名前、住所、連絡先を明記しておりましたが数年前のものでしたので、今、連絡が取れるかは分かりません。その内の一人は学会員・OOOO氏主宰の「000000000000」http://wt000.o00/ があります。結果的に私の立場は変わりましたが、今もって周りの学会員をはじめとした全ての会員が大御本尊にお目通りが叶うことを願っています。できましたら今後ともさまざまな情報交換を行えればと思います。
 前回並びに今回のメールをHPに掲載しても構いませんが、学会には不正アクセスで身元を調べる輩が存在していますので貴方自身のためにも私が書いた内容の彼等を刺激する部分は削除した方が良いと思います。お気に入りから消えてしまったため返信の際あなたののHPアドレスをお知らせください。では宜しくお願いいたします。

zzz0000@mail.nifty.ne.jp
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【返事】
 自分が創価学会の謗法を知り、家の“魔”の御本尊に祈らなくなって変わったことは「今まで起こっていた余りにも悪過ぎる偶然が起こらなくなったこと」です。
 一回、気が変わって“魔”の御本尊に祈ったときがありました。するとその夜、ムカデが腕を這っていたのです。びっくりして窓を開け、外に捨てて刺されませんでしたが、こんな経験はもちろん初めてでした。“魔”の御本尊に祈った罰と思い、それ以来、怖ろしくて“魔”の御本尊には祈っていません。
 実家のことですけど、実家は日達上人の御本尊様ですけど、何故か実家で勤行唱題すると歓喜は大いに湧くのですが悪いことが同時に起こっていました。しかし、ある日、仏壇の部屋に飾っていた「池田大作の額縁」を取り除いてからは悪いことが起こらなくなりました。「池田大作の額縁」が元凶だったのです。
 創価学会の矛盾、池田大作の悪行には早くから気付いていましたが、“魔”の御本尊のことにはインターネットを詳しく読むまで気付いていませんでした。
 実家の日達上人の御本尊様に勤行唱題するともの凄く歓喜が湧くのに家の新しい日寛上人の御本尊に祈っても歓喜が湧かないことを不思議に思っていた頃でした。そしてこのことを幹部に相談していました。幹部の答えは適当でした。狂信者の答えに過ぎませんでした。
 池田大作の悪行を知らない創価学会員は非常に多い。インターネットをしている創価学会員にも池田大作の悪行を認識している人はごく僅かです。洗脳の強さ、理解力の無さなどが原因していると思います。
 どうしようもないお人好しが創価学会を支えているのだと思います。普通では創価学会の矛盾に気付くはずです。選挙、選挙ばかりです。そして池田大作を神様にしています。おかしいと思わないのがおかしい。
 自分は家庭上、隠れ法華講員とやっていくしかありません。妻の洗脳を解くよう努力しては居ますが、四人兄弟の後三人も狂信的な創価学会員です。その三人から激しく非難されることは目に見えています。両親は完全に狂信的です。
 創価学会員には精神障害が極めて多いです。とくに現在はうつ病性障害が問題になっています。しかし、その他に、パニック障害、社会恐怖(対人恐怖)、強迫性障害なども創価学会員に極めて多く、そして創価学会員のは非常に治り難いのです。治らないため公明党の市会議員が生活保護に奔走していました。
 これは医学的には説明困難であり、オカルトでしか説明できません。
 とくに熱心な人がうつ病性障害になります。東京の創価学会本部には毎週、精神科医が来ています。本部職員およびその家族にうつ病性障害など精神障害が多発しているからです。
 自分も以前、うつ病性障害に五年ほど苦しみました。自分のは比較的軽症でした。何故、自分が罹らなければならないのかと不思議でした。でも自分の周囲にも創価学会員のうつ病性障害はたくさんいました。二人自殺しました。自分は「00000」で何とか乗り切ってゆきました。五年余りの戦いでした。「00000」で自分のホームページがまだ残っているはずです。「00000」を教えたいのですけど、自分の身元が分かってしまいます。それに余程巧くしないとほとんど効かないようです。
 うつ病性障害が創価学会員に非常に多発していることは二十五年前、ある副会長から聞いていました。その副会長は途方に暮れていました。
 昭和三十年代四十年代の折伏闘争華やかなりし頃は“急性精神病状態”(昔で言う“心因反応”です)が多発し精神病院はたくさんの創価学会員で賑わっていました(すべて躁的でした)。五十年代にもまだまだ発生していました。今はほとんど発生していません。熱烈に長時間、勤行唱題しなくなったからです。代わりにうつ病性障害が多くなりました。
 これらは池田大作が招き込んだ悪鬼の集団によるものと解釈しています。でも「トップが悪いと、そこから悪鬼が雪崩れ込んでくる」という御文は日蓮大聖人御書全集には無いようです。創価学会内部改革派憂創同盟の本には載っているかもしれませんが未だ手に入れていません。おそらく外典に依るものでしょう。
 壮年部は池田大作の悪行、創価学会の矛盾、に気付いていますが、婦人部が駄目です。女性は盲信から抜け出すことが困難なのです。
 自分は脱会したいけど脱会できないのです。
「財務」は詐欺罪で告訴できる可能性があります(民事になるか?)。昭和五十年頃から、創価学会は「財務」で力を付けており、「財務」を中止させると創価学会の力は急激に落ちるはずです。マスコミにばらまく多額の金が無くなります。「財務」で創価学会が得る金額は莫大ですから池田大作および学会中枢幹部を詐欺罪で国会喚問出来ると思います。
ccc998@infoseek.jp

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こんにちは

<精神疾患>
 我が区の男子部主任部長は25年程前にうつ病を患い突然自殺を遂げ当時、内部に動揺を走らせました。あなたがおっしゃる通り学会は大昔から様々な面でおかしかったが故の一例であろうと思います。
 また、ある支部の副支部長はドクター部に籍を置く精神科の医師であり、学会本部の近くの医院に勤務しています。そこには、各地から精神疾患を患った学会活動家が通院しています。その中の一人の男子部地区リーダーは勤行をする度に自らの手首を切っています。本人はその行為が安堵感を味わえるのだと感じているとのことです。まったく恐ろしい現象です。その副支部長も学会内の精神疾患に陥る数の多さをラインの会員、幹部たちにも話しています。おそらくその副支部長は薄々学会の信心に原因があるのではと感じているように思います。

<御本尊>
 御本尊を学会版のものに代えていない幹部は多いです。内心怖がり罰を気にしている人もいるでしょう。池田氏も住居としている学会第二別館の御本尊はあの賞与御本尊であり、彼が拝んでいる学会本部の御本尊のほとんどは宗門の御本尊だろうと思います。自分は正宗の本尊を拝み「御本尊はただの物」と指導しながら会員には偽造本尊を売る精神状態は常人ではありません。
 ただ絶対に誤ってはいけないのは、正しい御本尊を拝んでいてもその人が宗門から離れてしまえば、知らず知らずのうちに破仏法の輩と同じ境涯に至るということです。じわじわと悪くなっていくことが本人には自覚できない「冥罰」が必ず現れます。罰も功徳と思い込む頭破七分の状態に至ります。
 日興上人が大聖人ご入滅後、佐渡の法華講衆に「自分たちは大聖人の直弟子である」といって自分勝手な信心をするのは堕地獄と破折されています。現在で言えば大聖人直結という我見を否定されています。
 代々の御法主猊下の血脈から離れたところで行う信心は、たとえ大聖人の御本尊を拝み一時的に功徳を感じていても五老僧や現在の破門された人たちの例の通りとなってしまいます。

<脱会>
 私の所属する講では、あなたのように奥さん家族とのトラブルを避けるため内緒で自分ひとりで正宗に戻っている方や、奥さんに告げて主人だけが法華講として活動している例は少なからずいます。それで何かトラブルが起きたとか離婚へ繋がったなどは今のところ聞いたことはありません。起こってしまった現実は仕方ないと学会員の家族も諦めているようです。
 その方たちの一例として、最初は決意半ばで隠れて信仰していても、同志、ご住職の適切なアドバイスにより本人の決意も変わり、それによって周囲も変わり晴れ晴れとした信心をできる状況へと改善されていっております。
 その他の周りの例を聞いても、宗門に戻って本当に早い時期に信心を清々しくできる状況に好転しています。私の隣の住民2人にいたっては、我が家に対し日常的に嫌がらせ行為、騒動を起こしておりましたが、パタッと止み、その人間が平穏な性格と落着いてしまいました。法華経に書いてあることは嘘ではありません。信心が不安なくできるよう、周囲も変わっていきます。

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【返事】
 どうも。
>我が区の男子部主任部長は25年程前にうつ病を患い突然自殺を遂げ当時、内部に動揺を走らせました。
 中国青年部長・交通事故死—————昭和五十九年三月二十二日深夜、鳥取県内で000中国青年部長が運転していた転輪会の学生部員とともに交通事故死した。広島市から鳥取県倉吉市までの往復六百キロ余りの道のりを日帰りで、しかも一人の運転でまかなおうとする、無理な強行日程の結果生じた事故だった。———————これと同じ頃ですね。

 我が県の初代女子部長は統合失調症に倒れました(昭和三十八年頃のことです)。数年前まで自分がメール交換していた婦人部の人は女子部時代は女子部で県のトップにいた人です。“うつ病性障害”に苦しんでいましたし今も苦しんでいるでしょう。結婚した相手(男子部)の母親が統合失調症(“うつ病性障害”と医者からは言われていました。“うつ病性障害”という診断なら家族も受け入れるからです。統合失調症という診断名は家族はなかなか受け入れません)で嫁姑問題により“うつ病性障害”を発症したのでした。自分が反学会に流れたのでメールは無くなりました。“うつ病性障害”のまま産期は過ぎました。
 男子部時代、一人の男子部が自殺しました。「社会恐怖(対人恐怖)」に苦しんでいたのでした。“うつ病性障害”でまた一人の男子部が自殺しました。二人とも自分は非常に懇意にしていました。
 近くの女子部が「社会恐怖(対人恐怖)」で苦しんでいますが、どうにもしようがありません。閉じ籠もったままです。もう三十を超えています。それほど精神障害は創価学会に多すぎるのです。
 自分が反学会に流れるまでは多くの創価学会の精神障害の人との付き合いがありました。
 精神障害以外の病気でも創価学会員は治りが悪いし、重症化しやすいです。
 これらの現象は池田大作が招き入れた悪鬼の大集団による、と創価学会内部改革派憂創同盟では考えていました(電話で創価学会内部改革派憂創同盟の人がそう話していました。もう二十年前のことです)。自分もそう考えています。
 原田会長が池田大作が亡くなった後、創価学会を立て直すならば良いですが、可能性は低いでしょう。
 何も知らず、創価学会の中に蠢いている人が余りにも多すぎます。自分の親はともに00歳ですが、父は000など、母は00などに苦しんでいます。日蓮正宗法華講には入りません。何故なら、自分の子供(つまり孫)をとても可愛がっており、女房の両親が創価学会の狂信者であるからです。日蓮正宗法華講に入ると離婚となると考えるからです。離婚となると孫を遠い00に持ってゆかれます。  
 創価学会を戸田会長のときのような創価学会(信徒団体)に立て直さなければいけません。難しいです。
 今、久しぶりに遙拝勤行をしました。当直室でしました(週末は当直です)。勤行唱題を怠けていました。今、四十分ほど勤行唱題しました。大石寺の大御本尊様に向かっての遙拝勤行です。明日から毎日行うようにしようと思います。不安で一杯だった心はゆったりとなり、体までゆったりとなりました。今まで勤行唱題を軽んじていたことを反省しました。こんなに心も体もゆったりとなったことは初めてのようです。日達上人の御本尊様に向かって勤行唱題すると心がゆったりと歓喜に包まれることは良く経験していましたが、体までゆったりとなったことは久しぶりです。たしか過去にもありました。
 法華講員の決意で大石寺の大御本尊様に向かって祈ったからだろうか? 心も体ももの凄くゆったりとなっている。驚いている。
 では。

手紙3
 どうしても言い出すことができないので手紙で書きます。少なくとも自分の精神病院に於いては創価学会であることが知れると首になります。これは創価学会に精神疾患が余りにも多いからです。
 そのことを知らずに、「00先生を創価学会の会館で見ました」と言った入ってきたばかりの馬鹿な看護婦が居ました。その看護婦は直ぐに首になりました。自分は院長に「創価学会はもう辞めた。今は反創価学会である」といって逃れました。
 自分が創価学会の会合に出席すると非常に危険なのです。口が軽いのは創価学会員の特徴です。また、創価学会員は精神疾患が創価学会員にどんなに多発しているかを知りません。鉗口令のようなものが敷かれているからです。聖教新聞はそのことを載せません。
 精神病院には外来にあまりにも創価学会の患者が多いのです(入院患者にも多いです)。東京の創価学会本部には毎週精神科医が来ています。創価学会本部職員および、その家族に“うつ病”などの精神障害が余りにも多いからです。
 経験上、祖父祖母が熱心な創価学会員の場合、それが孫に来ることを幾つも経験しました。(これは0000にも見せてください)孫に来る、すなわち孫が精神障害に罹ることです。そしてそれは統合失調症の場合が多いです。
 00さんや00さん、そして塾のおっちゃんが統合失調症になってしまい塾は潰れたことなどを考えてください。

手紙4
 0000さんが00宮(ここは病院でメールがない)に変えられたことは非常に賢明なことであると思います。創価学会にはとにかく“うつ病”などの精神疾患が余りにも多いです。東京の創価学会本部には毎週精神科医が来ています。学会本部の職員と家族に精神疾患があまりにも多発しているからです。薬を処方するには精神科クリニック開設の手続きをしなければいけませんから(精神科クリニックを本部会館内に開設して、これが暴露されたら創価学会は大打撃を受けます。ですから精神科クリニックの開設はしないはずです)カウンセリングだけのようです。カウンセリングしてどこどこの精神科を紹介するということをしているようです。
 0子ちゃんの精神疾患も祖母が熱心な創価学会員であった害毒だと思います。両親が不熱心でも祖父・祖母が非常に熱心なら孫がとんでもない病気になるという例をいくつも経験してきました。お爺ちゃんはもう反創価学会になったのですから関係有りません。以前、母が実家で題目の上げ方を孫に教えていましたが「病気になる」といって辞めさせました。
 自分は今、創価学会の信仰はしていません。精神科医が創価学会の信仰をするはずがないからです。外来は創価学会が半分を占めています(このように創価学会は崩壊しつつあるのです)。
 そして創価学会員の精神疾患の特徴として非常に難治で重症であることが上げられます。創価学会員以外の患者さんは難治でなく、簡単に治ることが多いですが、創価学会員のは頑固でどのようにしても治りません。これは池田大作が創価学会に雪崩れ込ませた悪鬼の大集団によるものと考えています。
 精神科外来だけでなく、都会の精神科カウンセリング、などは創価学会員が75%以上を占めています。創価学会員以外の人は治ってゆくが、創価学会員のは治らないから自然と75%を超える占有率になるのです。(精神科カウンセリングで治るのは軽い症例だけです。0子ちゃんには向きません)
 自分は法華講に入ろうと思っています。法華講と思っての勤行唱題と創価学会と思っての勤行唱題は明らかに全然違います。自分は当直の時、布団の上で、大石寺の方に向かって勤行唱題をします。体も心も軽くなります。自分の家のは創価学会が造った平成五年以降の“魔”のご本尊ですから決して祈らないようにしています。実家のは日達上人のご本尊ですから法華講との強い決意を持ってなら祈って良いようです。
 これらはヤフーの知恵袋に詳しく載っています。
 00子さん一家が狂信的な創価学会ですから隠れ法華講で貫くしか有りません。00子さんは親と兄弟が熱心にしているため自分も仕方なくしているという非常に弱い信仰です。勤行もあまりしてません。(自分の前に付き合っていた内科の医者とは結婚したら創価学会は辞めると決めていたぐらいです)でも、00子さんから親兄妹に漏れるのを恐れ、00子さんにも内緒にしています。

 0子ちゃんは精神科(心療内科)クリニックに通わせて薬を飲ませるとかなり楽になるはずです。本人も家族もとても辛いはずです。0子ちゃんのは簡単な病気ではありません。かなり面倒な病気です。単なる強迫性障害ではないと思います。
 自分の“うつ病”は創価学会の“魔”の御本尊(創価学会が平成五年から配布したプリント印刷の日寛上人の御本尊)に祈ることを辞め法華講のつもりになり東天に向かって勤行唱題するようになると、直ぐに治りました。

p.s.矢野元公明党委員長、原島嵩元教学部長、山崎正友弁護士、藤原行正元都議会議員、そして副会長が三人ほどで告発した「池田王国の崩壊:永島雪夫:リム出版」などの本は読みましたか? 自分はアマゾンから買ってたくさん読みました。ヤフーのオークションからもたくさん買って読みました。原島嵩元教学部長の「絶望の淵から蘇る」が一番好きです。親にも未だ読ませていません。自分は隠れを貫いています。本は病院着にして病院でのみ読んでいます。隠れは多いのです。
                    
 池田大作が信仰心が無く、もの凄い悪党であることは、原島嵩元教学部長、山崎正友弁護士、矢野元公明党委員長、藤原行正元都議会議員などの本を読むと解ると思います。精神科は創価学会の患者で溢れています。何故なら、創価学会員の精神疾患は治らないからです。創価学会員以外の精神疾患は簡単に治ってゆくことが多いです。
 創価学会を辞め日蓮正宗法華講に入ったら自然と治ったという人が多いです。創価学会を辞めるだけではなかなか治りません。日蓮正宗法華講に入って信仰をやり直すことです。創価学会は戸田先生の最晩年期からおかしくなっています。池田大作が大悪鬼そして自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害であったから、悪鬼の大群が創価学会に押し寄せ、創価学会員の身に不幸が起こるようになったのです。
 現在、池田大作は妄想性パーソナリティ障害を超え、妄想性障害もしくは妄想型統合失調症(軽症)になっています。同時放送を見たら、直ぐ解ります。人格破綻のようなものが起こっています。これは「傲慢」として片付けられてきたようですが、精神医学見地からは「妄想」であり、妄想性障害または妄想型統合失調症(軽症)とすることも可能である。
 これは昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに答えた言葉である。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である」「私は現代の救世主である」「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」「世界の盟主である」。
 完全に病気です。そして池田大作の肖像画を飾っているならば必ず外して捨てることです。実家に飾ってあった池田大作の肖像画を取り除いたら悪いことが起こらなくなりました。それまで実家のは日達上人の御本尊だから祈って良いと考え実家に行くたびに仏壇の前で勤行唱題をしていましたが、不思議なくらい悪い偶然が起こっていました。池田大作の肖像画が元凶だったのです。
 平成五年から配布された日寛上人の“魔”の御本尊には決して祈ってはいけません。必ず悪いことが起こります。不幸になります。
 では。
                      (完)


その他

 00さん。自分は隠れ法華講員になることにしました。自分は創価学会批判の本を読み過ぎました。何回も何回もたくさんの創価学会批判の本を読み過ぎました。そして自分の心は創価学会や池田大作から大きく大きく離れました。創価学会を立て直す、しかし、それは不可能に近いです。法華講に隠れとして入ることです。
 創価学会とはさよならします。自分は日蓮正宗法華講員として今後は生きてゆこうと思っています。時間が無くてお寺に行けないで居ますが、隠れ法華講員として今後は生きてゆきます。今まで有り難うございました。
 創価学会は楽しかった辛かった、どちらだったか分かりません。しかし、吹き荒れる障魔の嵐は耐え難かったです。宿業……自分の宿業は厳しかったです。堪え忍んで堪え忍んで生きてきました。しかし辛すぎた。御本尊様に祈りに祈って耐えてきました。
 自分はこれからは日蓮正宗法華講員として安穏な生活を送りたいのです。今までの人生が余りにも厳しかったです。


 この信仰は不幸な人を幸福に出来る……そう信じて懸命に仏法対話していた頃、自分の心はとても清らかだった。
 しかし次第にこの信仰は不幸な人を救うどころか、もっと不幸にする、と思い至ったとき、落胆は大きかった。
 自分の心は乱れた。
 人を幸せにするどころか人を不幸にする信仰を人に勧めていた自分に気づいたとき、落胆は大きかった。
 人を幸せにすることが出来る宗教とは……自分は苦しんだ。
 人を幸せにするどころか、自分の幸せの方が先であることに気づいたとき、落胆は大きかった。
 広布に生きる…そう信じて生きてきた自分は苦しんだ。


御書の一節:英語版
 御書の一説として有名な箇所を英語版の御書より引用する(古い英語版の御書からである)。まず、開目抄の有名な一節から。「我並びに我が弟子…」である。

THE OPENING OF THE EYES(_)
Although I and my disciples may encounter various difficulties, if we do not harbor doubts in our hearts, we will as a matter of course attain Buddhahood.
Do not have doubts simply because Heaven does not lend you protection.
Do not be discouraged because you do not enjoy an easy and secure existence in this life.
This is what I have taught my disciples morning and evening, and yet they begin to harvor doubts and abandon their faith.
Foolish men are likely to forget the promises they have made when the crucial moment comes.[In the face of persecutions,]

Two Kinds of Faith
I have duly received your offerings of taro, skewer-duried permissions, backed rice, chestnuts, bamboo shoots and bamboo containers of vinegar.
There was once a king named ashoka the Great in India. He reiged over a quarter of the world and, attended by the dragon kings, controlled the rain at his will. He even used demons to do his bidding. At first he was a merciless ruler, but later he was converted to Buddhism. He made offerings to sixty thousand priests each day and erected eighty-four thousand stone stupas. In inquiring into the previous lifetime of this great sovereign, we find that in the days of Shakyamuni Buddha there were two little boys called Tokusho Doji and Musho Doji, who once offered the Buddha a mudpie. Because of this act of sincerity, the elder boy Tokusho was reborn as king Ashoka within one hundred years.
The Buddha is of course respectworthy, but when compared with the Lotus Sutra is as superior to Shakyamuni Buddha as heaven is higher than the earth. To present offerings to the Buddha produces such great benefits as to be born a king, yet even greater benefit is obtained by making offerings to the Lotus Sutra. If such a marvelous reward was brought about by the mere offering of a mudpie, how much more will come about as a result of all your various gifts! The Buddha was far from being short of food, but now we are in a land where hunger prevails. Therefore I am certain that the Buddhas Shakyamuni and Taho and the Ten Goddesses will never fail to protect you.
Today there are people who have faith in the Lotus Sutra. The brief of some is like a fire while that of others is like water.
When the former listen to the teachings, thier passion flares up like fire, but when by themselves, they are inclined to discard their faith. To have faith like water means to believe continuously without ever regressing. Since you pay frequent visits to me regardless of the difficulties, your belief is comparable to flowing water. It is worthy of great respect !
Is it true that there is illness in your family? If so, it cannot be the work of demons. The Ten Goddesses must be testing the strength of your faith. Non of the demons who appeared in the Lotus Sutra would ever dare trouble a votary of the sutra and have their heads broken as punishment. Persist in your faith with the conviction that both Shakyamuni Buddha and the Lotus Sutra are free from any falsehood.
With my deep respect,
Nichiren

The twenty-fifth day of the second month



Winter allways turn to spring
 冬は必ず春となる———自分の最も好きだった御文です。厳しい時代、これを書いた紙を仏壇に置いて祈っていました。しかし、冬は何時まで経っても冬でした。“魔”の御本尊を祈っていたからです。

日記
jan,22,2010
 本日、勧誡式を受けた。昼の1時45分頃に受けた。病院へ仕事に行く途中であった。すると身体がとても軽くなった。一ヶ月ほど前、法華講員の自覚を持って勤行唱題したときのようになった。
 法華講員として命を賭ける。少なくとも、そういう自覚で行かなければならない。00寺である。


 石井一先生、自分は反創価学会のものです。是非、頼みたいことがあります。
 公明党が警察の人事権や予算を牛耳っていることは危険と思います。
 創価学会は池田大作の指示があればテロをも起こします。
 国会議員を半分にすると公明党は潰滅すると言われます。また、池田大作の死後は、創価学会員の選挙への士気が大きく低下し、公明党は潰滅するとも言われます。
 公明党から警察の予算や人事権を剥奪するべきと思います。
 国会議員や東京都議員の数を半分にすると公明党は自然に警察の予算や人事権を剥奪されます。
 どちらにしても早く国会議員や東京都議員の数を半分にすべきと思います。
 戸別訪問という選挙違反を繰り返す公明党(創価学会)をこのままにするべきではありません。
 どちらにしても早く国会議員や東京都議員の数を半分にすべきと思います。比例区は廃止することになります。


 ムカデが真夜中、寝ていたとき、手を這っていたのは去年の八月頃になると思う。あの日、自分は気が変わって、仏壇に飾ってある“魔”の御本尊に向かって勤行唱題をした。
 先祖様が警告してくれたのであろうか? “魔”の御本尊に向かっては決して祈ってはいけないと。“魔”の御本尊は悪魔であり極めて危険なものであることを。
 その頃は創価学会を脱会しないと日蓮正宗法華講には入れないと思っていた。特例として脱会しなくとも日蓮正宗法華講に入れることがあることを知らなかった。自分の家では脱会イクオール離婚である。それで諦めの気持ちで“魔”の御本尊に向かって方便品・自我解と五分間の唱題だけだったが勤行唱題をしたのだと思う。
 寝ていて腕を何かが這っていると思い、電気を付けたらムカデが手を這っていた。急いで窓を開け、ムカデを外に落とした。昨日、蝉の抜け殻が罹っていたコンクリートのブロックの穴から、再び家の下に入って来ないかと心配した。ここは以前は森であり、地中には未だ蝉の幼虫も蟻もたくさん居るところだった。築十年の家を買って住み始めて五年が経つが、未だ地中は以前、森であった名残が激しい。ムカデのような怖ろしいものが腕を這うことは生まれて今まで経験したことのないことだった。
 今は日蓮正宗法華講に入講し毎週通っている。 
(第4章 終了)
緊急公示(4)保田妙本寺の末法万年救護の大本尊
(11月7日2010年 日曜 午前4時40分) 
 自分は日蓮正宗を辞め保田妙本寺に行くことにする。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊こそ本物の大御本尊であると思うからだ。
 ネット上での日蓮正宗法華講員との確執も大きいが、それよりも保田妙本寺の末法万年救護の大本尊こそ究極の本物の大御本尊であると思うからだ。そのネット上の狂気の日蓮正宗法華講員は池田大作と同じく軽症の統合失調症であると昨夜、眠れず、転々としている時に気付いた。池田大作のような軽症の統合失調症は見逃されている。
 ネットの保田妙本寺のホームページと思われる所より保田妙本寺の五座の御観念文をPDFファイルで入手し印刷して、この4日程はその御観念文を祈っている。
 第三祖日目上人までは同じであるが、第四祖が本寺開山の日郷上人になっている。もちろん、二座も異なる。末法万年救護大本尊になっている。
 今までも遙拝勤行であったが、4日程前から末法万年救護大本尊を思い浮かべて祈っている。末法万年救護の大本尊を思い浮かべて勤行唱題すると違う。勇気が強く湧いてくる。創価学会の遙拝勤行ではほとんど何も感じなかった。日蓮正宗の遙拝勤行では勇気が湧いてきていた。しかし、日蓮正宗の遙拝勤行以上に勇気が湧いてくる。
 当直室のベットの上で方便品自我解、そして二座の長行は日蓮正宗の経本を見て唱えている。御観念文は保田妙本寺の印刷した御観念文である。
 今日も朝の勤行は終了した。病院の当直だから朝早く起こされることが多い。今朝は三時半に起こされた。一時間も眠っていない。しかし、心には保田妙本寺信徒としての自覚がある。負けない。
 自分の住む九州には保田妙本寺系の寺院は確か無いはずだ。千葉県まで行かなければならないようだ。しかし、千葉県まではなかなか行けない。家人にどのような理由を言って良いか考えつかない。また極度の出不精の自分だ。今まで、九州から出たことは数回しかない。
 しかも、10年間に亘るうつ病性障害の頃の習慣が身についてしまっている。家と職場である病院との往復以外はほとんどしない。
 家では寝るかインターネットをするかのどちらかであることがほとんどである。食事はいつも5分ほどで済ませる。病院当直中は2分で済ませている。ほとんど呑み込んでいる。テレビも新聞も全く見ない。第一、アパートにテレビはなかった。新聞も聖教新聞と創価新報と大白蓮華だけであった。創価学会の会合中はいつも居眠りをしていた。福岡の脳外科の救急病院で9年間、働いてきた習慣である。00の00脳神経外科である。9年間、週3、4回の当直を続けてきた。うつ病性障害になり精神科に変わってからも、その習慣は残っている。
 このまま末法万年救護の大本尊を思い浮かべて遙拝勤行を続けるしかない。死ぬまで遙拝勤行が続くような気がする。幾ら寝ても疲労感が激しく、身体を壊してしまったようだ。これはうつ病性障害とは異なる。癌の可能性は高い。何だか未だ幼い子供に長い長い遺書を書いて死ぬような気もする。現代医学ではこれだけ症状が出て来てからは完全に手遅れである。でも保田妙本寺信徒は負けない。癌にも勝つ。身体を切り刻まれて苦しみ抜いて死ぬよりも保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に身を任そう。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊は癌ぐらい治してくれるはずだ。保田妙本寺信徒は負けない。
 
(11月8日2010年 月曜 午前5時50分)
 この(創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告)はここで終わる。自分は保田妙本寺の末法万年救護の大本尊を信仰し始めた。
もう、これに手を入れることはしないだろう。
 これからは保田妙本寺の末法万年救護の大本尊の信仰に没頭する。保田妙本寺の末法万年救護の大本尊に関する本を書かなければならない。いろいろと資料を読まなければならない。そしてその資料はインターネット上に載っているだけだ。
 鎌倉時代の終わり頃、日郷上人の弟子が日向で布教し100以上の寺を建てたという。日向ならば近い。千葉県も北海道もあまりにも遠い。
 しかし、その100以上の寺は現在は残っているのだろうか? 痕跡しか残されていないようだ。保田妙本寺の信者は日本中に少ない。ネット上に2人、保田妙本寺の信者が居る。ネット上には創価学会と日蓮正宗の信者で溢れかえっている。自分が良く思っていないネット上の日蓮正宗の信者からは罵倒されるであろう。何故、ネット上の日蓮正宗の信者はあのように良くないのだろう。創価学会の成りすまし信者で溢れているのか? 創価学会の陰謀であるのか? 自分が通っていた日蓮正宗のお寺の信者達はみんなとても良い人ばかりだった。
 3日間の当直はあと三時間近くで終わる。3日間での睡眠時間は五時間にも達していないだろう。今日は爆睡する。明日も爆睡する。3歳になろうとする娘と一緒に眠ろう。でもインターネットで保田妙本寺関連の勉強をしなければならないし、資料を印刷するかダウンロードしなければならない。
 遂に真理に到達した。今、目の前は輝いている。希望に溢れている。

                  (完、本当に完)

終わりに
大同団結
 法華講も顕正会も創価学会も団結して広宣流布目指して邁進することが、日蓮大聖人の御心に叶うものと信じる。以前は大石寺で席を隣にして御書の研鑽や勤行唱題に励んでいた仲ではないか。内輪もめは止めて、みんなで広宣流布を目指さないことには広宣流布を成し遂げることは不可能と思う。何故、内輪もめするのか、悲しい現実である。“魔”に翻弄されている姿としか思えない。
 内輪もめに費やすエネルギーを外へのエネルギーにもってゆけば良いが“魔”に翻弄されているのだろう。
 内輪もめは止めて、法華講も顕正会も創価学会も大同団結して広宣流布目指して邁進することが、日蓮大聖人の御心に叶うものと信じる。しかし“魔”の跳躍のため、それは不可能に近い。

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退会届
(内容証明郵便または配達証明郵便で送る)——この郵便で送らないと『知らない!受け取ってない!』ととぼけられる可能性が大きい。
〒160−8583
東京都新宿区信濃町32番地
宗教法人・創価学会
会長・原田稔 宛
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
•  退会届

• 宗教法人・創価学会
• 原田稔
• 3月6日2010年
• 私こと0000は宗教法人・創価学会を退会します。

• 今後は機関誌の勧誘、支援政党の投票依頼等を目的とした、創価学会・会員の自宅訪問・電話などを、お断りします。

• 地区幹部の方々にも、その旨のご指導をお願い致します。
• また速やかに、名簿からの削除等の処理をお願い致します。

• 所属組織名(壮年部・男子部・婦人部・女子部、等)
• 〒000-0000 00県00市00町0−0 
• 0000  印

(無くしたり、破られたりもありますので、念のためにコピーを数枚は取っておきましょう。
 巻き本尊もあれば一緒に送りましょう)
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【参考文献】
真実の証明:阿部日顕:日新報道:2001
絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007
池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002
再び、盗聴教団の解明:山崎正友:日新報道:2005
創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004
創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001
「月刊ペン」事件 埋もれていた真実:山崎正友:第三書館:2001
法廷に立った池田大作——続「月刊ペン事件」:山崎正友:第三書館:2001
懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994
懺悔滅罪のために!:原島嵩、山崎正友:慧妙編集室:2007
池田大作の素顔:藤原行正:講談社:1989
私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五十年:矢野絢也:講談社:2001
黒い手帳 創価学会「日本占領計画」の全記録:矢野絢也:講談社:2009
闇の流れ 矢野絢也メモ:矢野絢也:講談社:2009
池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007
池田大作の品格 part2:小多仁伯、小川頼宣:日新報道:2009
創価学会・公明党「カネと品位」:福本潤一:講談社:2008
天魔の野望 実録「人間革命」:慧妙編集室 まつどつるしま:晩さん社:1997
司法に断罪された創価学会:乙骨正生:かもがわ出版:2009
公明党=創価学会の野望:乙骨正生:かもがわ出版:1999
池田王国の崩壊:永島雪夫:リム出版:1992
人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:高瀬広居:有紀書房刊:1965
創価学会とは何か:山田直樹:新潮社:2004
創価学会:島田裕己:新潮社:2004
池田大作「権力者」の構造: 溝口敦:講談社:2005
イケダ先生の世界:ベンジャミン・フルフォード:宝島社:2006
公明党・創価学会と日本:平野貞夫:講談社:2005
創価学会Xデー:島田裕己、山村明義、山田直樹、溝口敦 他:宝島社:2008
となりの創価学会:別冊宝島編集部:宝島社:2008
池田大作なき後の創価学会:島田裕己、山村明義、山田直樹、溝口敦 他:宝島社:2007
お笑い創価学会 信じる者は救われない:佐高信、テリー伊藤:光文社:2002
創価学会解剖:朝日新聞アエラ編集部:朝日新聞社:2000
シンジケートとしての創価学会=公明党:古川利明:第三書館:1999
家庭内宗教戦争:美濃周人:山手書房新社:1992
DSM−Ⅳ−TR:精神疾患の分類と診断の手引き:医学書院:2007
法華経入門:菅野博史(かんのひろし):岩波新書:2001
「法華経」を読む:紀野一義:講談社:1982
信じない人のための「法華経」講座:文藝春秋:2008
パーソナリティー障害:岡田尊司:PHP新書:1998
精神病:笠原嘉:岩波書店:1998
統合失調症の診療学:岡崎裕士:中山書店:2002
気分障害の診療学:神庭重信:中山書店:2002
老年期の幻覚・妄想:松下正明:中山書店:2002
リエゾン精神医学とその治療学:山脇成人:中山書店:2002
精神疾患における認知のメカニズムとその対策:武田雅俊:中山書店:2002
精神科治療の語りと聴取:加藤敏:中山書店:2002
病の自然経過と精神療法:新宮一成:中山書店:2002
          etc.

最後に、一番大事なこと
 創価学会の改革は不可能に近い。現実問題として不可能である。日蓮正宗法華講に入ることです。
 創価学会の改革は夢物語に近い。現実問題として不可能である。日蓮正宗法華講に入ることです。
 以前、選挙の度に「謗法選挙」と言うビラを配っていた創価学会内部改革派憂創同盟の人が癌で亡くなられたことは、創価学会の謗法の垢が強く染み込こんだ御本尊に祈っていたからであろう。どんなに創価学会内部改革派憂創同盟という気概を強く持っていても、謗法の垢が強く染み込こんだ御本尊に祈ると悪いことが起こる。これは筆者も経験している。
 日達上人の御本尊であっても謗法の垢が強く染み込こんだ御本尊は日蓮正宗の住職から“お清め”を受けないと悪鬼が去らない。悪鬼の住む御本尊にどんなに創価学会内部改革派憂創同盟という強い気概で祈っても悪いことが起こる。“魔”の御本尊と異なり、日達上人の御本尊に祈ると強い歓喜が湧くが、“お清め”を受けない限り、悪鬼が住んでいる。このことは十分注意しなければならない。もちろん、平成五年から配られた日寛上人の御本尊は“魔”の御本尊であり論外である。
 また、本人も勧誡式という御授戒のようなものを受けないといけない。強く謗法化してしまった創価学会の垢を払うためである。
 創価学会に残っていては不幸になります。日蓮正宗法華講に入ることです。
 重ねて書く。創価学会に残っていては不幸になります。日蓮正宗法華講に入ることです。

【あとがき】
 これは出版することにする。広宣流布のためだ。何処かの出版社の方、宜しくお願いします。適当に編集・推敲してください。もう一度書きます。適当に編集・推敲してください。
 書いた時期が様々であるため重複しているところが多いことお許しください。3年ほど前に書いたものも多く混じっております。2009年頃に書かれたものが多い。
 なお、これはあくまで匿名で出版することにします。自分が書いたものとは分からないようにするようにします。その点、宜しくお願いします。匿名出版です。印税などは要りません。勝手に推敲、訂正などお願いします。
 匿名は創価学会内部改革派憂創同盟残党とします。
 なお、自分にはお金がありません(熱心な創価学会員である女房にお金を握られています)。自費出版も無料でないと無理です。
 正義感のある出版社の方、無料で出版を宜しくお願いします。たくさんの苦しむ無知な創価学会員を救うためです。
 この本は出版されなければならない。何故なら、池田大作の悪を知らしめるためだ。池田大作の悪を知らない素朴な創価学会員が余りにも多過ぎる。そのためだ。池田大作の悪を知らしめさないとあまりにも素朴過ぎる無数の創価学会員が可哀相である。純朴過ぎる創価学会員を幸せの道へと導くためだ。
                                       (平成22年3月6日記す)
(目次)
創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告
はじめに 愛するたくさんの創価学会の同志のために(創価学会内部改革派憂創同盟再結成宣言) 
第1章 魔性の創価学会
池田大作の精神病理
魔性の創価学会(一)
魔性の創価学会(二)
魔性の創価学会(三)
魔性の創価学会(四)
病気を治すためには
御書
洗脳されきった哀れな会員を救う
ジョージ・ウイリアムス理事長
質問
創価学会内部改革派憂創同盟
創価学会内部改革派憂創同盟再結成宣言(第一稿)
創価学会内部改革派憂創同盟 怨恨の呪い
原田新会長へ
最高幹部の結束した造反を期待する
緊急公示(1)保田妙本寺の末法万年救護の大本尊
第2章 魔神
魔神:池田大作
魔性の本尊
創価学会の仏法違背
『謗法を見て呵責せずんば与同罪なり』
法華経は奇跡の教典
池田大作の悪行
個人攻撃について
反乱の序曲
「財務」は中世の免罪符
「財務」による悲劇(「広布基金」による悲劇も含む)
緊急公示(2)保田妙本寺の末法万年救護の大本尊
第3章 創価学会と池田大作のためなら何をしても良い
犯罪集団・創価学会
選挙運動の悲劇
池田大作に信仰心はない
政教一致
池田大作の虚構
宮本邸電話盗聴事件
熱心に信仰すると不幸になる
偽りだらけの体験談集
うつ病性障害、パニック障害多発の現在の創価学会
創価学会は池田大作のために破滅への道を歩んでいる
池田大作と文鮮明
創価学会の未来
“魔”池田大作の出現
創価学会の宗門支配計画
あまりに知らない人が多すぎるので書く
“魔”の党、公明党によって骨抜きにされた自民党
脱会
青年部による日本武力制圧の危険性
無数の悪鬼の集団
論文集
緊急公示(3)保田妙本寺の末法万年救護の大本尊
第4章 隠れ法華講への道
隠れ法華講への道
日如上人様
藤原範昭氏へ「戸田時代に帰れ!」
紳士革命
次期会長について
法華講
手紙1
手紙2
手紙3
手紙4
その他
御書の一節:英語版
日記
緊急公示(4)保田妙本寺の末法万年救護の大本尊
終わりに
大同団結
退会届
【参考文献】
最後に、一番大事なこと
【あとがき】

 みんな、騙されてないで、再び広宣流布に向かって突き進むんだ!
 選挙ではない、広宣流布だ!

☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆---☆
 これは幻の書である。
 ここに書かれていることは夢幻である。
 これは一つの文学作品である。宮殿革命は不可能である。
 重ねて書く。これは一つの文学作品である。宮殿革命など考えては居ない。
 もう一度、重ねて書く。これは一つの文学作品である。
 この本は夢幻のように消えてゆく。
 ただ、インターネット上に夢幻のように置いておく。

 人生とは仏法上の厳しい因果律に則ったものなのでしょうか。それとも夢幻なのでしょうか。私には分かりません。
 私は隠れ法華講として大人しく生きてゆこうと思います。安穏とした生活を私は望んでいるのです。卑怯かもしれません。しかし  私は安穏とした生活を望んでいるのです。
                          作者:夢幻(ゆめまぼろし)




 隠れ法華講員として生きていると元気になる。生きている一瞬一瞬が歓喜となる。しかし、自分は安穏な生活をも望んでいるのです。迷い煩悶しているのです。
 日如上人様、自分は法華講に入りたいですが家庭的に入ることが出来ません。妻の一族が狂信的な創価学会員です。妻の両親は昭和30年からの創価学会員で支部長を長年やってました(早く死ね!)。妻を改心させるために全力を注がねばなりません。でも容易いことではないと思います。
 可愛い幼い子供とこのまま暮らしたい。その一心です。また、その子供を自分の親が溺愛しています。親孝行をしなければなりません。
 そこに立ちはだかっているのが家庭内宗教問題です。これはあまりにも大きな大きな問題として立ちはだかっています。どうしたら良いか、全く苦しんでいます。
 妻はあまり熱心ではありません。しかし創価高校卒です。友達は創価学会員しかいません。周囲の創価学会員の刷り込みが最近は激しいです。妻も他の3人の兄弟のように狂信的な創価学会員になる可能性は大きいです。

 隠れるんだ。隠れるんだ。隠れ法華講員として過ごすんだ。隠れ法華講員として過ごすんだ。


                     完


• 煩悶しています。
o  このホームページはあなたが造ったことにしてくれないでしょうか? パスワードも教えます。というよりコピーして新しいところに造ってください。
•  自分の極めて危険な状態を案じてください。
  そして僕は隠れ法華講員として慎ましやかに生きてゆく…しかし、法華講員として戦うべきだ。
•  創価学会にも情があることを期待しています。
o  自分がこのホームページの作者であることが知れると拙いのです。家庭が崩壊します。(これは大袈裟でした)
•  その心配で一度はこのホームページを削除しました。
  このホームページの作者が自分であることが知れると自分は破滅です。(破滅は大袈裟でした)
  しかし今までこのホームページが問題にならなかったのは不思議だ。ヤフーの知恵袋で盛んに宣伝しているのですけど。
  自分は幻のように消えます。
  自分は幻となります。
  それともこのホームページを幻のようにインターネット上に残しておくか?
  これからは手を付けずに。
  自分は煩悶しています。
  信仰弱い自分なのです。
  何も手に着きません。心配ばかりで。
  再び、このホームページは消そうかと考えています。
  このホームページが価値があるか?という考えがあるのです。広宣流布のために。
  しかし正義感がそうはさせないのです。
  まだ幼い可愛い二人の子供がいます。その子供を自分の親が溺愛しています。離婚することが許されないのです。
  
ccc998@infoseek.jp



創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(5)


 ルノワール絵画事件は池田大作がノーベル平和賞を取るための資金集めのために行われたものと言われています(十五億円が消えました)。警察との癒着のため、うやむやになっていますが国会で取り上げたら良いと思われます。

 いろいろ言われている創価学会員の住民票移動のことですが、それは主に女子部が行っています。女子部なら子供も夫もおらず身軽だからです(結婚すると婦人部となります)。しかし、それを突き止めるのは非常に難しいと思われます。昭和四十年代、五十年代には盛んに行われていました。
 男子部はそういうことはしようとしない。そんなことして何になる、と思うものが圧倒的に多い。男子部はクーデターのような激しいことを考える。女子部はクーデターのようなことは考えず、住民票移動などを考える。
「※※青年部とは男子部と女子部を併せたもの。男子部は未婚・既婚を問わず、年齢が四十歳程まで(以前は三十七、八歳で壮年部移行であったが最近は四十歳頃までに伸びてきている。これは男子部の活動家が非常に減少してきているからである。昔は会館の警備をする牙城会、会館で会合が行われるときに車の誘導をする創価班は厳しい面接試験に通ったものが成っていた。しかし現在は牙城会、創価班になるものが居なく、希望者は誰でも成れる。牙城会、創価班になるように男子部では勧誘が行われている。昔は成りたくても牙城会、創価班には成れなかった。そして現在は牙城会は午後九時までの勤務になっている。以前は翌朝までであったが、現在は午後九時から警備会社が行う。徹夜して会館の警備を行う熱心な男子部が居なくなったのである)。女子部は年齢にあまり関係なく未婚者を言う。女子部は結婚すると婦人部と成る。未婚者で婦人部も存在する(これは年齢的なことからである)」

 創価学会は総体革命(言うなれば日本の革命のことです)の一環として弁護士、検察官などを多数輩出させています。弁護士の数は日本に五百名を超えています。池田大作が狙う総体革命のためです。池田大作にハイルヒットラーの弁護士が全国に五百名居るとは困ります。日蓮正宗が訴訟を起こそうとも反対的に五百名が全国規模で訴訟を起こされたら参ってしまうため、日蓮正宗は訴訟を起こすことのできない状況にあります。また、訴訟を起こす経済的余裕が日蓮正宗にはありません。創価学会の日本占領計画は進んでいるのです。一人の独裁者に日本は占領されてしまう可能性があるのです。その独裁者は八十二歳を迎えても未だ死にません。

 創価学会青年部は「日顕の死」の十時間唱題会(一日に十時間です)を開いていました。そのなかで“うつ病”を発症するのは多かったです。

 宜しくお願いします。
 自分はホームページを造っています。
http://sky.geocities.jp/mifune0008/

「創価学会内部改革派憂創同盟」で検索した方が無難かも知れません。
 日本共産党さんしか頼りにできるのは居ないのです。民主党はやる気がないようです。


【余記】
 池田大作は、金集めのため、連日、松島家に出入りした。家族同然の付き合いだった。
 この間に、松島道子(渡部道子)との関係ができたようである。池田大作が松島家の三畳間で裸身を道子氏にタオルでふかせていたのを会員の小沢よねさんに目撃されたのも、こうした付き合いの最中の出来事であった。文字どおり、色と金の二筋道である。
 池田大作の資金集めに協力した縁で本人や家族が後に創価学会幹部に取り立てられた一家は、他にもたくさんある。中には、その事業に失敗して資産を失い、池田大作の口ききで私が負債処理に当たる、といった気の毒な人もいたが……。
 金集めもさることながら、取り立てもなかなかのものだったらしい。それこそ、“寝ているフトンをはぐ”ということもあったといわれている。
 彼が金貸業でどれほど才覚を発揮したかということは、二十代の若さで通常の給与の百倍近い所得を得て、札ビラを切っていたことからもわかる。
 彼は、その金で、女子部員をモノにし、そして、幹部達を従えて秘かに次期会長の座を狙うようになった。
 しかしながら、池田大作は後になって、自分にバラ色の人生を与えてくれた金貸業の仕事を人に知られるのを極端に嫌い、隠そうとした。彼は、自分の金貸業手代の頃の話を一度だけ、私にしてくれたことがある。
 昭和四十九年十月頃、大石寺対山荘で「今日は飲もう」と珍しく酒を何杯か飲んだ後、水割りを半分ほど飲んだ。池田大作が杯に口をつけたのを、私は三回くらいしか見ていない。(注:これは池田大作が酒を飲めば統合失調症であることが露見するから、人前で酒は飲まないようにしていたのではないかと筆者は邪推する)
 その後の雑談の中で、「戸田先生の唯一の失敗は、私に、金貸しのような、汚い仕事をやらせたことだ。俺なら、後継者の人生経歴を、そんなことで傷つけたりしない」と言った。
 ちなみに、戸田は、石田次男氏(石田幸四郎公明党委員長実兄。戸田の後継者と目されていたが、池田大作に冷遇され、死去)には一切そうしたことにタッチさせなかった。戸田は、失敗を犯したのではなくて、池田大作を創価学会の後継者と考えていなかったから金貸業に突っ込んだと見るべきであろう。
(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p107-8 参照)

 事業が破綻していたとき、池田大作は朝、戸田先生より様々な学問の講義を受けていたことになっているが、これは極めて疑わしいことである。これは後に創作された「若き日の日記」および「人間革命」に載っているが、池田大作が戸田先生より様々な学問の講義を受けていたと言っているだけであって、戸田先生も誰も証人はいない。「若き日の日記」および「人間革命」は戸田先生の死後、十年ほどして書かれたものであり、創作の可能性は極めて高い。事業に失敗し再建へのどさくさの中、そういう時間を取ることは不可能であろう。


無数の悪鬼の集団
 創価学会員は人が良い。これは普通の人なら頭に来るような折伏を受けて「素直に入信した人の集まり」であるからと推測する。また、非常に人が良くないと創価学会の信仰を続けることはとても不可能である。すなわち、人が良くない人はふるいに掛けられるように創価学会から去っていったと推測される。
 また、心理学的にも人の良さは遺伝するとされる。親が人が良ければ子供も人が良いのが一般である。「勤行唱題をすると心がスッキリする」とは法華講の人も創価学会の人も以前は共通して言っていた。しかし現在、創価学会はそうは言わない。創価学会のかなりの家庭で御本尊が創価学会製の“魔”の御本尊に換えられたからであろう。
 創価学会員も法華講員も顕正会員も元気である。日蓮宗一般に元気になるようである。見延派も日蓮正宗ほどではないが元気になると言うことである。ところが同じ南無妙法蓮華経と唱える新興仏教(立正校正会や000)は元気にならないらしい。日蓮宗でないと元気になれないようである。
 特に臨床心理学において創価学会員の精神疾患の難治性は知れ渡っている。普通なら軽くなるはず、良くなるはずの病態がなかなか良くならない。これは池田大作が招き入れた無数の悪鬼の集団によるものと思われる。他に説明の方法がない。
 創価学会員は難治性である故にある臨床心理療法所では患者の75%が創価学会員である。創価学会員でない人は治ってゆくが創価学会員はなかなか治らない。それ故に患者に占める創価学会員の割合が75%という高い数字になっている。こういう臨床心理療法所が日本中に多数存在する。「精神疾患は一度罹患すると一生」とも言われるように難治である。精神薬理学の進歩は遅々としたものである。第一、精神疾患が何なのか解らないのが精神医学の現状である。創価学会に入っているときに精神疾患に罹患し、途中で創価学会を辞めた人も治らずに苦しみ続けている。
 池田大作の死とともに激しい池田大作批判が起こらないことには、それら無数の悪鬼は現また元創価学会員から去ってゆかないであろう。創価学会員は苦しみ続けることになる。それともそれら精神疾患に苦しんでいる人が「池田大作を強く激しく否定すること」なのか? 法華講に移ることか? しかし狂信的な創価学会員は法華講には移らない。何か画期的な方法が発見されない限り救われない。
「池田大作を強く激しく否定すること」ではなかろうか?


論文集
         戸田先生の遺言
                                     創価学会内部改革派憂創同盟残党

【はじめに】
 戸田先生は偉大な指導者であったことに異論を言う者は少ない。創価学会の人でなくても、二代目の戸田会長は素晴らしい人物であった、と言う人は極めて多い。では何故、戸田先生は池田大作を除名にせず、重用していたのか? これが謎である。
 戸田先生は池田大作の魔性を見抜いており、戸田先生は、遺言状に池田大作除名を書いた。しかし戸田先生の家に御遺品を取りにトラック二台で行ったとき遺言状も奪ってきた、と推論することもできる。戸田先生が池田大作の魔性を見抜けなかったはずがない。

【考察】
 戸田先生は突然死されたのではない。アルコール中毒による腎障害と糖尿病で亡くなられたのである。遺言状を書く時間は十分にあった。しかし、アルコール中毒のために判断能力が低下していた可能性も考えられる。
 また、戸田先生は神様ではない。池田大作の魔性を見抜けなかったとしても不思議はない。
 戸田先生は性格が非常に豪放磊落であった。見抜いていたとしてもそれを寛大に許していたという可能性も高い。
 また、事業が倒産の危機の時、池田大作が暴力団で身につけた動物的なカンでお金を集め、高利貸し業で戸田先生の事業の危機を救ったということがなければ、戸田先生は早く池田大作を放出していただろう。池田大作を重用すると言うことはなかったであろう。
 戸田先生が亡くなられる前、「次の会長は誰にするんですか?」との問いに「それは、お前たちが決めるんだ」と言われた(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道、2002)が、戸田先生は池田大作が選ばれることは想定外だったのではないのか? 戸田先生はみんなが石田次男氏を次期会長にすると甘く考えていたのではないのか? 戸田先生は神様ではない。性格が非常に豪放磊落であった。そのように甘く考えていた可能性は高い。
 戸田先生が亡くなって直ぐに池田大作がこういう行動に出たのは、池田大作は妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder)であったため、戸田先生を疑ったためと考えられる。池田大作は若い頃から非常に疑い深い性格だったことは藤原行正氏の本(池田大作の素顔:講談社)にも書かれてある。
 その疑い深い性格が彼を成功へと導いたのである。戸田先生の遺書が有ったのか無かったのかは今になっては解らない。遺言が有って、それを池田大作が捻り潰した可能性は充分に高い。

 池田大作は戸田先生の家に着くと、玄関の鍵を開けに来た家人に挨拶をすることもなく誰よりも早く戸田先生の家に入った。目ざとく戸田先生の遺書を仏壇の前に発見すると、それを内ポケットに入れた。誰も見ていなかった。
 やがてトラックで来た仲間が入ってきた。戸田先生の遺品を学会本部へ持ってゆくことに参加したのは未だ若い男子部の四人だった。池田大作は「これを持ってゆけ。これは要らない。これを持ってゆけ」と指示をすることが主だった。
 その日、家に帰り、戸田先生の遺書を開いた。やはり池田大作除名が書かれてあった。遺書の内容は池田大作除名が全てと言っても良かった。非常に短い遺書であった。
 池田大作には危険を感じ取る動物的なカンがあり、そのカンで今まで何度となく危険を救われてきた。
「これで第三代会長は俺のものだ、これで第三代会長は俺のものだ」と池田大作は微笑んだ。

                 (未完)



        池田大作の生涯
                    創価学会内部改革派憂創同盟残党

【はじめに】
 私は以前、池田大作は広宣流布を頓挫させるためにこの世に生を受けた、と書いた。
「第六天の魔王 智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王 我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」(最蓮房御返事)———これが該当する可能性は無い。
 池田大作は単なる俗物であり、創価学会に入り戸田城聖氏のもとへ就職したことが偶然の幸いとなり、劣等感に根ざした極めて強い権力志向が、お人好しの極めて多かった創価学会に於いてライバルを蹴落とし、創価学会の会長となり、栄華を極めた、と考えるのが適切な説と思う。
 池田大作の人生を幼少時より書いてゆく。

【幼少時代】
 池田大作は零細な海苔製造業者のである池田子之吉(ねのきち)、妻一(イチ)の五男として昭和三年一月二日、東京都荏原(えばら)郡入新井町大字不入斗(いりやまず、現・品川区)に生まれた。男女併せて十人の兄弟がいた。
 昭和六十年前後の状況を山崎正友氏が(懺悔の告発:日新報道:1994)に書かれている。
 長男 喜一   ビルマにて戦死
 長女 とよ子  国立第一病院看護婦
 次男 増雄   大衆食堂経営、家を継ぐ
 三男 小宮開造 阿部商会(外車ディ-ラー)役員、死亡
 四男 清信   三洋工業、学会幹部
 五男 大作   本人
 六男 栄一   トビ職
 七男 隆一   東和工業
 八男 正利
 次女 いね子  東芝社員の妻

 これを見ると、明らかに学会員であるのは一つ上の兄のみである。
 山崎正友氏が池田大作の家系を調べたところに依ると、数代先まで東京湾でノリ採集や漁師をしていた、という。
 インターネットでは池田大作が在日朝鮮人という論が強い。しかし、山崎正友氏は在日朝鮮人ということは全く言及されていない。
 しかし、小学生時代に病床の父から韓国語を教わっており韓国語が堪能であるとインターネットでは言われている。
 池田大作の少年時代は、同級生や教師などの証言に依れば、貧しい、女好きの、子だくさんの海苔屋の五男で、特徴もなく、一生懸命勉強しても中位の成績の、目立たない少年だった。
 後年、創価学会の会長になったと聞いて、誰もが驚いたという。
 二十五歳(昭和三年生まれであるから昭和二十八年)までは池田太作(タサク)が本名であったが、二十五歳の時、正式に戸籍上、池田大作に名前を変更している。戸田城聖氏や池田大作の奥さんのように勝手に名前を変えることはできる。しかし戸籍の名前を変えることは家庭裁判所が認めたときのみである(少なくとも以前はそうであった。現在は在日外国人のことで簡単に変えられるようになったようである)。戸籍の名前を変えることはそれほど困難なものであった。池田大作は潜在性統合失調症であるため、その誇大妄想と被害妄想により凄まじい執念で戸籍の名前をも変えた。池田大作の当時の給料は一般人の百倍近くであったと言われる故、その有り余るお金で買収したとも考えられる。この戸籍の名前を変えることができたことは一つの謎(調査中)と山崎正友氏は書かれている。
 
【青年期】
 池田太作は戦後の混乱期、定職にも就かずブラブラしていたが川崎市から大田区を縄張りとする暴力団の手先となって貸し金の取り立てなどを手伝っていたらしい(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p105 )。
 この頃、学校時代の友人であるMという女性に誘われて座談会に参加し、御本尊を渡される。このとき「人間革命」に書いてある戸田城聖氏との劇的な出会いはない。戸田城聖氏との劇的な出会いに詩を詠んだということはない。それは「人間革命」の本当の作者である篠原善太郎氏(東大卒。戦前、河田清のペンネームで小説を書いたことがある。小説家志望だった。学会総務。外郭会社・東西哲学書院社長。同社は信濃町近辺や全国の学会会館近くにレストラン、寿司屋、書店のチェーン店を展開している学会外郭の最大手の一つだった。既に亡くなっている。竹入義勝氏とともに長野県の日蓮正宗法華講の古くからの剛信な一族出身。)が池田大作より命令され創作したものである。
 次のように書かれている。
「学校時代の友人に誘われて創価学会本部へ行きました。その友達は哲学のいい話があるから来ないか、と誘ったのです。その友達は哲学のいい話があるから来ないか、と誘ったのです。私は友人と二人で行ったのですが三、四十人もいたでしょうか。五時間ぐらいそこで締め上げられたのです。
 南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずいぶん反対したのですが、理論で敗れて信仰しなければならないということになってしまったのです。負けたのでシャクにさわってしかたがない」(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p71-2)
「それから御本尊をお下げするという話で、私は三十分ほどいりませんとがんばったんです。すると幹部の人がなだめて、むりやりに私に押しつけました。
 家に持ち帰っても三日間おがまずにほっておきました。三日目にものすごい雷が鳴り、私の上でゴロゴロ鳴って、私ばかり狙っているように思ったので、そのとき思わず南無妙法蓮華経と口をついて出ました」(小口偉一編『新心理学講座』第四巻)
「それでおがむとこうなんだから信仰は大事だなあと思ったのです。それから一年は普通にやっていました。そのころはバチがこわかったのです。前の信者さんたちが牢獄へいったということが気になりました。全部の宗教に反対するから必然的に弾圧される、その時はどうしようか、寝ても覚めても考え、やめるなら今のうちがよいと考えました」(小口偉一編『新心理学講座』第四巻)
「私が信仰したのは、丁度今から十年前の八月二十四日です。……折伏されたのは前の本部です。前の本部は会長先生が事業をなさっていらっしゃった二解の八畳と六畳の二間でした。……そこで多くの広宣流布の人材が毎日会長先生の御講義をきいたんです。私はそこで教学部長(小平芳平のこと)から折伏されたんですよ」(S32・10・18付聖教)
 以来、肺病を患っていた池田太作は肺病を治すためもあり、熱心に信仰を始めた。勤行唱題の声が喧しいと大家さんから注意されるほどであった。
 池田太作はそして幾つかの事業を行っていた戸田城聖氏の処へ就職の面接に行く。戸田城聖氏は金を貯めている学会員から借り入れて手形割引などで他の学会員に高利で貸す金融業「大蔵商事」も営んでいた。戸田城聖氏は池田太作の借金取り立ての経験に目を付け採用する。
 この金融業で池田太作は経験と才能を発揮する。金を貯め込んでいる学会員の家を当てるのが非常に巧かった。戸田城聖氏の傾きかけていた事業を再起させたのは池田太作の金融業での経験と才能だった。取り立ても厳しく、病気で寝ている老人の布団を剥いで持って帰ることもあったという逸話もある。
 大蔵商事で池田太作は営業部長として辣腕を振るい、池田太作の給料はそのため当時の平均給料の百倍近くであった(ここの給料は歩合制であった)。この金で池田太作は女子部員をものにし、また、幹部達に金を振る舞い、次期会長を狙うべく人脈作りを行ったらしい。(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994)
「人間革命」の「この冬もオーバーコートなしで過ごさねばならない」ということは嘘である。
 この金融業の時代に池田太作は毎日のように金集めのため松島勇氏の家に出入りする。松島勇氏は埼玉県大宮市の国鉄機関車区に勤めており池田太作の依頼に基づいて仲間の国鉄職員から貸し金を集め、池田太作のドル箱であった。そのため池田太作は毎日のように松島家に出入りした。家族同然の付き合いだったと言われる。「月刊ペン事件」で有名な、松島家の三畳間で裸身を松島道子にタオルで拭かせていたのを学会員の小沢よねさんに目撃されたのはこの頃のことである。
 松島道子は後に参議院議員になった。夫となった松島一郎は衆議院議員になった。松島道子と池田太作との関係は二人(松島一郎と松島道子)の結婚後も続き、そのためその夫婦の間は冷え切っていた。松島一郎は妻の不倫に気付いていながらも黙認を仕方なくされ、その黙認したことにより衆議院議員に池田大作より推薦されることができた。
 松島道子の姉が池田大作批判の急先鋒である藤原行成氏の妻である。池田大作は松島道子の姉にも手を出そうとした。しかし手を出すことができず、池田大作は松島道子の姉(藤原行成氏の妻)を虐め続けることになる。松島道子の姉(藤原行成氏の妻)を虐めることに実の妹である松島道子が手助けをしていた。
 松島家以外にも戸田城聖氏の金融業の資金集めに協力した故に後に創価学会幹部に取り立てられた一家は他にもたくさんあり、そのなかには、その事業に失敗して資産を失い、池田大作の口ききで山崎正友氏が負債処理に当たった処もあったという。
 池田大作がこの戸田城聖氏の元で行っていた金融業は現代のサラ金と同じものであった。「人間革命」にはそのことが解らないように脚色されてある。
 池田大作は昭和四十九年、大石寺大山荘に於いて山崎正友氏と酒を飲んでの雑談の時、「戸田先生の唯一の失敗は私に金貸しのような汚い仕事をやらせたことだ。俺なら後継者の人生経歴をそんなことで傷つけたりしない」と言った。戸田城聖氏は池田大作を創価学会の後継者とは考えていなかったから金貸し業に突っ込んだと山崎正友氏は書かれている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p107-8)
 また、池田大作は「資金繰りが苦しく、金策にも四苦八苦している時、戸田先生と二人で皇居前広場を通りかかった。私がヤケクソ気味に『こんな男にだあれがしたあ』(当時流行していた歌謡曲“星の流れに”の替え歌)と歌ったら、横から戸田先生が『俺だよ』とニコリともせず言った」と思い出話を語ったと山崎正友氏は書かれている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p108)
 この大蔵商事は学会首脳が働いていたが、昭和三十五年の池田大作の会長就任とともに学会首脳は退き、以降は戸田城聖氏の妾であった森重紀美子とその甥らが経営したが、脱税摘発や貸金こげつきで事実上、倒産する。その後、大同商事と社名を変え、昭和四十七年頃から中西治雄氏が関わり、創価学会の建物の火災保険、学会員や学会本部関係の物品販売、大石寺土産物取扱い、学会員相手の高利貸し、などを行う。
 昭和三十二年の大阪事件に於いて臆病な池田大作は卑怯にも警察に全てのことを話している(すでにこのとき池田大作は堕落していた)。つまり仲間を売っている。そのために池田は早期に釈放されたし無罪になった。大阪事件では何十人もの創価学会員が有罪になり、創価学会は有罪になった人たちを全員、除名にした。この大阪事件の判決は昭和三十七年であった。

【会長就任後】
 池田大作は特別書籍と呼ばれるゴーストライター軍団を会長室の上の階に設置し、自らの著作および講演原稿を作らせるようになった。責任者は原島嵩氏で、その下に、上田雅一(慶大卒、副会長)、桐村泰次(東大卒、副会長)、野崎勲(京大卒、副会長)、石黒東洋(東工大卒)、細谷昭(一橋大卒、副会長)らで編成されていた。このゴーストライター軍団は原島嵩氏が抜けたりメンバーこそ多少替わったものの現在(平成二十二年)も健在である。
“潮”や“第三文明”などに掲載する文化人、学者との対談も、すべてゴーストライター軍団に依るものである。トインビー博士との対談も、同様にして作られた。池田大作は相手と会って食事したり雑談し、写真を撮るだけである。
 昭和四十九年から翌年にかけて「月刊ペン」誌上で編集長である渡部大蔵氏が創価学会批判を行ったが、それは池田大作の女性関係にまで及んでいた。この池田大作の女性関係は真実であり、創価学会側は笹川陽平氏(笹川良一氏の三男、船舶振興会理事長)に相談し、二千万円を渡部大蔵氏の弁護士に渡し買収に成功した。しかし渡部大蔵氏はどのように金額を積んでも頑なに拒否した。そして裁判は弁護士から裏切られた渡部大蔵氏の執行猶予付きの懲役刑となった。
 渡部大蔵氏はこの裁判を不服として上訴中、病に倒れ死亡した。しかし渡部大蔵氏の死後、藤原行正氏などの造反が起こり、彼らが証言台に立ち、池田大作の女性関係が真実であることが裁判に於いて立証された。
 この女性関係は凄まじく、日本全国だけで二十名を超えていたという。一部を書くと、公明党の衆議院議員となった二人の女性は池田大作の愛人であった。
 全国各地にある学会施設には池田専用の極めて豪華な部屋へついて昭和五十二年、民社党の春日一幸氏から竹入委員長宛に一通の手紙が届いた。このことを国会に於いて追求するという内容であった。九州の霧島では国立公園の真ん中に法律を無視して施設を造っていた。これは愛知県渥美半島、北海道、広島でも同じようであった。広島では税務署が池田大作の豪華設備について「宗教と関係ないから課税する」と言ってきていた。急遽、これら池田専用の極めて豪華な設備を解体する作業が行われた(この解体作業に費やした費用も莫大であった)。結局、創価学会が「選挙で票をよこす(公民選挙協力)」と約束し、民社党は追及を行わなかった。

                 (未完)


【研究と報告】
       大阪池田小事件と宅間守と創価学会* 
                                     創価学会内部改革派憂創同盟残党**

【key words】Ikeda elementary school, Spree killer, Psychopathie,  Mamoru takuma,  Soka-gakkai

【はじめに】
 大阪池田小事件(2001年6月8日)
 この事件もスプリー殺人の典型的事例とされている。出刃包丁を持った男1名(宅間守・当時37歳)が、2時限目の授業が終わりに近づいた午前10時過ぎころ、自動車専用門から校内に侵入し、校舎1階にある第2学年と第1学年の教室などにおいて、児童8人を刺殺し、児童や教員10数人を傷害した。2003年8月28日に大阪地裁は死刑を言い渡した。死刑確定から1年未満の2004年9月14日、執行された。(犯罪学雑誌:第74巻、第6号:2008)

【生活歴】
 宅間守は刑務所入所と精神病院措置入院を繰り返していた。精神病院には中学生時代から強姦事件を繰り返し起こしたため、通院薬物療法及び精神療法を受けていた。そして父親と極めて不仲であった。両親は熱心な創価学会員であった。
 高校を中退した後、いつもの激しい暴力を伴った強姦事件を起こす。この強姦事件では被害者に告訴される。宅間守は精神病院を受診し、統合失調症の診断を受け、閉鎖病棟に入院させられ、いつ退院できるか分からない状況に陥った。抗精神病薬の投与量は大量であった。
 統合失調症ではない普通の人間ならば少量の抗精神病薬の投与によっても激しい倦怠感のため、長時間、横になってしまうものである。抗精神病薬はベンゾジアゼピン系抗不安薬と異なり耐性は付きにくい。いつまでも抗精神病薬の副作用に苦しむはずである。
 ところが統合失調症の患者は普通の人間が服用すると半日は仕事できないような激しい倦怠感に襲われるにも拘わらず、ほとんど平気である。それどころか幻聴や妄想が無くなり、却って明るく元気となる。ここで統合失調症との確定診断がつくものである。これは脳内ドーパミン系などの過活動が正常化されるためと説明されている。
 宅間守は抗精神病薬の副作用にあまり苦しまなかったことを考えると統合失調症であったことの証明になる。少なくとも脳内ドーパミン系などの過活動がそのときには存在したことの証明になる。
 この入院中、宅間守は五階屋上から飛び降り自殺を図る。しかし奇跡的に下顎骨骨折と上顎骨骨折のみであった。
 池田小事件の検察官は、この入院中のエピソードを強姦罪による逮捕・有罪判決を逃れるために精神病者を装ったもの、すなわち詐病で、飛び降りも自殺目的ではなく、病院からの脱走目的としている。しかし、当時のカルテにも、その後の診断書にも宅間守の病名が一貫して統合失調症と記載されていること、実際に強力な抗精神病薬が投与されていたこと、精神科医を騙して統合失調症の診断名を得ることは不可能であることを考えると、詐病ではない。実際に、少なくとも当時、統合失調症の症状を呈していたことは確実である。
 そして宅間守は先の激しい暴力を伴った強姦により3年間、奈良少年刑務所に服役している。初犯で、初めての服役であるにも拘わらず、仮釈放の恩恵も受けず満期出所であったことは、入所中の行状がよほど芳しくなかったか、言葉の上だけでも改悛の情を示さなかったことを意味すると思われる。また、この服役期間中に宅間守は両親に金銭的な要求をし、父親によって勘当された。
 宅間守は1999年に小学校教諭4人にお茶に精神安定剤を混入させた事件で措置入院になっていた。このときは統合失調症に罹患していて心神耗弱状態とされたため、不起訴処分になっている。
 そしてこの措置入院は39日とあまりにも短く終わっている。精神病院といえども、あまりに凶暴な性格の宅間守を入院させておくことが困難であったのであろう。退院時の診断名は統合失調症ではなく妄想性人格障害と変わっていた。また、この39日間の入院中に兄が自殺していた。享年42歳であった。
 退院より半年後、精神障害者保健福祉手帳の交付を申請し二級の手帳を取得している。
 宅間守は性格が極めて粗暴であり、職場でもトラブルを頻繁に起こし、転職を繰り返していた。離婚も3回し、4回目の妻も宅間の暴力と金をせびる習癖に耐えかねて5ヶ月後には離婚した。すなわち宅間守は離婚を4回したことになる。
 1999年の措置入院の後、宅間守は精神病院への任意入院(自ら望んでの入院)を三回繰り返していた。そして四回目の任意入院を予約している間に、池田小事件を起こした。
 池田小事件の起こった2001年には、司法書士の学校に通ったり、訴訟を起こしたり、精神科医の偽の名刺を作ってお見合いパーティーなどでナンパを繰り返したり、数週間家に引き籠もって飲まず食わずの生活を送り、何回か精神科病院に短期間入院したり、ソーシャルワーカーにSOSの電話をしたり、その間に数回の自殺未遂を繰り返したりしていた。このように軽躁状態と鬱状態の両面が現れていた。
 宅間守は統合失調症、妄想性人格障害、反社会性人格障害、境界性人格障害などの合併であると考えられる。精神鑑定に於いて一つの病名を示すようになっていることは精神医学を知らない裁判官の無知である。精神疾患は合併することが多いものである。宅間守はその他に気分障害(双極性障害)、不安障害、向精神薬依存症も合併していたと考えられる。

【創価学会との関係】
 雑誌に載っていた宅間守の部屋の中央に御厨子が置かれており扉が開いていて中の御本尊が写真に写っていた。この御本尊は日顕上人の御本尊であり、当時は創価学会が宗門より破門され、創価学会独自の御本尊を配布され初めて数年が経っており、創価学会は日顕上人の御本尊の回収と創価学会独自の御本尊の配布をほぼ終了していた。
 日顕上人の御本尊が宅間守の部屋の中央にある御厨子に懸かっていることより山崎正友氏は法華講員または妙観講員であることを疑い本山に問い合わせた。しかし(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:第三書館:2001:p39)において「本山の名簿に宅間守の名は載っていなかった」と書かれている。山崎正友氏は日達上人と非常に親しく、本山(宗門)に非常に近い存在であり、法華講総講頭(法華講で最も高い位)にまでなった人物である。本山に宅間守が法華講員または妙観講員かどうかを非常に詳しく調べさせたと推測される。本山は宅間守のことについて間違いの無いように綿密に調べたことは確実である。
 宅間守のような極めて粗暴な性格の者には創価学会員であっても「決して近づくな!創価学会員と見なすな!創価学会に大変な迷惑がかかる!実質上、創価学会員ではないと見なせ!」と内部伝達され、放置されるものである(誰見境なく折伏することが昔は多かったため、こういう学会員は多いのである)。御本尊が日顕上人のものであったことは放置されていたからである。
 御厨子が開かれていたままだったということは、宅間が勤行唱題中に祈祷性精神病すなわち急性精神病状態に陥り、御厨子を閉める余裕無く、車に乗り大阪池田小へ向かったと推定される。普通、勤行唱題が終わると御厨子は閉めるものである。(筆者注:一般の人は御厨子は普通は閉めておくものという認識がないため、宅間守が勤行唱題中に祈祷性精神病すなわち急性精神病状態に陥ったという意見は未だ全く見られない。数多い宅間守についての論文に於いて、このことに言及しているものはない)
 御本尊は日顕上人のものであったが、創価学会は破門されてから数年経過していた。両親は熱心な創価学会員である。そのため宅間守は勤行唱題中に祈祷性精神病すなわち急性精神病状態に陥ったものと推測される。
 死刑の判決を受けたとき「池田先生、バンザーイ!」と叫んだことは有名である。宅間守は生活の苦しさと遣り場のない苦しさから創価学会の信仰を熱心に行っていたと思われる。それは部屋の中央に御厨子が扉を開けて置かれていたことからも推察される。
 ただ、性格の余りもの凶暴さと強姦などの犯罪を繰り返し刑務所と精神病院措置入院を繰り返していることから、創価学会員は創価学会の幹部より創価学会に迷惑をかける要注意人物として接触を禁止されていたと推定される。
 宅間はインターネットにて創価学会を誹謗中傷していたということであるが、妄想性人格障害と診断されていることからも創価学会員から接触を拒否されていることを強く恨みに持ち、または統合失調症の被害妄想のために、また熱心な創価学会員である父親への憎しみのため、インターネットにて創価学会を誹謗していたと思われる。

【おわりに】
 宅間は小学生の時に大阪教育大付属池田中学への進学を望んだが母親がお金を出してくれないため断念した。
「家庭が安定し、恵まれ、勉強できた人間でも、アホで大怪我して展望のない腐り切った自分のようなおっさんに、たかだか5~6秒で刺されて死ぬ。そんな不条理さを分からせてやりたかった。いくら勉強ができようが、いつ死ぬかわからんのが人生。世の中、勉強だけじゃちゃうぞ、と一撃を与えたかった」「そこらの子を殺すより、裕福で頭のええ、将来有望な人間を殺す方が自己満足がある」と宅間は公判で述べている。

【文献】
1)岡田尊司:自尊心を求めるH・コフートの自己愛の発達理論とS・フロイトの病的なナルシシズム:医学書院、1994
2)岡田尊司:パーソナリティー障害、PHP新書、東京、2001
3)岡田尊司:人格障害の時代:平凡社新書:2004
4)岡田尊司:パーソナリティー障害がわかる本:株式会社法研:2008
5)笠原嘉:精神病、岩波書店、東京、1998
6)松下正明:新世紀の精神科治療(5)、現代医療文化の中の人格障害:中山書店、東京、2002
7)福島章:犯罪精神医学入門:中公新書:2005
8) 福島章:精神鑑定 脳から心を読む:講談社:2006
9) 岩波明:精神障害者をどう裁くか:光文社新書:2009
10)中谷陽二:精神鑑定の事件史:中公新書:1997
11) 伊東高麗夫:病跡学とオカルト:勁草書房:1980
12) 中安信夫:初期分裂病/補稿:星和書店:1996
13) E.クレッチュマー:天才の心理学:岩波書店:1981
14) DSM-�-TR、精神疾患の分類と診断の手引き:医学書院、東京、2007

*An incident Ikeda elementary school, Mamoru takuma, and Soka-gakkai
**どんぐり病院(〒000-0000 どんぐり市どんぐり町000-00)
Toshiro MIFUNE:000  psychiarty, 00000, 00000, JAPAN .
Ccc998@infoseek.jp

 (第3章終了)
緊急公示(3)保田妙本寺の末法万年救護の大本尊
(11月6日2010年 土曜 午前5時半)
 これはどちらでも良いのかも知れない。魔神である池田大作の創価学会の信仰を辞め日蓮正宗富士派の信仰を行えば良い、という考えが強い。
 日蓮正宗大石寺の大御本尊が後世の偽作という説は以前から強く存在し、大石寺はそのことで強く非難されてきた。そして、その説がほぼ間違いないということがS氏の現代科学的研究で解ってきた。(ここは病院の医局でインターネットがない。記憶に頼っている。)
 S氏はデジタルアナライザーで日蓮正宗大石寺の大御本尊が日蓮大聖人がある弟子に与えた曼荼羅を元に作られたことでほぼ間違いないことを証明した。そしてもう一つ、日蓮正宗大石寺にある日興上人の板御本尊も日蓮大聖人がある弟子に与えた曼荼羅を元に作られたことでほぼ間違いないことをデジタルアナライザーで証明した。また、ある重要な日蓮大聖人の御真筆の文書も日蓮正宗大石寺が花押を他の御真筆の文書からコピーしていることもデジタルアナライザーで証明されていた。日蓮正宗大石寺は偽造を習癖とする教団であると弾劾されている。インターネット上にS氏の研究は載っている。
 S氏は幼い頃から創価学会員であったが第一次宗門戦争のとき宗門(日蓮正宗大石寺)に移った。しかし、数年後、宗門から離脱して現在、何処にも属さないで日蓮大聖人の信仰を続けているという。 
 北海道のある地区では日蓮正宗大石寺から保田妙本寺に入信する人が続出していると書かれてあった。保田妙本寺の鳥本御尊氏がその地区の指導に当たっているという。筆者にも鳥本御尊氏が連絡を取りたいと仰っていると法華講員と思われる人からメールが来た。
 保田妙本寺は千葉県にあると思っていたが、何故、北海道から連絡が来るのか訝しかった。保田妙本寺は北海道にあるのか?保田妙本寺の活動拠点は北海道なのか?と訝しがった。北海道はあまりにも遠すぎると思った。
 何日か前、インターネットで鳥本御尊氏が北海道で活躍されていることを知り、メールを出したような記憶がある。しかし、何処のサイトからメールしたのか、はっきりしない。昨日の朝、インターネットで探したが、何処からメールしたか分からなかった。単に書き込みをしただけの可能性が高い。
 昨日の朝、保田妙本寺関連のサイトをよく読んで保田妙本寺と日蓮正宗大石寺は現在、対立関係にあることを知った。
 自分は創価学会から日蓮正宗法華講に移って悪い偶然は全く起こらなくなった。また、10年来の“うつ病”が一発で治った。人生の敗北者となる直前であった。現在、再燃の気配は全くない。日蓮正宗のお寺で勤行唱題すると元気一杯になり目は輝き、怖いものがなくなる。明日を心配することがなくなる。 
 とても迷うが、保田妙本寺に入ろうと思う。家庭の崩壊を避けるため、そして、ネット上の日蓮正宗法華講員に失望と怒りと落胆を禁じ得ないからだ。保田妙本寺は創価学会と対立していない。創価学会の狂信者である妻の一族も日蓮正宗でなく保田妙本寺なら露見しても許してくれると思うことが一つの理由でもあります。でも小さな理由です。
 自分は日蓮正宗大石寺の大御本尊が後世の作でも全然関係ないと思っています。後世の作でも日蓮大聖人の魂が入っているからです。後世に作ったものに日蓮大聖人の魂が入ったのです。日蓮大聖人の御精神は民衆救済、広宣流布への燃えるような情熱、愛情にあります。形式ではありません。信仰は理屈でも理論でも証拠でもありません、感性です。信仰は人を救う愛情です。
 もう一度書きます。
 自分は日蓮正宗大石寺の大御本尊が後世の作でも全然関係ないと思っています。後世の作でも日蓮大聖人の魂が入っているからです。後世に作ったものに日蓮大聖人の魂が入ったのです。日蓮大聖人の御精神は民衆救済、広宣流布への燃えるような情熱、愛情にあります。形式ではありません。信仰は理屈でも理論でも証拠でもありません、感性です。信仰は人を救う愛情です。

http://sky.geocities.jp/mifune0008/
ccc998@infoseek.jp

 自分は日蓮正宗大石寺と保田妙本寺が以前のような同盟関係になってくれることを強く望んでいます。日蓮宗富士派として同盟関係に戻ってくれることを強く望んでいます。
 法華経は宥和の経典と言われています。もう一度書きます。法華経は宥和の経典と言われています。
 たくさんの信者さんが日蓮正宗大石寺と保田妙本寺が以前のような同盟関係になってくれることを強く望んでいることを確信しています。
 対立は厭です。争いは厭です。日蓮正宗大石寺と保田妙本寺が以前のような同盟関係になってくれて、共々に日蓮大聖人御遺名の広宣流布へ猛然と邁進することを強く懇願します。また、そうでないと、日蓮大聖人御遺名である広宣流布は決して達成できないと思います。
 広宣流布を民衆救済を強く懇願します。お願いします。

                 (完)
 

創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(4) [宗教]

第3章「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」
犯罪集団・創価学会
 これもあまりにも知らない創価学会員が多いので敢えて書く。知っている創価学会員は皆無と言って良い。
(事件が起こった年月が分かっていないものもあるため、順番は正確ではない)

吉展ちゃん事件———昭和三十八年、東京都世田谷区で建設業を営んでいた000さんの長男・吉展ちゃんが誘拐され、犯人は両親に身代金五十万円を要求した。
 両親が要求通りに五十万円を支払ったにも拘わらず、吉展ちゃんは死体で発見された。犯人の小原保が逮捕され、裁判の結果死刑を宣告され、執行された。
 この小原保は熱心な創価学会員であった。その小原保は吉展ちゃんを誘拐し、殺害して金を手に入れた直後に学会活動で知り合った会員仲間の愛人宅で、奪った金を仏壇に供え、二人して“功徳により大金を手に入れることができたこと”への感謝の唱題を続けていた。
 幼児を誘拐し殺して奪った金を「創価学会の信仰の“功徳”だ」と言っていた。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から創価学会より洗脳されてきた結果と思われる。

サラ金侵入放火事件———————財務などの活動費によって生活苦に陥り、サラ金に手を出した千葉県市川市の熱心な活動家00000は、返済に窮し、借金していたサラ金「ローンズ日立」に押し入りガソリンをぶちまけ放火、自殺を図った。創価学会の“魔”が暗躍したのである。

大石寺売店主・手形詐欺事件
サラ金苦・友人母子殺害事件

座談会場殺人事件—————昭和四十二年、愛媛県新居浜市の座談会場で、座談会開催中、青年部員・0000に刺殺されたのは000地区部長。登山していた母親の連絡先を訪ねた際、「後にしてくれ」と言われたことに腹を立て、近隣の学会員経営の食堂から包丁を持ち出し、地区部長を刺殺した。000は十年ほど服役後出所。再び学会活動に従事したが、高知県の選挙の応援の帰途、車ごと谷に転落して死亡した。純粋な信仰をしていた男子部員であった。

千葉判事補・女子高生連れ込み事件—————創価大学一期生で司法試験に合格、判事補に任官して池田大作の弟子の中で“希望の星”の一人であった千葉判事補は事件関係で知り合った女子高生を自宅に連れ込んでいたことが発覚。千葉判事補は刑事事件にはならなかったものの裁判所を辞職する。創価学会の“魔”が暗躍したのである。

JRの駅で医師を刺殺した事件ーーー京浜急行青物横丁駅で、岡崎医師が元患者によって射殺されたが、その場で現行犯逮捕された犯人は熱心な学会員家族の一員であった。

連続ガムテープ強姦事件————昭和五十七年一月まで都内各地で三十二件もの強盗強姦を重ねていた0000は現役・大B長。日頃、会員たちに“人間革命”を説き、池田大作を礼讃する創価学会の幹部が長期にわたり凶悪事件を重ねていたという恐るべき事例である。

川崎・連続放火事件————昭和五十七年二月から五十八年一月にかけて三十件にもおよぶ連続放火を続けていたのは本部壮年長の息子で青年部の0000。

金の延べ板盗難事件————昭和五十七年三月、秋田県の同和鉱業から三千万円の金の延べ板を盗みだし古物売買ルートに乗せて売り捌いていた盗難グループは全員、創価学会員。これも「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

お寺侵入殺傷事件—————昭和五十七年、佐賀における事件である。統合失調症で通院治療を受けていた二十九歳の創価学会青年部員が、包丁を持って佐賀県武雄市の深遠寺に乱入、高木当道住職の妻子やお手伝いさんを次々に刺し、そのお寺の幼い子供(三歳と五歳の少女)を刺殺したほか、手伝いに来ていた二十一歳の女性をも刺殺した。住職は法要のため外出していた。逮捕された青年は昭和五十五年には広島市の寺院に投石を繰り返し、器物破損の容疑で逮捕された前歴を持つ。青年が日蓮正宗の寺ばかりを執拗に敵視するのはそれなりの理由があった。創価学会に入れば、金儲けを始め、病気の治癒など、利益がいっぱいあると聞かされて入信、学会活動にも励んだが逆に金を取られる始末。学会への恨みが嵩じて、授戒を受けた日蓮正宗寺院をも逆恨みするようになったのである。

元警官の学会員による強盗殺人事件———昭和五十八年、千葉県船橋市の創価学会前原支部総会で、元警官で熱心な創価学会活動家の沢地和夫は「入信にしたおかげで、思わぬ収入を得、借金を返すことができた。大きな功徳を頂いた」と体験発表し、満場の喝采を受けた。沢地は元警視庁警官の身でありながら二人の資産家を殺害、金品を強奪した。沢地は強盗殺人を犯して得た金を功徳と言っていたのである。沢地は活動熱心な創価学会員であった。学会活動で知り合った女性と二人で感謝の題目を上げていた。これも「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。
 沢地和夫は死刑の判決を受け執行された。沢地和夫が刑務所内で書いた本が評判になっている。

山口母子殺人事件————六ヶ月の子供と二十二歳の主婦を殺害した余りにも有名な事件。犯人は男子部班長。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

カレー毒入り殺人事件——————犯人・林真澄は熱心な創価学会員。勤行は欠かさず行っていた。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

不倫妻と愛人共謀殺人事件—————昭和六十三年、千葉県大原町で、不倫妻と愛人が共謀して夫を殺害。灯油をかけて焼いた事件の犯人である不倫妻は学会地区幹部の0000。愛人も学会員。殺された夫は本部長。

北海道原野商法——————昭和六十四年、不動産バブルの風潮を利用し、北海道の、ほとんど資産価値のない土地を、何も解らない主婦たちなどに売りつけ、いわゆる「原野商法」で詐欺罪に問われ、逮捕された沢井俊光は、熱心な学会員であり、詐欺で得た多額の金を「財務」として創価学会に貢ぎ、池田大作から、サイン入りの著書を贈られた。沢井は、この本を仲間の学会員に自慢して見せびらかしていたという。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

別府寿福寺六億円身代金要求僧侶誘拐事件—————平成元年十一月七日、大分県別府市・寿福寺住職が創価学会壮年部ブロック長の桝永廣典らによって誘拐され、身代金六億円が創価学会に要求された。現金六億円は直ちに用意されて犯人は逮捕され事なきを得たが、反面、創価学会の金権体質を浮き彫りにした。主犯の桝永は「創価学会なら金がある。身代金を出してくれると思った」と供述した。その背景には創価学会の宗門を敵視する意識があったと思われる。

公明党議員の口利きで生活保護を受けていた学会員の老婆が覚醒剤の密売をしていて逮捕された事件。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

札幌市・婦女暴行事件——————平成五年十月、創価学会男子部三人が起こした事件。三人とも創価学会の“嫌がらせ部隊”隊員。常に卑劣な犯罪行為を行ううちに、犯罪に対する罪悪感が失われたものと思われる。脱会者の家の前で糞をする、脱会者の郵便受けに糞を入れる、脱会者の庭に糞を投げ込む、このような行為を日常的に行ってきた故に人格がすさみ、犯罪に対する罪悪感が欠如してしまったものと思われる。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

特別公務員暴行致傷事件———————創価学会の検事である00氏は平成五年十一月、ゼネコン汚職の取り調べの際に二人の参考人に対して暴行を加えた。それは書くのも憚られるほど凄まじいものだった。狂気としか言いようがない。被害者は言う。
「壁に向かって立たされ、後ろから思い切り蹴飛ばされたり、土下座させられ、首筋を散々踏みつけられたりした。その上、往復ビンタで口の中を切り、血が二メートルに亘って飛び散った。その血を拭き取りながら00は『お前はエイズじゃないだろうな』と聞いた」
 同検事は以前にも暴行を繰り返していた。懲戒免職となり、公務員暴行致傷事件で逮捕される。現職検事が懲戒免職になったのは昭和二十七年以来であり、暴行事件で懲戒免職になったのは初めてのことだった。
 00氏は熱心な創価学会員で、司法試験合格後、“池田大作に激励されて試験に合格した”と体験発表している。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

大阪でホームレスの老人を道頓堀川に投げ込み殺害した事件ーーー平成六年、ホームレスの老人が台車の上に寝ていたところ道頓堀川に投げ込まれ水死した事件。犯人は二十四歳、東京駅で三日後に逮捕されたが熱心な創価学会の家で生まれ育っている。熱心な学会員の子は“福子”と呼ばれ仏に祝福されて生まれてきたとされる。この男の場合は名前から見て池田大作が名付け親である可能性が極めて高い。“魔”の御本尊が遠因と思われる。

愛媛県の最高幹部伊予分圏議長0000が松山外港埋め立て工事に伴う補償金のうち百二十万円を詐欺横領して逮捕された事件。「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。

ピアノ教師惨殺事件———————平成九年八月一日、浜松市のピアノ講師(女性)が殺害されました。
警察の調べによると、犯人の0000は、その女性講師と以前交際していたのですが、別れ話のもつれから、彼女のマンションに忍び込み、身体を百ヶ所以上もメッタ刺しにして殺した、とのこと。
00は創価学会の男子部で、彼の実家は、近所でも、�熱心な学会家族�として有名な家でした。 

  
平成十年四月、岐阜県職員の0000が同市職員の000さんを殺害。金銭貸し借りのもつれが原因。二人ともに学会員。学会員同士の金銭の貸し借りは厳禁されている。金銭の貸し借りが発覚すると叱責処分、また除名処分もあり得る。しかし、それは守る学会員もいれば守らない学会員もいる。

平成十年十一月、東京都目黒区で夫が包丁により妻を刺し(重体)また妻の母を刺し殺す事件が発生。被害者の妻と母は熱心な学会員。夫の学会への入会を巡る争いが原因。夫に入会をしつこく強要したため、夫が逆上したのであった。

覚醒剤男・四人刺殺事件———————創価学会の信仰は気宇壮大となり抑制心を失わせる傾向がある。そのため覚醒剤に走ったものと思われた。

覚醒剤男・ガソリンスタンド立てこもり事件———————これも創価学会の信仰は気宇壮大となり抑制心を失わせる傾向がある。そのため覚醒剤に走ったものと思われた。


レッサーパンダ男殺人事件——————平成十三年、東京都浅草の路上で、短大生、Oさん(十九歳)が何者かに刺殺されるという事件が発生した。犯行時にレッサーパンダのぬいぐるみ帽子を被っていたことから「レッサーパンダ男」などとマスコミに騒がれた。犯人はホームレスのテントに二ヶ月ばかり同宿していたが、その間、テントで父親と毎日二時間“魔”の御本尊に向かって唱題していた。犯人の父親は一年前に創価学会に入会し、聖教新聞も購読し、真面目に勤行に励んでいた。模範的な創価学会員である。息子も入会手続きは定かでないが、欠かさず勤行唱題に励んでいたという。
 拝んでいた“魔”の御本尊が元凶で、発作的に、レッサーパンダのぬいぐるみ帽子を被って女子短大生を刺殺する行為に走らせたと思われる。

(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001:p38-45 参照)
(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p164-72 参照)
 他にもたくさんたくさんあるが書ききれない。
 これら犯罪を犯した学会員の多くは熱心な会員や幹部達である。
 これらの会員に対し、池田大作は「会合にも出ない。教学も勉強していない」と弁明しているが、その逆である。熱心な会員ほど「気宇壮大となり」「そこに池田大作が創価学会に招き入れた無数の“魔”の一つまたは幾つかがつけ込み」犯罪に走るのである。このことを池田大作は認識しているのか疑わしい。“魔”は熱心な信者につけ込むのである。
 もう一度書く。熱心な会員ほど「気宇壮大となり」「そこに池田大作が創価学会に招き入れた無数の“魔”の一つまたは幾つかがつけ込み」犯罪に走るのである。

 創価学会では「学会イクオール善・正、社会イクオール悪・邪」との考えを会員に植え付ける。その結果、学会員以外を敵対視するようになり、排他的な選民意識に支えられた学会員が様々な暴力事件や謀略活動を行っている。入信強要殺人事件までも起こしている。創価学会は日本のユダヤ人と言われる。
 上記は池田大作が招き入れた無数の悪鬼が犯罪を唆したためである。
「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」という論理が現在の創価学会に厳然として存在する故、創価学会は数々の反社会的行為を平然と行っている。藤原行正氏暗殺計画があったことを矢野絢也氏は暴露している。
 また、「反対者を徹底して攻めろ」と暴力脅迫行為を会員に奨励する池田大作の指導がある。
 池田大作の通訳として有名であった某女史がある有名な芸能人と結婚し、麻薬密輸に走ったことは有名であるが、これも「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」と日頃から洗脳されてきた故と思われる。すなわち平常の社会通念が欠如してしまっていた故と思われる。

 創価学会は日蓮正宗関係者や批判者に対し、尾行・見張り・嫌がらせ・怪文書など、あらゆる卑劣な手段を用いて攻撃している。こういうことを行う特殊部隊が青年部に編成されている。そして卑劣な犯罪行為を繰り返すうちに犯罪行為に対する罪悪感が欠落し、平気で犯罪を起こすようになるのである。


 そして創価学会員に起こった有名な悲惨な事件として次のようなものがある。
沼川代議士・家族焼死事件—————公明党の国会議員であるため東京に単身赴任していた沼川代議士の一家四人が焼死した事件。池田大作が「沼川はもう十五、六年も俺のところに来ないからな。だからそんな目に遭うんだよ」と言ったことは有名。

娘四人焼死事件。

中国青年部長・交通事故死—————昭和五十九年三月二十二日深夜、鳥取県内で000中国青年部長が運転していた転輪会の学生部員とともに交通事故死した。広島市から鳥取県倉吉市までの往復六百キロ余りの道のりを日帰りで、しかも一人の運転で賄おうとする、無理な強行日程の結果生じた事故だった。この事故は上級の幹部にしか伝達されなかった。末端の会員は全くこのことを知らされなかった。末端の会員が信仰に疑問を抱くからであった。

 文化祭に関連するものとして次のことがある。何故か、最近は文化祭が行われなくなった。

 文化祭六段円塔転落死亡事件———————六段円塔を行うと文化祭の責任者は池田大作より誉められ、そして創価学会における地位も向上する。自身の立身出世のために六段円塔を行わせている。犠牲者およびその家族の悲しみはどれほどであったろう。文化祭は文化祭の責任者の創価学会における立身出世に大きく影響する。六段円塔を行うことが責任者の創価学会における立身出世に繋がる。しかし文化祭の責任者は全くお咎めなしである。

 世界平和文化祭練習死亡事故———————激しい炎天下の中で練習を強行した故である。熱射病で死亡した。その他に三百人ほどの参加者が同じく熱射病で病院に運ばれた。


 最後に「創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:p46-7」より抜粋しておく。

『ジャーナリスト内藤国夫氏が、雑誌『諸君』昭和五十七年六月号で指摘しているところによると、次のように記載されている。

「例えば、重刑罪対象の千葉刑務所に収容されている、殺人や強盗殺人事件、強姦などの凶悪犯だけでも創価学会員が十人にも上り、それ以下の犯罪者まで含めると、全部で三十五、六人に達する。さながら、創価学会収容所といっていいほど、という情報が寄せられた。具体的な個人名まで記されているが、省略して紹介しよう。
★ ★★殺人・死体遺棄(多摩川バラバラ殺人事件) S(42)大阪出身、元大B長=無期
★ ★★強盗殺人 N(51)福島出身=無期
★ ★★殺人・強盗 H(56)=無期
★ ★★殺人 N(51)新潟出身の元十両=懲役十五年
★ ★★殺人・横領 I(30)銚子出身、漁師=懲役十八年
★ ★★強盗殺人 H(29)栃木県出身=無期
★ ★★強盗殺人 Y(38)江戸川区出身=無期
★ ★★横領・殺人・窃盗 G(21)札幌出身=懲役十二年
★ ★★殺人 M(54)静岡出身=無期」

 中国地方のさる刑務所の教誨師を務めたM氏の話によると、強盗、強姦罪などを犯した重大犯の三十名は学会員であった、という。
 私が創価学会の仕掛けた“恐喝罪”のかどで服役した、初犯者を収容する黒羽刑務所でも、数人に一人の割合で学会員がいた。』

 善良な学会員が多いから信じられないと思われる方が多いと思う。しかし、私は刑務所への面会は頻繁に行ってきた。学会活動の一環として行ってきた。創価学会員にはたしかに犯罪が多い。これは池田大作が招き入れた“魔”の軍団が唆すからであろうと思う。
 あの人がどうして犯罪を、と信じられないことが多かった。現在は“魔”の御本尊に変わっているから生命力はあまり湧かないから当てはまらないと思われるが、以前は日達上人の御本尊であったから生命力が猛然と湧いてきていた。そしてそこに“魔”が付け入り犯罪に突っ走るのである。現在は分からないが以前は「創価学会のためなら広宣流布のためなら犯罪を行っても良い、世法より仏法が上、世法なんて仏法の遙か下、我々には仏法のみあり世法は無い」とする考えが創価学会中に蔓延していた。創価学会員は「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」のである。
 選挙における甚だしい選挙違反も婦人部には「創価学会と池田大作のためなら何をしても良い」のである。
 たしかに社会的にどうしようもない人が創価学会に入ったから創価学会には犯罪者それも重大犯が多いと考えることもできる。しかし私が刑務所に見舞ってきた人は部長を嘱望されていた国立大学出身の男子部地区リーダーだった。非常に熱心であるから題目を猛然と唱え、生命力が猛然と湧き、そこに“魔”が付け込み、突発的に犯罪を起こしてしまったと考えられた。
 池田大作が創価学会に招き入れた“魔”の軍団の所為である。創価学会は、激しい折伏に怒り出さなかった人々の集まりであるから、善良な人がとても多い。
 同じ創価学会員の借金の保証人になって夜逃げした人も多い。子供も巻き添えの夜逃げであるから、それは非常に悲しい。創価学会は金銭の貸し借りだけでなく「借金の保証人」になることも厳禁するべきなのである。なぜ、「借金の保証人」も厳禁しないのか、どうしても理解できなかった。
 そして男子部は婦人部とは異なり金銭の貸し借りを平然と行っていた。それも幹部が行っていた。しかも、他の幹部が知るまでなかなか返さない。やはり男性は信仰心が薄いのである。
 創価学会は婦人部で持ってきたし、今も婦人部で持っている。座談会の参加者の八十~百%が婦人部ということからも分かる。座談会には男性は地区部長など幹部しか出席しないのが普通である。地区部長が仕事で参加できないときは参加者全てが婦人部であることは良くある。信仰始めたばかりの男子部員を連れて座談会に参加したとき参加者全て婦人部であり、その男子部員が厭がったことが数回ある。


選挙運動の悲劇
 これもあまりに知らない人が多いので敢えて書いておく。知っている創価学会員は極僅かである。

新宿集団替え玉不在者投票事件———昭和四十三年七月七日に行われた第八回参議院通常選挙の投票日に「集団替え玉不在者投票事件」という前代未聞の選挙違反事件が創価学会により行われた。その手口は学会幹部の実行部隊が他人の住所に郵送された投票所入場券を郵便受けから盗み出し公明党区会議員が選挙人名簿を閲覧して生年月日を調べ年齢、性別の似通った学会員を替え玉に仕立てて投票させるという組織的な犯行であった。
 しかも当日、本人と鉢合わせすることを避けるため替え玉には不在者投票を行わせた。これは新宿区を中心に数区にまたがり、その数は五千票を超えた。この事件は被害にあった人たちが訴え実行犯が数人逮捕されたことにより明るみに出た。不在者投票申請書の筆跡、指紋という動かぬ証拠があったから逃れられない。
 創価学会は北條浩氏、公明党委員長・竹入義勝氏を中心に操作の拡大と組織上層部への波及を防ぐために都議会議員や首都圏の県会議員、区会議員や市議会議員、学会の弁護師団を総動員し証拠隠滅工作を行った。
「替え玉投票は組織的な行為ではなく末端の暴走による個々の偶発的な犯罪である」として皆が手分けして犯人たちや所属支部の幹部に対し口止めと言い逃れのために造られたストーリーを教え込む作業を行った。しかし作られたストーリーがお粗末であったことと動かぬ証拠が多数あったためすぐにボロが出た。
 そこで竹入義勝氏が警視庁に赴き「親友」と言われた当時の00総監にすべてを打ち明けた上で「二度とこのようなことは起こさないから助けてくれ」と泣きつき、逮捕された数名とその周辺の事件のみが送検された。
 しかし、検察庁に送られた後、担当した検事はすぐに、これが組織的な犯行であることを見抜き、新宿区の全不在者投票の関連資料を取り寄せ、一枚ずつ調べる方針を打ち出した。竹入義勝氏は再び警視総監に泣きつき、お目こぼしを乞うた。警視庁は一度ふたをした事件を蒸し返されると自分たちのメンツに拘わり責任を問われることになるから検察庁の要求を「選挙違反取締本部の解散」を理由に拒否した。
 一方、竹入義勝氏は次席検事に面談し手加減を頼み込んだ。次席検事は警察が動かぬと言う以上、捜査は事実上できないので結局、送検された事案のみを起訴した。裁判に於いても組織的犯行であることを隠し、被告人への情状酌量を得るため巧妙なストーリーを作り弁護し全員に執行猶予判決を得た。
 これは特別に大規模な替え玉投票であり、通常の替え玉投票は全国各地でその後も盛んに行われ続けた。
 しかも、公明党が東京都議会に於いて大きな勢力を握って以来、警察予算と公安委員会人事を握ることになって警察は創価学会・公明党に頭が上がらなくなっていた。
 一方に於いて創価学会は常習的な選挙違反とスキャンダルや不祥事をもみ消さねばならないという事情があり、両者の癒着によって警察予算の充実と公安員会人事が円滑に行われるために、創価学会がらみの事件がもみ消されたり隠蔽されるという癒着関係が成り立ち、公明党が政権与党になった現在は創価学会・公明党の警察に対する支配力は更に強まった。
   (懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p28-31参照)

練馬事件——昭和四十四年七月十三日、東京都都議会選挙投票日の当日、練馬第四投票所に当てられた豊玉第二小学校で事件は発生した。
 午後六時の投票締め切り時刻数分過ぎに男女の二人連れが投票所に来て投票させるよう求めた。選挙管理委員会の立会人は「投票時間を過ぎ投票所は閉鎖され投票箱にはすでに鍵が掛かっているから」と法律を盾にこれを拒否した。二人は一度は立ち去ったがすぐに十数名の仲間とともに押しかけ選管の職員たちと口論になった。公明党代議士伊藤宗佑丸の秘書だと名乗る男らを含む群衆は数十名の規模に増え投票所内に乱入して選管の委員を押し倒し殴る蹴るの暴行を加え全員を土下座させ謝罪を要求した。群衆は言うまでもなく全員が創価学会員であった。主犯は市川雄一であった。
 こうした騒乱状態は午後十時まで続き、この間、群衆は指揮者を中心に気勢を上げたり「お前らはもういいかげん長生きしたのだから、ここらで死んでもいいだろう……」などと脅迫を続けた。警察官も五十人以上現場に駆けつけはしたが(それも署長が現場にいたという)どういうわけか何もせず選管職員の救出すらしなかった。
 警視庁は端緒となった二人(投票要求をした関係上、身元が割れている)だけを調べ、後は捜査を放棄して故意に迷宮入りとした。明らかに事件をもみ消したのである。主犯である市川雄一は数年間、地下に潜ったのち。公明党国会議員として復活した。
 この事件も竹入義勝氏が警視庁首脳に会い頭を下げて頼み込んでもみ消された。
(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p32-9参照)

(F活動ノイローゼ自殺事件)愛知県豊田市の支部長は、昭和五十八年二月、F取りのノルマ達成と、地域外からの応援部隊の受入れ体制の準備に疲れ切り、灯油を頭からかぶり焼身自殺した。

 選挙のたびに毎回複数の人が交通事故で亡くなったり、身体障害になったり、交通事故で相手を殺したりしていることは聖教新聞および公明新聞では決して報じられない。一般に学会員の運転は荒い。精神疾患を疑わせるほど荒い運転をする創価学会員がよく見られる。最近は大型バスでの移動が勧められるようになってきた。創価学会がバスを借り切って東京まで行ったりしている。
 衆議院選挙、参議院選挙、東京都都議選、この三つは以前より交通事故多発するものとして注意されてきた。最近は大型バスでの移動が勧められるようになってきたとは言え、自家用車で行く学会員は多い。交通事故で相手を殺し裁判沙汰になると相手の創価学会への憎悪の念は凄まじい。これは創価学会専門の弁護士事務所に勤めている弁護士から聞いた話である。

 池田大作は選挙運動が広宣流布を大きく阻害していることを知らないのだろうか? 学会員は選挙運動で疲れ果て、折伏を行う余力が無いようになっている。また、選挙運動さえしていたら折伏はしないでも良いと思ってしまっている学会員が非常に多い。選挙運動は創価学会の活動の一部に過ぎないという認識が一般の会員には欠けている。何故なら、懸命に力果てるまで選挙運動を行わさせられるために会員はそう思ってしまわざるを得ない。また、幹部もそういう指導を行っている。第一、池田大作が同時放送などで選挙至上の考えを会員に徹底させている。

 創価学会は公明党を丸抱えにし、支配していながら“政教分離している”と嘘を平然とつき、そして会員を組織を上げての“戸別訪問”などの“集団選挙違反行為”に駆り立てている。
 わけの分からぬおばさんたちや青年を「広宣流布のためだ!」「一票取るのも一人折伏するのも同じで、功徳がある」と言ってしゃにむにハッパを掛けるから見境のない戸別訪問の“人海戦術”が繰り広げられる。
 選挙になると会員たちは毎朝、早くから会館や拠点に集まり、“お題目”をあげ、歌や勝ち鬨で気勢を上げて戸別訪問に繰り出す。当然、選挙違反として摘発されることになり、選挙のたびに大量の検挙者を出す。
 これら選挙違反で捕まった会員には、以前は「功労賞」が贈られた。もちろん、裁判費用、弁護士費用は一切、創価学会が負担した。
 一般家庭のおばさん達や訳の分からない青年達が大っぴらに戸別訪問をやるものだから、捕まることも多く、そして捕まると“誰から指示された”と簡単に喋るから班とか支部が丸ごと芋づる式に摘発されることも少なくなかった。
(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001:p15-6 参照)

 昭和四十年の三重県での選挙違反事件では、多数の逮捕者から“芋づる式”に候補者・小平芳平氏(元参議院議員)まで逮捕されかねない状況だった。
 この時は、竹入義勝氏(当時、公明党都議団長)、和泉覚氏(当時、参議院議員、参議院法務委員長)らが、検察や警察に圧力を掛けまくり、何とか候補者への波及は食い止めた。
 その後、公明党が衆議院に進出し、また、東京都議会でキャスティングボードを握ってからは、警察は創価学会の戸別訪問に対する摘発を手控えるようになった。
 よほど目に余るものは摘発するが、それも、組織の上層へ追及の手が伸びると言うことは全くなくなった。
(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001:p16-7 参照)

 東京都議会選挙だと、東京都内に家や部屋を確保して、そこに拠点を造り、“土産物”を大量に送りつける。各県から組織的に送り込まれた会員は、その拠点に立ち寄り、“土産物”を受け取ってから戸別訪問に歩き、手土産の品を置いてくるのである。
 戸別訪問の罪だけでなく、立派な買収事件であるが、それが県単位に組織的に行われる。創価学会はまさに“選挙違反組織”であり、公明党は、創価学会あげての選挙違反で維持されている、といっても過言ではない。
(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:日新報道:2001:p21 参照)


池田大作に信仰心は無い
 池田大作に信仰心は無いことは本山での勤行のとき池田大作が足を痺れさせ苦しんだ事件から推測されてはいたが、原島嵩氏の造反、および池田大作邸の元家政婦の証言で明らかになったことである。
 池田大作邸の元家政婦は池田邸の仏壇が余りにも汚れているため不思議に思っていたが、結局、家政婦として働いている間、一度も、池田邸で勤行する声を聞いたことがなかったという。この家政婦はこのことにより創価学会に疑問を抱き脱会し法華講に入っている。
 原島嵩氏も池田大作と一緒に勤行をしたことは大きな会合以外では無かったと証言している。そして「俺の代わりに勤行しておけ!」と何回も言われたそうである。
 新婚当初、かね夫人が池田大作に何故、勤行をしないのかと聞いたら「俺は特別だから」と答えたことは有名である。
 一度、池田大作が夫人とともに勤行している写真が大白蓮華に大きく載っていた(八年ほど前?)が、その写真をよく見てみよう。池田大作のズボンが限界近く張り切っており完全に正座ができていない。すなわち座りきれてない。勤行を習慣的に行っているとズボンは延びて完全に正座できるようになる(座りきれるようになる)。
 例え、急に勤行している場面を写真で撮ることになったとしても、ここは池田大作の自宅である。自宅ならば、皺ができないように、いつも勤行のとき履いているズボンに履き替えるものである。それでないと一度で純毛の高級なズボンは外出用には履けなくなってしまう。池田大作のズボンは全てオーダーメイドの最高級品で一本四十万円もすると言われる。
 つまり、池田大作には信仰心はない。池田大作にとって創価学会の名誉会長という職は金儲けと自己満足のための仕事である。それは本山より特別に頂いた御本尊を大きな会合のとき、汚れた手のまま無造作に箱より取り出し、折り曲げたりしながら、そして唾を御本尊に飛ばしながら聴衆に見せびらかしたことでも解る。普通ならおしきみを口にくわえるか、口を固く閉ざして行うものである。あの場面ではおしきみは無かったから、口を固く閉ざして行うべきであった。しかし、御本尊を見せびらかすという行為がおかしい。御本尊は見せびらかすものではない。


政教一致
 戸田先生の時代、地方議会と参議院に限定し、政党も造らなかった。当時、創価学会の候補は「無所属」で出馬していた。それは「政党を作り、衆議院に進出することは権力を目指すと言うことだ。創価学会が政治の場に進出したのは、権力を目指すのではなく、あくまで仏法によって政治を浄化することが目的なのだ」という戸田先生の方針だったからであるが、戸田先生の死後、第三代会長に池田が就任した1960年以降は、戸田路線を放棄し、「天下を取る」の野望の下、「王仏冥合」を政教一致による「権力奪取」という意味に拡大解釈し、1964年には公明党を結成し、1968年には衆議院進出と突き進んでいった。 
 創価学会の会館が選挙の時、選挙運動に利用されていることは良く知られている。選挙のときは創価学会会館での会合時、公明党で出馬している人が来る。また、選挙期間中は創価学会の会合は実質上、選挙運動一色になる。私はそれが厭で、選挙の時の会合には仕事を理由に参加しないことが多かったほどである。選挙の時の創価学会の会合では宗教の話はほとんど無く、選挙活動の様子を一人一人に語らせる。
 選挙活動をしていない人は選挙直前の創価学会の特に小さな会合にはとても出られたものではない。
 選挙が何故、大事なんだ。公明党は何をしている。ほとんど何もしていないではないか。政治が少し良くなっても宿命で苦しんでいる一人一人は救われない。 宿命で苦しんでいる一人一人を救うためには日蓮大聖人さまの信仰をさせるしかない。折伏しかない。それは御書を読めば解ることではないか。
 立候補している議員の人も投票日は創価学会会館の一部屋に集められ朝から夕方の投票締め切りまで唱題を強制的に熱烈に行わさせられる。熱烈に行わないと激しい叱咤が飛ぶ。ある議員はこのことに納得がいかず、創価学会を去り法華講へ家族ごと入った。
 公明党が池田大作の私党、すなわち池田党であることは常識化している。公明党の政策は池田大作の思いつきで左右されている。池田大作が死んだとき、公明党は自由になる。しかし池田大作はなかなか死なない。池田大作が死ぬと学会員の選挙への士気は大きく低下し、得票数が大きく減少することは「池田大作のために選挙をしている創価学会員」が非常に多いことから容易に想像できる。同時放送で池田大作は「公明党が第一党になりなさい」などと狂気の言を吐いている。
 前回の(第二十一回参議院選挙)のとき公明党は大敗北したが、そのときの聖教新聞では第四代北条会長、第五代秋谷会長を悪し様に批判するとともに、新任の第六代原田会長が「もう一歩深く師匠をお守りする責務を果たす戦いをすべきだった! 本当に申し訳ない」と自己批判していた。最近、第四代北条会長、第五代秋谷会長が裏切り者と同じように創価学会員に批判されていたのはこのことだったことを後で気付いた。何故、最近、第四代北条会長、第五代秋谷会長が裏切り者と創価学会員に批判されているのか、このことを知るまで解らなかった。

 創価学会の人、選挙運動していて「虚しさ」や「こんなことして何になるんだろう」という焦燥感に駆られたりしませんか? 宗教が政治権力を握ると必ず悪行、腐敗は生じることは欧米の歴史を見ると解ることである。魔女裁判が盛んに行われた。残虐の極致とも言える魔女裁判である。世界史を勉強したことのある人なら解ることである。自分も以前は創価学会だったですけど、選挙になると腹立たしさや虚しさに襲れてたまりませんでした。男子部には選挙ごとに胃潰瘍になって入院する地区リーダーもいた。


池田大作の虚構
 池田大作の女性関係は凄まじい。このことは悪いデマであると最初は思っていた。しかし、それは真実であることが次第に解ってきた。
 例えば、ブラジル創価学会ではシルビア斉藤が責任者であったが、シルビア斉藤の夫人は池田大作との関係を隠すどころか、それを誇らしげに見せたことで有名である。そのためにブラジルでは創価学会から法華講への転向が非常に多く現れた。聖教新聞などではもちろん、1990年頃にシルビア斉藤の夫人が死亡したことを報道しなかった。また、シルビア斉藤の夫人が死亡して数年後、シルビア斉藤はブラジル創価学会の責任者の地位を追放された。これはブラジル創価学会が追放したのか、池田大作が追放したのか、真実は解らない。
 全国各地にある学会施設には池田専用の極めて豪華な部屋(その学会施設の半分以上の費用を掛けている。その施設の掃除は信仰堅い女子部幹部に任せられていたが、あまりの豪華さに疑問を抱き、創価学会より離反していった女子部幹部は多い)が造られており、そこに泊まるときには必ず学会幹部の夫人、または第一庶務の女性を伴い奉仕させていた。学会幹部の夫人ということが納得がいかなかったが、それら夫人は池田大作のお下がりであり、お下がりと結婚すると学会内での昇進は約束されるそうである。二十九歳で亡くなった池田大作の次男も池田大作のお下がりとの結婚を強制され結婚したが、その煩悶の末に胃潰瘍となり「胃穿孔」を起こし死亡したと言われる。
「池田大作の女性関係は凄まじい」のがこれほどであることは信じ難いが、真実であるようだ。宗教者としては完全に失格である。これではノーベル平和賞は絶対に貰えない。
 昭和四十九年から翌年にかけて「月刊ペン」誌上で編集長である渡部大蔵氏が創価学会批判を行ったが、それは池田大作の女性関係にまで及んでいた。この池田大作の女性関係は真実であり、創価学会側は笹川陽平氏(笹川良一氏の三男、船舶振興会理事長)に相談し、三千万円を渡部大蔵氏の弁護士に渡し買収に成功した。しかし渡部大蔵氏はどのように金額を積んでも頑なに拒否した。そして裁判は弁護士から裏切られた渡部大蔵氏の執行猶予付きの懲役刑となった。
 渡部大蔵氏はこの裁判を不服として上訴中、病に倒れ死亡した。しかし渡部大蔵氏の死後、藤原行正氏などの造反が起こり、彼らが証言台に立ち、池田大作の女性関係が真実であることが裁判に於いて立証された。
(「月刊ペン」事件 埋もれていた真実:山崎正友:第三書館:2001)
(法廷に立った池田大作——続「月刊ペン事件」:山崎正友:第三書館:2001)
 この女性関係は凄まじく、日本全国だけで二十名を軽く超えていたという。一部を書くと、公明党の参議院議員となった二人の女性は池田大作の愛人であった。渡部一郎は自分の女房を愛人にされ、腑の煮えくりかえる思いであったと思われるが、耐えて公明党の参議院議員となることができた。もちろん、夫婦仲は冷え切っていた。
 全国各地にある学会施設には池田専用の極めて豪華な部屋へついて昭和五十二年、民社党の春日一幸氏から竹入義勝氏宛に一通の手紙が届いた。このことを国会に於いて追求するという内容であった。九州の霧島では国立公園の真ん中に法律を無視して施設を造っていた。これは愛知県渥美半島、北海道、広島でも同じようであった。広島では税務署が池田大作の豪華設備について「宗教と関係ないから課税する」と言ってきていた。急遽、これら池田専用の極めて豪華な設備を解体する作業が行われた(この解体作業に費やした費用も莫大であった)。結局、創価学会が「選挙で票をよこす(公民選挙協力)」と約束し、民社党は追及を行わなかった。

 昭和四十五年の言論出版妨害事件で池田大作は周囲が驚くほど国会喚問に怯えていた。何故それほど怯えるのか周囲も納得がいかなかった。
 池田大作は国連から多額の寄付の見返りに「平和賞」を手に入れた。金に目のくらんだ学者や文化人と聖教新聞や「潮」誌上で対談し(新聞などに発表される内容はゴーストライターが作る。池田大作は会って下らぬ雑談をするだけである。これは youtube を見ると解る)あげくの果ては小国の元首や実情を知らない外国の皇室や外務省を引っ張り回して自己宣伝に利用する。
 フランスでは政府首脳の家族が関係する財団への寄付などの工作がマスコミに騒がれ、ドイツでは大統領が池田大作と会ったことに対する世論の反発が表面化した。
 南米ブラジルでは長い間、池田大作は入国を拒まれていたが、麻薬王であったノリエガ将軍の斡旋などで入国できるようになった。しかし、マスコミ始め各方面に大金を配ったことが、ある邦字紙にすっぱ抜かれた。
 池田大作は何としてもアメリカ大統領との会談を実現しノーベル賞へのステップにしたいとの考えを持っていたがレーガン、ブッシュ、クリントン各大統領とも池田大作との会談を拒んだ。公明党の黒柳氏がアメリカへ渡り池田大作とレーガン大統領の会談実現の努力をしたが無駄に終わったことは有名である。
 他にもある。
 フランスでは東京ドームの五倍の広さを持つアルニー城という古城を八十億円で買収した。イギリスではロンドン郊外の古城を十八億円で買収し、実質的な池田家の海外別荘とした。これらのことは「宗教団体が何故、そんなことをする? 難民キャンプに寄付するべきではないか!」として欧米で激しく非難されてある。
 こうした池田大作の悪名は「ニューズウィ-ク」「インターナシショナル・ヘラルド・トリビューン」紙などで報じられ、その公私両面に渡る非行は海外にも広く知られている。
 池田大作がピアノの名手と思っている人は婦人部、女子部には少なくない。これはその頃、出来たばかりの自動演奏を使い、池田大作は指を適当に這わせていただけなのである。
 また、池田大作がカメラを目で見ないでプロ並みに撮る、おなかで撮る、ことは有名で池田大作の写真展も開かれていた。これは後で聖教新聞社のプロのカメラマンが池田大作の後ろから撮っていることで判明したことであるが、これもやはり代作であった。
 池田大作の名誉教授などの買い漁りは学歴コンプレックスから来ている。学会員から巻き上げた財務を自身のコンプレックスのために惜しげもなく使う。池田大作はコンプレックスの固まりのような人間である。家系も武士由来と嘘を語る。実際は少なくとも五代は続く東京の海苔職人である(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p100-1 参照)。
 インターネットでは、小学生の頃、父親から韓国語を教えられており、在日朝鮮人と言われている。
 正本堂落成のとき、ローマからカトリックの司祭が来ていたが、ノーベル平和賞を取るためにはローマ法王と友好関係になければいけないということからの演出であった。日蓮正宗は謗法厳戒の宗教である。正本堂落成といえどカトリックの司祭を呼ぶことは許されない。これが後の正本堂解体の一つの要因になったと思われる。
 池田大作は海外から名誉学術称号を二十個以上貰っているが、講演したものの称号が与えられなかった大学は、ハーバード大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、コロンビア大学、フランス学士院などがある。ハーバード大学では二回も講演を行っているが称号は貰えてない。お金に困っていない大学からは貰えない。
 ハーバード大学での講演のビデオがあった。聴取者は居眠りをするものが多く、席もまばらであった。講演の間中、池田大作は原稿とにらめっこし、顔を上げない。自分が書いた原稿でないから読むことさえ困難であったのであろう。内容は理解できないで口を動かしていたはずである。池田大作はずっと原稿とにらめっこをしながら口を動かすが、欠伸をする者、居眠りをする者が多くビデオに映っていた。講演の途中で退場する者も多かった。講演が終わるとほとんど拍手はなく、ほとんどの人は時間を損したという表情で帰って行っていた。
 池田大作はタゴール平和賞やアインシュタイン平和賞を受賞しているが、このどちらの賞も池田大作以外に受賞した人はいない。つまり、この二つの賞は池田大作だけのために造られた賞である。どのくらいの金額が掛かったのかは不明である。
 スペインSGIの責任者は「スペインの大学に行って池田大作に授与する賞を貰ってこい!」と日本の創価学会本部から指令を受けたと告白している。つまり各国のSGIは池田大作顕彰のための斡旋機関でもある(スペインは国ごと宗門に寝返った。国ごと寝返ったのは他にガーナがある)。
 池田大作は嘘の名人である。これは戦後のどたばたの中で暴力団で借金取り立てを手伝っていたときに身についたものと思われる。戸田先生からの「エレベーター相譲」などその嘘は上げれば限りない。
 

宮本邸電話盗聴事件
 宮本邸電話盗聴は創価学会攻撃の急先鋒である日本共産党対策の一環として行われた。始めは日本共産党本部を盗聴する予定であったが日本共産党の本部は警戒が強く盗聴不可能と判断し、急遽、宮本邸へ変更された。宮本宅は信じられないほど警備が手薄であった。
 池田大作の承認のもと、当時ナンバー2であった北條浩副会長の決済で、公明党の陣中見舞金(政治献金である)をごまかして造った裏資金(一千万円余り)の提供を受け、山崎正友が学生部幹部数名ほど(中心者は広野照夫と竹岡誠治だった。二人とも現在は創価学会大幹部である。竹岡誠治はNTTドコモ事件をも起こしたことで有名である。竹岡誠治が宮本邸の前の電柱に上り、盗聴器を仕掛け、また新しい盗聴器に交換することも彼が行い、盗聴器を取り外すことも彼が行った。彼はそのため創価学会に於いては非常に重用された)を動員して行った。昭和四十五年五月から約三ヶ月間にわたって行われたこの作戦では二、三の重要な会話の盗聴に成功したものの第二の盗聴器の不調によって発覚し、共産党は東京地検に告訴した。共産党は公安の仕業と考えていた。山崎正友の内部告発がなかったら事件は迷宮入りしていた。
 盗聴のアジトは学生アパートであった。新しい盗聴器に交換することを行わなかったなら、この電話盗聴は相手に気付かれることなく完全犯罪となっていた。新しい盗聴器の動作不良で相手に気付かれたのである。盗聴器を作成したのは学生部班長で松本篤であった。始めの盗聴器が良好に作動していたにも拘わらず雑音を異常に気にし、盗聴器を交換しないと雑音で気づかれてしまうと考え、新しい盗聴器に交換するというミスを犯す素人の盗聴軍団であった。山崎正友が雑音を異常に気にし、それを広野照夫も異常に気にし始め、盗聴器作りができる松本篤に盗聴器をもうひとつ造らせ、竹岡誠治を再び電柱に上らせて取り替え作業を行うという誤った判断をしてしまった。
 この刑事告訴は犯人不明のまま(おそらく公安の仕業と言うことで)迷宮入りとなったが五十五年八月、山崎正友氏の内部告発手記を契機に日本共産党は北條浩氏らを相手取り損害賠償請求を起こし事件は最高裁まで持ち込まれた。結果は、日本共産党側の完全勝利に終わり昭和六十年四月、東京地検裁判所は北條浩の遺族へ百万円の損害賠償、山崎正友、広野照夫、竹岡誠治には各百万円の支払いを命じた。創価学会側の被告は最高裁判所に上告したが途中で上告を取り下げ損害賠償を一方的に支払った。内部告発手記を発表した山崎正友は宮本氏側から損害金の支払いを免除された。
(再び、盗聴教団の解明:山崎正友:日新報道:2005:p80-95 参照)

 以後、創価学会(池田大作)はこの盗聴事件に味を占め、盗聴・電話盗聴・監視・尾行を頻用するようになる。また、スパイの送り込みなどあらゆることを行うようになった。こうした活動は次第にエスカレートし、創価学会に批判的なジャーナリストや文化人、政治家などの身辺調査(スキャンダルや人間関係)を行い、いざというときに備えるようになった。


熱心に信仰すると不幸になる
 一家の中でただ一人、信仰を貫いてきた夫人が大型トラックに轢かれて死亡した。非常に熱心であり、折伏弘教もしてきた人である。大型トラックからの轢かれ方は残忍であり、一度轢いた上にもう一度轢いている。内臓や眼球が飛び出し無惨な姿であった。一生懸命、商売(お菓子などの小売業)にも励んできた人であったが、商売も人手に渡し、パートの仕事を見つけて働いていた。しかし、以前の商売での借金がたくさんあり、一家離散寸前であった。御本尊は創価学会の“魔”の御本尊に取り替えていた。池田大作を神様のように慕っていた。選挙運動は選挙違反を遙かに通り過ぎるほど行っていた。学会活動にのめり込み、信仰に反対の夫、子供を顧みないでいた。そのため家庭内喧嘩が絶えなかった。私はそこの息子と友人であった。

 ある地方の草創期からの中心的存在者である家庭の子供三人(娘二人、息子一人)が非行化した。家は草創期から座談会の拠点になっていた。娘二人は子供を妊み産む。息子は暴走族として暴れている。
 創価学会の家庭は創価学会の活動が忙しく家庭のことに構う時間が無く子供が非行化することが多いと言われるが、両親は決して子供の教育に怠慢していたわけではなく、学会活動で忙しい中、時間を見つけては子供と接してきた。しかし、非行化してしまった。
 これは池田大作が呼び込んだ悪鬼の大集団のためと思われる。
 創価学会の家庭は創価学会の活動が忙しく家庭のことに構う時間が無く子供が非行化することが多いということは、理由の何割かに相当するのみのことと思われる。創価学会の子供は余りにも高い確率で非行化している。それは悪鬼の唆しに依る。

 【第1章】で示した「霊の姿が見える小学四年生の少女」症例も一族が熱心な創価学会員である。


偽りだらけの体験談集
 これは女子部・婦人部の体験談集に多い。女子部の体験談集には、生まれたときから目が一つだった女性が創価学会の信仰をするようになって目が二つになったという驚異的な体験談があったが、そういうことは起こりえない。
 事故で切断した足が創価学会の信仰を始めて切断した足が生えてきたという体験談もあったが、そういうことは起こりえない。
 生まれたときから両手が無かった女性が、創価学会の信仰を始めると両手が生えてきたという体験談もあったが、そういうことは起こりえない。
 生まれたときから両手足が無かった女性が、創価学会の信仰を始めると両手足が生えてきたという体験談もあったが、そういうことは起こりえない。
 生まれたときから両手の指が無かった女性が、創価学会の信仰を始めると両手の指が生えてきたという体験談もあったが、そういうことは起こりえない。
 私はこれらの体験談を中学一年のとき読んで大変感動し友人にも読ませ友人も大変感動していたが、大人になって読み返すと、それが嘘であることを見抜いた。


うつ病性障害、パニック障害多発の現在の創価学会
 第二部で書いたことの補足になるが現在は創価学会にうつ病性障害が多発している。創価学会に異常に多発しているから社会的にもうつ病性障害が多発していると思われていると言っても過言ではない。ある大学病院の医師は「“うつ病外来”の半分は創価学会で半分はキリスト教」と言う。筆者の友人の精神科医も「パニック障害とともにうつ病性障害があまりにも創価学会員に多過ぎる」と言う。
 これは池田大作が創価学会に招き込んだ無数の悪鬼に依るものと思われる。池田大作が亡くなるとともに池田大作批判が十分に行われると、その悪鬼の集団は去ってゆく可能性は高い。しかし、批判が十分に行われないと悪鬼は留まり続けるであろう。このうつ病性障害、パニック障害は熱心な池田教信者に多く、熱心でない池田教信者には少ない。それも日寛上人の“魔”の御本尊に祈っている池田教信者に極めて多く、日達上人の御本尊に祈っている人には少ない。
 そして 日寛上人の“魔”の御本尊に祈っている池田教信者は寛解し難く、十年、二十年と長引くことが多い。私も日寛上人の“魔”の御本尊に熱心に祈っていたが故にうつ病性障害に罹患し、寛解と再燃(再発)を繰り返しながら十年続いたが、“魔”の御本尊ということに気付き、その“魔”の御本尊に向かい題目三唱も勤行唱題も全く行わなくなってから再燃(再発)はない(これは、改革派の自覚を持ったのと時を同じくしている)。日蓮正宗法華講にうつ病性障害など精神障害が発生したことは知らない。
 少なくとも創価学会はうつ病性障害など精神障害の発生が異常に多い。誤った宗教団体に属し、誤った信仰をすると精神障害が発生するのであろう。


創価学会は池田大作のために破滅への道を歩んでいる
 池田大作が「南無妙法蓮華経」を商標登録出願し特許庁から失笑を買ったことを知る人は少ない。池田大作の信仰心とはその程度なのである。信仰を利用し金儲けをしようという考えで一杯なのである。また、この商標登録出願は宗門を創価学会の支配下の置くための策略でもあった。最近、情報を得たが創価学会(池田大作)は三度目の「南無妙法蓮華経」の商標登録出願をするということである。金の力で動かそうという考えと推測される。
 「五十二年路線」では池田大作は日蓮正宗から分離・独立するぞ!という脅しをかけ、池田大作が宗門の頂点に立つという魂胆があった。そのために独自の御本尊、教本までも製造し、全国の学会会館を寺院とし僧侶も任命する体制がほぼ出来上がっていた。日蓮正宗を無視し創価学会の信仰にこそ大功徳があるという増上慢ぶりであった。
 池田大作は自分を生き仏とし、創価学会を日蓮正宗の上に置く。池田大作は本気で「現代の生き仏」になれると信じていたのである。これは池田大作の自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)と妄想性障害であった。
 ここで日達上人は遂に堪忍袋の緒を切らし池田大作(創価学会)を日蓮正宗から破門すると決断された。ここに来て池田大作は始めて目が覚め、狼狽し、お詫び登山となった。破門になるのは少し時期が早過ぎた。

 しかし、池田大作の宗門からの独立路線は進み、平成三年の破門へと進む。このとき大量の脱会者(日蓮正宗法華講への移転者。約三万人と言われる)が出た。このときより創価学会は一つの新興宗教としての道を歩み始める。この破門は創価学会がわざと仕掛けたものであった。自分が頂点に立ちたいという池田大作の野望(自己愛性パーソナリティ障害)故であった。
 この後、池田大作は創価学会より宗門に移った会員を引き戻す強引で激しい運動を展開した。それは会員の家庭破壊は構わないという非情さであった。筆者もその脱講運動(日蓮正宗法華講より創価学会に引き戻す運動)で離婚に至った例を幾例も経験した。

 独立路線として全国の墓園造りは有名である。これは創価学会の信者として繋ぎ止めておくための策略でもあった。墓園を造った後、宗門に贈呈するということは始めより欺瞞に過ぎなかった(墓園を作ることを決定した頃、すでに創価学会は宗門から独立することを決定していた)。この墓園造りで創価学会は多額の収入を得た。土地代も含めて十五万円掛からない墓を百万円近くで販売した。福岡の国会議員(大橋氏)が何の縁故もない北海道の墓を買わされたことを暴露した話は有名である。多くの場合に於いて墓は墓の購入者の住むところより非常に離れており、そんな遠くまで墓参りには行かないと思われる。
 高速道路で十時間は普通。筆者の家も妻が強引に高速道路で八時間の処の墓を九十五万円で買った。誰も入らないと思われる。これは詐欺罪になると思われる。
 この墓園は財務で集めたお金で造った。つまり、創価学会は二重に儲けたことになる。純粋な創価学会員は二重に搾り取られたことになる。池田大作はお墓は多数持っていた方が良いと同時放送で言い放っている! お墓は多数持っていたらお墓参りが大変になることを池田大作は考えないのだろうか? 池田大作の父親の墓は謗法の他宗の墓であることは有名である。
 創価学会の墓を買おうとする婦人部と、創価学会の墓は必要ないという壮年部の喧嘩は非常に多く、その仲裁には非常に苦労した。百万円近くの墓を購入することは普通のサラリーマンの家庭では非常に困難である。それを婦人部は夫に無断で購入している家庭が多い。勝手に生命保険を解約したりして購入している。しかし、サラ金まで至った例は知らない。
 このことによる離婚騒動は数多くあった。創価学会より法華講に最近移った人は皆、百万近く出して購入した墓を転売できないかと考えている。大謗法の墓には絶対に入らない。それより先祖代々の墓に入った方がずっと良い。
 筆者の家も現在このことで非常にもめている。妻の実家は別に遠方の墓を購入している。高速道路でもとても行けない遠いところである。飛行機でなければ行けない遠いところである。
 会館まで電話して問い合わせたところ、購入したものは払い戻しできないと断られた。しかし、多数の人達が立ち上がれば、購入した墓の払い戻しも可能になると思われる。

 親兄妹、先祖代々の墓に入りたいのが普通の信条である。縁もゆかりもない墓へ入ることは通常、考えられないことです。

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00県00市
創価学会文化会館殿

 私の家は00県に創価学会の墓を購入しましたが、それは妻が勝手に購入したものであり、その墓に入ることは決してありませんので、早急に払い戻すことをお願いします。
 騙して取った金を返せ!
 返さなかったら自分と同じ考えの人が数人います。
 また、インターネットで募集するとたくさんの人が集まると思われます。訴訟を起こします。

 これは必ず週刊誌が飛びついてきます。訴訟が起こる前に払い戻すことが賢明と思われます。
 返事は必ずしろ。複数の週刊誌および国会議員にメールを出す準備は既に整っています。数人の同士で結束しています。
 電話では喧嘩になるのでメールを希望する。


00県00市00町  三船敏郎
       tel 0000-000-9999
       メール:ccc998@infoseek.jp


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池田大作と文鮮明
 ここで池田大作と統一協会の文鮮明との類似点をあげる。
 二人とも諸外国より名誉博士号、名誉市民賞などの勲部漁りが激しい。現在は、文鮮明の方が数が多い。その権勢欲・名誉欲の凄まじさは酷似している。
 しかし、仏法では「名聞名利」を強く戒められている。第九世日有上人の「化儀抄」には、
「一、名聞名利は世事なり。仏法は自他の執情の尽きたる所なり。出家して此の心有る時は、清浄の仏法を盗んで名聞名利のあきないになす処は仏法を盗むなり。厳に然るべからず心中なり。尤も嗜むべし云々」
とある。「法盗人」とまでも厳しく言われている。池田大作の場合も勲部の数を誇り世界各国から名誉称号を数多くもらっていることを自慢の種にしていることは「名聞名利」そのものであり、それは「世事」であって、しかも世間的には卑しいことであり、仏法とは全く無関係である。しかも、そうした称号を得るために会員から収奪した金を利用していることは「法盗人」であり、世間的にも醜い根性の見本みたいなものである。
 池田大作の支配欲の凄まじさも上げなければならない。池田大作は学会員を奴隷のように扱っている。池田大作は「私のために死ねる人間」「私のために死ねない人間」と幹部を色分けし、池田大作のために死ねるという人間だけを重んじてきた。
 創価学会のみに留まらなかった。日蓮正宗までも支配下に収めようとした。それは正本堂以後顕わになり、日達上人を悩ませることとなった。
 さらに日本国家支配を長年目指していた。若い頃からの「天下を取ろう」が口癖であり、創価学会の「総体革命」もその路線そのものである。
 さらに、池田大作は慢心の固まりである。「私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする。」「私の記憶力は抜群だ。そうでなければ三十年前の「人間革命」など書けるわけがない(「人間革命」は故・篠原善太郎氏の代作。創価学会本部会館に勤めている人たちの大半はそのことを知っていることを池田大作は知らないで居た。もう一度書く。創価学会本部会館に勤めている人たちの大半はそのことを知っていることを池田大作は知らないで居た。)」「中曽根康弘はこちら(創価学会)の小僧だ。ケネヂィ気取りで、よしよしと言っておいた」「トインビーは過去の人で、また机上の空論の人だ。私は実践の人だ。そう、トインビーにも言っておいた。」このような池田大作の発言を受けて「聖教新聞」では「世界の偉人」といったマハトマ・ガンジー、キング博士、アインシュタインなどの人類の「偉人」を数多く並べ、それらの人々の偉大さを全て備えた「偉人」として奉っている。
 池田大作も文鮮明も人を信じることができない性格である。誰をも信じることができない故に 池田大作も文鮮明も「自分のために死ねる人間」を周囲に集める。
 ともに成り上がりの独裁者である。ともに諸外国からカルト指定されている。ともに自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)と妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder)に罹患している。どちらも妄想性パーソナリティ障害を超え妄想性障害、妄想型統合失調症(軽症)の可能性も高い。
 
(相違点)
 文鮮明は二十代に統一協会の思想的礎と成った極めて独創的な著作を書いている。しかし池田大作は何も書いていない。ゴーストライター軍団に多量の書物を書かせてきたのみである。
 文鮮明は傑物であったが、池田大作は俗物であった。池田大作はどうしようもないお人好しの集まった創価学会のなかで一つの狐であった。肥った狐であった。
 文鮮明はその超能力による合同結婚で有名である。若い男女を並べ、あなたはこの人と、あなたはこの人と結婚せよ、と告げてゆく。これが本当に霊的能力によるものか、単に霊的能力の真似をしているのかは解らないが、おそらく後者であろう。何故ならば日本人はその指名に全員が従うが、韓国人は半分が拒否をする。拒否をするということは運命的なカップルではないということであろう。
 池田大作にはこのような能力はない。
 文鮮明は現在の北朝鮮に当たるところから普通の人ならば死んでしまう拷問を受け、凍り付く戸外に放り出された。しかし、極めて頑丈な文鮮明は死なずに生き延びた。そして共産主義に対する激しい憎悪が文鮮明の心に根付いた。これが後に勝共連合を造ってゆく。
 池田大作は昭和三十二年、選挙違反で警察に捕まったが全てを白状し釈放された。拷問は受けなかった。

【余記】
 人間革命は東大卒の小説家志望だった篠原善太郎氏が書いたものである。池田大作はゴーストライター軍団を持っており、池田大作が書いたものは一冊もない(詩集が一冊あるという意見もある)。聖教新聞の寸鉄を少し書いていただけである。講演原稿も全てゴーストライター軍団によるもので、池田大作は内容も解っていなかったと思われる。池田大作は文学こそ多少嗜んでいたが(当時は文学が青年の数少ない娯楽であった)、暴力団の貸金取り立てを手伝っていたチンピラ(ヤクザまでは行かないがヤクザの子分のような存在)であった(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p105)。
 同時放送に元チンピラということが見て取れる。キルケゴールと言っても何のことか解らないと思われる。
 貸金取り立ての前歴を認められて小口の金融業(サラ金)を行っていた戸田城聖氏から雇われたのである。

 池田大作(コモドドラゴン)はそのどうしようもないお人好しの集まった創価学会のなかで周囲を騙し、会長になることができた。その会長職を利用してこの世の栄華を極めた。それは一国の王以上と言っても過言ではなかった。日本全国に二十人以上の愛人を囲っていた。海外にもブラジルに公認の愛人がいた。
 日本各地の研修道場に池田大作個人の部屋をその研修道場の半分の金額に近い金額をかけさせて超豪華な池田大作個人の部屋を造らせた。これはラブホテル以上のものであった。昭和五十二年、民社党がこのことを国会で追及すると公明党に手紙を出し、これらの施設は急遽、取り壊された。しかし、民社党の追求を選挙協力などで頓挫させると、再び、超豪華なラブホテルが造られ始めた。創価学会員のなけなしの広布基金などはこのことに使われていたのだ。

 破門された池田大作は日顕上人に激しい憎しみを持っている。学会員はこの日顕上人のお顔を階段に貼って、その顔を踏みながら会場に入るという「踏み絵」を実行されている。このように学会員を狂気に駆り立てるのが池田大作だ。これが「世界の平和の先駆者」といわれる人物の正体です。

 法の華三法行の教祖、GLAの高橋信二、オウム真理教の麻原彰晃、統一協会の文鮮明などは妄想型統合失調症(軽症)と思われる。このように新興宗教の教祖には妄想型統合失調症(軽症)が非常に多い。新興宗教の教祖で妄想型統合失調症(軽症)でない例は少ない。

 
創価学会の未来
 創価学会は二代会長・戸田会長の時代に戻すならば謗法も許容範囲内となり創価学会員も幸せになれる。
 ただし、戸田先生の時代も宗門への謗法が多かったことが最近、解ってきたーーしかし、これは学会青年部(フェイク)の作り事である可能性は高いーー。更に戸田先生は完全なアルコール中毒であり少なくとも地方で講演をするときはアルコールを飲んで講演をしていた。アルコール酩酊状態で講演をしていたこともある。そのために糖尿病などにより五十八歳という若さで亡くなった。そして戸田先生は戦後、公の愛人を二人は持っていた。
 この公の愛人を二人持っていたことを池田大作は最近、首脳クラスの集まりで実名を出して非難している。池田大作も遂に老人ぼけが始まったかと思った最高幹部は多かったという。しかし、池田大作は未だに老人ぼけはしていなく、ある策略のためにそう言っている。戸田先生を低く思わせるためである。そして相対的に自分が高く評価されることを望んでのことである。
 また、宗門へ破門を解くことを願い出なければならない。池田大作の死後、藤原範昭氏が会長になり願い出たら、宗門も破門を解くことを許すのではないかと思われる。
 二代会長・戸田城聖氏の最大の失敗は後継者を石田次男氏に指名せずに「みんなで話し合って決めること」と遺言したことにある。アルコール中毒の果てで亡くなったのだから判断力が低下していた可能性が高い。脳の萎縮は高度に起こっていたであろう。石田次男氏なら清浄な創価学会を保ち続けたと思われる。そして創価学会員は幸せになっていたと思われる。戸田会長が造った広宣流布への道をそのままに追従してゆけば簡単であった。戸田会長の死のとき創価学会は八十五万所帯にまで増加していた。なお、戸田先生は自分の息子を次の創価学会の会長に指名するということは行わなかった。池田大作のような世襲は考えてはいなかった。
 創価学会員に不幸が次々に襲い起こるということがなかったならば広宣流布は成し遂げられていた可能性は高い。池田大作が衆議院への進出、公明党の結成などを行わなかったならば、広宣流布は成し遂げられていた可能性は高い。何故、池田大作は衆議院への進出、公明党の結成を行ったのか? それは池田大作の「天下を取ろう」という醜い野心(自己愛性パーソナリティ障害)のためであった。衆議院への進出、公明党の結成をあと二十年待っていれば良かったのである。しかし池田大作は功名を焦った。また、池田大作が醜い野心の固まり、第六天の魔王であったために創価学会に悪鬼が雪崩のように入り込み創価学会員に次々と不幸なことが起こり、そして退転者が続出して広宣流布は頓挫した。
 藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)は現在(平成二十二年)、四十九歳前後である。藤原範昭氏は学会本部に突然訪問して池田大作と直接談判したことがあることで有名である。池田大作は驚き怖れ逃げ出した。このときは大事な客賓とともに豪華な車に乗って学会本部に来たときであった。
 大事な客賓を置いて池田大作は太った体を揺らしながら逃げ出した(池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007)。藤原範昭氏こそ創価学会を甦らせることのできる(宗門からの破門を解くことのできる)唯一の人材と思われる。他にそのような人材は見当たらない。現在、藤原行正氏および藤原範昭氏は暴力団(おそらく創価学会青年部であろう)に監視されて身動きのとれない状態にある。
 しかし、池田大作が亡くなったとき(創価学会Xデー)、我々、創価学会内部改革派憂創同盟は藤原範昭氏を担ぎ出し宮殿革命を起こす計画である(我々は非暴力主義を貫く)。創価学会員を救う道は無い。藤原範昭氏が会長になると、創価学会に雪崩れ込んでいた無数の悪鬼は去ってゆき、創価学会員が幸せになれる日が来る。また、創価学会の犯してきた様々な謗法を正すときが来る。そして再び広宣流布への道が開始される。そのときは創価学会員に不幸なことが起こらないため広宣流布は容易いであろう。以前は創価学会員にあまりにも不幸なことが競い起こっていた故に退転者が続出し、また創価学会の信仰に疑いを持つ人が非常に多く、広宣流布は非常に難事であった。
 宮殿革命(我々は非暴力主義を貫く)が不完全となり創価学会の分裂になる可能性は高い。創価学会の分裂になると家庭崩壊が至る所で起こる可能性がある。批判力、判断力のない婦人部は古い創価学会に付こうとするであろう。壮年部、男子部は新しい創価学会に付きたいが家庭崩壊を怖れ古い創価学会に白けながら残る可能性が高い。“魔”の御本尊しか持たない古い創価学会の方は不幸が続き、弱体化してゆく。宗門から正式な御本尊を受ける新しい創価学会の方は幸せになってゆき、会員は増加してゆく。


“魔”池田大作の出現
 “魔”池田大作はどのようにして現れたのか? その謎を考えてゆく。
 “魔”の正体はある外典に詳しく書かれてある(十八世紀の霊能力者のスウェーデンボルク)。“魔”とは「人間の幸福を激しく憎み、人間の苦しむ様子を喜ぶ、外見は酷く醜い存在である」。
 広宣流布の気配を感じ取った“魔”は「広宣流布を為させるまい」とその頃、創価学会に入会した池田大作の身に入り込んだ。そして戸田城聖氏の会社で働くように仕向けた。
 もしくは入会以前に池田大作の身に入り込み、創価学会に入会するよう誘導したのかもしれない。
 “魔”は池田大作に「この家には金がある」「この家には金がない」と感じ取る能力を与えた。および池田大作に借金を容赦なく取り立てる傾向性すなわち病気で寝ている老人の布団を匍いで持ってゆくことを何の容赦なく行わせる傾向性を植え付けた。そして金融業(現代のサラ金業である大蔵商事)に於いて池田大作を大成功させた。
 池田大作は信じ難いことだが当時の平均の百倍近くの給料を得ていたと言われる。大蔵商事は歩合制であった。小説「人間革命」の「この冬もオーバー無しで過ごさなければならない」は虚構である。また、その金で、多くの創価学会大幹部を自分の味方につけ、第三代会長の座を石田次男氏より奪うことができたと言われる。
 また、極めて激しい燃えたぎる権力欲を池田大作に植え付けた。すなわち「天下を取ろう」が口癖の池田大作を造り上げた。その極めて激しい燃えたぎる権力欲は池田大作を成功へ導いた。その極めて激しい権力欲は他のどの青年部大幹部(藤原行正氏、竜年光氏など)よりも断然に勝っていた。惜しいことに次期創価学会会長の最有力候補だった石田次男氏は学究肌で権力欲が無かった。それ故に請われた創価学会会長の座を辞退したほどだった。
 その極めて激しい燃えたぎる名誉欲、権力欲は韓国の文鮮明に酷似している。文鮮明の場合は共産主義国家である北朝鮮から普通なら拷問死する激しい拷問を受け、凍り付く戸外に放り出されたが、極めて頑健な文鮮明は死なずに生き延びた。文鮮明には極めて激しい共産主義への憎しみが残った。その極めて激しい憎しみが統一協会(勝共連合)を造り上げ成功する原動力になった。文鮮明は名誉博士号や名誉市民賞などの勲章の数では池田大作に勝っている。
 “魔”は戸田城聖氏の身にも入り込み、酒癖耽溺(アルコール中毒)にした。戸田城聖氏が長生きしたら戸田城聖氏によって広宣流布が為されてしまうためだ。その為、戸田城聖氏を早死にさせようと“魔”は必死だった。アルコール中毒を克服させる気を起こさせないよう“魔”は懸命に暗躍した。
 戸田城聖氏は昭和三十三年、五十八歳で亡くなったが、亡くなった時、創価学会は八十五万所帯に達していた。戸田城聖氏によって万全とレールは敷かれ広宣流布は軌道に乗っていた。後は惰性で走っていっても広宣流布は成し遂げられていた。もし戸田城聖氏が七五歳ぐらいまで長生きしていたら戸田城聖氏によって広宣流布が成し遂げられていた。また、石田次男氏が跡を継いでいたなら広宣流布は成し遂げられていたことは間違いない。しかし、戸田城聖氏は昭和三十三年、五十八歳で亡くなる。“魔”は原島嵩氏の父親の身にも入り込み池田大作を強く次期創価学会会長に推させた。
 引き継いだ池田大作は、そして出来上がっていた万全なレールを途中で破壊してしまった。
 池田大作が会長となり創価学会に無数の“魔”を雪崩れ込ませ創価学会員の身に不幸を次々と引き起こした。創価学会員は病気、経済苦、様々な苦しみを味わうことになった。そして広宣流布は頓挫することになった。トップが悪いと、そこから“魔”が雪崩れ込むという御文がある。創価学会に勧誘され入会寸前にまでなった人たちの多くが創価学会員が却って不幸になる現象を見て、創価学会に入ることを止めた。また、入会した人たちも「病気が治る、金持ちになれる、幸せになれる」という勧誘の言葉と異なり、却って不幸になる厳しい現象に信仰を止める人が続出した。池田大作が会長に就任した昭和三十五年頃から却って不幸になる人が続出するようになった。現世利益の勧誘が段々と効かなくなってきた。聖教新聞などに載っている功徳の体験談に疑いを持つ人たちが続出してきた(戸田城聖氏時代、すなわち清浄な時代、体験談は偽りではなく本当だった。現世利益は本当であった)。
 しかし昭和四十五年頃までは「病気が治る、金持ちになれる、幸せになれる」という現世利益の甘い言葉は強い魅力を持っていた。その言葉に乗せられて入会する人たちが後を絶たなかった。戸田城聖氏時代の体験談が生きていた。高度経済成長の貧しい時代に於いて「病気が治る、金持ちになれる、幸せになれる」という現世利益の甘い勧誘の言葉は大きな魅力を持っていた。しかし、高度経済成長の貧しい時代が終わり、人々が冷静に創価学会員が幸せになっているか否かを判断するようになって広宣流布は頓挫せざるを得なかった。
 権力欲の極めて強い池田大作は衆議院へ進出し、それが言論問題を誘発し、これも広宣流布を頓挫させる一つの原因となったが、これは一つの小さな原因に過ぎない。
 しかし、こういうことを今更考えても何の役にも立たない。池田大作によって頓挫させられた広宣流布の道を新たに切り開いてゆくのは極めて困難である。池田大作により破壊されたレールを修復すること、および新たに造築することは極めて困難である。池田大作によって邪宗化された創価学会を立て直すことも極めて困難である。


創価学会の宗門支配計画
 池田大作は宗門を傘下に入れようといろいろと画策してきた。しかし、それが不可能と知ると、平成二年、日蓮正宗と絶縁、独立の道へとひた走った。
 形の上では日蓮正宗から破門されるということであったが、これは、「その方が世間の同情を買うことができて組織保持に有利」という判断からであった。日蓮正宗に対して破門せざるを得ない状況に持って行ったのである。
 昭和四十九年の山崎・八尋報告書には次のような下りがある。八尋とは弁護士であり池田大作の秘書である。山崎とはもちろん山崎正友氏である。
 以下、(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004:p135)
「本山の問題についてはほぼ全容をつかみましたが、今後どのように処理して行くかについて二通りの選択肢があります。
 一つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから学会に火の粉が降りかからない範囲で、向こう三年間の安全確保を図り、その間、学会との関係ではいつでも精算をつけることができるようにしておくことであります。
 一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて背後を固めるという方法です。
 本山管理に介入することは火中の栗を拾う結果になりかねない危険が多分にあります。しかし私の考えでは本山、日蓮正宗は、党や大学、あるいは民音以上に学会にとっては存在価値のある外郭団体と思われ、これを安定的に引きつけておくことは広布戦略の上で欠かせない要素であると思われます。
 こうした観点から後者の路線で進むしかないように思われます」
 そしてその後に「火中の栗を拾う覚悟」で大石寺を安定的に引きつけておく方法として、
1)本山事務機構(法人事務、経理事務)の実質的支配
2)財政面の支配(学会依存度を高める)
3)渉外面の支配
4)信者に対する統率権の支配(宗制・宗規における法華講総講頭の権限の確立、海外布教権の確立など)
5)墓地、典礼の執行権の委譲
6)総代による末寺支配
以上の六項目を上げた。
 池田大作は、この内容通り、日蓮正宗から信者に対する教化と“布教”の権限を取り上げ、儀式と典礼のみを行わせる“創価学会典礼院”にしようとした。
 日蓮正宗と大石寺の外部や地元に対する“渉外、外交権”も取り上げた。教義解釈権についても池田大作が勝手に進め、日蓮正宗はあとからやむなく追認するという形にした。
 これに異議を唱える僧侶には“吊し上げ”を行ったり“兵糧攻め”にした。宗務院を通じて圧力をかけ弾圧した。
 反創価学会的な寺院に対しては「本山が彼らを切らないなら、学会は宗門と手を切る」と二者択一を迫って恫喝し、宗門から追放させた。
 さらに“本山参り”である「登山会」を一切取り仕切って、大石寺を財政的に支配しようとした。
 池田大作のさじ加減一つで大石寺登山者が増減し、収入が増減するのであるから、どうしようもない。
 正本堂ができて、寺域が拡大された昭和四十七年以降は、とりわけ大石寺の維持コストが増大したから創価学会の“経済支配”の効果はますます有効になった。
 末寺への参拝も創価学会でコントロールした。創価学会に冷淡と思われる僧侶、おべっかを使わぬ僧侶の寺院には学会員の参拝を差し止める。それも幹部が毎日寺院を見張りに行って、下足の数を数えて学会員の参拝の有無を確認するという徹底した方法をとった。
 こうした段階から、さらに、「本山と学会の会計の突き合わせ」を口実に、創価学会の会計法律団を送り込んで、大石寺や日蓮正宗の財政運営を丸裸にしてしまった。


あまりに知らない人が多過ぎるので書く
 創価学会は宗門から破門された、創価学会は被害者だ、横暴な宗門から情け容赦なく破門された、創価学会はかわいそうな団体だ、ということを信じている創価学会員があまりにも多い(「聖教新聞」や「創価新報」しか読まないからだ)。実際は創価学会はかなり前から、「宗門を支配下に置く」または「宗門が言いなりにならないようだったら宗門と手を切る」ということが創価学会中枢部(とくに池田大作の心の中)では決まっていた。これは山崎正友氏らが暴露したことであるが、それほど池田大作は信仰心そして教学がなかったのである。そして野心と権力欲に狂気ともいえるほど燃えていたのである。それは織田信長と言えよう。その野心と権力欲に狂気ともいえるほど燃えていたことが池田大作を第三代会長奪取へと導いた。
 池田大作の目標は二十代の頃からの池田大作の口癖であった「天下を取る」ことである。しかし、御書の何処にも権力への執着は書かれていない。広宣流布のとき自然と「天下を取る」ことが成就されるのであるが、日蓮大聖人は一切衆生の救済を心掛けていたのであり、権力奪取のことは一つも考えてはおられなかった。御書を読めばわかることである。
 とくに日達上人猊下は悪質な創価学会の横暴も大目に見ておられた。しかし、それがもはや大目に見ることができなくなったのが正本堂建設の頃からである。正本堂落成記念会において池田大作は自らの椅子の位置が日達上人猊下と同じであることに腹を立て、随行していた最高幹部とともに座を立ち帰り、流会させた。そしてその会の最高責任者になっていた柿沼総監は格下げとなった。池田大作は、自分が日達上人より偉い、日蓮大聖人よりも偉い、と本気で考えていたのである。
 池田大作は日蓮大聖人さえ建てることができなかった本門の戒壇を自分が建てたので自分は日蓮大聖人以上だと威張っていた。完全な自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害(妄想性パーソナリティ障害は独裁者の病)または妄想性障害である(これらは単独つまり一つの疾患で罹患することは少なく、複数で罹患する。すなわち自己愛性パーソナリティ障害のみということはほとんどあり得ない。ほかに妄想性パーソナリティ障害や妄想性障害などが併存することが普通である)。
 池田大作は川崎市から大田区を縄張りとする暴力団の手先となって、貸し金の取り立てなどを手伝っていたらしい。
(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994:p105 参照)

 インターネットが日本でももっともっと普及することです。すると池田大作の悪行を創価学会員が知ることになる。インターネットは年配の人はあまり使わない。もっともっとインターネット料金を下げることです。電話のように各家庭に普及させることです。すると創価学会は崩壊してゆく。


“魔”の党、公明党によって骨抜きにされた自民党
 自民党大敗北の原因はここにある。自民党の支持者には強い創価学会アレルギーが多く存在した。自民党が公明党と連立を組むことによって自民党の支持団体および支持者が多数、自民党から離れていった。自民党は近くだけを見て遠くを見ることを怠ったのである。自民党の支持者に強い創価学会アレルギーが多く存在することを自民党は計算に入れるべきだった。選挙事務所もそれまでの地方の実力者に代わって創価学会員が占めるようになった。これでは自民党離れが起こることは当然である。
 それまで強い反創価学会を表明していた自民党議員も創価学会の票がないことには選挙に勝てないと思い、それまでの創価学会批判を中止した。そして創価学会に媚びるようになった。それが破滅への道であることに気付かずに。自民党は「近くのみを見、遠くを見ていなかった」のである。自民党再生のためには公明党ときっぱりと縁を切ることである。
 一時的には公明党の票が自民党に入って自民党は助かるが、自民党の支持者離れにより自民党は自然に弱体化していった。これからの自民党の再生は容易ではない。自民党から離れ民主党に移った支持者を取り戻すことは非常に難しい。しかし「公明党と今後、決して結びつかない」と約束するならば民主党に流れていった多くの離れていった支持団体および支持者を取り戻すことができるであろう。
 自民党が公明党と連立をすることにより、立正佼成会、仏所護念会が自民党から離れ、民主党に乗り換えた。他にも新日本宗教団体連合会など民主党に乗り換えた所は多い。しかし、これは一部に過ぎない。自民党の支持団体および支持者はもっと広く巨大に存在していた。
 自民党と同じ過ちを民主党が起こす可能性は高い。「近くのみを見、遠くを見ない」と同じ過ちを犯すであろう。公明党は味方を骨抜きにする“魔”の党なのである。日本国中から嫌われている団体である。
 池田大作の死後、創価学会員の選挙意欲が薄れ、公明党は全国で三百万票しか獲得できなくなると言われている。現在の半分以下もしかすると三分の一の票しか獲得できなくなる。そうなると国会での公明党の議席は無くなるに等しい。また、同盟を組む価値が無くなる。
 自民党が再生するには今のうちに公明党ときっぱりと縁を切ることである。他に自民党の再生の道は無い。


脱会
 これには多大なエネルギーがいる。一部の狂信的な学会員は脱会者に対して嫌がらせや虐めを行う。例えば脱会した学会員が激しい学会からの攻撃を受け、市の法律相談所に人権相談に行く。すると人権相談に行ったことが創価学会に流れて狂信的な創価学会員から更に虐められるようになる。
 脱会者の声を聞いてみよう。  
『車を壊されたり、ポストに犬の糞を入れられたり、「今日も、おまえの子供は、ドラエモンの絵の書いた服で学校行ってるみたいだけど、いつ死ぬか解らないぞ」などと脅迫もされました』『家の前で大便をされた(人糞に違いなく非常に臭かった)』『夜間、自宅の雨戸に生卵をぶつけられました。 また、何度か、ゴミを放り込まれたりした』
「裏切り者は自殺するまで追い込め!」と第六天の魔王である狂気の池田大作が言い放っている。一般的に人が良い学会員も池田大作の狂信者ならばこの前まで友であった者を自殺するまで追い込む。宗教は狂気に通じる。池田大作のためなら何をしても良いという考えが熱心な創価学会員には支配的である。
 日蓮宗の論理として「国の法律より、仏法律が上」というものがある。これは創価学会に於いては更に激しくなり、「国法を犯しても、それが仏法、即ち創価学会と池田大作のためなら何でも許される」という考えになる。これが宮本邸盗聴事件、NTTドコモ事件などを生んできた。
 同じことが脱会者に向けても行われる。殺人事件こそ未だ浮かび上がってこないが、すでに殺人事件は数件、起こっているはずである。ただ、公明党が都議会で大きな力(警視長官の任命権、警察への予算)を持っているため、警察は動かないでいるだけである。
 矢野絢也氏もずっと後を付けてきたトラックに幅寄せされたり、地下鉄を待っているとき真後ろに誰かに立たれ突き落とされそうになったことを公表している。
 池田大作は「脱会者は自殺まで追い込め!」と言い放っているが(これが宗教者の言う言葉であろうか? 池田大作は精神的病気に冒されている。それは、誇大型妄想性障害と自己愛性パーソナリティ障害、その両者と思われる)、自殺まで追い込まれた脱会者は十名を下らないと推定される。脱会者に対する厭がらせは池田大作の命令であり、完全に厭がらせの範囲を超えており、完全な犯罪行為、または殺人行為である。これは宗門に移る学会員を少なくするするための処置である。宗門に移るのは命懸けである。公明党が与党であるため、また、東京都議会に於いて公明党が警察人事、警察予算の主導権を握っているため、警察は動かないし、動けないのである。
「国法を犯しても、それが仏法、即ち創価学会と池田大作のためなら何でも許される」という論理が現在の創価学会に厳然として存在する故、創価学会は数々の反社会的行為を平然と行っている。この論理は犯罪に対する自制心を取り除く効果を生む。こうした論理が極端な「倫理喪失人間」を大量生産する原因となっている。それに加え、創価学会には池田大作が呼び込んだ無数の悪鬼が暗躍し、犯罪を唆している。山崎正友氏は「刑務所の二十五~三十%は創価学会員、極悪犯罪になるとこの割合は更に多くなる」と書かれていた。
 藤原行正氏暗殺計画があったことを矢野絢也氏は暴露している。しかし押し留める声があり、実行には移されなかった。だが今は池田大作の横暴を押し留める者はいない。イエスマン以外は排除されている。
 宗門との余りにも激しい争いはこの論理から起こされている。


 私は思うのです。創価学会の名簿(統監)は信仰を真面目に行っている人は少なく、幽霊会員の方が圧倒的に多い。創価学会の名簿(統監)から抜けることは意味がないのではないのかと。
 たとえば、自分の地区は名簿(統監)上、五十世帯ですが、会合に来るところは五所帯ほどであとの四十四所帯は聖教新聞も取ってない。四十四所帯は幽霊です。
 学生部の頃、「辞める」と言って仏壇ごと(その頃は小さな仏壇はなかった。赤帽で運んできた)学生部の拠点に運んできた者も退会届を出していないため名簿(統監)には未だ残っています。彼は創価学会を辞めたあと日本共産党に入り幹部になっています。彼は名簿上、日本共産党員でもあり創価学会員でもあります。
 また、仕事場の上司の勧めに義理立てて入信し御本尊様を受けたが、全くする気がなく、御本尊様を紛失してしまった人も退会届を出していないので名簿(統監)に残っています。その人は“うつ病”と診断され、遠くの県の精神科の病院にずっと(すでに二十年以上)入院しています。
 つまり、法華講に入るために、退会届を出す必要性はないのではないかと思うのです。


 創価学会からの脱会故に家庭が破壊された例は非常に多い。これは社会問題となるべきものである。しかし創価学会はマスコミを押さえている。真実は報道されない。
 主に、創価学会(池田大作)の矛盾に気づいた壮年部・男子部が創価学会を脱会し法華講に入ろうとするが、池田大作教信者が多い婦人部は創価学会(池田大作)の矛盾に気づかず、創価学会からの脱会に猛反対する。そして離婚となる。この数は日本全国で莫大な数に上る。
 これを宗門と創価学会の戦争と見ている識者は多い。これは深刻な問題である。夫婦間だけでなく、親子間も断絶されているところは多い。


青年部による日本武力制圧の危険性
「国法を犯しても、それが仏法、即ち創価学会と池田大作のためなら何でも許される」という論理が特に青年部幹部には厳然として存在する。
 青年部幹部は池田大作の言うことなら何でも聞く。池田大作が果たせなかった目標である「天下を取る!」を青年部幹部に命令する可能性がある。「日本を制圧せよ!」と命令したら、そのように動くであろう。
 御書を読めば分かるが、日蓮大聖人様の教えは極めて排他的、独善的なものである。極めて排他的、独善的である故にフランスなど各国でカルト指定されている。日蓮大聖人様の教えが極めて排他的、独善的なものであるということが私の読み違い、解釈違いなのならば良いのであるが。
 日蓮大聖人様の御書は日蓮大聖人様が書かれたものと後世に創作された偽物が混同していると良く言われる。後世に創作された偽物とは狂信的な信者が創作したものと思われる。
 御書を読んでいて「本当にこれは日蓮大聖人さまが書かれたものなのだろうか?」と疑った抄は多い。筆跡鑑定をコンピューターで精密に行うことができるようになった現在、筆跡鑑定を行うべきと思う。

  主要幹線にトラックを横倒しして国会議事堂周辺を封鎖し、クーデターを起こす可能性がある。創価学会青年部の一割がこれに参加すると四万人が参加することになる。相手は命を賭けた洗脳された四万人の青年である。(しかし四万人も要らない。精鋭五百人で充分過ぎるほどである。精鋭百人で充分かもしれない)。青年部の一割は池田大作のためなら命も投げ出す。自衛隊、機動隊も押さえられ、日本制圧は成功する。
大型トラックは何十台も用いられ首都中央部の道を塞ぐ。創価学会員に大型トラックの運転手は極めて多い。何十台でなく何百台集まる可能性がある。
 自衛隊、機動隊に隠れていた創価学会員も一斉蜂起する可能性もある。国会議事堂に於いて全国会議員を人質にし、クーデターが成功する可能性は高い。
 池田大作なら考えるであろう。死を目前にして最後の賭を打つ可能性は高い。現在は池田大作を諫めることのできる人物は存在しない。
 反乱は国会議事堂から始まる。直後、国会議事堂への主要幹線が横倒しされた大型トラックにより封鎖される。自衛隊、機動隊の青年部も一斉蜂起する。武器の盗難は決起の数週間前より自衛隊、機動隊に隠れていた創価学会員の援助の下、自衛隊、機動隊に於いて密かに行われる。また、武器の使用方法も自衛隊、機動隊に隠れている創価学会員により、教えられる。また、拳銃の練習は学会会館などに於いて秘密裏に行われる可能性も高い。
 これは思慮分別がついている壮年部には極秘裏に行われる。そして軍事政権が樹立される。
 軍事政権が樹立して諸外国から批難が集中するであろうが外務省には多数の創価学会員が潜入している(大鵬会)。外国との交渉も大鵬会がやってのける。

 これらの実行される可能性は決して低くはない。日本の公安は創価学会をオウム教と同じく充分監視する必要性がある。公安は創価学会を甘く見てはいけない。創価学会の青年部なら(若気の至りと言って良いであろう)クーデターを起こす危険性は充分にある。クーデターが成功すると創価学会より仇敵と見なされている創価学会内部改革派憂創同盟は壊滅させられる(創価学会内部改革派憂創同盟は現在、自分一人です。募っても誰も来ません)。


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 布教による広宣流布が不可能と解った現在、狂信的な創価学会員の頭には武力による広宣流布が描かれている。キリスト教の流布もイスラム教の流布も武力に依るものが大きな割合を占めている。特に異教徒撲滅は武力に依った。
 自分は創価学会員のとき、このことをある幹部に話した。その幹部もそれが正しいと言った。布教による単純な広宣流布は不可能であると。
 しかし、現在、武力による異教徒鎮圧は人類破滅に繋がる危険性が大きい。核戦争が起こる可能性が極めて大きい。第三次世界大戦になると人類は死滅する可能性が極めて高い。
 平和主義的な方法での広宣流布を諦めた緩やかな布教拡大しか取る方法はない。もはや広宣流布は世界ではなく日本および中国などアジアを目標としたものとしなければならない。現実には日本のみに限定しても極めて難しい。
 日蓮大聖人さまの御遺言は広宣流布である。日蓮大聖人さまの時代は日本国に限定しても良かったであろう。しかし現代は世界中に広宣流布することが正しいはずである。
 しかし現実を見ると日本に限定しないことには不可能である。


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日本共産党さん、こんにちは。日蓮正宗法華講のものです。これは私が全く一人で行っているものです。

「水滸会記録」という創価学会の秘伝書とも言うべきものがあります(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004)。これは戸田城聖氏の時代に行われた上級幹部に対する特別会合、秘密会合とも言うべき会合の記録とされます。これは池田大作が奥に秘めていたものですが、原島嵩元教学部長が造反の時に秘密裏に持ち出したコピーです。池田大作が誰にも見せようとしなかった秘書です。速記の記録がないため、後に参加者が集まって、記憶を頼りながら記されたものとされる。それを読むと、池田大作による着色がかなりされてあるが、創価学会の今日の行動の指針が記されている。一時は出版も考えられたそうであるが(それ故に後になって参加者が集まり記憶を頼りに編纂された)池田大作が学会本部奥に隠し出版はされませんでした。原島嵩元教学部長、山崎正友弁護士という元中枢の中枢が造反しなかったら、葬り去られていた記録です。

 しかし実際は、池田大作自身の構想を戸田二代会長の言行録として昭和五十三年頃、密かに副教学部長の佐久間陽に命じて造らせたものであり、すべて池田の隠された野心を示したものと原島嵩氏は書いている。
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002、p172)

 それには次のような記載が見られる。「昔の武器は刀、現在の武器は財力」と。
 これ故の「財務」である。創価学会員はそれ故に池田大作から貯金を搾り取られている。財力で日本を乗っ取る理論的根拠が「水滸会記録」に記されている。
「昔の武器は刀であったが、現在の武器は金力(財力)である。昔の兵力に相当するものは金力である」


 創価学会の秘伝書とされる「水滸会記録」には水滸伝の中の人物の行動を論評する形で
「クーデターで皆殺しにする方に賛成する」(※これは池田大作の意見である)
「学会が私にやらせれば(クーデターを)やりますよ」(※この私とは池田大作のことである)
という発言が繰り返されている(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館:2004:p90)。
 昭和五十三年当時は池田大作が既にかなり堕落していたときのことである。妄想性パーソナリティ障害が妄想性障害に変わっていったときのことである。
 口を開けば“平和”だの“人権”だのという創価学会の本音にはオウム真理教と同じく、ことと次第によっては“暴力”や“殺人”を行っても権力を奪おうという思想が根強く存在していることを証明する記録である。現在も、創価学会からの脱会者に対し、暴力的な迫害を加えている。それ故に退会できない人が日本中に溢れている。
 ここには信仰の自由がない。憲法違反である。しかし、昔、平成三十四年頃の迫害は現在と比べものに成らないほど激しかった。その頃の迫害は完全な犯罪に相当した。何故、迫害が弱くなったのか? それは創価学会の活力の低下と池田大作の指導力の低下である。創価学会は勤行を簡略化したことと独自の力のない“魔”の御本尊を広く流布させたために組織の活力が低下したことを自覚しなければならない。
 国会で池田大作の証人喚問が実現しようとした際、創価学会男子部や当時の新進党議員が、暴力で議場や委員会場を閉鎖した出来事を忘れてはならない。目的のためには手段を選ばぬマキャベリズム的反社会的行為を平気で行うのが創価学会である。
「諸君も、財務・外務・文部の実権を握ったときに、堂々と広宣流布をやり遂げたまえ。」———池田大作の言葉である

 創価学会には極めて潤沢な資金がある。原爆を三個ほど北朝鮮またはイランより購入しても何でもないほどの潤沢な資金がある。原爆クーデターが最も行い易いものかもしれない。フランスでは創価学会により核の技術が奪われた懸念が指摘されている。創価学会員の経営する工場で原爆を造ることも可能かもしれない。創価学会は極めて危険なカルトと欧米ではされている。
 原爆の場合は全く流血なしでクーデターは成功するであろう。放送局を一つ占拠し、そこからニュースを流せば良いのだ。原爆は南海の孤島で一つ爆発させると良い。また原爆を何処其処に仕掛けていると発表するだけで良い。電波通信でその仕掛けられている原爆が爆発すると警告するだけで良い。そして創価学会の軍事政権が樹立される。
 これらの実行される可能性は決して低くはない。日本の公安は創価学会をオウム教と同じく充分監視する必要性がある。公安は創価学会を甘く見てはいけない。創価学会の熱血な男子部なら(若気の至りと言って良いであろう)池田大作の鶴の一声でクーデターを起こす危険性は充分にある。創価学会の男子部には暴走族上がり、ヤクザ上がりが非常に多い。未だに暴走族、ヤクザも非常に多い。
 また、池田大作が命令せずとも、男子部の狂信的な一部(過激派)が自発的に結束してクーデターを起こす可能性は十分にある。それは池田大作の死の時(創価学会Xデー)に起こす可能性が高い。池田大作は「天下を取ろう」が口癖だった。天下を取れなかった師匠の無念さを仇として男子部の狂信的な一部(過激派)がクーデターを起こす可能性は高い。天下を取ることは「広宣流布」に等しい。国家戒壇の建立が彼らの究極の目的なのです。日本を創価学会が支配することが彼らの目的なのです。彼らなら宗教的信条の元、行う可能性は高い。クーデターは彼らが行う激しい過酷な選挙運動に比べたら何でもない。
 大聖人の御書は本当に日蓮大聖人が書いたものと後世に狂信者が書いたものの混交であると言われる。私も御書を読んでいて「これが本当に日蓮大聖人が書かれたものか?」と疑う抄が余りにも多い。大聖人の御書の内容は激しく厳しいものが多い。四分の一は後世に作られた偽書、四分の一は後世に作られた偽書の疑いあり、であると言われる。立正大学でその真偽鑑定が行われていた。
 国会に乱入し、国会議員を人質にすれば良いのである。それでクーデターは成功する。創価学会には何故か武闘家が極めて多い。信仰の陶酔感とともに彼らは国会に乱入する可能性がある。東京の一部の創価学会男子部だけでクーデターが行われ成功する可能性は高い。
 極一部の狂信者が指導してクーデターが行われる。折伏布教での日本乗っ取りが不可能と悟った男子部の極一部(危険分子)がクーデターを起こす。
 こういう危険な創価学会を解体するべきである。


————「水滸会記録」を国会で追及し、創価学会会長または池田大作の国会喚問を行うのです。創価学会男子部は池田大作の命令があれば平気でクーデターを起こします。池田大作を止めること(諫めること)のできる人物は現在の創価学会には存在しません。完全に池田大作の言いなりが公明党と創価学会です。創価学会男子部は池田大作の狂信者が多い。男性および青年は純情で熱情家である。本気でクーデターの危険性を考慮するべきと思われます。

 日本共産党さん、国会で「水滸会記録」を追求してみてください。クーデターの危険性は高いのです。狂信的な信者である危険因子は一般的な布教では広宣流布が不可能なことを悟り武力により広宣流布を行うことを考えています。彼ら一部の狂信者(青年部および壮年部)はインターネットで連絡を取り合っている可能性が考えられます。

東京の創価学会本部には毎週精神科医が来ています。学会本部の職員と家族に“うつ病”など精神疾患があまりにも異常多発しているからです。薬を処方するには精神科クリニック開設の手続きをしなければいけません。
 精神科クリニックを本部会館内に開設して、これが暴露されたら創価学会は大打撃を受けます。ですから精神科クリニックの開設はしないはずです。カウンセリングだけのようです。カウンセリングしてどこどこの精神科を紹介するということをしているようです。
 どこにこういう本部があるでしょうか?
 近くに創価学会専用の精神科クリニックがあり、そこには数人、精神科医が常勤していますが、そこで診ることができないほど創価学会には“うつ病”が多いのです。ある大学病院の“うつ”外来では「半分が創価学会員、半分がクリスチャン」と言っています。


 また、こういう案もあります。
「財務」は詐欺罪で告訴できる可能性があります(民事になるか?)。昭和五十年頃から、創価学会は「財務」で力を付けており、「財務」を中止させると創価学会の力は急激に落ちるはずです。マスコミにばらまく多額の金が無くなります。「財務」で創価学会が得る金額は莫大ですから池田大作および学会中枢幹部を詐欺罪で国会喚問出来ると思います。「財務」で苦しむ創価学会員は非常に多い。
————頼るのは日本共産党さんしかいないのです。民主党はやる気がないようです。日本共産党さん、宜しくお願いします。国会での追求が無理でも、赤旗で創価学会攻撃をお願いします。
 宜しくお願いします。

P.S. 創価学会からの脱会者に対する虐め、嫌がらせは、国会(少なくとも赤旗)で取り上げてください。警察に言っても、警察の上層部は公明党と癒着していますから相手にしてくれません。末端の警察官は本気で取り締まろうとしますが、上から圧力が掛かって取り締まりを中止させられてしまいます。
 家に糞を投げ込んだり、郵便受けに糞を入れたり、大量のゴミを庭に投げ込んだり、生卵をドアや壁に投げつけます。また、クルマで走行中、大型トラックで幅寄せをしてきたり煽り(あおり)行為をします。これは完全に犯罪です(殺人未遂罪??)。
 創価学会から日蓮正宗への脱会者を増やさないようにしようと池田大作が命令しているようです。創価学会員は善良な人(朴訥すぎる人、すなわち朴訥すぎて池田大作の欺瞞に気づかない人)が多く、そのようなことをするとは信じがたいことです。
 しかし、池田大作からの命令で、創価学会には広宣部(いわゆる創価学会の暴力団)という脱会者を付け狙い、クルマのタイヤに穴を開けたり、クルマのボヂィに傷を付けたり、家のポストに糞を入れたりなどする組織が出来ています。彼らは実行部隊で命令は上層部から来ます。池田大作は「脱会者は自殺まで追い込め!」と同時放送で公然と発言しています(これが宗教者の言う言葉か!)。
 脱会者をこれ以上、造らないためです。もし、広宣部がないと創価学会の三分の一は宗門(大石寺)に戻るでしょう。脱会して日蓮正宗に戻りたいと思っている創価学会員(とくに壮年部と男子部)は多数居ますが、その暴力行為および家庭崩壊を恐れ、脱会届を出せないで居るのです。
 公明党が警察の最上層部と癒着しているから、どうにもしようがないのです。泣き寝入りしか方法がないのです。脱会者を増やさない手段はあまりにも酷すぎます。人権侵害だけでなく人権蹂躙を超えたものです。

 昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに次のように答えている。これは(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房:1965)に書かれてある。

 池田会長はモダンな本部応接室で、胡座を描き直すと、煙草を一服し、静かにそして激しい語気で言った。
1)『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である』
 同席の大幹部数人は深く肯き息をのんだ。
 更に池田会長は続けた。
2)『私は現代の救世主である』
3)『釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である』
4)『世界の盟主である』
5)『私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする』
6)『私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る』
7)『今、私には天下を取ることが見え始めた』
8)『私は太陽の帝王だ』

少なくとも6,8)は明らかに奇妙で現実離れしている。全てが奇妙で現実離れしていると言っても良い。これは妄想性障害では説明不可能であり妄想型統合失調症(軽症)である。
妄想性障害における妄想は理にかない、不自然なものではない。例えば、「友人はスパイで、自分は隠しカメラで監視されている」「妻が暴力団を使って自分を殺そうとしている」という妄想に対し、統合失調症は「友人が小さくなって自分の耳の中に入っている」という明らかに不自然な妄想を抱く。
 この高瀬広居のインタビューのみで池田大作が妄想型統合失調症(軽症)と診断され得る。
  

 また、(創価学会・公明党「カネと品位」:福本潤一:講談社:2008:p106)には耐震構造の姉歯秀次氏が創価学会の副本部長であったことが書かれてあります。あの若さで壮年部の副本部長とは非常に熱心に創価学会の信仰をしないと成れないものです。
 その姉歯秀次氏は事件が表沙汰になった途端、創価学会を除名されました。これからどうしてゆくのでしょう。精神を病んでいた(おそらく統合失調症)奥さんはビルから飛び降り自殺をしました。

 そして池田大作個人の豪華な施設が全国各地にあります。以前、昭和五十二年頃、民主党が「それを国会で追及する」と竹入委員長の処へ手紙が届きました。それで池田大作個人の豪華な別荘などは急遽、解体処分にされました。同時に民主党と選挙協力をすると約束しました。でも、それが過ぎると再び池田大作のための豪華設備の建設ラッシュです。会員から搾り取った「財務」「広布基金」などがこういうところに使われているのです。
 また、池田大作がパナマの麻薬王であったノリエガ将軍と非常に親しかったことを暴露してください。ノリエガは池田大作を「人生の師」ともちあげ、池田大作はノリエガを「偉大な指導者」とほめあげている。両者の友好を記念して、ノリエガはパナマに「池田展望台」をつくり、池田大作は富士山麓に「ノリエガ公園」を造りましたが、ノリエガ将軍が失脚するとそれを破壊しました。パナマには今でも池田大作を讃えるノリエガ将軍が造った「池田展望台」があります。
 創価学会と民主党の小沢幹事長との間には太いパイプがあること、ご存じでしょうか? インターネットで見れます。
 欧米で金力に任せて城などを買いあさり欧米からは顰蹙(ひんしゅく)を買っているいること、ご存じでしょうか?
 公明党の選挙違反(戸別訪問など)を警察が故意に見逃していることご存じでしょうか? 戸別訪問は公明党の常套手段です。今度の参議院選挙でも戸別訪問は無数にあるでしょう。戸別訪問が選挙法違反と言うことを創価学会員も立候補者も知らないようです—————ここを突いたら良いと思います。創価学会も公明党も選挙のことをあまり知らないようです
 創価学会の会館が選挙に公然と使用されていることご存じでしょうか? 選挙前になると歩けない老人を歩けるように訓練します。また。知恵遅れで何も解らない障害者を無理矢理連れて行って、公明党と書いた紙を握らせておいて公明党の名を書かせていることもご存じでしょうか? 警察のトップの人事権、予算権(これは東京都議会で決めるそうです)が公明党にあるため警察も知らないふりをしなくてはいけません。何故、その人事権、予算権が東京都議会にあるのか納得がゆきません。

 公明党の国会議員はすべて池田大作が決めていること、公明党の国会議員は池田大作の言いなりに動かなければならないこと、つまり操り人形であること、言いなりに動かなければ(操り人形として動かなければ)次回の選挙で公認を得られないこと、ご存じでしょうか? 以前、盗聴法に大反対だった弁護士出身の女性議員が一日で盗聴法賛成に変わったのは池田大作の鶴の一声だったのです。国会議員は池田大作の奴隷のように動かないといけないようになっているのです。

 池田大作の月刊ペン事件は本当のことです。池田大作は日本中に二十名あまりの愛人を持っていました(オットセイ池田またはトド池田とも言われていました)。そのため各研修道場などに池田大作の超豪華な私室を造らせていたのです。その二十人あまりは正式な愛人ではなく、副会長の嫁さんだったりしています。結婚したあとも、池田大作とその愛人の関係は続くのです。夫は黙認を強いられます。池田大作のお気に入りの女性と無理矢理に結婚させられた気の毒な夫はトントン拍子で副会長まで出世してゆきます。例えば渡部道子は月刊ペン事件で有名な人物ですが、渡部道子と無理矢理に結婚させられた渡部一郎は国会議員になりました。おまけに渡部道子も国会議員になりました。この夫婦関係は池田大作のため完全に冷え切っていました。例えば、子供が生まれたとき、渡部一郎は子供が生まれた病院へ行きませんでした。子供が池田大作の子供と思っていたからでした。
 もう一人、池田大作の愛人が国会議員になりました。つまり池田大作は二人の愛人を国会議員にしたのです。これは国民を愚弄していることであり、許されることではありません。————これらは国会で取り上げるべきことと思います。

 超豪華な池田大作の私室は課税するべきです。あそこは池田大作専用の超豪華なラブホテルです。超豪華なラブホテルに何故、課税しない??

 ドコモ事件は日蓮正宗が行っている反創価学会活動を抑えようと反創価学会活動家を押さえるために仕掛けられたものです。ここでも警察との癒着が見られます。創価大学の職員をしていた警察から引き抜かれた剣道の達人が「自分の愛人が浮気をしているらしい」と思い、その愛人の通話記録をも盗み、それをその剣道の達人に教えたために発覚したのです。このような通話記録の盗み出しは日常茶飯事に行われていると思われます。ドコモ事件は剣道の達人が馬鹿で発覚してしまっただけのことです。ドコモ事件の真相解明を国会でおこなったら良いと思われます。警察は動きません。
 公明党と警察の癒着を国会で暴くのも一つの手段と思います。



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創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告(3) [宗教]

  創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告
  ————自分だけ救われるよりも創価学会員全員を連れて宗門に戻ろうーーーー
                                       正義の書

 第2章 魔神
魔神:池田大作
 池田大作が戸田城聖氏の金融事業に於いて超人的な働きをし、給料が歩合制なため当時の平均給与の百倍近くを得ており、その金で女子部員の肉体を貪り、大幹部を高級料亭でもてなし自分の味方につけたと山崎正友氏(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994)は書かれている。 
 借金の取り立てが暴力団仕込みで非情極まりなかったとも言われているが、お金のある学会員の家を当てるのが神憑り的であったことは複数の証言がある。これは霊能力で間違いないと思われる。それにより戸田城聖氏の事業を倒産直前から奇跡的に復興させ、それらが第三代会長になる大きな布石に繋がったと言われる。
 心霊手術を行うことの出来る霊能力者は不幸な人のために自らの命を投げ打って献身的に奉仕しないといけないこと、そのため心霊手術を行うことのできる霊能力を授かった人は極めて厳しい信念を持って生きなければならないこと、霊能力を私利私欲のために使って酒池肉林の生活をすると狂い死にすること、そしてフィリピンやブラジルなどの心霊手術を行う霊能力者は最後は煩悩に負け私利私欲に走ってしまい狂い死にする人がほとんどであると言われる。
 これは心霊手術ではないが心霊治療が非常に盛んで現代医学にも組み込まれているイギリスでも同様なことが言われている。イギリスの心霊治療家は報酬を全く取らないことで有名である。
 日本では心霊手術ではないが異言を唱えることが出来た、また多数の心霊的著書を書かれた高橋信次は非常に清廉潔白な人格者であったことで間違いないが、最後はエボラ出血熱に極めて似た現代医学的に説明不可能な病態で悲惨な最期を遂げた。非常に清廉潔白な人格者であった高橋信次でさえ悲惨な最期を遂げた。高橋信次は信仰活動に必要なお金は全て自己負担であった。信者からお布施をもらうことは決してなかった。
 池田大作は現在(11月6日2010年)5ヶ月間、同時放送に出席していなく安否が気遣われているが、重度の統合失調症様状態に陥り普通の病院では管理不可能で、精神科閉鎖病棟の保護室にいる可能性は高い。霊能力者が私利私欲に走り酒池肉林の生活を行うと、その罪で狂い死にすることは歴史的に証明されているからだ。
 伊勢白山道の教祖は「池田大作にはすでに地獄から赤い山車が迎えに来ている」と言われている。
 

魔性の本尊
「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」(『大白蓮華』昭和三十四年七月号九頁・戸田城聖)
 学会が偽造本尊作成のために利用した日寛上人の御本尊は、浄圓寺十六代住職・日證師に授与された「一機一縁の御本尊」であり、真正の御本尊には「下野国小薬邑本如山浄圓寺 大行阿闍梨本證坊日證 授与之」という添え書きが入っている。創価学会は、この授与書きを勝手に抹消し、幾つかの字を変造し、破門され御本尊が手に入らなくなった平成五年より多くの会員に配布し始めた。それもカレンダーのような一枚のコピーのようなご本尊であり、制作費は一体百五十円と言われる。
 日顕上人の御本尊と学会が造った偽御本尊とが取り替えられ、日顕上人の御本尊は焼却処分となった。その数は夥しい。阪神大震災は地震は起こらないとされていた地方に起こったが、なかでも被害が酷かった地域は創価学会の非常に盛んな地域であった。阪神大震災は日顕上人の御本尊を多数、焼却処分した大罪故とも言われる。大量に焼却処分した翌日に阪神大震災は起こっている。阪神大震災において創価学会員の功徳の体験談は存在しない。
 学会製の御本尊には、仏法に敵対する魔の力があり、これを拝むと魔の通力によって現罰を受け、その謗法の罪によって永く地獄に堕ちる結果となる。
 御本尊が学会製のものになってから歓喜がほとんど感じられなくなったと思うのは自分だけではないと思う。昔の御本尊には凄い力があった。ところが御本尊が学会製のものになってから力がほとんど感じられない。生きている一瞬一瞬が歓喜となるという歓喜が今はほとんど感じられなくなってしまった。現在も、学会製のものではない昔の御本尊に祈ると凄い歓喜が湧いてくる(自分は実家に行くと日達上人の御本尊がある)。創価学会は再び日蓮正宗の門下になるべきである。もはや創価学会では成仏はできない。「学会製の御本尊に祈ると地獄に堕ちる」。これは日蓮正宗が熱心に主張していることである。
 次のような投書を読んだことがある。それを要約すると次のようになる。
『自分の場合は学会製の御本尊に祈り始めた平成五年の頃、金縛りに毎夜のように会っていました。ちょうど学会製の御本尊に交換した夜からです。でも、その頃、純粋だった自分は、ひたすら信じ抜いていました。金縛りは毎夜、一ヶ月ぐらいは続いたでしょう。でも、自分は、疑いませんでした。題目を唱えつつ金縛りに耐えました。金縛りが終わった頃から“うつ病”が始まり十年間苦しみました。その頃は学会のVOICE がありましたから良く投稿していました。また、その頃は、創価学会員の“うつ病”の患者さんが造ったホームページが幾つもあって、いろいろとお互いに相談していました。でも、あまりにも創価学会員の“うつ病”が多いのを知られるのを怖れ、VOICEは「やった。できました。」という投稿しか載せなくなりましたし、創価学会員の“うつ病”の患者さんが造ったホームページは強制的に閉鎖されてゆきました。』
『私の場合は学会製の御本尊に交換した深夜、ヘビが仏壇の部屋を這い回っていました。怖ろしかった。』
 そして学会製の御本尊に祈って病気が治ったということは見聞きしない。学会製の御本尊には、そういう力が存在しないのである。病気が治るどころか、病気が重篤化する。
 そして御本尊が“魔”の御本尊に代わってから創価学会に入った人は「歓喜」を経験していない。それ故に勤行唱題を短くしか行わないのであろう。また、以前からの創価学会員も御本尊が“魔”の御本尊に替わってからは勤行唱題を短時間しか行わなくなっている人が大部分である。やはり歓喜がほとんど湧かないようになったことが大きく影響していると思われる。
 創価学会に居続けると謗法の罪により地獄に堕ちる。早く宗門(法華講)に入るべきである。宗門と創価学会とどちらが正しいかは常識的に考えれば解ることである。解らないならば創価学会批判の本を幾冊も読むことである。特に原島嵩氏、山崎正友氏、矢野絢也氏の書いたものが良い。
 学会製の御本尊に祈っても歓喜は少ししか湧かない。そして悪い現象が起こる。学会製の御本尊に祈っても病気は治らない。却って病気は重篤化する。家庭崩壊が起こらないならば早く法華講へ入るべきである。正信会は代々法主の血脈を否定しているから良くない(創価学会よりかなり良いであろうが)。大聖人以来の血脈を受け継いでいるのは法華講である。故に法華講に入るべきである。幸せになろう、病気を治そう、と思うなら法華講に入るべきである。創価学会はあまりにも汚れきってしまっている。池田大作が亡くなっても独自路線を貫くであろう。宗門との和解は行わないと思われる。完全な謗法団体そして新興宗教そして政治結社である。創価学会は金集め集団、そして選挙団体に変身してしまったのである。

 以前は勤行唱題すると悲しみ苦しみ悔しさを忘れ、次の日には元気一杯に学校へ行っていた。しかし、平成五年、学会製の御本尊に替わってからは、勤行唱題してもそうはならなくなった。喜びが湧かない。どんなに勤行唱題しても焦燥感が消えない。それどころか焦燥感は強くなる。
 以前は勤行唱題すると心はゆったりとなっていた。悲しみ苦しみ悔しさを忘れていた。実家に行き、日達上人の御本尊に祈ると以前のように悲しみ苦しみ悔しさを忘れ、心はゆったりとなり焦燥感は消える。
 日達上人の御本尊に祈ると自然と短時間で「南無———は歓喜の中の大歓喜なり」の御文のようになる。しかし学会製の御本尊にどんなに祈ってもそうはならない。却って、焦燥感に包まれてしまう。
 何故なのか? それに気付くまで時間が掛かった。平成五年から創価学会員に配布され始めた学会製の御本尊は“魔”であったのである。インターネットをよく調べてようやく解った。「魔性が入っている。魔性の力が入っている」御本尊であったのである。
 自分は池田大作の間違いには早く気付いていた。しかし“魔”の御本尊のことに気付くのが遅れた。自分は比較的軽症であったがうつ病性障害で合計五年程(五回再燃した。最初が三年間、五回を合計して五年であり、罹病期間は十年に亘る)苦しんだ。何故、自分がうつ病性障害に罹らなければならなかったのかと考えていた。それは“魔”の御本尊を拝んでいたからであると後になって気付いた。遅かった。
 日達上人の御本尊であっても、拝む人が血脈付法の御法主上人を誹謗するならば、四力(仏力・法力・信力・行力)が合せず、功徳は無い。まして何よりも「ニセ本尊」を造るほどの謗法団体になった創価学会に所属していては絶対に功徳は無い。却って拝むほどに罪業を積み重ねることになる。
 今は東天に向かって遙拝勤行をしている。“魔”の御本尊には決して祈らない。すると奇妙なほど起こっていた悪い偶然は起こらなくなっている。
 試しに学会製の御本尊に向かって十時間唱題をしたら解る。日達上人の御本尊に向かって十時間唱題をするともの凄い歓喜が湧く。しかし学会製の御本尊に向かって十時間唱題をしても歓喜も何も湧かない。私は行き詰まったとき学会製の御本尊に向かって十四時間唱題をしたが何も湧かなかった。日達上人の御本尊に向かって十時間唱題をすると「怖いものが無くなる」「どうにでもなれという心境になる」「解決策が見つかる」「歓喜が二、三日は続く」が普通であったが、学会製の御本尊に十時間唱題をしても歓喜が湧かない。ただ、焦燥感が湧く。「魔性が入っている。魔性の力が入っている」御本尊であるからである。
 “魔”の御本尊に変わった現在、創価学会の拡大は不可能となった。創価学会は衰退の道しか残されてはいない。
 再び、総本山の一信徒団体として総本山より御本尊を下付されなければ会員に不幸な現象が続いて起こる。再び、総本山の一信徒団体となることである。池田大作は決して再び、総本山の一信徒団体となることは許さないであろう。また、宗門も池田大作が未だ権力を握っている創価学会を一信徒団体として戻すことはしない。早く池田大作が亡くなることである。池田大作が早く亡くなり、側近が英断をふるうことである。
 

創価学会の仏法違背
 創価学会の仏法違背は牧口会長時代から存在した。牧口会長は「私は一宗が滅ぶのを悲しむのではない。日本国が滅びるのを悲しむのだ」と言っていたが、日蓮正宗が滅んだら(日蓮大聖人の仏法が滅んだら)、人類の未来は真っ暗になる。牧口会長の頃から宗門軽視の姿勢が創価学会に有った。そして牧口会長は戦争に反対したから投獄されたのではない。牧口会長は自宗での戦勝祈願を激しく強要されていた。神札を受け取ることを拒否したために投獄されたのである。創価教育学会の戦争賛美は激しかった。
 池田大作の時代になると宗門軽視の姿勢はあまりにも激し過ぎ、すでに昭和四十年代中頃から「宗門支配か独立か」の考えが創価学会中枢部にはあった。牧口会長、戸田会長までは創価学会の仏法違背は軽かったが池田大作に於いては余りにも激しく狂気に近い。日達上人は創価学会員の幸せのため池田大作の横暴を寛大に許し続けておられた。
 例えば、昭和四十八年十月十四日、正本堂東側広場に於いて池田大作は時の御法主上人猊下であられる第六十六世日達上人を信徒が大勢いる中で罵声を浴びせた事件には池田大作の救いようのない慢心、増上慢が見られる。ここまで来ると池田大作は大仏敵であり堕地獄間違いなしと思われる。「堕地獄間違いない人には生前には罰の現象が現れない」という仏典の一節がある。この頃からすでに創価学会は大謗法になっていた。
 平成二年には宗門蔑恕、宗門からの独立のスピーチを行い始めたが、これは昭和五十年頃からすでに池田大作により計画されていたことである。
 また『一人の人間に於ける偉大な人間革命は一国の人間革命を成し遂げ、やがて全世界の人間革命をも可能にする。』という言葉が昭和四十九年頃に作られた映画「人間革命」の主題であった。思い上がり甚だしいが、この「一人」とは池田大作であることは明白であった。このとき池田大作の魔性にはっきりと気付くべきであったと私は反省している。私はその矛盾に気付きながらも必死で疑いを押し殺す純粋過ぎる少年であった。
「日蓮大聖人の仏法でないものが全世界に広がっても広宣流布ではない」と日達上人は言われた。
 日達上人の慈悲溢れる寛大な処遇を池田大作は有り難くも思わず、宗門への攻撃を強め続け、遂には自ら破門の道を選択した。池田大作は自らの野望のために創価学会員の幸せを奪った。池田大作は自分がトップになりたかった。しかし宗門がそれを阻んでいた。破門の道は創価学会(池田大作)にとっては宗門の束縛から自由になるための解放の道であった。しかし堕地獄への道でもあった。創価学会員は真面目に信仰を続けた人ほど親族また自身が不幸になっている。創価学会員の生活保護所帯の多さからもそれは言える。もともと貧乏人が多かったから生活保護所帯が異常に多いのではない。中流階級と言えた人たちが不幸にも失墜して多く生活保護所帯になっている。「師が地獄へ堕ちるなら弟子も地獄へ付いてゆくのが師弟の道」という間違った師弟の道を池田大作は説いていた。「師が間違っていれば師を諫めるのが本当の師弟の道」である。これは日達上人が諫めたことである。
 現在、創価学会は暴力団以上と世間から非難されている。聖教新聞の読むに耐えない造反者に対する個人攻撃はあまりにも酷く、世界最低の新聞と私は思う。これを友人たちに無理矢理、購入させていた私は今になって非常に反省している。
 現在は創価学会で病気を治すことは不可能になっている。それはちょうど平成五年に創価学会が独自の御本尊を配布始めた頃からだ。日蓮正宗には「血脈相譲」という他宗他派には見られない理論がある。血脈が絶った御本尊には仏の力は存在せず、“魔”の力しか存在しない。“魔”の御本尊に病気治癒を祈ると却って病気が酷くなるのは当然である。また“魔”の御本尊に祈ると悪いことが起きるのは当然である。また“魔”の御本尊に祈っていれば人生が下降線に陥るのも当然である。
 実際、“魔”の御本尊に祈っても歓喜は少ししか湧かない。あまり元気になれない。そのためか最近は勤行唱題を長時間行う学会員は非常に少なくなってきている。以前、日達上人の御本尊に勤行唱題していたときは心も体も軽くなっていた。“魔”の御本尊ではそういうことは起こらない。
 “魔”の御本尊に勤行するとリストカットをしてしまう男子部地区部長がいる。不可抗力でリストカットをしてしまうそうである。この男子部地区部長はドクター部の精神科医より勤行厳禁とされている。しかし、信仰熱心であるため、勤行をしてしまうのである。
 “魔”の御本尊の半径二メートル以内では「死ね、死ね」という幻聴が聞こえる婦人部がいる。半径二メートル以外では聞こえない。

『謗法を見て呵責せずんば与同罪なり』
 日本には病気などにより一生を台無しにした人たちが無数に居る。池田大作が悪鬼を創価学会に雪崩のように呼び入れたためだ。現在も彼らは病気で苦しんでいる。信仰熱心過ぎる程であった故に病気になってしまった人たちである。池田大作が居なければ、そういう不幸なことは起こらなかったはずだ。
 不慮の事故で亡くなった方たちもたくさん居る。特に熱心な人ほど不慮の事故で亡くなる。これも池田大作が悪鬼を雪崩のように創価学会に呼び入れたためだ。
 事業や商売が倒産して苦渋をなめた人たちもたくさん居る。特に熱心な人ほど事業や商売が倒産する。これも池田大作が悪鬼を雪崩のように創価学会に呼び入れたためだ。
 ガンで亡くなった人たちがあまりにも多い。特に熱心な人ほどガンで亡くなる。例えば創価学会で最も弁が立つと言われていた西口副会長は舌ガンで五十一歳にして亡くなった。原田新会長とともに将来を嘱望されていた野崎副会長も若くしてガンで亡くなった。地方の大幹部もガンで亡くなる人が多い。これも池田大作が悪鬼を雪崩のように創価学会に呼び入れたためだ。
 何故、最高幹部たちは池田大作に追従する態度を貫くのか? それは生活のためお金のためであるのか? 裏切り者と非難されるのを怖れるためか?
『謗法を見て呵責せずんば与同罪なり』の御文を考えるなら正しいことを主張するべきである。学会の最高幹部という地位にしがみつくのが「世渡り、要領」と考えているのか? 正義感は無いのか? スターリンの恐怖政治のようなものが行われているからか? 池田大作の間違いには気付いているはずである。
 もし、池田大作亡き後、『池田大作礼賛』が行われるならば創価学会は完全な邪宗から立ち直ることはできない。創価学会員は苦しむことになる。
 しかし、『池田大作批判』が公然と聖教新聞上で激しく行われるならば創価学会は蘇生するだろう。そして創価学会員は幸せになれる。
 現在、創価学会本部および聖教新聞社は完全に池田大作に押さえられている。しかし創価学会本部および聖教新聞社の社員が団結して立ち上がるならば『池田大作批判』は起こり得る。
 側近は池田大作の本性を知っているはずである。それとも末端の会員が不幸になろうと、自分たちさえ安穏で良ければ良いという考えなのか? 創価学会本部および聖教新聞社および地方の本部会館職員および外郭団体の給料は良いのである。中堅企業並みと言って良い。造反者が出るたびに給料は良くなっていった。つまり造反者が出ないように給料を良くしているのである。
 創価学会の中枢部は腐敗が甚だしい。金庫事件(ゴミ捨て場に一億七千五百万円という大金の入った金庫が捨てられていた事件。創価学会の金庫番または陰の会長と言われた中西氏が創価学会本部の地下室に保管していたもの)のように創価学会の中枢部は池田大作の姿を日常的に見ている故に、各県の中心者(各県の中心者は大概、しっかりしている。しかし、本部から派遣の大幹部はその限りではない)と異なり堕落甚だしいのである。中西氏は原島嵩氏が池田大作を諫めようとした際、「あれには何を言っても無駄だ」と言ったことで有名である。また、第一次宗門戦争(このとき数万単位の創価学会員が法華講に入った)の際、池田大作に愛想を尽かし、退職届を出したことでも有名である。以来、中西氏は毎日、読書三昧という閑職に追い遣られた。解雇すると内部事情を熟知しているため、内部告発されないように学会内部で飼い殺ししているのである。中西氏は池田大作、北条会長、秋谷会長と同じく戸田門下生である。
 秋谷会長が同時放送で池田大作から暴言を浴びせられる光景を幾度となく見てきた。一度は踊ることを強制され、秋谷会長は踊った。すべて全国幹部会の時である。秋谷会長は池田大作より二歳年下であり、戸田門下生である。池田大作の戸田門下生を嫌うことは有名である。現在、創価学会の要職はほとんど池田門下生で占められている。戸田門下生なら池田大作に諌言することができるからである。現在の原田会長は池田門下生になる。諫言する者が居ない現在、池田大作は何を命令するか解らない。純粋で熱血的な青年部はテロも行うだろう。
 自分の立身出世のため、あるいは生活のため、創価学会にしがみつき、池田大作に奴隷のように仕えているのが創価学会最高幹部達である。多くは信仰心を失っているのではないかと推測される。それは彼らの年数千万という高給から推測される。


「法華経」は奇跡の教典  
 古来より「法華経」は奇跡の教典と言われてきた。もの凄い力のある教典故に「奇跡の教典」と言われてきた。歓喜が凄い、とても元気になる、不思議な教典と言われてきた。それは最澄が日本へ中国より持ち帰って来る以前より中国などに於いて、そのように言われてきた。
「法華経」は釈迦が説いたものではなく、西暦五百年頃に発生したという意見が多くを占める。それは自然発生的に発生したのか、誰が説いたものか、謎という意見が多い。釈迦は原始仏教のみを説いたという説が強い。
 故に、五時八経の説は天台がこじつけた間違った考えという意見が多い。しかし、「法華経」がもの凄い力のある「奇跡の教典」であることは変わりがない。天台がこじつけた五時八経の説が間違いであろうと、「法華経」は釈迦が説いたものではないとしても、そういうことは問題ではない。
「法華経」こそ万人のための教典であった。何時、誰が説いたか、誰が作ったか、解らない、教典であった。その力はもの凄い。畏れ多い最強の教典なのである。
 宗教的エクスタシーが日蓮宗には強い。また、それは富士派に極めて強く、身延派には弱い。これは一般的に排他的な宗派に強く、排他的ではない宗派には弱い。不受不施派には極めて強かったと推測される。
 この日蓮宗には「元気になる」「怖いものがなくなる」「苦しみの中にも生命の歓喜と躍動がある」という良い点がある。イスラム原理主義にこういう歓喜があるのか?と考えると、それは否定的だ。これは法華経の専売特許である。社会の底辺に苦しむ人たちに生きる希望と勇気を与えることがこの信仰はできる。


 しかし、創価学会は間違った。池田大作が権力を握った頃、誤ってしまった。それは昭和三十五年頃になるだろう。そこから悪鬼が創価学会に雪崩れ込み、創価学会員に次々と不幸が襲うようになった。池田大作はもともと大悪鬼であって広宣流布を頓挫させるためにこの世に現れたと推測される。先に書いた「智者の身に…」ではない。第一、池田大作は元暴力団という説もある(少なくとも戦後のどさくさの時、暴力団で高利貸しの手伝いを行っていたということは事実のようである。山崎正友氏が書かれている)。同時放送ではその片鱗が見える。
 もし、池田大作が大悪鬼でなければ広宣流布は成し遂げられていた可能性もある。石田次男氏が第三代会長になっていたら良かったのであるが、権力欲の固まりの池田大作が第三代会長になってしまった。そして池田大作が悪鬼を創価学会に大量に雪崩れ込ませ、創価学会員に不幸なことがたくさん起こるようにしてしまった。そして広宣流布は頓挫した。
「権力欲の塊である池田大作の狂気のために創価学会員に不幸が競い起こっているし、広宣流布が頓挫している。また選挙が第一となり、献金が第二となり、折伏が第三となっている」「池田大作は権力欲の塊である。そのために選挙が第一となっている」  
「人間革命」では池田大作が広宣流布を一人で推進させたようになっているが、現実では広宣流布は名もない一人一人の庶民の血の滲むような努力の結晶であり、「人間革命」に書かれてあることは池田大作を神格化させるよう嘘に満ちていることは良く言われていることである。
 もしも、池田大作の死後、池田大作の神格化が行われたら、池田大作が招き入れた無数の悪鬼は創価学会から去らず、創価学会員に不幸が競い起こり続ける。そして創価学会は弱体化してゆく。
 しかし、池田大作の死後、池田大作否定が行われたら、創価学会より悪鬼は逃げ去り、創価学会員は幸せになってゆくであろう。そして広宣流布は再び進展してゆく。
 韓国の情勢を見て解るように池田大作否定が行われないならば分裂は必ず起こる。池田大作がおかしいと気付いている創価学会員は多数存在する。しかし、池田大作を神格化している創価学会員も多数存在する。分裂は避けられない、というのが現在の一般的な見解である。池田派、反池田派と分裂し骨肉の争いが起こるということが現在の一般的な見解である。
 第一次、第二次宗門戦争のように池田派は創価学会に残り、反池田派は宗門へゆく、という見解が現在の一般的見解である。家庭崩壊を避けるために第一次、第二次宗門戦争のように創価学会に残り、白けながらも慎ましやかに信仰を続ける人たち(とくに壮年部)が多数発生するであろう。心の中に「池田大作への批判」を強く持ちながらも、家庭崩壊を避けるために創価学会に残る壮年が多数発生するであろう。
 賢明な婦人は池田大作の欺瞞性に気付くが、その数は少ない。女性は批判精神が弱く盲信から抜け出すことが難しい。しかし宗門に移っている人は信仰強情な人ばかりと言って良く、女性の方が宗門に移るのが多い地区、支部も多い。信仰を適当に行っている人は創価学会に残っている。周囲の反対や抗議に抗してまで宗門に移る情熱が無いからだ。信仰に対する疑問を抱きながらも、そのまま創価家族の中に安穏と住していたいからだ。
 例えば「ユダヤ教は母親がユダヤ教徒であれば子供はユダヤ教徒と見なされるが、父親のみがユダヤ教徒であれば子供はユダヤ教徒とは見なされない」。
「かつてキリスト教徒の女性はキリスト教の男性と結婚することは許されず、異教徒と結婚することしか許されなかった。しかし、この定めによりキリスト教は拡大してゆき全ヨーロッパに弘まった」
 しかし現在では創価学会の女性は創価学会の男性と結婚しなければ信仰を続けることが難しいと言われている。信仰熱心な家庭は子女を創価学会員以外の男性と結婚させることはなかなか許さない。もしも創価学会員以外の男性であれば、その男性を創価学会に入会させて結婚するのが常識となっている。
 時代の変化により、人々の信仰心が薄くなった故である。昔は人々の信仰心は極めて篤かった。信仰を捨てることを昔の人々はなかなかしなかった。また、キリスト教で火焙りの刑に処されるのは「魔女狩り」で有名なように女性が大部分であった。男性は火焙りの刑を怖れ、キリストの信仰を棄てるのが普通であった。また、キリスト教では神から与えられた命を自ら奪うことは厳禁とされており、火焙りの刑の苦しみから逃れようと男性は舌を噛み切って苦しみから早く逃れようとするが女性は舌を自ら噛み切るという神の教えに叛することを行うことはなかった。

 そして不受不施派のことであるが、これは岡山県に存在する。日蓮宗富士派の一系統とされる。日蓮宗は釈迦を本仏とする身延派と日蓮を本仏とする富士派に分けられる。身延派は釈迦を本仏としている故に他教団との折り合いが良かった。しかし日蓮を本仏とする富士派はその厳格で頑なな教義故に(日蓮大聖人の御書を読むとこちらが正しいことが解る。すなわち日蓮大聖人の教えは厳格で頑なである。創価学会の現在の邪宗との馴れ合いは謗法である)余りにも厳格であり度々、迫害を受けてきた。江戸時代の金沢法難、仙台法難などがある。
 不受不施派は富士派より遙かに大聖人の教えを頑なに守り、他宗を信ずる人からの布施は受けない、他宗に施しは決して行わない、など徹底していた。大聖人の御書を読むと確かに不受不施派の主張が正しく思われる。日蓮大聖人の手紙などを集積したものである御書を読むと、如何に日蓮大聖人の他宗排除が強かったかが理解される。不受不施派は日蓮大聖人の教えの通りに振る舞う極めて厳格な宗派であった。不受不施派に入いると必ず当時の権力者に日蓮大聖人が「立正安国論」を提出したように諫行書を提出しなければならないようになっていた。諫行書を幕府に提出したならば遠島になるのが当時の習わしであった。八丈島などに遠島になっていた。それ故に、江戸時代では「切支丹と不受不施派には絶対に入るな!」と民間の間で言われていた。しかし、切支丹は死罪の中でももっとも重い火焙りの刑であったが不受不施派は遠島のみであり幕府は不受不施派には脅威は抱いておらず比較的穏健な刑で済んでいた。不受不施派はそれ故に寺を設けることはできず、明治時代になっても現在まで寺はなかった。現在、岡山県にただ一つ寺院がある。
 不受不施派は捕らえられても仲間のことを口外しないよう修行中より身をどんなに激しく打たれても耐えられるように鍛練をしていたという。つまり、どのような拷問にも仲間のことを口にしないように耐えられるよう日頃から訓練をしていたという。この清廉潔白さ、頭が下がる。こういう講が現在も有れば、どんなに素晴らしいだろう。
 私は隠れて法華講に入るかもしれない。今日にでもお寺に行くかもしれない。「創価学会を正式に脱会しないでも法華講に入れる」と最近、聞いた(しかし「隠れ法華講」として過ごすことになる)。創価学会には選挙のたびに嫌気がさしていた。同時放送はあまりにも馬鹿みたいだ。座談会でも池田大作の捏造された過去の作り話を「大百蓮華」を教本に本当のことのように読んでゆく。

(補記)日蓮大聖人の御書には後世の人が造った偽書が半分近くを占めていることが最近の研究により分かってきた。狂信者が偽書を作成したと推測される。あまりにも激しすぎる他宗批難の書は偽書の可能性が高いようである。


池田大作の悪行
 私が男子部の頃、友人を同時放送に連れて行ったとき『あの傲慢な態度は何か? 宗教指導者とはとても思えない。権力欲に燃えた暴君ではないか!』と言われたとき、その頃は純真に信仰していた私は友人のその言葉を悲しく思った。
 私も中学生・高校生の頃は池田大作の写真を机の前に置いて勉強していた。青年部の活動が終わった深夜、体を鍛えるために池田大作の名を唱えながら懸命に走っていた。何も知らなかったあの頃は辛く厳しかったけれども充実していた。宿業の嵐は吹き荒れながらも御本尊様の前に座り題目を唱えて耐えてきた。しかし、苦し過ぎた。
 今は、あれが宿業であったのか、それとも池田大作が創価学会に招き寄せた悪鬼の仕業であったのか、判然としない。その両方であったと思われる。
 男子部の頃、病に倒れ、信仰に疑いの心を抱き、退転し、自殺していった同志が二人いた(二人ともマンションからの飛び降り自殺であった)。あれは池田大作が創価学会に招き入れた無数の悪鬼に依るものであると思う。
 借金で一家離散になった家族がいた。あれも池田大作が創価学会に招き入れた無数の悪鬼に依るものと思う。
 大悪鬼のご機嫌伺いをしながら側近たちは一日一日を送っている。もはや総理大臣になれないことが解ったこの権力欲の醜い肉塊(大悪鬼)は、今でも公明党を裏から支配している。我々は五十年もの間、選挙の度に家庭や仕事を抛って選挙運動を行わされてきたのはこの権力欲の醜い肉塊(コモドドラゴン)を一国の首相にさせるためだったのだ(山崎正友氏らの内部告発)。
 選挙運動には大きな功徳があると同時放送などで言い、功徳の欲しい苦しみ悩んでいる主に婦人部を懸命の選挙運動に走らせた。それは選挙違反を超えるまで選挙運動に駆り立てた。警察は創価学会員の選挙違反は大目に見てきた。公明党との癒着があったからである。しかし布教が進まず、もはや総理大臣になれないと解ったとき池田大作は激怒した。池田大作は自分が総理大臣になったときの閣僚の名簿を造っていたほどである。
 池田大作は重い糖尿病を患いながらも側近のお抱えの医師に最高水準の医療を尽くさせ、現在、八十二歳まで生きてきたが、池田大作はもはや明日にも脳梗塞または心筋梗塞で倒れる状態にある。重い糖尿病ながらも一個三万円もする最高級メロンには目がなく、それにかぶり付く姿は権力欲の肉塊コモドドラゴンとも言える。
 この権力欲の肉塊、権力欲の大悪鬼、コモドドラゴンが亡くなったときが、創価学会が飛躍するか瓦解するかの岐路となる。そのとき側近たちがどう動くかが人類の幸不幸を握っているといっても過言ではない。側近たちが賢明に動くことを期待するしかない。
 それとも我々が外から動くか? 未だ、側近たちは動かないでいる(3月10日2010年)。側近たちには信仰心がないのか? ただ自分たちの今世の幸せ(安穏)のみを願っているのか? 
 公に法華講に移ることは私にとっては不可能である。古くから信仰している実家の両親への嫌がらせがある。00のあの人のように創価学会に残り続けて創価学会を内部から改革してゆくか? しかし創価学会の中枢部は池田大作により腐敗堕落が激し過ぎ、改革不能という意見が多い。新しい創価学会を別に造ればいいんだ。
 韓国で進んでいる創価学会反主流派に属したつもりでゆこうか? 「善の連帯」という韓国の創価学会反主流派は正しい。韓国では創価学会主流派と創価学会反主流派が同じ程度の勢力にまでなっていると言われる。このことは支部長(または本部長)以上の幹部しか知らない。しかし最近三年間ほどの情報は全く途絶えている。意図的な何かが働いているとも思える。
 海外は創価学会は崩壊近くなっているところが多く、日蓮正宗の方が創価学会よりも信者数では多い。スペインの指導者は公然と池田大作に反旗を翻した。他の国に於いてもその国の創価学会のナンバー一が池田大作に反旗を翻し、創価学会が瓦解したところは多い。ガーナ、台湾などたくさんある。スペインSGIの責任者は「スペインの大学に行って池田大作に授与する賞を貰ってこい!」と日本の創価学会本部から指令を受けたと告白している。それに反抗し反旗を翻したということである。


 昭和四十八年、池田大作は八体の御本尊を業者に依頼して造らせた。その一体は創価学会本部にある。創価学会本部の七階に安置されている。これは「正本堂が御遺命の戒壇であることの証明の御本尊である」と池田大作は言っている。その御本尊が創価学会本部の七階に一体、安置されている。しかしこの一体は日達上人により開眼供養が為された。
 七体は総本山に返納された。この本尊模刻事件が第一次宗門戦争の大きな要因になった。そこには池田大作の自分が御本尊を造っても良いとする自己愛性パーソナリティ障害(すなわち自分が日蓮大聖人よりも偉いという自己愛性パーソナリティ障害)が見られる。
 御本尊は代々の猊下が丑虎勤行の後に一体一体書写するものである。現在、出回っている“魔”の御本尊のように(創価学会製の日寛上人の御本尊のように)印刷機で造るものではない。印刷機で造られた一体百五十円の御本尊には全く力が無い。それどころか“魔”の力が宿っている。その“魔”の御本尊を拝めば拝むほど不幸になってゆく。
「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」(『大白蓮華』昭和三十四年七月号九頁・戸田城聖)
「魔性が入っている。魔性の力が入っている」御本尊を拝む創価学会員はどんどん不幸になってゆくであろう。知らず知らずのうちに不幸の泥沼に陥ってゆくであろう。創価学会員は教学をしなければならない。しかも本当の教学をしなければならない。現在、創価学会員は教学をしなくなっている。選挙運動と友好活動に汲々としている。
 教学をすると「本尊模刻」がどれほどの謗法に当たるかが分かるであろう。第一次宗門戦争のとき、宗門に移った人たちは大部分が教学をよく勉強していた。教学を日頃からよく勉強している人たちが宗門に移った。原島嵩氏は「本尊模刻」すなわち本尊偽造の罪は万死に値すると書かれている。また、「本尊模刻」は狂気の沙汰で「頭破作七分」(心破作七分とも言う)の所業と書かれている。

 池田大作の宗門支配(または宗門からの独立)の陰謀はあからさまには昭和五十二年元旦から始まった。元旦の挨拶は日蓮正宗攻撃で満ちていた。それまで池田大作の宗門への横暴を寛大に許してきた日達上人への恩を仇で返すものであった。日達上人もここに来て堪忍袋の緒を切らした。
 このときは妙信講問題(正本堂を造ったことが謗法に当たるということ)、松本勝彌氏の裁判問題(正本堂基金返還訴訟。正本堂が国立戒壇といわれて基金したが後に正本堂は国立戒壇ではないと創価学会が主張し始めたことにより、創価学会を詐欺として裁判所に基金返還訴訟を起こしていた)が片付いてはいなかった。松本勝彌氏は民音で働いていた。
「池田大作は自身のノーベル平和賞受賞のために会員に多大な負担をかけて平気でいる。その池田大作の欺瞞性をこの裁判を通じて明らかにしてゆきたい。池田大作から騙され続けている三百万の学会員に目覚めてもらいたい。池田大作は信仰心が全く無く、勤行をしていない。池田大作のとって宗教とはビジネスなのである。ただ、自身のノーベル平和賞受賞のために会員に多大な負担をかけている。死後の世界はおそらく信じていないであろう。何故なら仏典に照らして池田大作の無間地獄行きは決定しているからである」
 松本勝彌氏は貧しい学会員から搾り取った正本堂建造のための募金返還運動に立ち上がること(造反)を決意した。十数名の仲間と一緒に造反した。松本勝彌氏は千葉県保田町にある大本山妙本寺の日蓮大聖人御真筆御本尊“末法万年救護の大本尊”こそ正しい本尊であり、日蓮大聖人の正流は妙本寺にある、と信じて行動していた。すなわち日蓮大聖人の出世の本懐とされる御本尊は大石寺の大御本尊ではなく“末法万年救護の大本尊”こそ出世の本懐とされる御本尊であると信じて行動していた。
その頃は学会員は経済的に貧しく、地区や支部の民音担当者および無理に買わされた会員たちの経済的労苦は大変であることを池田大作は知らなかったはずがない。池田大作の野望の下に設立されたのが民音である。これは池田大作のノーベル平和賞獲得のためであった。そして松本勝彌氏はありもしない金銭スキャンダルなどをでっち上げられ懲戒免職された。
 民音とは非常に奇妙な組織である。昭和四十年頃、私も民音のコンサートに行ったことがある。その頃の私の家は明日にでも夜逃げかという非常に厳しい経済状況であった。それなのに民音の券を脅迫的に買わされ、近くの公会堂に一家全員で見に行ったが、少しも面白くなく馬鹿らしく、帰り際、自分は椅子の間に足を挟まれ、片足が千切れるような苦しみを味わった。救急車は貧乏でお金がないため呼ばれなかった。
 その他、いろいろな事件が息を吹き返してくる可能性があった。山崎正友氏は宗門攻撃を中止するように進言した。そしてそれが学会首脳に受け入られ宗門攻撃は一端、中止することとなった。しかし、日達上人の反撃は昭和五十二年七月から始まった。その頃は創価学会が民社党の池田大作豪華私室を国会で取り上げると言っていたため弱り切っていたときでもあった。日達上人の弟子の一人が池田大作の講演の誤りを正面切って指摘したのを始めとして、創価学会の教義逸脱の指摘が大々的に行われ始めていた。
 そして昭和五十三年七月、教義逸脱の訂正。九月、業者に依頼して勝手に模刻した(このことからも池田大作には全く信仰心がないことが解る)七体の御本尊の返納(勝手に模刻したのは八体有った。一体は学会本部に常住御本尊として安置されている)。十月のお詫び登山。五十四年四月の池田大作の会長辞任へと進んだ。
 しかしここで“魔”の暗躍が始まった。“魔”の正体はある外典に詳しく書かれてある(十八世紀の霊能力者のスウェーデンボルク)。“魔”とは「人間の幸福を激しく憎み、人間の苦しむ様子を喜ぶ、外見は酷く醜い存在である」。
 日達上人は昭和五十四年七月二十二日、急死された。日達上人の晩年は創価学会の横暴と戦う日々であった。

 
個人攻撃について
 竹入義勝氏が高価な盆栽などを買い集めていたなどと聖教新聞などには個人攻撃として書かれていたが、竹入義勝氏は議員研修会のときは「朝から夜まで御書講義ばかり」のことはほとんど知られていないようだ。おそらくこのとき衆議院や参議院の議員も含まれていたと思われる。幾部屋にも分かれて放送を聞いていたそうである。何処で行われていたかは知らない。
 私の知っている市会議員さんが竹入義勝氏の事件が起こったとき、学会の会合に訪れて語られた。毎回(おそらく日本全国、国会議員も含まれていたと思われる)の公明党議員研修会のとき「朝から夜まで竹入委員長の御書講義ばかり」であったため毎回、閉口していたそうである。政治のことは一切語られなかった。毎回、分厚い御書だけを持参しての公明党研修会だったそうである。「御書が全ての根本である。他(政治の勉強)は枝葉末節のことである」「政治の勉強は自分でしなさい」と徹底していた。幾部屋にも別れてスピーカーより聞いていたそうである。竹入義勝氏は大きな部屋で主に国会議員相手に講義をしていたと思われる。
 それ故、「竹入委員長がそのようなことをするとは信じられない」と語っていた。また「私が最も尊敬しているのは昔も今も竹入委員長である」とも語っていた。司会の本部長は慌てふためいていた。
 竹入義勝氏は陸軍士官学校卒と嘘の略歴で通っていたが、その略歴は公明党の委員長たる人であるために池田大作が勝手に造った。竹入義勝氏は一族全員、長野県の古くからの日蓮正宗の熱烈な信者であった。
 矢野絢也氏は「永田町を語る」ことで一時、テレビ番組のレギュラーになったが、創価学会の圧力(すなわち池田大作の鶴の一声)で降ろされた。
 竹入義勝氏たちができなかった創価学会の改革を自分たちができるとは考えられない、という諦観が創価学会中枢部に浸透しているため、側近もなかなか反旗を翻すことができない。それとも池田大作の死を待っているのか?

「忘恩の徒は竹入義勝氏ではない。忘恩の徒は、貴方、池田大作だ。貴方は今までたくさんの創価学会員のために現在まで極めて優雅な生活を送ることができた。それは一国の王よりも優雅な生活だった。たくさんの創価学会員はあなたのために塗炭の苦しみを忍び耐えてきた。池田大作は金正日に酷似している」

 創価学会執行部は「日顕の死」を朝晩熱心に祈るように創価学会員に強制した。これは創価学会執行部から出されたものであるが、池田大作の鶴の一声であったことは確実である。私は創価学会員の仏壇に「日顕の死」と書かれた祈念の紙が置かれていたとき驚いた。その一家はその罰か、現在、不幸に喘いでいる。現在は元々、熱心だった創価学会の家庭は多くが不幸に喘いでいる。熱心でなかった創価学会の家庭は現在、比較的、幸せである。
 また、祖父または祖母が非常に熱心であれば、孫が病気や事故などで非常に苦しむことになることを幾つも経験してきた。ある男子部員が統合失調症に罹患した。始めは罹患した理由が分からなかった。しかし、祖父が草創期からの熱心な創価学会の信者であり、今も一日三時間の唱題を欠かさないという。祖父の罰が孫に現れたのであった。孫が可愛ければ創価学会を辞め法華講に入るべきである。
 現在、日本の創価学会員の間に池田大作の本性に気付いた人は多数存在するため、池田大作の死後、日本の創価学会の分裂は避けられない状況にあるかもしれない。ただ、池田大作の本性に気付いた人たち(ほとんどが壮年部あるいは男子部)は信仰への情熱を急速に失ってしまい、未活動家の状況に陥ってしまう傾向性がある。「スリープ」と呼ばれる人たちである。私もその一人である。婦人部は信仰熱心で池田大作の悪行に盲目であるため、自身(壮年部あるいは男子部)が創価学会を脱会し法華講に入ると家庭崩壊(子供は普通、女性に取られてしまう)が起こってしまうことを怖れるからである。
 池田大作の本性に気付いた人たちの横の連帯は日本に於いてはインターネット上で密かに行われているに過ぎない。それは少数ずつの連帯であり、韓国のような大規模な組織化が全く成されていない。韓国人と異なり日本人の穏やかな国民性故、日本では反池田大作を公然と行うことが許されない状況下にある故、インターネットが韓国の程には国民に浸透していない故、日本人は信仰心が強くない故、などと思われる。国会乱闘も日本は穏やかであるが、韓国の国会乱闘は凄まじい。
 日本に於いては反池田大作を宣言することは池田大作を神様と仰ぐ狂信的な創価学会員よりの激しい批判・攻撃と家庭崩壊を覚悟しなければならない。家庭崩壊は婦人部の批判力の無さ故である。
 ある老人(男性)が言っていた。「池田先生は天才だから何でも解る。池田先生は仏様である」これを聞いたとき、この老人の救いようのなさに唖然とした。この老人は壮年部の間、支部長として活躍してきた。信仰歴は五十年になる。男性でも五十年信仰してきたにも拘わらず、池田大作の間違いを気付かない人は少数ながら存在する。この老人は学会活動に五十年の年月を捧げてきた。学会活動を優先し仕事は勝手に早めに切り上げたりするため、何度も解雇になり、家族は貧乏のどん底で苦しんできた。
 私は師弟不二が無いと激しく批判されてきたし、そのことで激しく罵倒されることは頻繁にあった。「池田大作と呼吸を一緒にせよ」と指導されてきた。私は二十年以上前より池田大作を神様と仰ぐ創価学会員の傾向性を狂気として間違っていると思ってきた。信仰の師匠であり、神格化することは誤りであると考えてきた。池田大作を神様と仰ぐ傾向性は上級の幹部クラスほど強い。また、池田大作を神様と仰いでいないと創価学会に於ける役職が上の方に行かない傾向性が強いし、池田大作を神様と仰ぐ指導が徹底している。また、池田大作を神様と仰いでいないと本部の職員に成ることは不可能である。「池田大作本仏論」が創価学会内で浸透しきっている。


反乱の序曲
 前回の参議院統一選挙の前、三重県の学会員が連名で「次の参議院選挙のとき、学会員に選挙活動をすると大きな功徳が有ると言って、学会員を唆すことは行わないでもらいたい」という趣旨の意見書を提出した。このように数人でも良い、反池田派が結束して行動を起こすべきだ。
 大分の乱(別称、九州の乱)は次のようなものであった。大分県に創価学会の巨大な墓園を建設するとき、九州創価学会の長が墓園を造る業者から多額の賄賂を貰っていたということで、その墓園の近くの創価学会員が数名でこのことを東京の創価学会会館に提訴に来たが、創価学会からの除名処分を受けただけで、その九州創価学会の長は何の咎めもなかった、そして大分創価学会には福岡より週末ごとに大幹部が大勢でその地方の創価学会員を説得して回ったが、結局、大分のその地方の創価学会員は多数、創価学会より離反してしまった。その九州創価学会の長を批判したのはその地方の大分創価学会の長であり、その人は非常に人望厚く、多数がその大分創価学会の長に付いて行った。詳しくはインターネットより「大分の乱」もしくは「九州の乱」で検索してみると良い。大分は以前の宗門との戦争(第一次?第二次?)のとき、多数が宗門に付き創価学会より去っていったことで有名である。



「財務」は中世の免罪符
 財務に関する事件として「サラ金侵入放火事件」というものがある。これは財務によって生活苦に陥りサラ金に手を出した千葉県市川市の熱心な活動家・宮島嘉治は返済に窮し借金していたサラ金「ローンズ日立」に押し入りガソリンをぶちまけ放火、自殺を図った。しかし、これは氷山の一角である。

 中等部担当となっていたとき、ある優秀な女子中等部員が高校受験に失敗した。確実と見られていた本命および万一のときのための滑り止めの高校にも落ちた。そして彼女は三流高校に進学し、受験失敗の悔しさの果て、スケバンになった。
 何故、二つの高校とも落ちたのか全く信じられなかった。その理由は後になって判明した。
 その理由は彼女の叔父さんが遺産として手に入れた三千万円をそのまま「財務」に献上したということであった。「財務」が年末、合格確実であった二つの高校の試験が翌年の一月と三月にそれぞれ行われた。彼女が間違いなく合格確実であった二つの高校に落ちたのは、叔父さんが三千万円をそのまま「財務」に献上した呪いであったのだ。それを知ったとき私は創価学会の魔性に呆れ果てたことを憶えている。
 創価学会員が確実視されていた学校に落ちることは第二部の終わりに書いたように非常に多くあった。しかし、現世利益を説く創価学会に於いてはそういう話をすることは禁句になっていた。功徳でもないものを功徳と言って持て囃すのがその頃の創価学会であった(特に婦人部)。現在は創価学会の信仰を熱心にすると高校や大学に合格するなどとは言わなくなっている。また創価学会の信仰を熱心にすると病気が治るとも言わなくなっている。現在は、熱心にすると不幸なことが起こるから不熱心に信仰しようと言う壮年部は多い。今までの三十年、四十年の経験から分析して壮年部はそう言うのである。婦人部はしかし、そういうことは言わない。婦人部は分析力が無い。
 私も毎年百万円の財務を十三年間行ってきた。しかし幸せになるどころか、どんどんと行き詰まりへと追い遣られた。そして三年前に創価学会の矛盾にはっきりと気が付いた。遅かった。人生はやり直しが効かない。

 財務の時期になると夫婦喧嘩が絶えないという創価学会の家庭は多い。すべて信仰熱心な婦人部と創価学会(池田大作)に疑いを持った壮年部、男子部との喧嘩である。離婚も創価学会員の家庭には極めて多い。それは財務の時の夫婦喧嘩によるものと考えられる。私は偽りの財務の功徳体験を代筆させられた経験がある。
 例えば「結婚資金として貯めていた二百五十万円を財務に寄付したら、結婚資金は要らないという非常に良い結婚話が持ち上がり、現在は幸せに暮らしている」という内容を代筆したことがある。実際は結婚は悲惨であり、姑に虐げられた日々を送り、離婚(勝手に家を飛び出した)という内容が真実である。
 そして多額の財務をする人は後に生活保護になる人が極めて多い。貯金を全くしていないからである。生活保護の申請に公明党の市会議員が奔走していた。ある公明党の市会議員は「仕事は生活保護の申請がほとんど。市会議員にはなるものではない」と言っていた。
 
 私は広布基金をするためサラ金から金を借り、それが返済不能となり、一家離散になった一家を知っている。それはもう二十五年も前のことになる。借りたのはその家のお母さんだが、サラ金は毎日のように家にいる義理の娘の所へ電話をしてきていた。義理の娘は「気が狂ってしまいそうです!」と言っていた。その家のお母さんとお父さんはサラ金業者から逃げてある処へ身を隠していた。そして毎日、唱題に明け暮れていると聞いた。
 広布基金をすると功徳があるという話を信じてそこのお母さんはサラ金から多額の金を借りてまで広布基金をしたが、商売は却って傾き、利子も返せなくなった。
 あるとき、そこの息子に偶然出会った。「今、どうしている?」と聞くと「嫁さんとも別れ、子供は嫁さんが引き取り、自分は今独り身だ」と言う。「両親は?」と聞くと「何処に行ったか、自分にも解らない。音信不通になっている」と言う。
 これは二十五年前のことであるから財務は未だ始まっていなかったと思う。財務は池田大作の勲章漁りと比例して始まっている。財務が始まる前の出来事である。以前は財務はなく広布基金であった。
 創価学会には財務の直前に行われる会館での偽りの体験発表に騙され多額の財務をし、サラ金へ借金が返せなく、一家離散になってしまった家庭が非常に多い。

『創価学会員です。また財務の時期がやってきました。財務とは年に一回、創価学会に寄付をすることです。この時期になると夫婦喧嘩が絶えない家庭が多くあります。私の一家もその一つです。
 妻の一族が創価学会の狂信者で妻の一族はこの財務に全財産を投げ出すことも平気でします。それを私の家庭で行おうとしているらしいのです。
 妻に銀行の預金通帳を預けたのがいけませんでした。妻はその預金通帳を返しません。もう離婚しようかと考えますが子供がいます。
 財務の直前には創価学会の会館で偽りの体験談が発表され、女性はそれを信じて全財産どころかサラ金に借金してまで財務をしようとします。女性は欲深いものです。体験談通りに自分もなりたいと思うのです。そして偽りの体験談を本当のことと信じ込む欲深さがあります。
 偽りの体験談とは「財務をたくさんしたら幸せになった、病気が治った、夫が新しい給料のとても良い会社に就職することができた、良い縁談が来て今は幸せに暮らしている」などです。すべて偽りです。でも女性は欲深くそれを信じてしまいます。女性は仏法では「女人成仏し難し」と言われているように欲が深く仏になることができないのです。
 これは一つの大きな社会問題です。どうか国会で取り上げて池田大作の悪を追求していただきたいです。サラ金に追われ一家離散になった家庭も多くあります。サラ金まで手を出さなくとも貯金を全て財務し貧乏のどん底で苦しんでいる家庭は多くあります。
 財務を多くする家庭は子供を大学へ遣ることができません。財務を多くする家庭は子供が合格確実と言われていても中学・高校へ落ちます。財務を多くする家庭はいつも貧しい食事しかできません。財務を多くする家庭はボロで狭い家にしか住めません。財務を多くする家庭は常に喧嘩が絶えません。財務を多くする家庭は不思議にもガンになります。財務を多くする家庭は不思議にも精神的な病(うつ病や統合失調症など)になります。財務を多くする家庭は何故か生活保護になることが多いです。これは一つの大きな社会問題です。
 お願いします。匿名で失礼します。お願いします。』

『私は創価学会員です。今年も強制的に財務(寄付)させられます。昨年も創価学会員のなかから町内で二件夜逃げしました。何とか取材して下さい。これは社会問題です。いろんな悪徳商法がありますが、それ以上です。創価学会の会館に集めて幹部が「私は三桁から四桁(百万から一千万)する。皆さんもできる限り多くして下さい。これは池田会長からの伝言です。私は家を売ってでもしたいんです。」と言います。必ず福運が付くと言いきります。助けて下さい。この時期になると夫婦喧嘩が絶えません。この時期になると顔見知りの幹部が夜遅くまで強要してきます。三桁出しますと言うまで帰りません。三桁出したら子供に服を買ってやるどころか授業料も出せなくなります。私たち創価学会員を助けて下さい。』

 平成元年の財務の直前、京都の学会員から一通の手紙が当時、原島嵩氏が勤めていた継命新聞社に届いた。それをそのまま記す。
『助けてください。私は創価学会の会員です。今年も強制的に寄付させられるのです。今年も学会員の中から町内で二件は夜逃げして何処かへ引っ越してゆきました。何とか取材して助けてください。これは社会問題です。豊田商事とか悪徳商法がありますが、もっともっと酷いやり方です。内容は、たびたび会合に集めて催眠療法でかき立て、幹部は「私は三桁から四桁(百万から一千万)する、皆さんも出来る限り、多くしてください。私は家を売ってでもしたいんです」と言ってかき立てます。いま一銭もなくなっても必ず福運が付くと言い切ります。助けてください。この時期になると夫婦ゲンカが耐えません。寄付金を出さないと、断り切れない顔見知りの幹部が夜遅くまで強要します。「はい、出します」と言うまで帰りません。なんとか創価学会員を助けてください』
 創価学会幼児に至まで広布部員(財務を出す人)にします。まず大口(百万円以上出す人)をどれだけ拡大するか、次に一口(一口は一万円)を二口、三口にする戦い。第三に、新規申込者を徹底して推進します。
 ……そのため一部の会員は、サラ金に手を出して金を捻出します。驚いたことに、東京・大田区の婦人部の活動ノートには、あるサラ金業者からは借りてはいけないとの注意事項まで載っています。ということは、サラ金から借りて財務に応ずることは当たり前になっていルことを示しています。兵庫県尼崎市の民主商工会に置かれた「阪神サラ金被害者の会」の相談コーナーには月に五十件から六十件ものサラ金被害の相談が持ち込まれていますが、なんと、相談者の六割を創価学会員が占めていたとのことです。
 そのため、金策をめぐる犯罪、サラ金による自殺、夜逃げが頻発しています。学会本部では「最近、新聞などで話題になっているサラ金の問題についても、借り易いので利用する人も多いが、家庭の崩壊などの悲劇を招いては、断じてならない」(昭和五十八年六月、本部幹部会、森田一哉理事長談話)などとしていますが、結局は問題が学会上層部に波及しないように、あらかじめ会員へ責任転嫁しているにすぎません。実際には池田のゴリ押しの金集めが幾多の家庭崩壊を招いているのであって、この談話もかえって、いかに多くの会員がサラ金地獄に陥っているかを証明しているようなものです。
(懺悔の告発:山崎正友;日新報道:1994:p141-3)
(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道:2002:p168-70)

 そして有名なものとして、死期間近な病人から「今、御供養金を出せば病気が治る」と言い、貯金通帳から多額の現金を勝手に引き出した事例が複数、報告されている。

 私が以前居た地区には一人暮らしの老人を折伏のターゲットにしている熱心な男子部員が居た。一人暮らしの老人は寂しい。親しくなり、入会、本尊流布までもってゆく。しかし、年老いているため亡くなることが多かった。そのとき遺族との間でもめ事が起こることが良くあった。その、もめ事の仔細は知らない。ただ、遺族に全く連絡が取れなかったり、連絡が取れても遺族が完全に捨ててしまって来ようとしないケースもあった。そういう場合、葬式をどうするか、献体として大学病院に納めるか、いろいろと問題があった。

 創価学会本部では鉛筆一本でさえ池田大作のものという誓約書を創価学会本部職員全員に書かされている。これは池田大作が誰をも信じることができない病的性格のためである。「誰をも信じることができない」つまり池田大作は妄想性パーソナリティ障害なのである。

 「財務」こそ創価学会のアキレス腱である。しかし現在、創価学会はその極めて豊富な資金源によりマスコミ界などに大きな力を持っている。国会で取り上げて「財務」を中止させることである。このままでは創価学会による日本占領が現実のものとなる。
 「財務」による創価学会員の悲惨な現況は大きな社会問題である。上記のような「財務」の明らさまな強制は決して少ない割合ではない。「財務」直前の創価学会会館での偽りの体験談の発表は日本全国で盛んに行われている。偽りと解らずに多額の「財務」をする創価学会員は多い。そして現世利益を呼び台にする創価学会の理論、創価学会が勝手に造り上げた教義解釈が会員の心に脅迫してくる。人の良い人が多い創価学会員はそして多額の「財務」をする。貯金が無くなるまで。サラ金から金を借りてまで。東京の婦人部に出回っていた指示書には、どのサラ金業者から借りること、および借りてはいけないサラ金業者の名前が書いてある。
 それ故の創価学会員の生活保護の多さであり、日本の福祉を食い物にしていると言っても良い。「財務」により人生を棒に振ってしまった創価学会員は多い。
 これは宗教を利用した詐欺であり、詐欺罪で創価学会を訴追するべきである。「財務」は中世の免罪符である。宗教の仮面を借りた詐欺である。中世の免罪符が現在に復活したものである。現在の免罪符とでも言うべき「財務」を中止させるべきである。
 すべて池田大作の命令、池田大作の野心、池田大作の欲望である。善良な会員から金を巻き上げ、笑っている池田大作の醜い姿が見えてくるようだ。

 ここに「水滸会記録」という創価学会の秘伝書とも言うべきものがある。これは戸田城聖氏の時代に行われた上級幹部に対する特別会合、秘密会合とも言うべき会合の記録である。これは池田大作が奥に秘めていたものであるが、原島嵩氏が造反の時に秘密裏に持ち出したコピーである。
 池田大作が誰にも見せようとしなかった秘伝書である。
 速記の記録がないため、後に参加者が集まって、記憶を頼りながら記されたものである。それを読むと、池田大作による着色がかなりされてあるそうであるが、創価学会の今日の行動の指針が記されている。一時は出版も考えられたそうであるが(それ故に後になって参加者が集まり記憶を頼りに編纂された)池田大作が学会本部奥に隠し出版はされなかった。
 原島嵩氏、山崎正友氏という元中枢の中枢が造反しなかったら、葬り去られていた記録である。
 それには次のような記載が見られる。「昔の武器は刀、現在の武器は財力」と。
 これ故の「財務」である。創価学会員はそれ故に池田大作からただ利用されているだけなのである。財力で日本を乗っ取る理論的根拠が「水滸会記録」に記されている。
 創価学会員は池田大作の野望実現のために利用されているだけなのである。そのことに早く気付かなければならない。もう一度書く。創価学会員は池田大作の野望実現のために利用されているだけなのである。
 創価学会員は池田大作の欲望のままに利用されているだけなのである。早く気付かなければならない。もう一度書く。創価学会員は池田大作の欲望のままに利用されているだけなのである。
 創価学会員は池田大作という暴力団の親分の子分に過ぎないのである。早く気付かなければならない。もう一度書く。創価学会員は池田大作という暴力団の親分の子分に過ぎないのである。池田大作に信仰心はない。これは「月刊ペン事件」で池田大作側から裁判所に提出された池田大作の一日の行動記録を見たらはっきりとする。池田大作は仏壇の前に一日に五回座っていることになるが、勤行はしていない。唱題を数分間行っているのみである。これには唖然とする。
「昔の武器は刀であったが、現在の武器は金力(財力)である。昔の兵力に相当するものは金力である」
 これは戸田城聖氏が語ったこととされるが、実際は池田大作が副教学部長の某氏に命じて造らせたものである。本物の「水滸会記録」は消失しているか、何処かの金庫の中に眠っている。原島嵩元教学部長が創価学会本部より持ち出したのは本物の「水滸会記録」のコピーではない。池田大作が副教学部長の某氏に命じて造らせたもののコピーである。このことは原島嵩元教学部長自身が書いていることである。


「財務」による悲劇(「広布基金」による悲劇も含む)
 これもあまりにも知らない創価学会員が多いので敢えて書く。知っている創価学会員は皆無と言って良い。

母子無理心中事件————横浜市で昭和五十七年に起こった母親が娘を絞殺後、自らも首を吊って死亡した事件は、夫が「広布基金」の重要性を理解しないため「広布基金」ができないことを苦にしての悲劇だった。

夫放火による母子焼死事件——————昭和六十四年、茨城県鹿嶋市で夫が自宅に放火。妻子が焼死したが事件の遠因は、有り金すべて「財務」に寄付する妻に抗しきれず、人生に絶望して放火したと供述している。

妻刺傷、焼身無理心中未遂事件————学会活動にのめり込むだけでなく、貯金をすべて「財務」に差し出す妻に腹を立てた夫が、妻を刺し殺し、自らも焼身自殺を図ろうとしたが、殺しきれず、死にきれなかった。

平成元年五月、千葉県船橋市のの熱心な創価学会員・00綾子さんと長男の00君が同じく創価学会員である夫の000に殺された。バラバラにされた死体が聖教新聞に包まれ、シキミとともに長野県の山中に捨てられていた。動機は生活苦であった。「財務」ゆえに貯金が全くなかったのである。
 バラバラにした死体が聖教新聞にくるまれてシキミとともに長野県の山中に捨てられていたこの事件は、社会に大きな衝撃を与えた。なぜ、いたいけな幼児が虐殺されなければならなかったのか。また、なぜ、その母親が無惨にも切り刻まれなければならなかったのか、酷い、胸の痛む事件であった。
 夫人の綾子さんは「財務」になると貯金をすべて「財務」していた。これに夫の000が怒ったのである。毎日、重労働で働いてきた金を「財務」し、一年中、お金が足りないと夫婦喧嘩していた。サラ金から借りることもあった。

恐喝未遂事件————平成五年十二月九日、静岡県清水署は創価学会副本部長の00000を恐喝未遂で逮捕した。同じ清水市に住む男性の“女性関係”に因縁を付け、現金数十万円を脅し取ろうとしたが00さんが警察に届けたため未遂に終わった。副本部長という役職にふさわしい額の“広布基金”を納める金が欲しかった」ということ。

 そのほかにもたくさんある。
 「財務」による事件として以下のことも知られている。しかし、これもごく一部である。
 昭和五十八年四月二十二日号の「週刊朝日」のグラビアには、東京都住宅局が管理する都営住宅から夜逃げした人々が置き去りにしていった仏壇七個のうち四個までが鶴丸付きの創価学会員のものであることが報じられている。同様に、同年九月二日号の「アサヒグラフ」の特集「サラ金地獄“蒸発”の現場」写真の大半にも鶴丸付きの経本や仏具が写っている。多くの創価学会員がサラ金苦に陥り「夜逃げ」や「家庭崩壊」を招いているかの証拠になろう。
 000二郎愛知県議・借金夜逃げ事件
 鹿児島県・徳之島ゾーン指導長・サラ金四千万円借金夜逃げ事件
 「旭川一の功徳をもらった」と公言していた支部指導長夫妻・経営苦心中事件
 佐賀市西村市議妻女・借金苦飛び降り事件
 聖教新聞販売主・経営苦自殺事件
 婦人部地区部長・千七百三十万円詐欺・窃盗事件
 壮年部支部長(郵便局長)郵便貯金詐欺事件
 男子部ゾーン長・銀行強盗事件
 その他、書ききれない。これらを池田大作はどう考えているのか知りたい。自分だけ豪奢な生活ができたら良いのか?

山崎正友氏は更に書いている。

   「広布基金」も不動産漁りやノーベル賞工作にばらまかれている

 ところで私の手元に、あるところから録音テープが届いた。元参議院議員・柏原ヤスが青森県で闘われた会合の席で会員に広布基金を呼びかけたのである。中身は「池田先生の世界広布には金が掛かる。だから金を出せ、というのです。出せ、出せ。三桁、百万円出しなさい……」と絶叫しているものである。折から、創価学会は「広布基金」と称する金集めに必死である。
 創価学会の金集めは、宗教上の布施や供養のレベルをはるかに逸脱している。嘘だらけの功徳話やコントなどで会員を騙し、集団催眠にかけ、煽り、上げ句の果ては脅迫まがいのノルマの強要を行う。“宗教団体”という肩書きがなかったら、豊田商事などと何ら変わるところのない、あくどくあこぎなものである。そうした金集めの陰に、夜逃げや倒産、犯罪行為に走る者など悲惨な道を巡る会員も少なくない。創価学会員の事件の多さは、私共の統計上も裏付けられている。私が二年あまり暮らしたところ(刑務所)にも数人に一人の割合で創価学会員がいた。金集めの号令は、まず池田大作から発せられる。そして、巧妙争いに支配された各地域の責任者の猛烈な煽りが始まる。何しろ、めざましい集金額を達成した幹部には出世と名誉が与えられ、そうでない者には池田大作の叱責と酷い仕打ちが待っているのである。
(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994、p134-5)

(第2章終了)
緊急公示(2)保田妙本寺の末法万年救護の大本尊
 000さんへ。
 自分は日蓮正宗を去り、保田妙本寺に移ることにしました。自分には日蓮宗富士派なら何処でも良いという考えがあるのです。日蓮正宗大石寺の大御本尊が後世の偽作であるという批判から保田妙本寺に移るのではありません。そんなことは全く気にしてません。日蓮正宗の信仰にはもの凄い力があります。自分の創価学会の信仰を一生懸命していて全然軽くもならなかった10年来の“うつ病”も一発で治りました。人生の脱落者になる一歩手前でした。再燃(再発)の気配は少しもありません。
 創価学会も戸田先生の時代までは、医学から見放された難病でも奇跡的に治っていたようです。現在、それが日蓮正宗妙観講に起こっているようです。
 しかし、池田大作の時代になると池田大作が悪鬼を怒濤のように創価学会に入り込ませ、創価学会員に不幸がどんどん起こるようになりました。そして破門されてからの創価学会は学会製の御本尊がいけないのか“うつ病”“パニック障害”など精神障害が異常多発し大変な状態になっています。マスコミを創価学会が牛耳っているから強い報道規制がされていて知られていないだけです。
 創価学会はすでに衰退の道を破門のときから辿っていました。それを予見できなかった池田大作は愚かなものです。破門はもちろん池田大作の命令で創価学会が自ら選んだものです。わざと破門するように仕向けたのです。破門は衰退への道と読んでいた最高幹部は少数ながら居たと思います。しかし、池田大作の命令には絶対服従しかなかったのです。
 一番後ろ髪引かれる思いなのは000さんです。義父母の折伏は絶対に不可能と思います。洗脳され尽くされた創価学会員は死んでも創価学会員なのです。無駄な争いを続け、お互いに疲弊するだけと思います。創価学会病という悪性のガンに冒された人はもうどうしようもないのです。
 金曜日は毎週仕事に行く時に日蓮正宗のお寺に寄って一時間ぐらい勤行唱題して元気一杯になっていましたが、これからは病院直行に戻ります。日蓮正宗のお寺には日蓮正宗と保田妙本寺が以前のような同盟関係を戻さないと行けないです。
「女房を捨てろ!」なら我慢できますが「子供を捨てろ!」には絶対に我慢できません。これを言ったのは創価学会員の法華講員への成りすましと信じようとしていましたが、成りすましではないようです。これでは完全にカルトです。創価学会以上です。
 自分の通うお寺はみんなとても良い人ばかりですが、ネット上には創価学会の成りすましかも知れませんがカルト化した法華講員が数人います。カルトは人の心にあります。反社会性人格障害と言って良いかも知れません。あの「子供を捨てろ!」と書いた人格障害と思われる法華講員は許せません。自分の通うお寺の人はみんな良い人ばかりですから信じられませんが、そのネット上の法華講員と名乗る人間は許せません。これを書きながらも怒りに震えています。
 自分は小さい頃から穏和な性格でした。人と喧嘩したことは一度もありません。怒られたこともほとんどありません。それがこんなに怒っているのです。
 僕は日蓮正宗を去りますが、創価学会批判はこれからも強く続けます。それが自分の使命と確信するからです。自分は中学の頃から創価学会のために大変辛い思いをさせられてきました。
 自分は保田妙本寺で新しく信仰をやってゆきます。家庭の崩壊を避けるため、そして、ネット上の法華講員に怒りと失望そして落胆を禁じ得ないからです。保田妙本寺なら創価学会と激しく敵対している日蓮正宗ではないから露見しても女房の一族も許してくれると思うからというのも一つの理由です。でも小さな理由です。
 自分は日蓮正宗大石寺の大御本尊が後世の作でも全然関係ないと思っています。後世の作でも日蓮大聖人の魂が入っているからです。後世に作ったものに日蓮大聖人の魂が入ったのです。日蓮大聖人の御精神は民衆救済、広宣流布への燃えるような情熱、愛情にあります。形式ではありません。信仰は理屈でも理論でも証拠でもありません、感性です。信仰は人を救う愛情です。
 もう一度書きます。
 自分は日蓮正宗大石寺の大御本尊が後世の作でも全然関係ないと思っています。後世の作でも日蓮大聖人の魂が入っているからです。後世に作ったものに日蓮大聖人の魂が入ったのです。日蓮大聖人の御精神は民衆救済、広宣流布への燃えるような情熱、愛情にあります。形式ではありません。信仰は理屈でも理論でも証拠でもありません、感性です。信仰は人を救う愛情です。

(完)

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ccc998@infoseek.jp
 
    

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共通テーマ:日記・雑感

創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告 [宗教]

 創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告
  ————自分だけ救われるよりも創価学会員全員を連れて宗門に戻ろうーーーー
                                       正義の書
                                創価学会内部改革派憂創同盟残党

はじめに
愛するたくさんの創価学会の同志のために(創価学会内部改革派憂創同盟再結成宣言)

 既に気付いている人が多数存在することは確かなことである。
 同時放送に出席して、その傲慢さに呆れた人は多数存在するだろう。池田大作こそ獅子身中の虫である。創価学会の信仰を真面目に行っても幸せになれなかったのは池田大作が大悪鬼であったからである。敏感な人は同時放送のその声を聞くだけで池田大作が大悪鬼であることに気付くものである。その声は「傲慢の極み」であり、優しさ、謙虚さなど微塵も感じられない。
 正しい御本尊に祈らなければ幸せにはなれない。正しい宗教団体に属さなければ幸せにはなれない。原田会長が池田大作の死後、英断を振るい再び宗門の一信徒団体に復帰することを期待する。すべて池田大作が悪かったのである。池田大作が我欲のために戸田先生の造られた正しい信徒団体を破壊尽くしてしまったのである。
 正しい御本尊でも正しい信徒団体(講)に属して祈らなければ幸せにはなれない。正しい御本尊でも極悪の宗教団体(創価学会)に属したまま祈ると不幸になる。
http://sky.geocities.jp/mifune0008(**これがホームページのアドレスです)
ccc998@infoseek.jp⇦⇦⇦これがメールです。    (平成22年11月1日記す)
純朴な古くからの会員は創価学会が富士大石寺の大御本尊様を偽物呼ばわりにしていることを知らない。富士大石寺の教学を学会流に変えてしまっていることも知らない。池田大作という大悪党の創価学会乗っ取りのことも知らない。池田大作が女狂い、勲章狂い、名誉博士号狂い、日本全国に散在する豪華過ぎる池田大作の部屋などのことも知らない。池田大作の著書、講演が全てゴーストライターに依るものであることも知らない。自分はそれら純朴な古くからの会員が可哀想でならない。それが私が法華講に入らず、創価学会内部改革派を名乗っている理由の一つである。この純朴な創価学会員の存在を思うと法華講に移りにくい。創価学会を改革してこの純朴な創価学会員を救わなければという思いが強い。
 我々は藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を創価学会会長に推戴する。それ以外、創価学会が蘇生する方法はないであろう。創価学会が蘇生すれば純朴すぎて無知故に創価学会から法華講に移ることのできない人々を救うことができる。
 昔の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と結びつきがあったそうであるが、新しい創価学会内部改革派憂創同盟は血脈相状を否定する正信会とは一切結びつきを持たない。正信会とは対決する(正信会は既にほとんど潰滅している)。そして法華講と強い結びつきを持つ。
 創価学会は宗門と縒りを戻し、戸田先生時代の創価学会に戻すようにする。正しかった時代の創価学会に戻すのである。つまり創価学会は日蓮正宗の一つの信徒団体に過ぎないという過去の姿に戻すことです。もう一度書く。創価学会を日蓮正宗の一つの信徒団体に過ぎないという過去の姿に戻すことです。または創価学会解散を行うべきである。
 池田大作の亡き後、創価学会員が多数、宗門に入る(戻る)ことは難しい。創価学会員は聖教新聞などの偽りの報道しか知らない人が大部分である。そして創価学会に義理人情で縛られてしまっている人が非常に多い。また創価学会の矛盾に気付いていても今までの創価学会の友情と交際が絶たれることを怖れ自分から日蓮正宗法華講に移る(戻る)信仰心の強い人は少ない。日蓮正宗法華講に移る(戻る)と一人っきりになるからである。一人住まいの老人が多い昨今その仕打ちは辛い。また嫌がらせ、迫害もある。
 もはや完全に謗法の魔窟と化してしまった創価学会であるが藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)が創価学会会長になると蘇生するであろう。この他に創価学会員を救う道は無い。
 我々は藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を創価学会会長に推戴する。他に可哀想な純朴な創価学会員を救う道はない。

                         (完)

                      
 みんな、騙されてないで、再び広宣流布に向かって突き進むんだ!


第1章
池田大作の精神病理
【研究と報告】
              池田大作の精神病理(第2稿)*

 ————私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者であるーーーー

                               創価学会内部改革派憂創同盟残党**
【抄録】
 タブーとされている池田大作の精神病理を考察した。池田大作の君臨する創価学会は様々な社会問題を生んでいる。日本に於いては公明党を作り日本の政治を動かしている。人権侵害など著しいが創価学会はマスコミをその強力な金力などによって支配している。創価学会に対抗する組織・個人に対する訴訟は非常に多く、警察との癒着なども指摘されている。諸外国とくに欧米に於いてはカルト指定され、様々な批判を浴びている。その創価学会を私有化している池田大作は、妄想性障害、自己愛性パーソナリティ障害という診断は甘過ぎ、妄想は奇妙で現実離れしている。故に妄想型統合失調症である。これらは創価学会の信仰故に誘発されたものと考えられる。創価学会の信仰は気宇壮大となりやすい。気宇壮大となると万能感、自分は選ばれた人間だ、などという思いに満ち溢れる。これ故に、妄想型統合失調症を発症したと考えられる。

【key words】Daisaku-Ikeda, Soka-gakkai, Schizophrenia paranoid type
 
【はじめに】
 日蓮系、とくに排他的とされる富士派に於いては気宇壮大になるという傾向が見られる。昭和三十年、四十年代の折伏大行進の時には気宇壮大になり“急性精神病状態”となって精神病院に緊急入院となる創価学会員が後を絶たなかった。しかし、現在ではほとんどそういうことは見られなくなった。これは熱烈な勤行唱題が行われなくなったためと推測される。
 統合失調症には妄想型(Paranoid Type)、解体型(Disorganized Type)、緊張型(Catatonic Type)、鑑別不能型(Undifferentiated Type)、残遺型(Residual Type)があるが、妄想型が一番多く、緊張型は以前はよく見られていたが現在では先進諸国ではほとんど見られなくなった。統合失調症は生涯発病率は約0.85%(120人に1人)であり、国、人種による差はほとんど無いとされる。
 池田大作は妄想型統合失調症である。下記はすべて池田大作が妄想型統合失調症であることを支持する。
 
【症例】
 昭和四十年、池田大作が会長に就任してより五年目、三十七歳の時、高瀬広居のインタビューに次のように答えている(高瀬広居:人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方:有紀書房、1965)。

 池田会長はモダンな本部応接室で、胡座を描き直すと、煙草を一服し、静かにそして激しい語気で言った。
1)『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である』
 同席の大幹部数人は深く肯き息をのんだ。
 更に池田会長は続けた。
2)『私は現代の救世主である』
3)『釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である』
4)『世界の盟主である』
5)『私には日本の中に語り合える人はいない。世界的に著名な人のみを相手にする』
6)『私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る』
7)『今、私には天下を取ることが見え始めた』
8)『私は太陽の帝王だ』

 全てが奇妙で現実離れしている。これは妄想性障害では説明不可能であり妄想型統合失調症である。妄想性障害では決してこのようなことは言わない。
 以下に、妄想型統合失調症と鑑別するべきものとして妄想性障害を説明する。
 妄想性障害とは、一つ以上の奇異ではない内容の妄想が、少なくとも1ヶ月間持続するのが特徴である。
 妄想性障害における妄想は理にかない、不自然なものではない。例えば、「友人はスパイで、自分は隠しカメラで監視されている」「妻が暴力団を使って自分を殺そうとしている」という妄想に対し、統合失調症は「友人が小さくなって自分の耳の中に入っている」という明らかに不自然な妄想を抱く。
 人格は保たれ、感情や行動の異常は見られない。妄想性障害は、しばしば統合失調症、器質性精神疾患、妄想性パーソナリティ障害およびうつ病のような他の障害と同時に起こる。多く40歳以降(成年中期から後期にかけて)に発病する。
 妄想型統合失調症とは異なり、妄想性障害は比較的稀である。
 妄想性障害には抗精神病薬の投与の必要性は少なく、妄想型統合失調症へと移行することは稀とされている。

 もう一つ、自己愛性パーソナリティ障害との鑑別が必要であろう。自己愛性パーソナリティ障害の統合失調症の妄想と異なる点は、彼らはその誇大的観念がどこか作り物であることを知っていることである。すなわち自己愛性パーソナリティ障害の妄想は説得により崩れる脆いものである。自己愛性パーソナリティ障害の患者は「世界は自分を中心に回っている」という妄想を良く抱くが、患者自身、その妄想に疑いを持っている脆いものである。
 宗門支配にしても自己愛性パーソナリティ障害では現実を見直す。自己愛性パーソナリティ障害では現実を見直す余裕がある。宗門から“狂気”と言われていた池田大作はやはり統合失調症しか考えられない。

 よって創価学会員に好発する妄想型統合失調症に池田大作も罹患したと考えられる。
 この高瀬広居のインタビューのみで池田大作が確実に妄想型統合失調症と診断される。


 私は、何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ。(『前進』、1966、6月号)ーーーーーーー
誇大妄想
 私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない。(『前進』、1970、1月号)———————
電波妄想である(これは統合失調症に特有なものである)

 平成十九年三月、中国の温家宝首相が来日した際、池田大作は会見の場で「庶民の王者に会って頂き有り難う」と言って握手する映像が日本全国に放映されたことーーーーー確固とした妄想構築を示唆する。誇大妄想である。

 池田大作は池田太作(タサク)が本名であったが、二十五歳の時、正式に戸籍上、池田大作に名前を変更している。戸田城聖氏や池田大作の奥さんのように勝手に名前を変えることはできる。しかし戸籍の名前を変えることは当時は家庭裁判所が認めたときのみである。戸籍の名前を変えることは当時はそれほど困難なものであった。凄まじい執念で変えたものと思われるーーーー誇大妄想

 元学会幹部によるエピソードを書く。
「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら“久しぶりだな”と呟くエピソードがあります。池田大作は七百年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる、きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢四百年だったそうです」————これは池田大作の芝居と元側近は考えたが、自分は大聖人の生まれ変わりであるという誇大妄想である。

 本山に登山した時、池田大作は「聞こえる、俺を呼んでいる」と言って走り始めた。そして日蓮大聖人のお墓の前に行って喋り始めたーーーーこれを側近は芝居と見ているが、幻聴であった可能性は高い。また、誇大妄想のための芝居とも取れる。

 池田は「私の側にくると福運がつく」「私と感応しなければ成仏できない」「私のあげたものには福運がある」等々と述べ、およそさまざまな機会に、自分を本仏化するために演出してきました。(池田大作・創価学会の真実:原島嵩:日新報道、2002、p208)ーーーーこれは演出ではなく誇大妄想である

 池田大作は26歳頃から「天下を取る」が口癖だった————誇大妄想

 結婚後、かね婦人が池田大作が勤行唱題しないことに対し質問したら「俺は特別だから」と答えたーーーー誇大妄想
 また、既にこの頃から池田大作には信仰心が無く、学会活動を次期会長になるためのビジネス(仕事)と考えていたと思われる。「天下を取る」を口癖に池田大作は学会活動に走り続けた。彼の学会活動は「天下を取る」という燃えたぎるような誇大妄想のためであったーーーーー誇大妄想

 池田大作は会長就任後、時の日蓮正宗の管長である日達上人を学会本部に呼びつけ、露骨な恫喝を行った。山崎正友氏は、後日、日達上人が「何で池田の若造に法主の私が呼びつけられドヤシつけなくてはならないのか後で悔しくて涙が出ましたよ。だが、あの時は相手も若いことだし我慢しました」と語られたことを明らかにしている。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道、1994、p80)
————被害妄想と日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想

 昭和四十年、創価学会が正本堂建立御供養金三百五十億円余りを集め、その直後に都内品川区妙光寺に於いて正本堂建設委員会が開かれたが、その際、池田大作は自分の席次と椅子が皆と同じであるのが気に入らないと怒り狂い、池田大作以下、創価学会側出席者は席を蹴って帰った。(懺悔の告発:山崎正友:日新報道、1994、p81)—————自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想

異国の地で、他人の目も憚らず、池田はこう怒鳴りつけたのである。さすがに秋谷も屈辱で顔が青ざめていたという。
が、最後はホテルの床に這い、創価学会第五代会長が土下座した。
それが影響したか、秋谷はこの旅先で体調を崩し、日程半ばで帰国。腸閉塞で緊急入院した。(池田大作の素顔:藤原行正:講談社、1989、p261-2)————自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想

私自身、その現場に居合わせたこともあるが、子を死なせ、病気で苦しむ学会員の不幸を池田は笑いさえした。(池田大作の素顔:藤原行正:講談社、1989、p264-6 )————自分が日蓮大聖人よりも偉いという誇大妄想

ゴーストライターに書かせている「人間革命」を大白蓮華で自分が書いているように見せかけたことーーーー誇大妄想

子供の顔にマジックで悪戯書きをしたことーーーーー誇大妄想

池田大作の目から睨まれると誰でも怯えてしまうことーーーーー妄想型統合失調症者に特有の目である

ノーベル平和賞を必死に狙っていたことーーーーー誇大妄想

海外より多くの勲章、名誉称号を創価学会員のなけなしの財務で買い漁っていたことーーーー誇大妄想

全国各地および海外に超豪華な別荘、池田専用施設があること。末端の創価学会信者の財務への苦労を何とも思っていないことーーーー誇大妄想

 竹入義勝氏が造反した時、同時放送で45分間も机のどんどん叩きを伴う竹入義勝氏に対する罵声の連続であったという。その45分間はカットされ放送されなかった。そのため池田大作の講演は10分ほどしかなかった。会合終了後、男子部で集まった時に幹部よりそのことを知らされた————誇大妄想

 宗門乗っ取りは絶対不可能であったのに宗門乗っ取りを謀ったこと。自己愛性パーソナリティ障害の最重症であっても、そのような無謀なことをする前に現実を認識し目が覚めるものであるーーーー妄想型統合失調症の誇大妄想

 同時放送には自分は日蓮大聖人よりも偉いという妄想に満ちた統合失調症者の姿を晒しているが、そのスピーチをありがたがる創価学会員は憐れと言うより他にない。ときどき、言語新作もするが創価学会員は気付いていないーーーーーキンマンコはその一つである(しかし、幻聴であった可能性も高い)

意欲減退、社会的無気力はなかったようだーーーー創価学会の信仰を行っている統合失調症者には意欲減退、社会的無気力が出ないという特色がある。75歳の創価学会の統合失調症者で恋愛妄想があり、意欲減退、社会的無気力、人格の崩れは全くないが退院要求の非常に強い男性患者を知っている。退院してその女性と結婚すると主張している。
 しかし、池田大作は既に26歳頃には信仰を退転していたという意見が多い。池田大作は軽症であった故に意欲減退、社会的無気力など陰性症状が出なかったと思われる。

 創価学会員は妄想型統合失調症を神様のように崇めてきた、崇めていることになる。また、これが創価学会員の精神障害の異常多発を招いた、招いていると言っても過言ではないと思われる。

【考察】
 私見ではあるが、潜在的に存在している統合失調症の患者は多い。奇人変人扱いされながらも彼らは病院から抗精神病薬をもらうことなく生きている。彼らは妄想と現実の両方で生きている。結婚もし、家庭も築いていることが多い。現実社会を生きてゆく上で最も問題となるのは性格の素直さ、優しさである。
 彼らは精神科を受診している場合、反社会性パーソナリティ障害、統合失調症型パーソナリティ障害、または統合失調症質パーソナリティ障害と誤診されていることが多い。彼らはハロペリドール2mg/day (またはブロムペリドール4mg)を投与すると借りてきた猫のように大人しく従順になる。それを筆者は潜在性統合失調症と名付けている。これは妄想型統合失調症の軽症として良いと思われる。
 各国より勲章などを買い漁る池田大作、文鮮明、金日成およびスターリン、ヒットラー、金正日たちは潜在性統合失調症と推定される。
 この潜在性統合失調症は特に池田大作の場合には同時放送で見られる。池田大作の言動、振る舞いは精神病棟に長年入院している統合失調症の患者を彷彿とさせる。話の脱線、支離滅裂はまさしく長年、精神病棟に入院している統合失調症の患者そのものである。
 池田大作は26歳頃から「天下を取ろう!」と豪語していたが、その頃の発症になると思われる。しかし、その誇大妄想が、彼を第三代会長奪取へと狂気の執念で懸命に走らせた。大阪での参議院選挙、炭労問題などに誇大妄想による狂気の執念で走った。エレベーター相乗も妄想の産物である。
『池田大作は「若き日の日記」の原本となる予定の会長就任までの日々を大学ノートに綿密に記録を残していたが、その内容は他の幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。これを「大学ノート事件」という
 北条浩ら首脳中の首脳はそれを見せられて、これは出版するべきではないことを強く諫言した。そのノートの内容が、あまりにも悪口や怨念、そして完全な狂気に満ちていたからである。それを公表することは創価学会の完全な自殺行為になるからであった。特に、小泉隆、和泉美代、辻武寿、竜年光ら先輩幹部に対する悪口や怨念が綿々と綴られていた。そのため「若き日の日記」は原本とは全く異なるものとなった。』(創価学会と「水滸会記録」:山崎正友:第三書館、2004、p19)これは妄想性パーソナリティ障害も考えられるが、統合失調症者に頻繁に見られる被害妄想に満ちたノートで間違いない。
 会長になってからは日本征服の野望(誇大妄想)をたぎらせ、折伏大行進を続けたが、昭和45年の言論問題で挫折し、強引な折伏を中止するよう命令せざるを得なくなった。
 そして国会喚問の危機に立たされた時、子供のように恐れ戦き、軽井沢の別荘に閉じ籠もったりしたこと、このとき熱があると側近に何度も強調したこと。また、これ以外にも国会喚問の危機に立たされたが、池田大作は国会議員のみでなく創価学会の青年部を使って国会議事堂内に座り込みをさせ、国会喚問を阻止させた。これらは統合失調症の被害妄想と思われる。
 折伏による日本制覇が不可能と解ると、総体革命という社会の重要ポストを創価学会員で占めて日本を制覇するという妄想に変わった。数少ない創価学会員で社会の重要ポストを占めることは不可能であるし、例え社会の重要ポストの多くを占めても日本制覇は不可能であり妄想の産物に過ぎない。これは現実認識能力が欠けていることを示唆する。
 また、1990年代に自民党独裁政権が崩壊し、連立政権で大臣のポストを幾つも取った時、子供のように喜んだことは、これも現実認識能力が欠けていることを示唆する。
 統合失調症の妄想は鉄のように固い。どのような説得も全く効かない。池田大作は自分が日蓮大聖人以上の存在であるという妄想のため、宗門支配を企んだ。しかし失敗し、破門になった。宗門支配は池田大作の野望または狂気と言われている。宗門支配は不可能であることは分かりきったことであるのに行った。これも現実認識能力の欠如を示す。
 自分が大聖人よりも偉いという誇大妄想が、手当たり次第の女性信者への手つき、むやみに威張り散らすことに繋がっていたと思われる。これは新興宗教の教祖には共通のことである。
 最近、インターネットの動画サイトyoutube に掲載される彼の支離滅裂な言動、頻繁な脱線、それらは大聖人よりも偉い自分は何をしても良い、何を言っても良い、という誇大妄想と人格崩壊のためと考えられる。
 東大生を前に「お前たち、馬鹿だろう」と言って悦に入ること、秋谷会長に踊れと命じたこと、北条会長に辛子を山盛りにかけたうどんを食べさせたこと、メロンの頻繁な下げ渡し、これらは自分が大聖人より偉いという誇大妄想と人格崩壊から来る行為であったと考えられる(側近は傲慢と考えていた)。一つの巨大な宗教団体のトップにあるため、それが傲慢と曲解され、統合失調症が見逃されていた特異な症例と思われる。統合失調症のクスリは服用していなかったと思われる。
 潜在性統合失調症はイランなどの指導者にも存在しているらしい。潜在性統合失調症者に核爆弾を持たせることは極めて危険である。そして潜在性統合失調症者同士、引かれあうのか、北朝鮮との繋がりもある。
 潜在性統合失調症という言葉は筆者が初めて使う言葉であろう。これは妄想型統合失調症の軽症ではなく妄想型統合失調症と別のタイプの統合失調症と考えて良いかも知れない。見逃されている潜在性統合失調症の患者が多いがこのことが精神科医を始め医療関係者などにほとんど認識されていない。
 池田大作、文鮮明、金日成、この3人がほぼ同時期に地球上のほぼ近くに現れ、ほぼ同じ期間、権勢を振るった。この3人は諸外国より勲章、メダルを買い漁った。3人の顔、体型はよく似ている。これは偶然性の一致と言われる。この3人は潜在的に進行していった潜在性統合失調症と言って良いと筆者は考える。
 国家指導者および宗教指導者に見逃されている潜在性統合失調症の患者が存在することは怖ろしいことである。

【終わりに】
 現代では、誇大妄想を主とする統合失調症者が新興宗教の教祖の多くを占める。池田大作もこの例に漏れず、精神科受診はなかったのかもしれない。しかし、池田大作の側近には精神科医もいる。その精神科医が抗精神病薬を服用させている可能性は高い。
 池田大作は金貸し業を始めてから金のある家を当てるのが神業のように巧かった。これは霊的能力と捉えて良いと思われる。このような人並み外れた霊的能力を持つ人は多くが統合失調症である。
 池田大作の当時の給料は一般人の百倍近くであったと言われる。大蔵商事は歩合制であった。いかに池田大作の金のある家を当てる能力が凄かったかを示すものと言えよう。しかし、これは取り立てが異常に酷かったためという意見もある。実際、池田大作の借金を返すことが出来ない人達への仕打ちは極めて異常であったという多数の証言がある。
 池田大作の借金取り立ては凄まじく、情け容赦もなかったと言われる。借金返せない人の家や土地を取り上げ、金目のものは何でも持って行ったという。家を取り上げられた人は住む所もなく放浪の旅に出た。大蔵商事の鬼の池田と恐れられていたと言われる。そのため大蔵商事は極めて危険な貸し金融と恐れられていた。病気で寝ている老人の布団を剥いで持って行ったという逸話も伝わる。
 破綻し懸かっていた戸田城聖氏の事業は蘇生した。戸田城聖氏はこれ以来、池田大作に頭が上がらないようになったとも言われるが真偽の程は定かでない。また、これが池田大作が第3代会長になる大きな要因に成ったとも言われる。
 鎌倉時代などの民衆救済・正義感・自己犠牲に燃えた新興宗教の教祖は現代では見当たらない。

【文献】
1)岡田尊司:自尊心を求めるH・コフートの自己愛の発達理論とS・フロイトの病的なナルシシズム:医学書院、1994
2)岡田尊司:パーソナリティー障害、PHP新書、東京、2001
3)笠原嘉:精神病、岩波書店、東京、1998
4)原島嵩:池田大作・創価学会の真実:日新報道、東京、2002
5)藤原行正:池田大作の素顔:講談社、東京、1989
6)松下正明:新世紀の精神科治療(5)、現代医療文化の中の人格障害:中山書店、東京、2003
7)山崎正友:懺悔の告発:日新報道、東京、1994
8)山崎正友:創価学会と「水滸会記録」:第三書館、東京、2004
9)DSM−Ⅳ−TR、精神疾患の分類と診断の手引き:医学書院、東京、2007


*The Psychopathology of Daisaku-Ikeda
**どんぐり病院(〒000−0000 どんぐり市どんぐり町000−00)
Toshiro MIFUNE:000 psychiarty, 00000, 00000, JAPAN .
 
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 日如上人様

 自分は創価学会から日蓮正宗法華講に移ったばかりのものです。是非、申し上げたいことがあります。
 池田大作が亡くなった今、創価学会を元のように日蓮正宗の一宗徒団体として戻してくれませんでしょうか?
 池田大作は病気だったのです。精神が病んでいました。自己愛性パーソナリティ障害と妄想性パーソナリティ障害に罹患していました。これは一般に人格障害とも言われているものです。この病気はクスリも何もほとんど効きません。成り上がりの独裁者に多発する病気として有名です。外国にも数例、同じような症例が存在します。
 或る小国の成り上がりの独裁者は国の至る所に自らの銅像を建て、テレビの放送でも自らを賛美する放送を流しています。この国は天然ガスが豊富に産生され、国が非常に豊かで平和であり、この独裁者への反抗はないようです。
 異常な権力欲が池田大作を第三代会長に成らせ、巨大過ぎる権力を持ったことが彼をますます傲慢にさせました。そして宗門を支配下に置こうとまで考え至ったのです。
 しかし、池田大作はパーソナリティ障害を越え、自分が本当に日蓮大聖人以上の存在だと思っている妄想性障害または軽度の妄想型統合失調症なのかもしれません。新興宗教の教祖にはよく見られることです。
 その池田大作には創価学会員が一番苦しまされたと言って良いでしょう。池田大作が招き入れた悪鬼の大集団は創価学会員に次々と不幸な現象を起こしました。

 今、末端の創価学会員は不幸に喘いでいます。偽物の御本尊を拝んでいることと池田大作が創価学会に招き入れた悪鬼の大集団のためです。創価学会員全員が法華講に移ったら良いのですけど、それは不可能と思います。
 不幸に喘ぐ末端の創価学会員は100万人に達すると思われます。どうか、彼ら彼女らを見捨てないでください。悪かったのは池田大作一人です。創価学会員は騙されていたのです。
 悪いのはすべて池田大作です。創価学会員は被害者です。
 池田大作亡くなった今、創価学会を破門から解いてもらいたいです。創価学会員は被害者であり、何も悪くありません。
 池田大作は精神異常者でした。これは今後の池田大作の精神病理学的研究より明らかになることでしょう。創価学会員は精神異常者から騙され続けてきたのです。
 創価学会員は非常なお人好しの集まりです。非常なお人好しだから池田大作に騙され続けていたのです。

 寛大なご処置をお願いします。
                              創価学会内部改革派憂創同盟残党




魔性の創価学会(一)
 一度、精神障害に罹った人は、ただでさえ治り難いのが精神障害である。これが創価学会に極めて多発している。これは四十年以上前から創価学会の上級幹部の間では良く知られていた。また折伏闘争華やかなりし頃には「急性精神病状態(acute psychotic state)」(以前は心因反応、急性分裂症様状態と呼ぶこともあった。現在では急性統合失調症様状態と呼ぶこともできるだろう)での精神病院入院が極めて多発しており精神科の医師の間で創価学会の「急性精神病状態」の患者の非常な多さは有名だった。
 これは昭和四十九年頃発売の精神医学専門雑誌に詳しい論文が出ている。それは私の机の上に置いてあった。おそらく先輩が私を創価学会から辞めさせようとして私の机の上に置いたのだと思う。私はその雑誌から読んだ。その精神医学専門雑誌が何という雑誌であったか、また正確な発売された年が記憶にない(昭和四十五年から五十二年にかけてのものだったと思う)。「創価学会」「精神疾患」という二つのキーワードで医学文献のデータベースを検索すると出てくる可能性がある。この二つのキーワードで検索すると私が読んだもの以外の論文も出てくると思われる。しかしデータベース化されていない可能性は高く医学部(または大学病院)の図書館で根気良く探すのが一番と思われる。
 医学専門雑誌の会員になるとインターネットで検索可能かもしれない。「精神医学」という精神医学専門雑誌であった気がする。しかしデータベース化されていない可能性は高い。医学部(または大学病院)の図書館で根気良く探すしかない可能性が高い。昭和五十五年以降は創価学会の言論弾圧により創価学会を題材とするような論文は決して掲載されなくなった。
「急性」(二週間から三ヶ月の入院)で治まった者は幸せで「慢性」となり(これを統合失調症と呼ぶ)精神病院に長期入院または入院と通院の繰り返しとなった創価学会員は多い。しかし大部分は一時的なエピソードで終わり極一部が慢性化したのみのようである。
 創価学会員の「急性精神病状態」の特徴として必ず躁的であることが上げられる。しかし現在、勤行唱題が以前のように熱烈に、そして長時間は行われなくなったためと思われるが「急性精神病状態」はほとんど見掛けなくなっている。代わりに現在(少なくとも二十五年程前から)は、うつ病性障害が非常に多発するようになった。しかし今でも創価学会員に統合失調症の発生は有意に多い。一般の三倍として良い。
 これらの精神障害に苦しんでいる創価学会員の数は極めて多く、それは全て池田大作が創価学会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためである。その大集団が池田大作の死とともに創価学会から立ち去れば良い。また最高幹部たちが池田大作の死とともに団結して立ち上がり池田大作批判を充分に行わないことには、それら悪鬼の大集団は創価学会から立ち去らないと思われる。
 我が県の県青年部長も「パニック障害(うつ病性障害も併発していたと思われる)」で倒れた。未だに(三十年)自宅療養のままである。我が県で最も熱心に真面目に活動していた青年部長であった。自らに妥協せず限界まで戦っていた青年部長であった。県展も真夏の炎天下に二人で運んだ。尊敬すべき人であった(県が現在のように幾つにも分かれてなく一つの県は一つの県の時代であった)。

 以前「折伏教典」という本があり、草創期の会員はそれを片手に折伏して回っていた。その中に「身延派は精神異常者が多発する」という記載があった。しかし現在、創価学会にそれが起こっている。現在、「折伏教典」は手に入らない。創価学会は池田大作の時代になり見延派と同じになったのだ。
「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「パーソナリティ障害」など他の精神障害は昔も現在も変わりなく創価学会に非常に多発している。「児童相談所」を訪れる半数以上は創価学会員であることは業界の通説である。そしてそれは「新入会者よりも古くからの強信な創価学会員の家に多く起こっている」のである。創価学会の幹部の家は学会活動で子供の教育に手が回らず自然と子供は非行化するという意見があるが、それは不十分な説明である。池田大作が招き込んだ無数の悪鬼が暗躍していることを忘れてはならない。
 たしかに創価学会の幹部の子供は余りにも高い確率で非行化している。同時に余りにも高い確率で「パニック障害」「社会恐怖(対人恐怖)」「強迫性障害」「境界例」などの精神障害に罹患している。池田大作が創価学会に呼び込んだ悪鬼の大集団のためである。また、それは本山(宗門)を蔑ろにした池田大作の醜い欲望にある。
 そして東京の創価学会本部には毎週数回、一日勤務で精神科医が来ている。創価学会本部職員およびその家族にうつ病性障害などの精神障害が異常多発しているからである。(池田大作の品格:小多仁伯:日新報道:2007)に書かれてある。
 創価学会本部の職員数は多い。おそらく周囲の聖教新聞社などからも患者が来ていると思われる。創価学会本部に精神科クリニックがあることと同じである。薬は処方せずカウンセリングだけのようである。薬を処方するならばクリニック開設の手続きをしなければならない。精神科クリニック開設の手続きは創価学会の体面上、行えない。薬を処方されるならば近くの創価学会専門の精神科クリニックに行かなければならない。
 そこで賄えないほど創価学会の精神障害多発は深刻な状況である。自分が創価学会のときは異常な多発で半分どころか四分の一、それどころか十分の一も家庭指導に回れなかった。日蓮正宗法華講では少なくとも自分が知る範囲では精神障害が起こった例を知らない。やはり創価学会(池田大作)の謗法に由来する精神障害多発らしい。

「統合失調症は入会させるな!」「精神疾患は入会させるな!」「創価学会に傷が付く!」「我々、創価学会は選ばれたエリートの団体です」と二十年以上前ある大きな会合で池田大作が偉そうに言い放っている。
 これは宮崎勤の事件で世間が騒然となっていたときのことと記憶する。宮崎勤は3人の精神鑑定医から「パーソナリティ障害」「統合失調症」「多重人格障害」と異なる結果が出ている。宮崎勤は友人から誘われ創価学会に入会しようとしていた。
 同時放送だったか、何年前だったか、記憶が定かでない。何かの大きな会合の放送であった。会合が終わったとき創価班で「今の話、聞いたか?」とみんなで訝しがったことを覚えている。聖教新聞では、すべて削除されていた。私は創価班の仕事をしながら聞いていた。
 その言葉を聞いたとき「これが不幸な人を救う仏の団体か? そしてそのトップが言う言葉か!」と激しく煩悶した記憶がある。池田大作もそれらが「新入会者よりも古くからの強信な創価学会員に多く起こっている」という認識が少なくとも当時は無かったと推測される。
 それ以来、統合失調症の患者は原則として入会できず会友に留まることになった。「何十回、座談会に参加しても自分から進んで会合に何十回参加しても会友止まり」ということであった。「御本尊は絶対に渡されない」ということであった。しかし、これはその担当地区の壮年部本部長の主観によるものになっているようだ。その他の精神障害の患者は入会できるようだ。しかしこれにも地域差——壮年部本部長の主観——がかなりあるようである。
 同じ創価班の友人が統合失調症である知人を入会寸前まで世話してきていた。しかしその創価班の友人も池田大作が言い放った同じことを聞き非常に悔しがったことを昨日のことのように思い出す。その統合失調症である知人は十何回も会合に自ら進んで参加していたのである。勤行唱題も行っていた。しかし会友止まりで入会は許されなかった。御本尊授与も許されなかった。いつも御本尊のない仏壇で勤行唱題を行っていた。会友止まりであった。現在は行方不明になっている。のたれ死にしたか何処かで浮浪者になっていると思われる。
 あんな滅茶苦茶な指導がなかったらと友人は今でも非常に悔しがっている。彼の属する壮年部本部長は、御本尊を与えること、および入会させることを頑なに拒んでいた。心の狭い頑なな壮年部本部長であった。
 昔からの会員に統合失調症およびその他の精神障害を発症した会員は非常に多い。しかし彼ら彼女らは誰よりも熱心に信仰をしていたのである。あまりにも熱心に信仰をし過ぎたから精神疾患に冒されたのである。祈祷性精神障害である。それを創価学会ではその人の信仰がなっていなかったからだと非難している。滅茶苦茶である。創価学会は狂っている。元凶は池田大作である。彼が狂っている。
(今、自分は怒りに震えながら書いている! 精神疾患の苦しさ悲しさを創価学会は全く解っていない! いや、池田大作は全く解っていない! 池田大作が元凶である!)
 統合失調症およびその他の精神疾患の患者は創価学会に於いて邪魔でしかないのである。「創価学会に傷が付く」「我々、創価学会は選ばれたエリートの団体です」とその放送で狂った池田大作が偉そうな調子で言い放っている。
 私が学生部のときも学生部の拠点(古い木造の大きな家)にときどき統合失調症と思われる人が玄関を徘徊していることが多くあった。彼ら彼女ら統合失調症の患者は寂しいから来ていたのだと思う。昔ここは学生部の拠点になる前、辺りの学会の拠点であった。
 そしてこの拠点での会合に良く参加していたのであろう。健康だった頃の懐かしい場所なのだろう。また学生部の題目の声に誘われるようにして来ていたのであろう。抗精神病薬を服用したぼんやりとした意識の中、過去への郷愁に駆られて来ていたのであろう。
 学会はこういう人々に対して一般に冷たいことが多くある。信仰がなっていないから病気になったと定義されているからである。ある年配の幹部がその人に対して言った。「00さん、あなたが来るところではない。ここは学生部の拠点だ。あなたが来るところではない。出て行け!」その年配の幹部は厳しいことで有名であった。「00さん」と言うことは知っている人であったのであろう。しかし野良犬に対するようにそのようなことを言うことには納得がいかなかった。しかし私はその頃、未だ学生部であった。文句を言うことはできなかった。
 後で解ったが「00さん」は昔、この一帯の責任者的存在であったそうだ。しかしある時、突然、発病して、このようになったということだ。この一帯の草創の大功労者(この一帯の初代の男子部部隊長であった。発病は昭和三十七年頃であり、池田大作の時代だった)ということである。
 もう一人、良く来ていた人はこの県の初代の女子部部隊長であった。この人もある日、突然、発病して、このようになったということである(この人も昭和三十七年頃の発病であり、池田大作の時代だった)。
 また、これも後で聞いたことであるが、池田大作が「統合失調症の患者は除名にせよ。学会に傷が付く」とある会合(社長会?)で言い放ったそうである。ある優しい副会長が悲しそうに言っていた。この池田大作の放言からは信仰者としての優しさも慈悲も何も感じれない。ただ権力者の横暴と増上慢(自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)そして妄想性パーソナリティ障害 (Paranoid Personality Disorder))のみが感じられる。

 精神疾患とくに統合失調症は一般に世間から隠すことが多い。創価学会では病気になるのは信心が足りないからと言われる。これは創価学会の邪義である。邪義であることは御書を読めば解る。日蓮正宗では決してそういうことは言わない。病気という宿業が出てくるほど熱心に信仰をしたからである。
 創価学会ではそれ故に病気を隠す傾向が強い。池田大作の次男が胃潰瘍の末、胃穿孔で亡くなったことも病気を隠すため懇意な創価学会員の産婦人科医の病院に入院させていたからである(しかも石川伸一という偽名を使っていた)。そのため大きな病院に搬送するのが遅れた。普通の内科系の病院に入院させていたら手遅れになり死ぬことは間違いなく無かった。胃穿孔で亡くなることは現在では余程、僻地でない限り、ほとんど無い。いや僻地でも救急医療が発達しており現在ではほとんど無い。


 三十歳の女性であり会社の上司から勧められて入会した。夫の反対より御本尊を家に安置することができず上司の家に毎日通って勤行唱題を真面目に行っていたところ胸騒ぎがして落ち着かなくて困るようになる。治す方法は簡単で勤行唱題を中止したら寛解する。しかし私はその頃は熱烈な創価学会の信者であった。私は紹介者の入会させるまでの労苦を思うと勤行唱題を中止することを提言することができなかった。
 そのため抗不安薬に依る治療が開始された。始めこそ奏功したが薬の量は次第に増加し、やがて抗不安薬のみでは抑えることができなくなる。抗精神病薬を必要とするようになる。学会製の“魔”の御本尊を拝んでいた。今も抗精神病薬を服用しながら学会製の“魔”の御本尊を拝んでいる。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。


 御本尊を持って他患を叩くこの病院一の問題患者。この御本尊は平成五年から配られた“魔”の御本尊である。婦人部地区部長をしていたが十数年前にこういう状態になった。精神障害の家族歴がない(血縁に精神障害を患ったことのある者が居ない)。
 どのような抗精神病薬も効かず、保護室への入退出を繰り返している。精神障害の薬物療法が発達してきた現在どのような抗精神病薬も効かないという患者は珍しい。頭部MRI上、特記すべき所見は認められない。
 性格は激しい。暴力行為を行っても反省することはない。表情は常に険しく精神療法の受け答えも反抗的である。


 一族全員、熱烈な創価学会員。小学四年生の少女であるが霊の姿が見えると言う。その霊の姿は極めて恐ろしく、少女はその霊の姿が見えるたび「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶ。幻聴を訴える患者は多いが幻視を訴える患者は多くはないこと、まだ小学四年生であること、それも「怖い!、怖い!」と言って激しく泣き叫ぶほどであることは極めて珍しいことであるため大学病院にて入院治療を受けていた。どのような抗精神病薬も余り効果が見られない。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。
 小学四年生の少女である。あまりにも可哀想であった。その怒りがこのレポートを書かせていると言っても過言ではない。ここの両親は熱烈な創価学会員であり、池田大作の悪行のことは全く知らない。恐怖に泣きすがる娘を抱いて懸命に唱題するのみである。どうにかやってこの両親にも池田大作の悪行を知らしめて娘さんを救ってやりたい。ただ、この一心でこのレポートを書いている。あまりにも可哀相であった。


 三十七歳、女性。ずっと以前、東京に池田大作に会いに行ったら「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。東京で行われた女子部の幹部会だったらしい。診察のたびに「君はいいんだ、君はいいんだ」と無視されたと言っては泣き崩れる。個人的に東京に池田大作に会いに行ったのかもしれない。詳細は不明。ただ、二十歳の頃だったという。
 病状は不安定である。抗精神病薬への反応が悪い。高校生の頃、題目を上げすぎて統合失調症になったらしい。毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。


 社会人になって職場の上司から折伏され創価学会の信仰を始める。信仰を始めてしばらく経ったとき、幻聴が聞こえるようになる。奇行、異常言動、暴力行為が出現。精神科受診。統合失調症と診断される。
 三年間、通院治療を受ける。その間、「病気が治らないじゃないか!」と御本尊に御不敬をしたと言う。そのことに強く罪悪感を覚えている。暴力行為と仕事を続けられないため、入院となる。入院して二十年以上経過している。毎日、朝夕、決まった時間に勤行唱題を行っている。「聖教新聞は要らない、池田先生の講演集が欲しい」と言う。題目も一日何時間も上げることが多い。


 男性。発病は漁船に乗り始めてしばらく経った頃と推測される。漁船の中で題目を上げすぎて統合失調症を発症した。精神病院入院となったが、ある日、土木作業のとき、日頃から快く思っていなかった看護師を背後から鉄の棒で頭を強打する。打たれた看護師は頭蓋骨骨折、脳内出血で半身不随となった。この患者には「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい(頑張れ、という意味)」という幻聴がよく聞こえてくる。部屋に御本尊は安置しているが、勤行は同室者から「喧しいからするな!」と言われ、題目三唱しか行ってない。入院して三十年以上が経過している。頭部CT上、特記すべき所見は認められない。


 男性。隔離室への入退出を頻繁に繰り返している。高校時代、題目を上げすぎて統合失調症になったと言う。この患者も「0000(患者の名前)、わっしょい、わっしょい。」という幻聴が激しい。御本尊を所持しているが、しかし、安置はしていない。安置する能力が失われているのである。隔離室に入っていることが多いため勤行唱題はほとんどしていない。一日中、何をすることもなくボンヤリしている。入院は三十五年に及ぶ。時折、暴力をふるい、隔離室へ入らせられる。暴力をふるうときは頭が真っ白になって何が何か解らなくなると言う。どのような抗精神病薬もあまり効かない。器質性精神障害を考えられるも頭部CT上、特記すべき所見は認められない。


 このように精神病院には御本尊を所持しているが精神状態が悪く、御寿司を安置できない患者が多く、勤行唱題は全く行うことが不可能という患者が多い。現在は精神薬理学が急速に進歩してきた。以前のような鉄格子をしている精神病院は見られない。しかし、それでも創価学会の患者の場合はコントロール困難なことが多い。創価学会の統合失調症の患者は別枠で考えなければならないことが多い。


 男性。幼い頃から統合失調症と診断されていた。幼い頃から創価学会の熱烈な信者。小学六年生の頃にはある日曜日、キリスト教会に宗教問答を挑みに行ったことがある。統合失調症のため幼い頃から一生懸命に創価学会の信仰をしてきた。高校時代は毎日三時間、題目を上げて乗り切ったと言う。題目を一日三時間上げていた高校生の頃は学級委員長にも選ばれたという。
 ケーキ屋のケーキ職人をしてきたが失敗が多く、ケーキ屋の肉体労働の方に回される。ここで腰を痛め、就労困難になる。それでも腰の痛さに耐えながら重い小麦粉の入った袋を運んでいた。信仰の熱心さは不変で宗門との第二次戦争の時は軽トラックに乗り、メガホンで「くそ坊主、死んじまえ! くそ坊主、死んじまえ!」と叫び回っていた。入院することはほとんどなく、通院治療を行っている。幻聴の内容は不明。学会員からは「池田先生に批判的だったため、あんな病気になった」と陰口を言われている。しかし、彼は幼い頃から池田大作一筋であった。


 男性。大学卒業の二十二歳時発症の統合失調症。しかし六年間、社会不安障害(対人恐怖症)として治療されてきた。その六年間、ほとんど閉じ籠もりを続けてきた。発症六年後、「向かいの家から自分の頭に電波が飛んでくる。その家に抗議に行きたい」と病院に電話が掛かる。この時点で統合失調症と診断が付く。
 親族に精神疾患の家族歴はない。何故、彼が統合失調症に罹患したのか判断が付きかねた。
 母親は余り熱心でない婦人部員。父親は非学会員。しかし、祖父が何十年も前(おそらく昭和三十年代であろう)から一日三時間の題目を欠かさないという非常に剛信な学会員。祖父の罪業が孫に降りかかってきたものと思われた。


 女性。三十歳発症の統合失調症。母が幼い頃に亡くなり、父親と姉と三人で暮らしてきた。小さい頃から知恵遅れと心臓の病気があり、父親が「その病気が治るなら」と一家三人全員で創価学会に入会した。初めは父親も熱心に信仰に励んだ。折伏も行った。数年間、非常に熱心に学会活動に打ち込んだ。しかし、娘の病気は治らなかった。父親は信仰を中止する。
 勤行唱題するのは知恵遅れと心臓の病気を持っている妹の方だけで、姉も父親も勤行唱題はしなかった。平成七年、父親は創価学会幹部と激しい諍いを起こし、創価学会を一家全員で脱会する。妹の方はそれでも勤行唱題を朝晩欠かさずに続ける。父親は信仰をする気は全くなく、法華講に入講することは行わなかった。すなわち、どの宗教団体にも属さずに、家には創価学会の仏壇と御本尊がある状況だった。それには妹が御本尊から離れたくないと主張するからであった。
 妹だけが朝晩、大きな声で勤行唱題を続けていた。平成五年に御本尊は創価学会が勝手に造った“魔”の御本尊に替わっていた。
 平成八年、勤行唱題を熱心に行っていた妹が統合失調症を発症する。入院後も、大きな声で朝夕、勤行唱題を行っている。大きな声で勤行唱題をすると周囲に迷惑が掛かると注意するも、知恵遅れな処があるため、なかなか小さな声で勤行唱題をするようにならなかったが、次第に小さな声で勤行唱題を行うようになった。


 男性。十八歳発症の社会不安障害(対人恐怖症)。高校三年の終わり頃、大学入試二次試験の直前、受験の時に御本尊の前で勤行唱題ができるようにと、受験する予定の都会の学生部より受験の時に泊まる処を世話するという電話が来る。(今は知らないが、その頃は受験の時、御本尊の前で勤行唱題ができるようにと、受験する会場の近くの学生部が、学生部の拠点などに泊まらせることが多かった。)
 それまでは一家の中でただ一人、勤行唱題を熱心に行っていたが、両親が退転状態に近く創価学会とは接触をあまり持たなかった。その電話を受けるとともに社会不安障害が始まった、と言う。社会不安障害とは、対人緊張が激しく社会生活が損なわれる精神疾患である。
 そのため現役時、試験時、強く緊張し、合格確実と言われていた帝国大学受験に失敗する。一浪後、ランクを大きく落とし、地方の大学へ進む。大学入学後も強い対人緊張に悩まされ、留年を繰り返した。
 現在、罹患歴三十年になる。未だに強い対人緊張に苦しんでいる。


 これらはもちろん極く一部である。創価学会の信仰をしたために統合失調症になり一生を棒に振った人は数知れない。精神病院にはそういう人が数多く収容されている。これはもちろん創価学会では秘密にされていることである。一般の創価学会員は知らない。
 現在、東京に在る創価学会直属の精神科クリニックで精神障害の治療が盛んに行われているが、これは極く一部の創価学会員が治療を受けているのみである。当然、患者数が余りにも多過ぎることと、患者が日本中に存在するからである。ここは入院設備はなく外来診療のみである。現在はうつ病性障害が極めて多くなったため患者の大部分はうつ病性障害である。ここは何故か通院一割負担は適用されず、すべて三割負担である。管轄の保険所から圧力が掛かっているものと思われる。
 ここでの治療の指導には特徴がある。それは「勤行唱題の禁止、学会活動の禁止」である。インターネット上でこの指導を見る精神障害の患者たちは、信仰熱心過ぎる故に精神障害になったのであるから、この指導に従わないのが普通である。しかも将来を期待されていた若い幹部が多い。「勤行唱題の禁止、学会活動の禁止」を唱えるということは、その精神科医は創価学会員に多発している精神障害は創価学会の信仰に由来することに気付いている故と思われる。うつ病性障害で苦しむ熱心なある幹部はそれ故と思われるが、その指導を激しく非難していた。激しく非難するうつ病性障害で苦しむ幹部を幾人も見てきた。無理して勤行唱題する人は何時まで経っても“寛解”しない(うつ病性障害では“治癒”という言葉は用いない。怪我などと異なり、再発するからである)。

 これら創価学会員に精神障害が非常に多発している現象は創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。


魔性の創価学会(二)
 創価学会は統合失調症の患者を村八分のようにすることが頻繁にある。「相手にするな!創価学会に傷が付く!」と池田大作が厳命している。しかし、宗門は手厚く面倒を見てくれる。どちらが慈悲の団体で、どちらが悪魔の団体かは、すぐに解るであろう。
 副会長も本部職員もその池田大作の厳命に戸惑っていた。
(統合失調症の患者も普通の会員と同じように手厚くもてなす地域も経験してきた。地域差があるようである)
 ある創価学会の統合失調症の患者は創価学会が相手にしてくれないため七十一歳と成ったとき夫婦共々(夫婦共に統合失調症の患者である。旦那が婦人を折伏した)不安を感じ精神病院へ入院してきた。死ぬまで精神病院にいる予定である。会合の連絡はあるが仲間に入れてくれないという。会合の連絡も途切れることが多いという。病院内では聖教新聞の啓蒙を盛んにする、もちろん勤行は欠かさない。統合失調症でない創価学会員の冷たさに涙しながらも創価学会を疑わずに信仰を貫いてきた。病院に聖教新聞を取り、それを他患にも見せる。他患からは極めて非常に慕われている。完全に病棟一慕われている。病院一慕われていると言える。頭の下がる鉄の信仰の創価学会員である。これは近所の創価学会員が時折面倒を見てくれるなら死ぬまで精神病院に入院する必要はなかった。近所の創価学会員が仲間に入れてくれるなら死ぬまで精神病院に入院する必要はなかった。二人共に非常に軽症の統合失調症である。同時放送には同時放送の行われる正確な日時が解らず参加していない。もちろん入院してからは座談会には参加していない。聖教新聞の中からのみ創価学会を見ている。
 一般に創価学会の統合失調症の患者さんは非常に熱心な人が非常に多い。これは非常に熱心過ぎたから統合失調症になった故と思われる。また、非常に厳しい環境が信仰熱心にさせているとも言える。

 総本山(大石寺)は私が知っている元議員の統合失調症である娘さんを預かって働かせて(面倒を見て)くれている。この元議員はこのことで本山に恩を感じ法華講に入った。創価学会を脱会し宗門に入ったため公明党の支持を受けられず無党派のまま選挙に臨んだが敗北した。このとき創価学会のこの議員への批難は凄まじかった。女性問題、金銭問題など有りもしないことを本当のように学会員に流し、宣伝カーを使って激しく批難した。犬畜生のように批難されビラも撒かれた。そして毎日のように学会会館から幹部がこの元議員の家を訪問していた。もはや創価学会は完全なカルトである。昭和六十三年頃のことである。(当時は、創価学会と宗門の蜜月時代である。しかし、末端はこのように激しく争っていた)
 この地方には悪い大幹部は居ない(居ないと思う)。それらは中央からの命令で行われたものに違いない。中央からの命令で金銭問題などを巧妙に作り上げ、人身攻撃の材料とした。以前、その元議員とともに、この地方の広宣流布に懸命に戦ってきた大幹部は辛い決断であったと思われる。しかし、中央からの絶対的な命令で仕方がなかったのであろう。
 すでにこの頃、創価学会は本山から離脱そして独立することを決めていた。早く本山が創価学会を破門するのを待っていた。学会の幹部はすでにその頃、お寺を“魔”と言ってお寺に参詣することを会員に手控えるように(または決して行かないように)言っていた。
 統合失調症の娘を持った議員さんが登山したとき、宗門の人に娘のことを相談した。宗門の人は娘さんが創価学会員に冷たくあしらわれていることに憤慨し、「それでは大石寺で面倒を見ましょう。少し手伝いをさせたり、みんなと明るく談笑したり、みんなと一緒にいろんなことをさせていたら、娘さんの病気も軽くなってゆくでしょう。」と言ってくれた。議員さんは創価学会の娘への冷たい態度に疑問を感じていたところだった。
 それまでは自分の殻に閉じこもり、家に閉じこもり、幻聴・幻覚に左右され、意思疎通も困難であり、家庭内暴力など暴力沙汰も多かった。自然と抗精神病薬も大量投与となり副作用が強く表れていた。この統合失調症は頑固であった。池田大作が招き入れた悪鬼によるものであったから、統合失調症の中でも悪性度が高かった。
 娘さんは大石寺で暮らすようになって少しずつであるが笑顔が見られるようになっていった。勤行唱題もみんなで行うようになった。頑固な統合失調症であったが、次第に軽症化の傾向が現れてきている。


魔性の創価学会(三)
 創価学会にはガンが有意に多い。これは正確に統計を取れば解ることであるが、創価学会は決して行おうとはしない。一般会員でさえ創価学会にはガンが多過ぎることを気付いている。これも「新入会者よりも、古くからの強信な創価学会員に多く起こっている」。
 池田大作が亡くなると、これらの現象が少なくなってゆくことを期待する。しかし、雪崩れ込んだ無数の悪鬼の浄化には時間が掛かると思われる。
 池田大作が亡くなったら本山に全面的に詫びて本山に戻るようにしないと創価学会は大御本尊様との縁が完全に切れてしまう。創価学会は完全に邪宗化してしまう(すでに完全に邪宗化している??)。
 ガンで苦しんでいる人は早く法華講に入るべきである。創価学会では治らない。何故なら創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。創価学会は完全に日蓮正宗から独立してしまっているからである。法華講(とくに妙観講)にはガン完治の体験談が多数存在する。
 私は中等部の担当をしていたことがあり、創価学会員の大学・高校受験(一般の大学・高校の受験である。創価大学や創価高校ではない)の失敗があまりにも多いことを良く知っている。間違いなく合格すると太鼓判を押されている人も、その受験者が熱心な創価学会員の場合、不合格になってしまうことが頻繁に有った。
 以前は中学生高校生で非常に熱心に信仰する者が多かった。完全に大人顔負けなほど信仰する者が多かった。純粋だからである。疑うことを知らないからである。純粋過ぎるからである。これは現在、顕正会に同じような傾向が見られる。顕正会は高校生が激しく折伏を行っている。
 私も中学高校時代は一日一時間四十分(五千遍)唱題していた。二〜三時間唱題していた頃もあった。勤行ももちろん五座三座と行っていた。しかも気合いを入れてしていた。今はその十分の一もできない。あの頃は「広宣流布のために死ぬか?」と言われたら死んでいた。御本尊様を疑ったことは一度もなかった。御本尊様を信じて信じ抜いて厳しい少年時代を生き抜いてきた。御本尊様と一緒に厳しい少年時代を生き抜いてきた。苦しいとき、悔しいとき、御本尊様の前で心ゆくまで唱題して耐えてきた。何故、こんなに苦しいんだろう、苦しむんだろう、と思うことも良くあったが、ひたすら疑わずに信じ抜いていた。幹部は「親の信仰が足りないから子供がこんなに苦しむ」と責めていた。毎晩、声が掠れて出にくくなるまで唱題していた。毎晩、唱題が終わった十二時頃、法悦に浸っていた。
 例えば高校浪人する人の半分は創価学会員であった(当時は高校浪人は特に地方に於いては少なかった)。“魔の働き”と私だけでなく多くの中等部担当者は推測していた。しかし“魔の働き”を言うと信仰しなくなるため中等部担当者の間では禁句になっていた。家の人が退転状態で全く勤行唱題したことがない創価学会員の場合は予想通り合格していた。————これは昭和六十年頃までのことであり、現在、創価学会員の大学・高校受験がどうであるかは知らない。現在は創価学会の中学生高校生は大幹部の子であっても信仰をほとんど行わないことが多いので、こうした現象は非常に少なくなっていると思われる。しかし信仰を真面目に行っている少年部員・中等部員・高等部員はやはり受験に失敗しているようである。
「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る」である。熱心に信仰しないと三障四魔は競い起こらないのである。しかし、創価学会員には三障四魔らしきものが余りにも競い起こり過ぎていた。本当に三障四魔に依るものか、池田大作が招き込んだ無数の悪鬼に依るものか、人生を棒に振った創価学会員は多い。これらはやはり池田大作が招き入れた悪鬼の軍団によるものと思われる。

 極めつきの例を紹介する。この人は六浪して創価大学の一期生となった人だが、毎月三人、入信させていた。毎日三時間、題目を上げていた。毎月三人で一年間に三十六人、六年間で二百十六人になる。勉強も毎日三時間題目を上げて一生懸命に勉強していたのだが、何故か毎年、大学入試に大失敗を繰り返していた。「この信仰をすると希望する大学に絶対、合格する!」と言って毎月三人入信させ、一緒に勤行唱題に励むのだが、何故か毎年、大学入試に大失敗を繰り返していた。今、この人は、何処で、どのようにしているであろう。極めて信心強情であったから、大幹部になっているはずである。それとも池田大作の正体に気付いて退転したかもしれない。創価大学の一期生で六浪して入学してきた人は他にはいなかったと思われる。『創価大学に入るのが自分の使命だったんだ』と言って、その人は勇んで出来たばかりの創価大学に入学した。その人から折伏され入会した人から聞いた話である。その折伏され入会した人は非常に熱心な創価学会員である(しかし、若くして亡くなった)。
 創価学会には池田大作が招き入れた無数の悪鬼が暗躍しているからである。


魔性の創価学会(四)

 0000さん、創価学会員は治りにくいし重症化することを詳しくお教えください。自分も以前から気になっていたことです。
 創価学会員は本当に治りにくいし重症化することを自分も以前から気づいていました。しかし誰に話しても本気にしない、病気は創価学会で治ると言い張られるばかりでした。
突然失礼します。

ベストアンサーに選ばれた回答
jd45678さん
 はじめまして、こちらこそよろしくお願いします。
医療分野に10年以上携わっておりましたが、確信したのは5年目くらいです。脳卒中や骨折、筋ジストロフィー、多発性の多少状など、癌や風邪であっても重症化したり、普通に症状が緩解するはずが合併症や薬物の副作用などが重なり悪性化、もしくは後遺症が残りやすい状況です。何故、気付いたかと言えば自宅に行けば、同じようなご仏壇やカレンダー、冊子があったのと、会話していると「毎日拝んでたのに・・・」など、親戚に学会の方がいるから何故か雰囲気でも「もしかしたら・・・」と思うとその通りだったりします。昔の仲間は、統合失調症(旧精神分裂病)で苦しんでいます。患者様(脳出血後遺症)では、立つ練習や起きる練習をしていたようですが一向に効果が無く、風邪や目眩でリハビリが進まないようでした。歩ける人(脳梗塞?)でも家族の助けが得られずいつも一人でした。脳の病気で話せない、動くのがやっとの方は民政員の介護者(家族)から虐めを受けていました。知人は、風邪が長引き20kgほど痩せてしまい、会ったときには驚くほどでした(入院時は一時意識レベルが危険になったようです)。また、頸椎の手術が失敗して首から下が動かなくなった方もいます。脳の後遺症がある方の多くは麻痺のレベルが大きいです(体の半身がほぼ完全麻痺など)。上記以外でも家族環境や社会的接触で気に懸かることが多くあります。

(質問した人からのコメント)
自分も医療分野にいますが創価学会員の治りの悪さや重症度の高さに気付いていました。病気だから創価学会に入るのだけでなく、創価学会員だから病気になると思っています。大変なところです。活動家でしたが、そうした現象を見て、今は批判的になっています。法華講に入りたいですけど、家庭上の都合や両親への厭がらせなどを考え、脱会はしないで居ます。



病気を治すためには
 原島嵩氏は重度の不安障害を正信会を辞め法華講に入ることで治している。法華講員に精神障害が起こったという話は未だ聞かない。
 原島嵩氏は目眩・吐き気を伴う重度の不安障害に二年余り、非常に苦しまれた。それは地獄の苦しみであったと書かれている。これほど重度の不安障害は珍しいが、創価学会員にこのような重度の不安障害は頻繁に見られる。創価学会員以外ではこのような重度の不安障害は稀である。創価学会病(または正信会病)とも言えよう。それが法華講に移るとともに自然に治っている。(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p44)
 それならば創価学会に極めて多数存在するうつ病性障害などの精神障害で苦しんでいる人は日蓮正宗の寺院に行って勧誡式を受けることである。それが病気を治す一番の近道である。
 不安障害の場合、抗不安薬は一時的には奏功するが一時的な効果しか望めない。抗うつ薬が不安障害を寛解させることがあると言われるが、寛解することは稀である。しかも創価学会の間違った信仰で不安障害になったならば抗うつ薬で寛解することはあり得ないと考えて良い。
 とくに精神障害の場合はオカルトでしか説明のできない病気が大部分を占める。病気を治すためには法華講に入ることである。
 しかし、最近、創価学会から脱会しなくとも勧誡式を受けることができることも頻繁にあると知った。それはご住職の考え次第であると書かれてある。家族に内緒に法華講に移っている創価学会員が多数存在する(とくに壮年部)。
 勧誡式を受けて遙拝勤行、遙拝唱題をすると違う。
 創価学会の日寛上人の“魔”の御本尊に祈っても紙に祈っているように何も感じない。それどころか悪いことが起こる。“魔”の御本尊であるからである。“魔”が入っている御本尊だからである。

 病気を治すためには日蓮正宗の寺院に行って勧誡式を受けることである。(間違っても正信会の寺院に行ってはいけない。それが正信会の寺院か否かはインターネットで簡単に解る)

『私は「心療内科」ともかかわりました。しかし「心の病気」にはなんの解決にもならなかったのです。それもそのはずで、私の「心の病気」は正法に違背していたために起こっていたものだったことに、あとで気づいたのです。私が平成十一年元旦に日蓮正宗の勧誡を受けるまでの二年余りの年月、私も苦しい思いをしてきましたが、妻をはじめ、家族の苦しみもなまじっかなものではなかったでしょう。
 ところが、平成十一年元旦の勧誡を受け、大御本尊様に合唱礼拝するようになって、あれほど苦しんできた不安神経症、うつ病が、気づいたときには、いつの間にか消え去っているではありませんか。あれほど一日何回も吐いていた吐き気も、跡形もなくなりました。』(絶望の淵より甦る:原島嵩:日新報道:2007:p44)


御書
転重軽受法門 文永八年十月 五十歳御作  与大田左衛門・曾谷入道・金原法橋
 涅槃経に転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)と申す法門あり、先業の重き今世につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口・罵りせられ杖木瓦礫をかほるも故なきにはあらず、過去の誹謗正法の故かと見えて其罪ひっちと説れて候は不軽菩薩の難に値う故に過去の罪の滅するかとみえはんべり「是一」、又付法蔵の二十五人は仏をのぞ(除)きたてまつりては皆仏のかねて記しをき給える権者なり、其の中に第十四の提婆菩薩は外道にころされ第二十五師子尊者は檀弥栗王に頚を刎られ其の外に仏陀密多竜樹菩薩なんども多くの難にあへり、又難なくして王法に御帰依いみじくて法をひろめたる人も候、これは世に悪国善国有り法に摂受折伏あるゆえかとみえはんべる、正像猶かくのごとし、(略)
文永八年辛羊(かのとひつじ)十月五日 日蓮花押 大田左衛門尉殿 蘇谷入道殿 金原法橋御房 御返事


佐渡御書 文永九年三月 五十一歳御作 与弟子檀那
般泥おん経に曰く「善男子、過去に無量の諸罪・種々の悪業を作らんに是の諸々の罪報・或いは軽易せられ或いは形状醜る衣服足らず飲食楚々財を求めて利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或は王難に遇う」等云云、又曰く「及び余の種々の人間の苦報現世に軽く受くるはこれ護法の功徳力に因る故なり」等云云、此経文は日蓮が身なくば殆ど仏の妄語となりぬべし、一には或被軽易二には或形状醜る三には衣服不足四には飲食楚々五には求財不利六には生貧賤家七には及邪見家八には或遭王難等云云、此の八句は只日蓮一人が身に感ぜり、


兄弟抄 文永十二年四月 五十四歳御作 与池上兄弟 於身延
 今又日蓮が弟子檀那等は此にあたれり、法華経には「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又曰く「一切世間怨多くして信じ難し」涅槃経に曰わく「横(よこしま)に死横(しおう)に罹(かか)り呵責(かしゃく)・罵辱(めにく)・鞭杖(べんじょう)・閉繋(へいけい)・飢餓・困苦(こんく)・是くの如き等(とう)の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云、般泥おん経に曰く「衣服不足にして飲食楚々なり財を求めるに利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或いは王難及び余の種々の人間の苦報に遭う現世に軽く受くるはこれ護法の功徳力に由る故なり」等云云、
文の心は我等過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが今かえりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦を招ぎこして少苦に値うなり、この経文に過去の誹謗によりて・やうやうの果報をうくるなかに或は貧家に生れ或は邪見の家に生れ或は王難に値う等云云、
 各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきず(疵)のあらわるるがごとし、石はやけば灰となる金は・やけば真金となる、此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ、雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なりしび王のはとは毘沙門天ぞかし、十羅刹・心み給わんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともや・あるらん、それに・つけても、心あさからん事は後悔あるべし、
その上摩河止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入たる法門ぞかし、此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずば正法と識るべからず、第五の巻に云く「行解すでに努めぬれば三障四魔奮然として競い起る乃至随う可らず之に随えば将に人をして悪道に向かわしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云々、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ


兵衛志殿御返事(三障四魔事) 建治元年十一月  五十四歳御作  於身延
 (略) 兄をすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ、すこしも・をそるる心なかれ・過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり、しを(潮)のひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と秋と春とのさかひ(境)には必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者は喜び愚者は退くこれなり、此の事はわざとも申し又びんぎ(便宜)にと・をもひつるに御使ありがたし、堕ち給うならば・よもこの御使は・あらじと・をもひ候へば・もしやと申すなり。(略)


「すでに仏になるべしと見え候へば・天魔・外道が病を付けてをどさんと心み候か、命は限りあることなり・少しも驚く事なかれ、また鬼神奴らめこの人を悩ますは剣を逆さまに・飲むか」


 このように「病気になるのは信心がなってない。信心が足りないから病気が治らない。」という創価学会の教学(教学と言うより信仰観と言うべきだろうか)は間違っている。その逆である。病気になったのは過去世の重罪を打ち出すように熱心に信仰をしたからである。また、“魔”が憤然として競い起こるように熱心に信仰をしたからである。病気にならない人は、熱心さが足りないか、宿業が無いのである。もう一度書く。病気にならない人は、熱心さが足りないか、宿業が無いのである。
 その病魔と闘う人たちを優しく助けることが大切である。「病気になるのは信心がなってない。信心が足りないから病気が治らない」と考えるのは非常に熱心な創価学会員に多く見られる。
 この信仰を一生懸命にして病気になった人を軽んずる現在の創価学会の傾向性は全く間違っており、却って、そうした人たちを大切にすべきである。
 また、このように御書には現世利益は余り説かれていない。「現世利益」を第一とすることは創価学会の誤り、創価学会の邪義である。「現世利益」を熱心に説いていたのは入信させるための方便であったとも思われるが(そのために日達上人などはこれらを黙認されていた)、全ての創価学会員は本気で「現世利益」を熱心に説いて入信を勧めていた。
 この信仰をすると三障四魔が競い起こることが御書には書かれている。しかし生命は清められる。

 日蓮大聖人も病気に罹られ、四条金吾により薬を処方され服用されている。日蓮大聖人は病を隠されていない。このことからも創価学会の病気をする人は「信心がない」という雰囲気は間違っている。池田大作が造り出した“邪義”である。病気によって信仰に奮い立つ人は多い。
 「生」「老」「病」「死」は世の常である。むしろ病気によって人生経験の深みを増すこともある。病気によって道心(信仰する気力)が起こるのである。
「この病は仏の御はからいか。————病によって道心は起こり候か」(「妙信尼御前御返事」p90)
 うつ病性障害が治らずに苦しんでいる婦人部が居た。一族全員熱烈な創価学会員。ある県(昔の一県一県のとき)の女子部のトップにまでなったほどの強信者だった。ところがすぐ近くに住む家族(両親、妹など)が全く家事などを手伝ったりしない。うつ病性障害でも中等度から重度の部類に入り、夫の夜食を作るのも大変だった(不可能に近かった)。その夜食を代わりに作ることなどを手伝おうとしない。「信心が足りない」から病気になったし「信心が足りない」から病気が治らないのであって本人の信心が試されている、家事を手伝うことはしない、と頑固だった。私が何度かその親に手紙を書いてもその家族は返事も寄越さなかった。
「信心が足りない」から病気が治らない、とその親は頑固に娘の面倒を見ることをしない。自殺願望も突発的に強く表れていた。中等度から重度のうつ病性障害では家事を行うことは地獄の苦しみに近い。そのことをどんなに親に手紙を書いて出しても返事も寄越さないし、病気の娘を放っていた。呆れ果てた。
 結局、その女性は、産みたかった子供も産めず、産期を過ぎてしまった。今は、夫と二人で暮らしている。うつ病性障害は多少、軽症化したのみである。創価学会の間違った考え(邪義)の犠牲者とも言えよう。

 私には次のような体験がある。これが自分が創価学会を強く疑う一つの要因(きっかけ)になった。五年ほど前のことになる。
「三時間の唱題を“魔”の御本尊の前で熱烈に行った。これほど熱烈に行うことは非常に珍しいことであった。二人のうつ病性障害で苦しんでいる創価学会員の寛解を三時間熱烈に祈った。これほど熱烈に祈ったことは十数年ぶりのことだった。しかし、歓喜が湧かないことを不思議に思った。
 翌日、朝から非常に身体が怠かった。うつ病性障害の五度目の再燃だった。うつ病性障害の再燃は三障四魔によるものと説明ができた。しかし歓喜が湧かなかったことに信仰への疑問を感じ、今までの再燃の時とは異なり翌日より勤行唱題を全く行わなかった。そのためか三週間ほどで寛解状態に至った。これほど早く寛解状態に至ったことは今まで経験のないことだった。抗うつ薬は全く服用しなかったが、徹底して勤行唱題を行わなかったことが功を奏したと思われた。以来、現在までうつ病性障害の再燃はない」


洗脳されきった哀れな会員を救う
「第六天の魔王 智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王 我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」(最蓮房御返事)———これは当てはまらないと思われる。池田大作は広宣流布を頓挫させるためにこの世に生を受けた大悪鬼と私は信じる。
 昭和三十二年の大阪事件に於いて臆病な池田大作は卑怯にも警察に全てのことを話している。つまり仲間を売っている。そのために池田は早期に釈放されたし無罪になった。大阪事件では何十人もの創価学会員が有罪になり、創価学会は有罪になった人たちを全員、除名にした。すでにこのとき池田大作は堕落していた。しかし私はそのずっと前から堕落していたと考える(異常なまでの権力欲)。
 池田大作は戦後のどさくさの時は、川崎市から大田区を縄張りとする暴力団の手先となって貸金の取り立てなどを手伝っていた。(山崎正友:懺悔の告白:日新報道:1994: p105)その経験を見込まれて戸田城聖氏は池田大作を雇ったのである。
 二十五歳(昭和三年生まれであるから昭和二十八年)までは池田太作(タサク)が本名であったが、二十五歳の時、正式に戸籍上、池田大作に名前を変更している。戸田城聖氏や池田大作の奥さんのように勝手に外見上の名前を変えることはできる。しかし戸籍の名前を変えることは家庭裁判所が認めたときのみである(少なくとも以前はそうであった。現在は在日外国人のことで簡単に変えられるようになったようである)。戸籍の名前を変えることはそれほど困難なものであった。池田大作は自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)であるために戸籍の名前をも変えた。この戸籍の名前を変えることができたことは一つの謎(調査中)と山崎正友氏は書かれている(懺悔の告発:山崎正友:日新報道:1994)。
 何度も何度も役所へ行って執拗に頼み込んだのではないかと筆者は推測する。自己愛性パーソナリティ障害ならそういう恐るべき執念深いことを行う。賄賂を役所の担当員に渡した可能性も考えられる。この頃、池田大作は金融業で大成功し、非常に裕福であった。

 池田大作は異常なほど国会喚問を怖れている。何故、それほど国会喚問を怖れるのか? 理解に苦しむ。
 戸田先生は「国会喚問が来たら喜んで受ける、大聖人の仏法の素晴らしさを世に知らしめるチャンスである」と述べられていた。
池田大作は今まで公明党議員を使って国会喚問を避けさせてきた。公明党議員は国会議事堂の廊下に座り込むこともして池田大作国会喚問を阻止した(このとき青年部も多数、応援に呼ばれ参加した)。まるで暴力団である。
 公明党は池田大作の私党であること、公明党の政策は池田大作の独断で決まることは常識である。公明党が在日外国人の参政権を推し進めようとするのは池田大作の独断であることは有名である。池田大作は在日韓国人の参政権のためにそれを強引に推し進めていると言われる。これは在日韓国人には創価学会員が多いため選挙を有利にするためであると言われているが本当の理由は不明であり、何か裏があると言われている。
 何のための選挙なのか? 単に池田大作の醜い野望ではないか? 選挙が広宣流布を妨げた。政界進出を行わなかったなら、創価学会は現在の二倍以上の規模になっていたと思われる。政界進出が広宣流布を妨げた。
 政界に進出しなかったら、政党は大票田である創価学会を味方に付けようとして創価学会に媚びていたはずである。池田大作の最大の失敗は政界に進出したことと言えよう。

 現在、創価学会は選挙と財務しか行っていないといっても過言ではない。折伏にはほとんど力を入れていない。これは平成元年頃からである。
 同時放送での池田大作のあの傲慢不遜な振る舞い、池田大作こそ悪鬼入其身である。同時放送でのあの言動と振る舞いは暴力団を彷彿とさせる。それを気付かない創価学会員がおかしい。あまりにもお人好し過ぎる(自分もそのお人好し過ぎる人間の一人であった)。自分の友達は一発で気付いた。
 そして池田大作が招き入れた悪鬼が純真で真面目な創価学会員の身の上に次々と不幸を起こしている。熱心な創価学会員ほど不幸が起こっている。トップが悪いとそこから悪鬼が流れ込む、という文意の御文がある。池田大作が創価学会員を不幸に陥れてきたし、今も陥れている。もし池田大作が出現しなかったら、創価学会員は不幸にならず幸せになっていたはずだ。 
 創価学会員は一般にどうしようもないほど人が良いことが多い。その人の良さが池田大作の本性を見抜けない事に繋がっていると思う。その人の良さは他に友達を作りたくないと思うほどである。貧困が存在していた昭和の時代には相互扶助および弱者への哀れみの心が人々に存在していたが、貧困が少なくなった現代では弱者への優しさを失った人々が激増し“いじめ”が社会問題化している。創価学会員の存在は現代に於いては一種の清涼剤のようである。それは元々、人が良かったから激しい折伏にも拘わらず素直に入信した故と思われる。もちろん例外もある。創価学会員にも私利私欲に凝り固まった信仰者とはとても思えない人も多数存在する。それは功徳欲しさ故に入信した欲深い人と思われる。元々、心醜い人は、どんなに勤行唱題、折伏、学会活動などを行っても、あまり変わらない。ただ、外見上、取り繕うことができるようになるだけである。
 しかし、脱会すると今まで非常に親切だった人が、掌を返したように陰湿で冷たくなることをどう説明して良いか、判断に苦しむ。
 人の性格を変えることは極めて困難である。不可能と言っても過言ではない。いや、遺伝生物学上、不可能である。人の性格は遺伝により生まれたときから決まっていると言われる。素直な性格の父親から生まれてきた子供は父親の性格を受け継いでいるならば間違いなく素直である。同じように素直な性格の母親から生まれてきた子供は母親の性格を受け継いでいるならば間違いなく素直である。父親、母親の性格を何割かずつ受け継いでいるならばその何割かずつの性格になる。子供は親の鏡ということわざが存在するのはそれ故である。性格は遺伝する。これは一卵性双生児の研究からも明らかになっている。育った環境が全く異なる一卵性双生児も性格は酷似する、育った環境により性格が修飾されることはほとんどない、という研究がある。学会二世三世の性格が一般に素直なこともその遺伝による。
 選挙運動に一生懸命になることも、その素直さ故と、「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という唆しがあるからと推測される。筆者は内向的な性格で友達が少ないこと、内向的な性格、また批判的な性格(へそ曲がりな性格と言うこともできるだろう。その頃、自分自身を「へそ曲がりな性格」と揶揄し幹部の人もそう言っていた。しかし「選挙運動に走り回る同志を批判力の無い人たちと定義することができる」とも思っていた)、それ故に選挙運動はあまり行わなかった。選挙には批判的であった。これは折伏のとき「宗教団体であるものが布教を二の次にし、選挙運動に没頭していることがおかしい。だから私は創価学会には絶対に入らない」「創価学会は政治に介入している。信仰団体とは思えない。信仰を隠れ蓑にした政治団体だろう?」「創価学会は公明党だから入らない」「創価学会は池田大作を総理大臣にする気だろう。だから創価学会には絶対に入らない」などと言われることが極めて多かったからである。公明党を造り選挙運動に没頭することがなかったら創価学会は現在の何倍かの規模になっていたかもしれない。しかし、このことを言っても幹部の人は「池田先生が、池田先生が、」と言って怒り狂うだけであった。
 政界に進出しなかったら、政党は大票田である創価学会を味方に付けようとして創価学会に媚びていたはずである。池田大作の最大の失敗は政界に進出したことと言えよう。

「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という言葉にはどうしても納得がゆかなかった。折伏を後回しにして選挙運動に没頭する同志の姿に納得がゆかなかった。宿命に苦しみ抜いている人たちを後回しにして選挙運動に走り回る同志の姿にはどうしても納得がゆかなかった。「選挙運動に折伏と同じ功徳がある」という唆しの内部通達に「功徳欲しさ」に「宿命に苦しみ抜いている人たち」を後回しにして動いているように思えてならなかった。
 その唆しは池田大作およびその取り巻きからきていることは明らかだった。自分はその取り巻きが悪いんだと主張することが良くあった。その頃の自分は取り巻きを悪く言っても池田大作を悪く言うことはできなかった。池田大作を崇拝する一般的な洗脳が自分にはやはりあった。また、幹部の前で池田大作を悪く言うことはタブーであったし、大変な反抗を受けることになっていた。

 一人一人を根底から救うことを大聖人様は示された。政治が少し良くなっても宿業に喘ぐ一人一人は救われない。大聖人様の仏教を信仰しないことには一人一人は根本的には救われない。君主が法華経を用いると民衆にまで法華経が広まる時代であった昔ではない。池田大作が創価学会の歩みを狂わせた。「立正安国論」を池田大作は歪めて利用した。
 創価学会員は人が良過ぎる。それは創価学会の激しい折伏に怒り心頭に達しなかった人たちが多く入会しているからであろう。円座になって取り巻いて創価学会に入ると言うまで帰さないというほどに締め上げても怒り心頭に達しなかった人たちが入会しているからであろう。そしてお人好しは遺伝する。人が良過ぎて池田大作の傲慢さ・魔性・嘘を見抜けないのだ。
 創価学会は今まで間違っていた。あの狂気のような選挙運動、そして広宣流布が未だ成されていないのに正本堂を造ったこと。同時放送で池田大作は『広宣流布は私がした。あなたではない。私が広宣流布をやり遂げた。広宣流布は私がした。』と何回も言い威張っていたが、創価学会の現在の発展は何十万もの名も無き人々の血の滲むような努力の結晶である。そして広宣流布は未だ成し遂げられていないことは明白である。
 もしも公明党を造って政治に介入しなかったら(池田大作の醜い野望)創価学会はいろんな政党から味方に付けようとされ、創価学会は守られていた。

「政治が少し良くなっても宿命に喘いでいる一人一人は救われない。宿命に喘いでいる一人一人を救うためには折伏して日蓮大聖人様の信仰を信じさせないことには不可能である。」
 これは三十年以上前、聖教新聞か大白蓮華(おそらく聖教新聞)に書かれていたことです。誰が書かれたかは記憶にありません。しかし池田大作は選挙一辺倒で折伏を軽視し「宿命に喘ぐ人を救うこと」を三の次、四の次にしている。これがおかしいと思うのは自分だけだろうか? 選挙にこれほど力を入れるのは権力を手中にしようという(名聞名利の虜になっている)池田大作の醜い野望にしか過ぎないと思うのは自分だけだろうか? つまり池田大作は宿命に喘ぐ可哀想な人を救うことはどうでも良いと考えているとしか考えられない。「天下を取れ」たならば「総理大臣に成れたならば」それで良いと考えている(あくなき権力欲)。不幸に喘ぐ人たちのことはどうでも良いと考えている。これは織田信長に似ている。
 池田大作は功を焦ったのである。もっと創価学会が大きくなってから政界進出すべきだったのである。政界進出とともに会員増加は頭打ちとなった。政界進出とともに創価学会への批判が高まり、選挙運動により会員が疲弊してしまい、会員増加が困難となった。池田大作は功を焦り「天下を取ろう」という野望を自ら砕いてしまった。
 自分は選挙に批判的であった。しかし折伏は誰よりもしていた。選挙に反対の自分に対する狂信的な幹部による叱責・排撃は激しかった。

 民衆救済という崇高な精神を踏みにじり権力へのあくなき執念を燃やすことは大きな誤りです。750年前、日蓮大聖人様は権力を取れと仰せになったでしょうか。国家かんぎょうはされましたが自らはあくまで正法を立て安国を実現するという権力と無縁のところに立たれていたのではないでしょうか。
 池田大作は「自分が広宣流布をした」と同時放送ではいつも言っているが、そこが釈然と来ない。広宣流布は名も無い無数の庶民が一生懸命になって命懸けで行ったのではないか? もう一度書く。広宣流布は名も無い無数の庶民が一生懸命になって命懸けで行ったのではないか?
 池田大作は自分がやったと同時放送では何回も言って威張っているが、それはおかしい。池田大作は邪魔をしただけである。
 ある霊能者が語るところに依ると、池田大作には霊界から赤い木の乗り物がすでに迎えに来ているそうである(平成22年2月1日)。それは無間地獄への迎えの乗り物であり、赤く見えるのは火が燃えているからだそうだ。その乗り物の中で池田大作は業火に焼かれながら無間地獄へと落ちてゆくと言われる。
 正本堂を造ったのは選挙に於いて「国立戒壇」のことで日本共産党などから責められないようにするため池田大作が考えたカモフラージュであったことは周知の事実である。その頃の創価学会員は貧乏な人が非常に多かった。しかし供養金を出すと功徳があると言われ、生命保険を解約したり、家や土地を売ったりして、正本堂建設のために献金した。献金すると幸せになれる、福運を積むことができる、と貧しい末端の会員に言い、多額の献金が集められた。しかし、創価学会員は幸せにはなっていない。周囲を見渡しても全て不幸になっている。幸せになっているところは一つもない。特に熱心にしていた処は悲惨な境遇に陥っている。
 これからは『日如上人様なら、どう言われるか?』を行動の指針としてゆくべきである。


ジョージ・ウイリアムス理事長
 アメリカのジョージ・ウイリアムス理事長が創価学会を辞め法華講に入ったと聞きました。信じられないことですが、詳しいこと、お教え下さい。命を賭して単身アメリカに広宣流布のために渡られた人です。私はとても尊敬していました。アメリカへと向かう飛行機内で父親が死亡した知らせを聞かれたと「人間革命」には書かれてありました。(現在の「人間革命」には、そのことが省かれてある??)
 ウイリアムス理事長は池田大作の子息をアメリカの大学へ入学させるように命令されたが、アメリカでは池田大作は良く思われてないため(ドイツ、フランス、カナダ、オーストリアなど先進諸国では池田大作は極めて危険なカルトの親分として非常に悪く思われている。ただ貧しい発展途上国がお金欲しさに池田大作に媚びを売るだけである)入学させる大学を見つけることができず(第一庶務との連絡不徹底があったとも言われる)、そのために池田大作から激しく怒られ総括され、池田大作の本性を見、法華講に入ったと聞く。その激しい総括は数年にも及んだという。その数年にも亘る狂気じみた総括のためウイリアムス理事長は心身的にも大変疲弊し尽くしたと言われる。
 アメリカではそのために法華講が大きな勢力を持っている。宗門と創価学会が同勢力を持っていると言われる。アメリカに創価学会の会館は多数あるが、使われずにいるところが多いという。たとえば池田大作はハーバード大学で二回講演した(かなり高額のお金を積んで根回しをして講演を行うことができるようにした)が博士号は貰っていない。アメリカの他の有名大学からも博士号を貰っていない。貧乏な大学からは博士号を貰っている。その講演のとき、池田大作は原稿のみを見て喋っていた。その原稿は池田大作のゴーストライター軍団が造ったものである。だから池田大作は内容も分からずに喋っていたことになる。内容も分からないから前を見る余裕も無かったのである。
 ウイリアムス理事長が日本で「暴露本」を書いたなら、日本の創価学会は大打撃を受けることは明白です。
 たしかに現在、日本の出版界に於いて創価学会の「暴露本」を出版することは非常に厳しくなっています。言論弾圧が行われています。インターネット上での暴露でも構いません。真実を日本の人々に知らせ、末端の創価学会員を不幸から救い出すのです。ウイリアムス理事長が日本で新しい創価学会を造られるなら私は喜んで馳せ参じます。たしかに生命の危険に遭うことになると思います。しかし、一度は広宣流布のために棄てた命ではないですか? たしかに日本の親族および子供達が危険な目に遭うことになるので、私は強く言えません。一考をお願いします。

 同じく竹入義勝氏、矢野絢也氏、「暴露本」を出版するべきです。たしかに強い言論弾圧が行われていますが、末端の創価学会員に真実を知らせることが末端の創価学会員を救うことに繋がります。一考をお願いします。山崎正友氏、原島嵩氏、もう一度、「暴露本」を出版するべきです。たしかに出版することは現在は極めて困難になっています。命賭け、また家族、親類にも迫害が起こることになりますが、一考をお願いしたい。
 創価学会はトップが間違ったから悪鬼が雪崩れ込み会員に不幸なことが競い起こった。トップが間違っているから不幸なことが競い起こる。
「その宗教団体のトップが間違っていたら其処から悪鬼が雪崩れ込む」という趣旨の御書の一節(あるいは他典)があるということですが、何処かお教え下さい。私は「日如上人様ならどう言われるか?」を現在、判断の基準にしています。(創価学会内部改革派憂創同盟より)
 時代がどちらが正しいかを証明するだろう。創価学会に悪いこと不幸なことが起こるのは創価学会のトップが間違っているからである。悪鬼が創価学会に雪崩れ込んでいるからである。創価学会の正常化(清浄化)を行うのが創価学会内部改革派憂創同盟である。広宣流布への情熱をそのままに創価学会を良くしてゆけば会員は幸せになれる。200万人もの創価学会員のためです。
 創価学会は実質上200万人であるが、信仰する気を喪失し退転状態またアンチ創価学会の状態にある人たちを含めると四百万人になる。実質上200万人のうち、批判力を持たない狂信的な創価学会員の割合は8%と推定される。
 創価学会は850万所帯などとでたらめを言っているが、筆者は19歳の頃、そのでたらめに非常に悩んだ記憶がある。他の邪宗(新興宗教)も同じように所帯数をでたらめに多く言っている。「他の邪宗と同じではないか」と19歳の頃、激しく悩んだ。キリスト教は所帯数を水増しして言っていない。
 池田大作は大悪鬼である。広宣流布を妨げる大悪鬼である。何故、この大悪鬼が出現したのか? 御書には書かれている。
「第六天の魔王 智者の身に入りて、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に入る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖も、第六天の魔王 我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」(最蓮房御返事)———しかし、これは当てはまらないと思われる。池田大作は広宣流布を頓挫させるためにこの世に生を受けた大悪鬼と私は信じる。戸田会長は死の前に池田大作除名を言っていると私は信じる。しかし、それは池田大作そして池田大作に追従する人たちに握り潰されたのだと思う。または他に何かがあったのか? 池田大作は寝ている病人の布団を剥いでゆく手口の金融業で富を築いていた。それを大幹部に分け与え味方に付けたと言われる。
 池田大作が石田次男氏を抜いて第三代会長に成れたことに何かの秘密があると思われる。石田次男氏が第三代会長になっていたら創価学会員は不幸になることはなく幸せになっていた。現在、熱心だった創価学会員はほとんどが不幸に喘いでいる。また創価学会はもっと発展していたであろう。池田大作が第三代会長になったことに全ての不幸は始まっている。
 そして広布の歴史の歪曲が「人間革命」など多数の出版物などで行われている。広布は名もない庶民が血みどろになって行ってきたことであって、池田大作が行ったのではない。池田大作は第一庶務の女性などを連れて研修道場の一角の超豪華な部屋(池田大作専用室)で楽しんでいただけである。このことを側近(最高幹部)は知っているはずである。また、そこを掃除していた女子部の幹部は疑いを抱き多数退転した。
 大悪鬼である池田大作は現在、世俗の名聞名利を追い求める爬虫類(コモドドラゴン)と化している。また、選挙を至上として広宣流布をないがしろにしている。創価学会は今、宗教団体ではなく、むしろ政治結社になっている。
 また、日蓮大聖人出世の本懐である「本門戒壇の大御本尊」を蔑如している(しかし、これを知らない創価学会員は極めて多い)。
 これでは創価学会員が不幸になるのは当然である。大悪鬼を師そして生き仏として崇めると不幸になるのは当然である。
 創価学会員はどうしようもないほど人の良いが多い。創価学会員以外とは友達で居たくないほどだ。友達はほとんどが創価学会員だった。創価学会員以外は信じることができなかった。創価学会員以外は疑ってしまっていた。その人の良さが池田大作の本性を見抜けない事に繋がっている。
 人の心は声に現れる、顔に現れる。同時放送で見抜かなければならない。

 戸田先生の十回忌の法要は寺院で行われた。創価学会がもはや池田教と化していたため創価学会では行わず戸田家の判断で日蓮正宗の寺院で行われた。戸田家が法華講であることはよく知られている。また、これは戸田先生が亡くなられたとき、池田大作が戸田先生の見舞金として全国より寄せられた4000万円は渡さずに、二台のトラックで戸田先生の遺品を大量に強奪していったためとも言われる。このとき日本刀も強奪したが、これが戸田先生と池田大作の師弟の絆として記念館に展示してあるのを戸田先生の奥さんが見られて非常に驚かれたという話は有名である。これは池田大作除名の遺言状を探し出すためでもあったのではないかと私は邪推する。
 韓国では創価学会執行部・創価学会反執行部に別れているという。創価学会反執行部とは反池田派のことである。その勢力は始めこそ小さかったものの現在は執行部に匹敵するほど大きく成りつつある。その韓国の情勢は日本の創価学会員にはほとんど知らされていない。支部長クラス以上の幹部しか知らない。そして最近は韓国のこれらの情勢の情報がシャットアウトされているのか現在、どうなっているのか分からない。
 アメリカなども「反池田」がかなり組織されている。「反池田」とは日蓮正宗のことである。アメリカでは創価学会と日蓮正宗が同程度の勢力を持っていると言われている。スペイン、ガーナではトップが日蓮正宗に寝返った。スペイン、ガーナではほとんどが日蓮正宗である。台湾、インドネシアも創価学会は壊滅状態であると言われる。
 それら海外の情勢に危機感を抱いている日本の創価学会最高幹部は多い。池田大作の死後、日本の創価学会も二分する危険性を日本の創価学会最高幹部は抱いている。この海外の情勢を知っている創価学会員は極めて少ない。聖教新聞では全くこのことは報道されていない。
 日本人は素直過ぎる。現在は下火になったようだが韓国の文鮮明が創立した統一教会に於いて、その悪評有る合同結婚に於いて、韓国人信者の半数は拒否をするが日本人信者はまず誰一人として拒否をするものはいなかった。このように日本人とは素直なのである。経済的な交渉に於いても日本人が弱いのは、この素直さ穏健さ故と私は考える。
 素直で穏健である日本人の心は、周りが海で囲まれ外国との接触が少ない、その保護的環境から来ていると考える。
 創価学会は改革しなければならない。現在、創価学会員の身の上に次々と不幸な現象が起こっている。「宿業が出ている」「転重軽受している」だけでは済まされない。堕落し果てた池田大作より悪鬼が雪崩れ込んでいる故と推論される。しかし、以前も、創価学会員には次々と不幸な現象が起こっていた。それは昭和35年頃からである。池田大作が創価学会会長に就任した頃からである。それまでは絶対に治らないと言われた病気も治ることが多かったという。


質問
一)創価学会は「総体革命」というものを推し進めているということであるが、その「総体革命」とはどういうものか?
答え:それは創価学会による日本制覇、日本支配です。
   創価学会を誹謗する団体は徹底してやっつける、創価学会を誹謗する団体を潰滅させることも含まれています。
    
二)国会議員を始め、地方議員の数も、半分に減らすと、税金の無駄遣いが少なくなりますが、このことを公明党はどう考えているでしょうか?
答え:そうされると公明党は壊滅状態になってしまいます。創価学会の警察権力へ及ぼす力もなくなってしまいます。

三)創価学会には「財務」というものがあり、毎年二千万円〜三千万円ほど集まっていると言われる。これは何に使われるのか?
答え:池田大作先生の勲章を取るために大部分が使われています。池田大作先生の勲章の数は統一協会の文鮮明には負けていますが、日本では一番多いです。すべて金で買っていると言って過言ではありません。豊田商事事件以上の悪質詐欺事件であります。

四)P献金は現在も行われているのか?
答え:もちろん行われています。Pとはpresident すなわち池田大作のことです。

五)池田大作は何故、そんなに国会喚問を恐れるのか?
答え:池田大作は軽症ながら妄想型統合失調症であるため、被害妄想によりそんなに国会喚問を恐れるのです。精神が正常な宗教家なら国会喚問こそ自らの正義を訴える良い機会と捉えるはずです。戸田二代会長も国会喚問を望んでいたくらいです。

六)東京の創価学会本部には毎週精神科医が来ています。学会本部の職員と家族に精神疾患があまりにも多発しているからです。薬を処方するには精神科クリニック開設の手続きをしなければいけませんから(精神科クリニックを本部会館内に開設して、これが暴露されたら創価学会は大打撃を受けます。ですから精神科クリニックの開設はしないはずです)カウンセリングだけのようです。カウンセリングしてどこどこの精神科を紹介するということをしているようです。
答え:そのとおりです。


創価学会内部改革派憂創同盟
 かつて創価学会内部改革派憂創同盟というものが存在した。それは元東京都議・藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を新しい創価学会の会長とし、創価学会を立て直すという人々の集まりであった。(ほとんどが壮年部・男子部であった。婦人部、女子部は皆無と言っても良いほどであった)しかし、創価学会中枢部が暴力団を使い、藤原親子などに圧力をかけ、活動が停止してしまったと聞く。
 主に選挙のことで創価学会の在り方について疑問を抱いていた私は出版されていた本から創価学会内部改革派憂創同盟の電話番号を探し出し電話した。非常に熱心に活動している人は00に住んでおり地区部長をしていた。創価学会から脱会せず、創価学会を改革するとして地区部長のまま活動していた。選挙の度に『謗法選挙』と書いたビラを播いていた。自分の地区を創価学会内部改革派憂創同盟にし、創価学会から脱会せず、創価学会のまま改革をしてゆく、ということであった。そして藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)と電話で話すように熱心に勧められた。確かに藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)は非常に人格者であった。この人が創価学会の会長になったら創価学会は素晴らしく発展してゆく、そして広宣流布も成し遂げられる、と確信した。
 創価学会から法華講に改める人たちが続出していたときであった。すなわち第二次宗門問題の時であった。私はしかし当時、創価学会に盲信的なところがあったため、創価学会内部改革派憂創同盟に連絡を取ることは途絶えた。
 十年後、私は再び、主に選挙のことで創価学会の在り方に疑念を抱き、その00の創価学会内部改革派憂創同盟のところに電話をした(電話番号を探すのに大変苦労した)。すると奥さんらしい人が出られた。そして「主人は亡くなりました。ガンで亡くなりました」と告げられた。電話越しに幼い二人ほどの子供の元気に騒ぐ声が聞こえていた。未だ、二歳、四歳ほどの子供たちだった。きっとその00の活動家は来世、必ず創価学会の改革を行うとの決意の下、霊鷲山へ旅立たれたと思われる。そして無念であったとも思われる。
「隣の地区の学会員一家は借金の保証人になってこのまえ夜逃げした。同じ学会員の保証人をしたのだ。その学会員一家も夜逃げした。自分たちの地区はみんな内部改革派憂創同盟にした。すると悪いことは一切起こらなくなった。みんな幸せになった。自分の地区はみんな幸せだ」「地区部長だから十三万は財務をするべき、と昨日来て粘られて困った」「非難に負けないよう教学力をつけることだ」「学会を戸田先生の時代の学会に戻すんだ。正しかった戸田先生の時代の学会に戻すんだ。それが我々の目的だ」と言っていた。壮年部の地区部長であったはずである。この頃は以前(二十八年前以上)と異なり男子部の地区リーダーを地区部長とは呼んでいなかった。また、男子部の地区リーダーには「十三万は財務をするべき」とは来ない。
 この創価学会内部改革派憂創同盟の熱心な活動家がガンで死亡したらしいことは創価学会に充満する悪鬼を軽く見ていたためと思われる。しかし、それよりもその頃の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と繋がりがあったためと考えられる。自分の知っている正信会の僧侶もガンで亡くなられた。創価学会はそれを大喜びしていた。たしかにその人は余りにも厳しい人であった。自分もお寺に題目を上げに行ったら「ちゃんと挨拶をしろ。お前は何処の奴か? 創価学会か? 何処の創価学会か?」と激しく怒られた経験がある。それは自分が十八の頃のことであった。純真に信仰していたその頃の自分は大きな謗法をしてしまったように思って激しく悩んだ。自分は挨拶をしたのだが、その僧侶には気に入らなかったと思われる。
 また、自分は小学三年の頃より勤行唱題を行っていたが、家人がほとんど退転状態に近く、御授戒を受けていなかった。自分が小学六年の終わりに虫垂炎になった後、御授戒を受けてない罰と思ったのか、御授戒を受けた。父は「何故、今まで連れてこなかった」と激しく怒られた。厳しい頑なな僧侶であった。また、御授戒を受けたが全く何も変わらなかった。御授戒とは形式に過ぎないと思った。御授戒を受ける前に自分は勤行唱題をすると元気になることを経験していた。それは御授戒を受ける前後で変わらなかった。
 創価学会に残って内部改革を行うことは甘い考えであったと今では考える。法華講に入らないことには創価学会に充満する悪鬼から逃れることは不可能なようである。今では創価学会を脱会しなくとも法華講に入れると聞く。家庭の都合上などで創価学会を脱会することができない人は隠れて法華講に入るべきである。“隠れ法華講”になることである。それとも心の中だけで法華講員になるか??
 現在、藤原行正親子は暴力団(あるいは青年部)の厳しい監視下に有るといわれる。また、昔の創価学会内部改革派憂創同盟は正信会と結びつきがあったそうであるが、現在の新しい創価学会内部改革派憂創同盟は血脈相状を否定する正信会とは一切、結びつきを持たない。正信会とは対決する(しかし、正信会は現在、既に潰滅しかけている)。そして法華講と強い結びつきを持つ。

 牧口会長の時代「天皇以下、国民すべてが日蓮大聖人に祈らないから戦争に負ける。大聖人が仰せの通り他の宗教を禁じて日蓮正宗の御本尊に戦勝を祈らなければ国が滅びる」と強く主張していた。創価学会が言うように「牧口会長は反戦を唱え軍部に弾圧されて獄死した。創価学会はだから初代会長以来、反戦平和の団体である」というのは嘘である。「戦争に反対」したのではなく「戦争に勝つため自宗での祈りを国家に強く求めていた」のである。むしろ戦争を強く賛美しており、日蓮正宗での戦勝祈願を激しく説いていた。
 創価教育学会の「実験証明座談会」はまず「宮城遙拝、戦勝祈願」から始められていたという当時の記録がある。それを「反戦平和の宗教」などという作り事ですり替えたのは池田大作がノーベル平和賞を狙っていたからである。当時の創価教育学会の「実験証明座談会」の映画がある。それは戦争賛美に満ちていた。牧口会長の長男も出征しており、結局、戦死されたが、創価教育学会の「実験証明座談会」の戦争賛美はその映画から分かるように極めて激しかった。
 戸田会長も極めて右翼的体質が強かった。体育祭では女子部員に長刀(なぎなた)を持って舞わせたり「俺も行くから君も行け。狭い日本には住み飽きた。海の向こうにゃ支那がある。支那にゃ五億の民が待つ」と学会員に歌わせていた。「反戦平和」など一言も口にしていない。
 戸田会長には原水爆禁止宣言なるものがある。それは「何人であれ原水爆を使う者がいたら死刑にすべきだ」(アルコール泥酔状態で言った可能性もある)というもので、まるで他愛なく幼稚なものであった。以後、昭和四十年代後半まで創価学会が原水爆禁止の運動をしたことはない。
 新しい素晴らしい創価学会を新たに築くことだ。日蓮正宗に従順に仕え、決して過去の過ちを起こさない純粋な創価学会を築くことだ。謗法の“魔”の御本尊に祈っても不幸になるだけである。繰り返すが我々創価学会内部改革派憂創同盟は創価学会Xデーのときは藤原行正氏の次男(藤原範昭氏)を担ぎ出し宮殿革命を起こす。藤原範昭氏を次の創価学会会長にするのだ。この宮殿革命では非暴力主義を貫く。そして新たに日蓮正宗の純粋な信徒団体に戻すのである。藤原範昭氏が創価学会解散を言うならば解散して日蓮正宗に付く。





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